笑えない理由
「なんかやらかさないと気が済まないのか?」
アルトが合流したのは日付は優に跨ぎ、すでに日が昇ってからだった。
「お前が森神と戦った時よりもボロボロでみすぼらしい恰好なことまで俺のせいにされても」
頬や衣服についた煤で騎士らしさは消え、マントも脱ぎ去っていた。籠手以外に神域の騎士と特定できる部分はなく、それもよその旅人や傭兵たちに紛れてしまうほどだった。
対する風月は狭苦しい部屋に一人、窓際の椅子に腰かけて涼しい顔をしていた。
「宿が炎上していたこととは無関係だと?」
「まあ、結果的には?」
無言で剣の柄に手を掛けるアルト。
「わああああっストップ、それは待て! 正直どの程度因果関係あるわかってないんだよ! というか一歩間違えたら死ぬようなやり方を躊躇なく試そうとするんじゃねえ」
「私が借りた部屋から火が噴き出していたんだぞ」
「火は俺じゃない」
「中に取り残されているというから部屋に突っ込めば無人で」
「そっちは俺」
「火の回りが異常に速いという話も」
「それも俺」
「……」
「……」
この瞬間、うまく切り抜けたと言わんばかりのしたり顔を殴りつけなかった自分を褒めたいと思うアルト。
「買出しに出たクルス女史と遭遇しなければ合流できたかも怪しい」
「いや、合流はできた。だって近場の宿は全部回るつもりだったし。青い髪の奴が来たら連絡するようにも言っておいた」
人を雇ったのか? いくつの宿に人を張らせている? どうやって襲撃を切り抜けた?
疑問はたくさんあった。しかし、そのすべてを呑み込んで、するべき問いを口にした。
「ティア嬢は?」
「こんな馬車以下のみすぼらしい部屋に泊めるわけないだろ。鍵もおんぼろで四畳半程度だぞ。いくらティアが小さいからって複数人泊まれるわけないだろ」
「見ればわかる。ティア嬢は今どこにいる?」
「隠れてたんだよ、馬車に。つまりクルスと一緒だ」
「……」
口を噤むアルト。風月には何を言っても無駄だとようやく悟った。貴族がどのような存在で、どれだけ理不尽なことを通せる存在なのかまるでわかっていない。
ただし、それを聞かれるまで黙っている事の合理性までは否定しない。少なくとも、この宿がばれてもティアが危機にさらされることはなくなったのだから。
「そんな目で見るなよ。お前がティアを連れていけばこうはならなかったんだぞ」
「どういうことだ?」
「ティアにとって最も安全な場所はアルトの側だ。例え敵地のど真ん中だろうが、お前なら守り切れる。どうして連れていかなかったんだ」
ようやく風月の行動に合点がいったアルト。
「貴様は個本的な部分を勘違いしている。契約にはティア嬢の安全が含まれていたことを思い出せ。襲われたり死にかければ否応なしに森神がやってくる。最も安全なのは森神の庇護を受けている貴様の側だ」
「森神は……」
関係ない。そう口にしようとして自分自身の行動に困惑する風月。
「そうだな。なんで呼ばなかったんだろ? 思いつきもしなかった」
「山以降、変わったな」
そういわれて、風月も自分がおかしいことに気づく。
(なんで俺、楽しくないんだろ)
ふと、考えを巡らせた。なぜかは分からない。しかし、そのきっかけは鮮明に思い出せた。
魔の山での蠱惑的な出会いがあった夜。
幼いティアと吸血鬼のティア。そこで交わしてしまった軽率な約束の所為だ。
――向き合えない時には背中を押すし、本当に折れたときは連れていくさ――
(あれだ、あの一言だ)
ティアと交わした約束の意味が変わった。
思い返せば、変わった理由が見えてくる。
魔の山までは自分が死のうが別に構わなかった。しかし、連れていくかもしれないというのなら、風月は自らの命とは別の責任を負ったことになる。少なくとも、今の風月はそう思っている。
だから、軽率に楽しいと思えなくなった。楽しいと思ってしまうことが不謹慎だと自らを律した。その挙句、無意識のうちにティアの為だ、安全のためだと建前を並べ立てて遠ざけていた。
「――づき、風月凪沙」
「聞こえてる、大丈夫」
そう答える風月。しかし、アルトは怪訝なまなざしを向け続けていた。目を離す度に何かやらかす奴。それが風月の評価であり、目が合わないことが気がかりでしかない。
