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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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襲撃者

 ドラクル領、ファルリス。


 一〇〇〇年前にクラリシアができてから三〇〇年もの間、群雄割拠し国家に併合されずにいた地域。そこを一代でまとめ上げクラリシアに吸収させて四大貴族となったのが初代ドラクルだった。

 当時の名残の要塞線や、要害が未だに残っている。


 今では魔の山と大河が障壁となり、南の貴族領と、他国との交易が盛んな商業系の貴族たちが幅を利かせる場所になっている。

 そこの宿屋の一室。

 貴族が借りるにしては質素で、平民が借りるには少々高価な部屋に風月、クルス、ティアが詰め込まれていた。


「あああああぁぁぁ」


 胡椒の利いた野菜スープで身体を温める風月。

 目が覚めたらすでに見知らぬ宿という塩梅で、差し出されたスープを空腹に任せるまま飲み干した。

 ベッドの上の風月の様子を見ていたクルスはため息を吐く。


「いきなり倒れるのはあれっきりにしてよ」

「俺も三連続で意識プッツンするとは思わなくて。正直疲労を甘く見てた。初の食事が病人食だなんて、まあいい経験か」


 ここで開き直れるメンタルの強さに呆れるクルス。しかし、この空気感は彼女にとってはありがたかった。


「話があるの」

「話? ああ、今後の予定とかか。ティアにも聞かせないと」

「起こさなくていい。あなたの看病してて、さっきようやく眠ったんだから」


 ティアは明らかに値段の違う毛布にくるまれて、ロッキングチェアで寝息を立てていた。暖炉の火だけが灯りで、そこでは鍋でスープが煮えている。


「そういえば夜なのか……」

「どれだけ眠ってたと思ってるの? どれだけ心配かけたと思ってるの? いろいろ言いたいこともあるけど、とりあえずこれ」


 そういて渡したのは魔獣に噛みつかれて変形した腕輪だった。


「つけたまま寝るものでもないし、勝手に外したわよ」

「ありがと。にしても歪んでるな。よく手から外せたな」

「栄養不足と契約した時の出血で腕が細くなってたらしいわ」


 そこで引っかかりを覚えた風月はそのまま疑問を口に出す。


「らしい?」

「私その時気を失ってて騎士様からの伝聞でしか知らないもん。実際に外した時は無理やり水飲ませた後だったし。それで、その」


 風月から視線を逸らして、それからベッドに上半身を投げ出して突っ伏した。広がった髪の毛が和風ホラー映画のような湿度を生み出していたが、それを口にしても理解されないことを知っている風月は口を噤む。

 それから顔をお上げて髪を整えなおすと風月に向き直るクルス。


「昨日の事、言い過ぎたと思ってる。助けてくれたことは知っていたから。見捨てたほうが楽だったのに、どうして助けたの?」

「わかんない」

「答えたくない? まあ、そりゃ殺しかけたけど……」

「違う、そうじゃない。むしろ逆。自分の家の事も分からないのに、ましてほかの家の事情なんて正直どうでもよかった。命よりも優先するなんて考えられなかった。でも、自分の命よりも家を優先した姿を見て、俺にはできないことをやっている奴だって思った」


 それが風月のすべてだった。


「迷ったんだ。今まで、視ようともしない背景だった誰かにも、人生があった。それを踏みつけにしていいのかなって。生き残るためなら躊躇しないつもりだった。だったんだけどなぁ……。ひとりじゃ見えないものが、殺そうとしてきたお前を通して見た気がした。そしたら、見捨てていいのかわからなくなった」

「できないことをやって、分からなくなった? そんな程度で?」

「俺にはそれが充分な理由だったんだよ」


 クルスには信じられない動機だった。だが、風月は本当にそんな程度の理由でティアを助けようとして神域の騎士とぶつかってしまった。


「それに、家の為なんて理由こそ、そんなものにって思うんだ」


 大根のような根菜の白と火の通し過ぎたほうれん草を思わせる緑の野菜がどろどろになるまで煮込まれたスープを口に入れる。塩気は全くなく、出汁もない。行ってしまえば味気ないスープだったが、疲労した体には染みわたった。

