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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
17/37

吸血鬼

「んああぁぁぁ……」


 朝から何も食べていない空腹。

 つぶれたカエルのような声と共に、胃が空腹を訴えに睡眠を妨げられる。微睡みの中瞼は閉じたままだったが、身体に意識を巡らせれば、瞼の上から照り付ける優しい光。背中の痛み、水分不足の頭痛、鈍く痛む手など、簡単に分析できるだけでも、これだけの睡眠を妨げる要素があった。

 何よりも睡眠を遮ったのは胸の圧迫感だった。大型の猫でものっけているような、体重が全てかけられているようなずっしりという感じではない。それこそ、体重を預けることにも少し気を使ってくれるような生き物の重さ。

 気道を塞ぎ、息苦しさに引きずられるように瞼を上げた。

 そこには暗がりで表情も見えない人影が見下ろしていた。月明りに灼かれた瞳でも、闇の中で赤く光る双眸は分かった。それは普段感じることのないじっとりとした湿度の高い恐怖を振りまき、風月の身体は反射的に逃れようして上体を起こす。


 それでも体重をかける誰かを押しのけることができず、踏ん張るために手をつこうとして、その手は空を切って昼間に打撲した背中を再び打ち付ける。

 ゴン、後頭部まで鈍い痛みが貫いたと同時に柔らかさもあるクッションの感触に包まれた。


「痛ってぇ」


 緩衝材が薄く、落下の衝撃を消しきれなかったと理解する。

 同時に目が覚め、全く異なる恐怖に襲われる風月。それは寝顔や首などの弱点を見ず知らずの誰かに晒しているという本能的なもの。

 風月に拳を握るに至ったのは、目の前の誰かがティアよりも大きかったこと。ティアじゃないなのなら躊躇いはなく、迷いもない。それだけの環境に一日晒され続けたのだ。感情は一瞬で振り切れ、横殴りに拳を叩き込む。


「暴力はいけないなぁ……。でも、その迷いのなさに助けられたけどね。今は抑えてほしい」


 女性らしい高い声。柔らかく、敵意は感じられない。しかし、風月は最大限の警戒をしていた。なぜなら、手を伸ばせば触れられる距離で、拳を外したからだ。すでに三度味わったこの感覚。四度目はもう見逃さない。

 自らの意思に反して動いた体。


「誰だ?」


 静かな部屋。密室の中で想像以上に響いた声に、上に載る誰かは反応した。唇に冷たい指が当てられる。


「しぃ、魔術で防音してあるといっても、神域の騎士はなんかあればすぐに反応してくる」

「……っ」

「助けを求めることにも迷いがないんだね。僕はそんなことさせないけど」


 喉が意志に反して震えない。吐き出されるのは息だけでそれ以外の何も許されなかった。

 抵抗することも、逃げることも、助けを求めることすら封殺された。


(動けない、何もできない。目の前のこいつは敵だ。でも、どうしたらいい? 喉すら晒しているこの状況、鉛筆一本で容易く殺される)


 抵抗する自由すらなく、赤い双眸を睨みつけると、影が跳ねた。剥き出しの敵意を向けられたことに対して焦っているかのようにも見える。


「違う、違うんだ。僕は敵じゃない。というかここまで自由奪ったら普通観念するだろう!?」


 声を押さえながら必至に弁明する何者か。先ほどまでの威厳交じりの余裕が無くなり、わたわたと手を振っている。その動作が風月には可愛らしく見えてしまい、敵意も感じられないことから毒気が抜けていく。


「……」

「おいそのこいつポンコツなんじゃみたいな眼を止めろォっ」


 そうは言われても、視線以外で感情を表現することができないのだ。ただ、風月の瞳から敵意は消えたことは間違いない。

 仕草や、子供に言って聞かせるようなゆったりとした喋り方、妙に聞き覚えのある声が風月に警戒を解かせた。


 そうして警戒が薄まり切った風月の様子を見計らったように、胸に添えられた掌がその体重を一気に伝えて肺から空気がゆっくりと押し出される。垂れ下がった長い髪が窓から差し込む月光に当てられて艶のある青い髪が輝いた。薄手のカーテンのような滑らかさに、思わず目が奪われる。撫でるように頬に髪が擦れてくすぐったさに動かない体を無理にこわばらせて顔をわずかに背ける。


「こら、目をそらさない」


 目の前の少女にはそれが気恥ずかしさから目を逸らしたようにしか見えなかった。実際には月光の陰になりうっすら光を放つ人見以外にわかる者などなかったのだが、それでも少女の自尊心がくすぐり、笑みに嗜虐と恍惚を滲ませる。