「あ。やっぱ大丈夫じゃない」
「は?」
急に椅子から立ち上がると、手近な壁に自らの額をたたきつける風月。
「風月!?」
自分が赦せなくなった風月は誰も反応できないほど突拍子もない方向へと突っ走った。痛む額を抑えて涙目になりながらしゃがみ込む。
「っ、っ」
「おい、風月?」
あのアルトでさえも、表情を崩し困惑している。職務に関わらない面での気構えができていなかった。
(ムカつく。自分が赦せない。結局、責任が怖くて逃げていただけだろうがっ)
自らを罰するように爪を掌に喰いこませた。噛み締めた歯がミシミシと悲鳴を上げる。そこから頭に上った血を冷ますためにゆっくりと体の力を抜いていき、立ち上がる。
「アルト、今後の予定は? どうせ行くんだろ」
「……ああ」
いきなりどうしただとか、何をしているのかだとか、言いたいことをいろいろ呑み込んでアルトは頷く。
「今夜だ。日付が変わる頃に面会を取り付けた」
「面会? そのまま斬り込んだ方がよかったんじゃないのか?」
「ティア嬢の姉君、ミクハ・ドラクルは事実上の人質だ。居場所も確認できなかった。それに、厄介な男もいた。事を荒立てるにしても、掛かりきりになる」
「……神域の騎士?」
アルトが掛かり切りになる相手。
真っ先に思いついたのは神域の騎士だった。だからそれをそのまま口に出すと、アルトは首を横に振る。
「元、神域の騎士だ。先代の第三席。不死の二つの名を持つ老爺だ」
「強いのか?」
「実際に手合わせしたことも戦った姿も見たことはない。だが、一〇年前の生き残りだ」
一〇年前、それが魔の山の征伐であることはすぐに分かった。たった三人の生き残りの一人。
「あの御仁が特異なのは二つ名の通り、死なないからだ。神域の騎士は本来生きてやめられる役職ではない」
「でも、神域の騎士で、今生きているんだろ。どういうことなんだ?」
「神域の騎士は大抵衰え、引退することになる。その引退も死亡という扱いで退職金などに花をつけられるのが慣例だ。その後、神域の騎士と名乗ることは赦されない。例外は二種類。一つは王位を継承すること。過去に二人だけだが、跡継ぎの問題で神域の騎士が王へと変更した例が存在する」
「で、ミラタリオは? 王族じゃないんだろ」
頷いて肯定するアルト。
「種族ごとに決められている任期を超えて勤め上げることだ。特殊な理由を抜きにして、生きたまま神域の騎士を引退したのはミラタリオ・リースただ一人だ」
「任期って何年?」
「人間は七〇年」
ふと湧いた疑問に対し、返ってきた回答があまりにも理解を越えていて風月は思考が真っ白になった。
自分のいた世界でも、寿命が延びて平均は八〇そこらだった気がする風月。この何処まで技術が発達しているかわからない世界で七〇年。それも、年齢制限ではなく、実際の任期だ。
「可笑しいのはそれだけじゃない。当り前のように七年追加で勤め上げ、最後の仕事が一〇年前の魔の山だ。戦功報告が無かったら、誰もミラタリオが任期を務めあげたことに気づかなかった。何せ、前例がなかったからな」
「神域の騎士だけで俺の五倍くらいかぁ。それが一〇年前で……。いったい幾つなんだよ」
「知らん」
「じゃあ一番重要なこと聞くけどさ、勝てるの?」
「勝てる」
一切の躊躇いもなく、アルトはそう答えた。
「ティアや俺が側にいても?」
「守るだけなら」
今度は唇を濡らす一拍の間をおいてから続ける。
「その時は攻めきれない。森神から聞いた話によれば、殿として残った奴を八度殺したらしい。そのうえでここのまま戦うのならバラバラにして封印するくらいしか、奴を何とかする方法は思いつかなかった」
褒めるべきは強力な殿がいても三人以外全員殺し尽くした森神か、はたまたそんな森神を相手に生き残ったミラタリオか。
興味本位で聞いた前任者の話がここまでクリティカルな情報になったことは幸運だった。
「問題はもう一人、黒幕の方だ」
「黒幕? ミラタリオじゃないのか?」
三年前のことは確信がなかったために口にしなかったアルト。