 口蓋がべろりと剥がれるほど熱かったが、一刻も早く胃を膨らませたかった風月は一息に飲み干す。

 喉が焼かれ胃まで落とし込んだ時には目の端に涙が浮かぶほどだったが、すべてを抑え込んで、それから一息。この場にはいない一人の事を切り出す。


「そういえばアルトは見張りか?」

「私たちをここに預けた後に領主の館へ移動したわ」


 カラン。

 持っていた木の器が音を立てて床に転がる。


「なんで……」

「なんでって、交渉よ。ここで何が起きたか全くわかってないのよ。四大貴族が奴隷に堕とされたっていうこと以外なんにもね。いま、交渉の席に就けるのは騎士様くらいよ」


 喉の奥が干上がった。


「すぐにここを出るぞ」

「いきなり何?」

「アルトの奴は何も言わなかったのか?」


 軽い立ち眩みに悩まされながら風月はベッドから降りて窓の外を見た。

 屋根があり、ここは三階で階下に明らかに浮いた風体の輩が集まってきている。月明りで浮いた人影は王都で見た衛兵たちのような統一された装備をしていない。しかも統率も取れていないようで、人影同士が厩舎の陰から出てきたゴロツキに驚いたりぶつかったりしていた。


「ティアを攫うか殺すかしに来たんだ」

「なんでここが?」

「一目見て覚えられるような目立つ馬車でうろついたからだ」

「今どうなってるの? どうすればいい!?」

「数でいえば囲まれてる」


 連携が取れていないことだけがわずかながらの救いだった。


「顔、見られてるか?」

「受付したの私だし、見られてる。というか、ブランケットで簀巻きにされてたあなた以外顔は割れてると思う」

「簀巻きってなんだ……」

「仕方ないでしょ。ここは商人たちの街よ。幅を利かせてるやつらがガメツイせいで子供いても料金負からないし。荷物ってことにして運んだ方が安く済んだのよ」

「荷物扱い!?」

「いや、ほとんど動かなかったから死体として……」

「したっ……」


 むしろよく部屋に入れてもらえたな、そんな言葉が浮かびはしたが、死体扱いされたことが殊の外ショックで言葉が出てこない。

 そんな絶句が生み出した数秒の沈黙を狙いすましたように扉がノックされる。


「しっ」


 人差し指を唇に当ててクルスに目配せをする。


(囲まれてるにしても早すぎる。まだ外に集まってきたばかりだぞ。となると賞金が速い者がちで逸った馬鹿でもいたのか? むしろ好都合)


 暖炉の火で赤く照らされている火掻き棒を担ぐ。

 止めるなよ、視線で釘をさすと両手で口を押えたクルスが頷く。

 ノックの音が消えた。木の扉をひっかくような音が聞こえる。バールのような形状のものを扉の隙間に差し込んでいるのだと風月は直感する。

 これでルームサービスや酔って部屋を間違えた第三者の線は無くなった。


 中で眠っていると思っているのか、扉の破る方法は荒っぽくとも、その音からは丁寧さのようなものが感じ取れた。

 メリメリと音を立てて撓む扉。最小限のパキリという音、そして蝶番が擦れる金属音。扉の向こう側は仄暗く、僅かな蝋燭の灯りが人影を映し出した。


 そして、入り込んできた人影に本気で火掻き棒を振り下ろした。

 鉄が肉を打つ衝撃、手の中で跳ね返る火掻き棒を強引に抑え込むと鈍く残る振動が肘まで震わせる。知りたくもなかった感触に顔を顰めると、侵入者が音もなく膝をついて崩れ落ちるその向こう。

 人影の向こうにいたもう一人がこちらを向いていた。


「……っ」


 蝋燭の火が驚きに眼を見開く誰かの顔を照らし出した。小柄な男。フードを目深にかぶっていたが、その奥のかなつぼ眼と視線がぶつかった。

 刹那の硬直。

 風月の脳内を占めていたのは恐怖だった。それを強引に噛み殺し、火掻き棒の柄で男の側頭部を殴りつけ、壁へと叩きつける。声を出すよりも早く、二度、三度と壁に打ち付ける音が響き、呻くような声と共にふらついたところを見計らって室内へと引きずり込んだ。


