開戦
再びの夕餉。
ヴェイシャズは肉やスープの味が分からなくなっていた。
全てはアルトが泊まっていた宿が家事になってからその足取りが全くつかめなくなっていたことに端を発する。爆発に紛れ、目立つ姿を捨て、同行者の所在すらつかめなくなっていたのだ。
全ては風月の突拍子もない行動とニアミスしているだけなのだが。
まさか貴族が特注でもない馬車で寝泊りをし、アルトが最安値のスラムにあるようなボロ宿で寝泊りしていると考え付きもしなかった訳で、そんなことを特別な立場の風月以外がすれば速攻で首を撥ねられるようなことに思いつけという方が無理がある。
これを予見できなかったことを責められはしない。
それとは別にもう一つ、ヴェイシャズを悩ませたのは来訪者だ。夜更けであっても日付が変わるほどの時間ではないタイミングで、言い換えるのなら明らかに早いタイミングでアルトがティアを連れて館まで来た。
「食事を理由に引き延ばしてはおりますが、これ以上はきついのでは?」
「分かっているゥ、だが今は少しでも時間が欲しいィ」
側に控えたミラタリオの言葉に忌々しそうに返す。
アルトは面会の準備を済ませるという名目で部屋を借りに来ていた。それ自体は何ら問題はない。貴族としてもままある事態だ。しかし、今回ばかりは虚を突かれた。
「こんな手を使ってくるタイプとは思いませんでしたのう」
ミラタリオの言葉にヴェイシャズもうなずく。アルトは今まで時間を前後させたことはない。それこそ、一秒単位で正確に時を合わせている。会議に遅れることもなければ、早く待っているということすら、過去に一度もない。
「それだけ向こうについたブレインが有能、ということですかのう?」
喉に絡みつく油をワインで流し込んで、咳を一つ。
「ミクハはァ?」
「まだ眠っているようですな」
「これが奴らの狙いだと思うかァ?」
「可能性はあるかと。前当主のご息女から情報はある程度漏れていても不思議ではありますまい。四大貴族ともなれば魔力も時間もそれだけ奪われるほどの激務。人質を回避する作戦、昨日の今日で考えたにしてはできすぎですな。しかし、正面から戦うことに固執しているともとれるほどの第三席の戦績を見る限り、消息を絶ったり、こんな姑息な手をとるとは思えませぬ」
その時だった。
「お食事中失礼します」
使用人用の扉から部屋に入ってきたのは頭髪に白が混じり始めた初老の男。ドラクル家に長く務めている執事だ。
ミラタリオの元まで来ると耳打ちをする。
「脱獄です。現在警戒体制を敷いている兵士たちの何名かを牢屋番に戻してください」
ドラクルの今の兵士の指揮権は騎士団長からミラタリオに委譲されていた。ゆえにここに報告が来た。
本来なら警備体制を早急に見直し、情報漏洩の対策をしなければ治安にまで波及しかねない事態であったが、今回ばかりは人手を回す余裕がなかった。
「放っておけい。今の警戒態勢なら外には出られんからのう。内内で処理できる」
「分かりました。失礼いたします」
執事が消えるのを見てからヴェイシャズが口を開く。
「アルトの仕掛けだと思うかァ?」
「警備がほとんど出払うことも予測はできるでしょう。手荒なことをすれば剣気を使えなくとも鍵の破壊もやってやれないことはないでしょう。可能性はあるかと」
この状況であっても、破壊の音にすら気づかないほど見張りがいないことなどあり得るのか?
自らの考えを脳内でシミュレートしながら目を細めるヴェイシャズ。
「最悪のシナリオはァ?」
「兵士の離反ですかな。すべての兵士が今の状況を理解しているわけでもなく、理解できている兵士の士気も低い。扇動する理由も、しやすい条件もそろっているように見えますな」
「短すぎるなァ」
アルトが来てから一日でその準備が終わるとは思えない。しかし、ないと断言することもできなかった。現に、あり得ない事態を一つ引き起こしているのだから。
「撤退に備えて混乱を起こすことが目的では?」
「こうして考えている時点でェ、後手に回ったなァ。アルトが連れてきた奴らに見覚えはァ?」
「あの三人ですかな? 見覚えはありませぬ」
この町にいてミラタリオの耳に入らない時点で実力はそこがしている。
この町に魔の山を越えてきた人材も女が一人という情報までつかんでいた。
「どこぞのゴロツキを数合わせのために連れてきたのかァ。この状――」
「しっ」
ミラタリオが半歩前に出て右手の甲をヴェイシャズの前に掲げる。
刹那、扉が開かれアルトが入ってきた。ティアを連れて入ってきた。
風月の宿のいたときの姿とは違い、髪を整え、赤いマントに煤一つ、銀に光を弾く鎧には指紋一つない。その斜め後ろに堂々とティアが控えており、その従者としてクルスと鎧を身に着けた男の姿もあった。
アルトからはミラタリオがちょうどヴェイシャズを庇うように見えた。
「随分と遅い食事だな、ヴェイシャズ」
「時間を守れないせっかちな騎士とは違って多忙な身の上でなァ」
「二度目の食事とは、脂肪を蓄えることに余念がないな」
アルトの嘲笑交じりの言葉。明らかに神域の騎士として伝え聞くアルトの素振りからかけ離れたものだった。それは陰謀渦巻く貴族世界を渡り歩いてきた魔術系貴族としての姿。アルトが貴族としての顔を表に出すのは、ヴェイシャズがつかんでいる限り初めてのことだ。