「領主を処刑し、ティア嬢を奴隷落ちさせたのはヴェイシャズ・ライルヴァスという男だ。人質をとったり、挙句追い詰められたら殺すくらいなら平然とやりかねない奴だ」
「そんな奴野放しにしておくなよ……」
先に貴様を牢屋にぶち込んでやろうか。
風月も人質殺人未遂を平然としていることについてはアルトも指摘しせずに、心の中に秘めたままにする。
「とにかくだ、状況が最悪だ」
「日付が変わる前に何とかできる目途は?」
「……」
アルトが押し黙った。それは現状打つ手がないことを示している。
その時だった。窓が三度ノックされる。それは事前に決めた合図だった。窓を開けると、頭に包帯を巻いた禿げた男が腕だけを乗り上げてきた。部屋は薄暗いがまだ昼。顔の細部まで見るのに灯りも要らないが、それでも異様なかなつぼ眼は深い闇を落としていた。
「ダンナ、時間です」
「おう、ありがとな。それと、探してたやつは見つかった」
「えっ、神域の騎士という話じゃ……」
「うん。そうなんだけど、なんでか今は浮浪者みたいになってって」
「ぶっ飛ばすぞ」
ロクに目もやらずに適当に手を振って適当に流す風月。その後ろでアルトはうっすらと剣気を纏い、禿げ頭はぎょっと目を剥いた。
「へい、ではアッシはこれで」
「金は? 要らないならいいけど」
窓を閉めると包帯の男は何処かへ逃げるように消えていった。
「誰だ今のは?」
「宿で襲ってきたゴロツキ」
「殺しに来た奴と組んでいるのか?」
「はっはぁ。鏡を見手から言えよ」
アルトなら呑み込んでいるところだが、風月はそれほど大人ではない。それがアルトの神経を逆なでしていく。
「今は敵じゃない。お前と同じだよ。過程は重要じゃないんだろ?」
「……それは貴様が間違っていなかったからだとも言ったはずだが? そろそろ炎上していた宿についても聞かせてもらおうか?」
痛いところを突かれた、そんな気持ちを隠そうともせずに風月は顔を顰める。
「放火はしてない。ただ、火の回りをが早まった可能性はあるし、その原因になった可能性もある」
「続けろ」
「毛布に燻った炭を来るんで空にした水を入れておく壺に突っ込んで大量の煙を出した。その煙を火事と誤認させてクルスたちを逃がして、顔の割れていない俺が正面から逃げる。それだけだったんだけど……。廊下に水差しだして扉閉めたと思った直後に大爆発を起こしまして」
「なにごと!?」
「窓から見えるぐらいの炎が隣の部屋から噴き出してさ、壁は一瞬で炭になって、崩れる宿を命からがら逃げだしてきたという訳で。まあ煙の中で戦うのもごめんだったからベッドは立てかけて火の周りを速めようとはしたけども」
「それを放火魔っていうんだよ!」
風月には目にも負えない速さで剣を引き抜き、再び鞘に納める。
その軌道が風月の親指の薄皮のその奥、待針で親指を刺すよりは深い程度の傷を狙ったつもりだったが、一切の血はでなかった。一拍遅れて風月は自らの親指に残る悪寒を消すようにさする。
嘘であれば血が出る。むしろそうであってほしかったのだが――。
「嘘じゃない……」
「戦いは夜だろ。もう休めよ」
「そんな時間はない。クルス女史を呼べ。今すぐに今夜の打ち合わせを――」
「原因は疲労とストレスか? 表情出すようになったな。まあ仏頂面で人の首切り落とそうとするよりは遥かに好感が持てる」
「貴様はあった時からそのにやけ面のままだ」
観念したように息を吐き出し、肩から力を抜く。
「ここで休めって言うのなら、いいだろう。貴様の言葉に乗ってやる。だが、何か策はあるんだろうな?」
「もともと、お前なんぞいなくても一人で何とかするつもりだった。何も考えてないわけないだろ」
「安眠できるように納得させろ」
アルトは額に手を当てて、疲労の色をにじませながら言う。ベッドに腰かけるとギシギシと床なのかベッドそのものなのか分からない軋む音が響いた。
「ティアを守ってくれるだけでいい。それは、俺じゃできないことだ。だからお前に任せるぞアルト。代わりに俺にしかできないことをやってやる」
「何考えてる?」
風月は白い歯を見せて凶悪な笑みを浮かべる。
「わざわざ正面から罠に飛び込んでやる必要はない。そうは思わないか?」