 僅か数秒の出来事だったが息が上がり、汗を流す風月は倒れるようにベッドへと突っ伏した。


「もっと、慣れていると思ってた」

「なにが」

「あっ」


 そっけなく返された言葉。言葉尻を上げるほどの疲労に苛まれているだけだ。その姿を見て思わずこぼれたセリフに、しまった、と口を押える。

 クルスも口に出すつもりはなかった。ただ、緊張の糸が切れた姿に気持ちが引きずられた故の失言。風月に聞かれてしまって誤魔化すこともできなかった。


「馬車奪った時も、魔の山であんな化け物と張り合った時も躊躇わなかったから」


 危険なことにも、悪いことにも慣れている。口には出さなかったが、意図は伝わっていた。


「慣れてない」


 その先の言葉に風月は詰まる。それは弱みを見せるようで、避けたかった。もし黙ったままで要れば、自分にできないことをした誰かに対する憧れを踏みにじるような気がして、嫌だった。


「誰かを傷つけると思うと怖いんだ。でも、やらなかったら『次』はないんだ。必死なんだよ」


 手が、足が震えていた。それでも、歯を食いしばってから這い出て地に足をつける。

 それを見て顔を顰めたのはクルスだった。


(若い、というよりも幼い)


 ティアではなく、風月が、だ。

 ひとりで王都から出るにしても、やや幼い。クルスが街を出たときは一八のときで、それも親や同業者たちがキャラバンを組んで町から町へ護衛をつけての移動だ。単騎の旅商人でも風月くらいの年齢はまず見ない。

 本当に町から町へ引っ越す時の家族連れにいる年齢だ。


(私よりもずっと子供……)


 風月自身、自覚はないが、この世界の治安は日本と比べるべくもないほど最悪だ。

 騎士や衛兵が闊歩し、犯罪を取り締まっているとはいえ、殺人、強盗は日常茶飯事、王都から外に出れば夜盗、野犬、その他危険生物に怯えながら移動しなくてはならない。水がなくなれば川などから汲んで煮沸しなくては腹を下す可能性もある。待っているのは病気と脱水症状だ。

 そんな世界で一五という年齢は、ひとりで歩くには幼いといっても過言ではない。


(なんで、ここまで来たんだろう)


 その疑問は口にされることはなかった。


「まだ、生きてるみたいよ」


 重荷を下ろす、そんな意識があってクルスは部屋の床で転がる二人組を見下ろす。


「闇夜に紛れるためね。厚手のローブがクッションになってる。重傷でも二〇分くらいで起きるんじゃないかしら」

「よくわかるな」

「むしろこれくらいわかるようにならない方が難しいと思うけど。下層の酒場なんて行ったら椅子での殴り合いとか割と平然とあるわよ」

「経験則かぁ……」

「人を殴る経験よりもはるかに役に立つわよ。というか、危険なことはお金雇って人にやらせればいいのよ。リスクばかり背負う必要なんてない」

「うっ、安曇さん思い出させるような説教しないでくれ……」


 旅の後預けられた家でのことを思い出して顔を顰める風月。

 今のやり取りで震えは収まっていた。死んでいないという事実が風月の胸につっかえた罪悪感と言う名の重荷を取り去ってくれた。それがクルスの気遣いであることに気づけるほど風月は成熟していない。


「でも、二〇分。二〇分かぁ。クルス、騒ぎを起こすからティアを連れて窓から逃げろ」

「何する気よ……」

「二〇分で起きれるなら生き残れるだろうし、代わりの人柱にもできるな」

「いったい何の話してるの?」


 風月の視線が暖炉の火を見ていた。


「ねえ嘘でしょ……。ねえちょっとそれは本当に洒落にならないから、ちょっと聞いてんの!?」

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