 同時に、風月の体は眼球の動きすら強制され、瞬きすら許されない瞳は乾きを覚える。

 唇に人差し指が添えられ、月光の下にその素顔が晒された。月よりも青白い肌、唇と頬は僅かに朱を帯び、瞳は瑞々しく愛おしそうに風月を見下ろす。


 身体が動くようになったことに気づけなかった風月。

 今度こそ見とれていたのだ。ただし、魅かれたのは端正な顔立ちにでも、妖しさの中にある幼さにでもない。

 容姿が似ていたからだ。鼻がぶつかりそうな距離、吐息は風月の皮膚を撫でる。その口許も、瞳も、髪質すら似ていた。

 今日あったばかりの少女、ティアに。だが、そのために命を懸けた風月が見間違えるはずがなかった。


 風月が身体が動くようになったと気づいたのはここだった。

 ティアに似た赤い瞳の少女の両肩をがっしりと抑えあたりを見回す。


「ティアの、家族?」

「いいや、違うさ。ほら」


 困惑する風月は純粋に思い当たることを口にし、少女はそれを否定する。困惑する風月を他所に唇に当てていた人差し指をずらして髪飾りを見せ付けるように撫でる。


 大きな青い宝石の花弁を花持つ髪飾り。四つの小さな花色とりどりの花を従えたそれは風月がティアに上げたものだ。そして、髪飾りを撫でる右手に嵌められたブレスレットを左手で回して宝石を見せる。


 困惑が混乱へと変化する。それはティアとの約束が守れなかったかもしれないという早とちりからくる焦りだ。

 頭の中は形容しがたいほどにパニックだったが、そこから無意識に言葉がこぼれる。


「ティア……」


 成長している。そんなはずはない。そう思いつつも、なぜかティアであることを信じて疑わない自分自身がいた。混乱していた思考を一つにまとめて、ストンと呑み込めてしまった。


「そうだ。僕がティア・ドラクルだ」

「……」

「……」

「……」

「な、なにかな?」


 続く沈黙に耐えかねたティアが口を開くが、上から下までじっくりと観察する風月は意に介さない。とにかく理性と本能がちぐはぐな答えを導き出し、それを納得させるためにティアらしき少女を観察する。


「なんだよっ」


 体をじっくりと観察されることには馴れていないらしい。羞恥で頬を赤く染め、気恥ずかしさから華奢な体を細い手で覆いながら口を尖らせる。その一方で上から下まで、月明りを頼りにティアらしき少女を観察した風月は眉をハの字に曲げて首をかしげる。


「なんでネグリジェ?」

「えぅっ」


 サイズの合わないドレスは?

 そう聞かれて変な声を漏らすティア。一瞬、ネグリジェの肩ひもがズレ落ちるような感覚に陥る。寝室でしか見せないような姿を観察され、今まで羞恥に悶えていたのに、風月はファッションを観察していた。そんな勘違いを自覚して、さっきとは方向性の異なる羞恥に耳まで朱に染める少女。


「ちょちょちょちょっと、最初にそこ!? ミステリアスに演出して、こんな姿まで披露した夜の密会で相手にかける言葉がソレなのかい!?」


 月光で病的に白く見える肩。そこに掛かる白のネグリジェの肩ひも。月明りで薄く透けて、柔らかい生地の下にあるシルエットが浮き出ていた。するとやはり気になる部分があったのだ。


「服に似合ってないんだよ。涼しそうなのに、ブレスレットがゴツイ。やっぱりドレスに合わせたから、服は選んだ方が良いよ」

「それは僕もちょっと思ったよ。でもそうじゃなくって。もっとこう、本当にティアなのかとか、視ない間に成長しすぎじゃないかとか、そういうのなにのかい?」

「……」


 口を一文字に結んで顔を逸らす風月。

 ティアを名乗る目の前の少女の言葉に驚かなかったと言えば嘘になる。未だに半信半疑で、理性的な部分で信じ切れずにいる。だが、そんな感情以上に月明りに照らされた顔に見とれていた。どこか親しむような赤い瞳も、微笑むたびに僅かだが赤に色づいた頬も、落ち着くような声も、好意を向けられることに慣れていない風月は不思議と魅かれてしまった。

 そんな内心を知られることが気恥ずかしかったのだ。誤魔化して秘してしまいたかった。


「へぇ、そっか。そういうことか」それすら、見透かされた。「反応はつまらないけど、悪い気はしないかな」


 明言しないのは優しさでもあり、淡い気持ちに気づいているにもかかわらず何の態度も示さない意地の悪い性格の表れでもあった。


「キミに、僕のお願いを聞いてほしい」

「ティアのお願い、なら」

「僕を君の旅に連れて行ってくれ」


 緩んだ空気が矢を番えた弓のように引き絞られ、顔がこわばる。

 大抵の願いなら叶える覚悟はあった。現に、家族に会うという目的のために命まで懸けてきたのだから。

 しかし、風月にとってティアの口にした願いはクリティカル過ぎた。自分の旅をするために元の世界を捨て多様な人間だ。人間関係も、約束も、大切なものなんてもらった一〇〇均の髪留めくらいのものだ。