しかも発言自体が的を射ていた。
この時刻の食事は確かに異常なのだ。アルトに対して使った言い訳のせいでしっかりと食べなくてはならなくなった。嘘を吐けばそれだけで付け入るスキを与えることになる。アルトの前で嘘は使えない厄介な貴族なのだ。
この提言はかつて同じ武器を携えていたミラタリオから行われた。
「貴様らも食うかァ。用意させよゥ」
「要らん」
ヴェイシャズとミラタリオが一瞬視線を交わし、その後、アルトの横に場所に視線が集まる。違和感を覚えたアルトが視線の先を一瞥すると、ティアがテーブルの上の料理に目を輝かせていた。
「毒が入っているかもしれないので控えてくださいティア嬢。ティア嬢?」
声をかけて気づいたのは、視線が注がれているのは豪華に盛られた料理ではなく、その下の大きなテーブルを丸ごと覆うように敷かれた白いテーブルクロスだ。
小さなティアの手がアルトの赤いマントをつかみ、見上げる。
「引いて」
あまりにも期待に満ちた瞳にアルトは思わず拒否できなかった。
振った美テーブルクロスをまじまじと見てみると、ワイングラスに非常識なほど注がれた白ワインと、飲みかけの赤ワイン。さらには明らかい食べきれないであろう料理が小皿大皿に乱雑に盛られ、料理人がせっつかれて急いだ形跡が見られる。
明らかにテーブルクロス引きを挑戦できるような環境ではない。
そんなアルトの気おくれを察してほくそ笑むヴェイシャズ。
「騎士ならァ、お嬢様の願いは叶えるべきじゃァないかねェ。主賓もまだ来ていないのだからなァ。それまでのォ、余興だァ」
ミラタリオを一瞥。
「それがよろしいですな」
この隙を逃すな、そうコンタクトを取り、ミラタリオが頷く。
テーブルクロスに手を添えて少しだけ引いて、重みを確かめるアルト。
(重さにばらつきがあるな。不安定なものも多い。やってやれないことはないが、奴らに隙を晒してやることもない)
しかもモノが置いてある範囲が明らかにアルトの腕の長さではカバーできない。
「できない?」
マントを引っ張るティアに視線を向ける。
状況を見れば両手を使えなくするだけでもリスキー。さらには動きまで制限される。神域の騎士と同程度の敵を前に、おいそれとやって良いことではない。そういう判断から断ろうとした。
だが、ティアはアルトと視線が向きうと左目だけを一度だけ閉じた。
それからもう一度。
「できない?」
すべて熟して、私を守りながら作戦に起点にする。それができない?
そう問われていた。
同時にティアを無意識のうちに侮っていたことを理解し、己を恥じる。幼いながらもすべて理解し、流れを動かせる立場でい続けようとしている。その姿にアルトは口に出掛かった言葉を呑み込む。
騎士としての叙事がそうさせた。
いままでの侮りの償いとして返答はできる限りの敬意をもって返す。
その場で片膝を着いて、視線をティアに合わせるアルト。左手は腰の二本の柄に添えて、警戒は怠らない。されど表情は警戒している事実すらティアには悟らせないほど朗らかに。
「お任せください、やり遂げてみせます」
ティアがパァッ、と目を輝かせて張りつめた糸が弛緩した。
その一歩外側の空間では怖気が渦巻く場所となっていた。
緊張でガチガチになっていたクルスと、風月に『従わないと神域の騎士をけしかけるぞ』と笑顔で脅迫されたて怯え切った件のゴロツキ二人が感じ取った嵐の前の静けさが原因の一つだ。
寡黙すぎる第三席は表情が死んでいるとの噂がある。いつ見ても仏頂面なことに由来するものだ。噂に反する朗らかに笑った表に首のあたりにじっとりと嫌な汗がまとわりつくのを感じるクルス。
また一風変わった空気を纏ったのはヴェイシャズとミラタリオ。クルスたちとは違い、嵐を予測できた二人は不気味さを覚え、戸惑っていた。しかし、その理由はクルスたちと全く同じなのだ。
マントを翻し、ティアを隠すようにテーブルの正面へと向き合うアルト。手を添え、クロスを引く準備に入る。
内心舌打ちをするヴェイシャズ。予想に反してやる気を出したアルトが面白くない。ゆえにこの張りつめた空気を無視して真っ先に動いた。手に持っていたフォークをクルリと回し、振り上げる。
ズダン、と机とクロスを縫い留めるようにフォークが突き刺され、それと同時にアルトがクロスを引いた。
打ち付けたはずのフォークをものともせず弾きあげ、テーブルクロスは一瞬にて机の上から消え去る。空中に舞ったフォークの四つに分かれた先端が切断されているのがミラタリオの目に留まる。
(布に剣気を纏わせてフォークを切断した?)
歴戦のミラタリオにすら気づかせないほどの速さで剣気を纏わた。その事実に気づき舌を巻く。
そこまで思考が回ったときにはクロスが舞い上がり視線が遮られていた。
アルトの笑みに惑わされ、見に回った一瞬を突き、先手を打ったのはアルトだった。
音はなく、姿も見えない。それでも、神域の騎士であるアルトと、かつてその座にいたミラタリオは互いに剣を抜いたのが分かった。
そして、計ったようにフォークが音をたてて地面に転がる。
次の瞬間。
最高の技巧を持つと称えられた者たちが激突した。