 全てに責任をもつもりだった。かつてそうしてもらったように、眩しかった誰かの背中を押してあげたいと思っていた。


 家族の事を聞くまでは。

 身よりがないのなら、連れていく選択もあった。だが、家族に会いたいという意志を知ってしまった以上、その気持ちを押しのけて連れていく誰かの人生に責任なんか持てなかった。

 何よりも、無理に連れていくのは、かつての旅を無理に真似るようで嫌だったのだ。

 他人の人生に責任をもって連れて行ったあの男。旅の道連れにされて、死んだ後まで面倒を見てくれたような人間だ。友人であり、恩人。家族の下に還りたいという願いを聞いてしまい、あの男のようにはなれないと思い、なろうとも思わなかった。

 だから、連れていかないと決めた以上、無理やりかつての旅をなぞるような真似はしない。


――俺だけの旅を見せる。


 それが風月の至上命題。


「まさかそんな迷惑そうな顔されると思わなかった」

「ごめん。顔に出すつもりはなかった」

「風月君の中で約束はそんなに大事かい?」


 ティアの言葉にうなずいた。

 迷惑そうにしたのは別の理由だが、約束が大事であることに変わりはない。旅の最初。そこで交わした約束を守るというのはある種の願懸けのようなもの。

 自分が正しいと思ったことを貫こうとした。そういう旅にしたい。だから、ここまで来た以上、失敗しようが泥に塗れようが曲げたくないのだ。

 少しだけ残念そうに顔を陰らせるティア。


「でも、僕の境遇を知ればそうも言ってられないさ」

「境遇?」

「なんで僕が売られていたと思う?」


 理由は深く考察したわけではないが思考を巡らせたことは間違いない。そのうえで答えは出なかった。


「家庭の事情で売られた、事件があって逃がすために売られた、あるいは人攫いにあった」


 考えを見透かされて風月は口を噤む。そこから畳みかけるように風月の思考とは別言葉が重ねられた。


「でも家族の下に帰ればもっと不幸になる」

「だったら、家族に合うかと聞いた時に姉の事を出した? 帰りたくないのならそういえばいい。なんでそういわなかった?」

「それは……」

「お前は、誰なんだ?」


 問いかける。


「あの時の顔が忘れられないんだ。『おねえさま』って言った時の顔が。この手を取ってから見上げた時の顔がずっと見つめてる気がする。あの時の表情と、今の言葉とが一致しないんだ」

「君は、僕を見ていないんだね」

「本当にティアなのか? あのとき、俺を見上げたティアなのか?」

「ああ。僕は、ティア・ドラクルさ。でも、君の見ている『ティア』じゃない。でも、全くの別人とも言い切れないんだ」


 だから、と続ける。


「そんな目で僕を見ないでくれ。僕の話を聞いて欲しい」


 声が出なかった。

 悪戯好きで、驚く顔見たさにわざと変な言い回しをしたり、月明りの下で凛々しく見えた。それらすべてが飾り立てた偽物だと思わなかったのだ。風月に嫌われることを恐れたことで、今まで見えなかったか弱い本心が垣間見えた。

 その姿が意外で声が詰まったのだ。

 敵か味方か、未だに測りかねている風月はどうすればいいのかわからない。困惑の中、悲しみに潤む赤い双眸に見抜かれて、風月は話の先を無言のままに促す。


「僕は『ティア』の中にあるもう一つの人格なんだ。二重人格とは全く違う、文字通り、生きていた別人の人格なんだ」

「別人?」

「『ティア』とは別の時代、先祖のひとりに同じ名前の存在がいた。偶然にも同じ名前を受けた少女にとけこんだ人格。それが僕なんだ」

「まて、まって。どういうこと?」


 唐突に放り込まれた言葉の意味を理解できず混乱死、静止を求める風月に対しティアは躊躇なく言い放つ。


「僕は八百年前に死んだティア・ドラクルだ」


 風月は再び閉口する。

 言葉が詰まったのではない。かける言葉が見つからなかった。真偽を見極める余裕すらなく、どんな反応をすればいいのかもわからない。言葉を受け止め切れず、頭が真っ白になった。


「甦りもするさ。人間じゃないからね。聞くよりも教えたほうが早いかな」


 俯き、陰った顔からは表情を伺えない。

 それでもわかることはあった。

 息を呑む音、肩が少しだけ上がり力むシルエット。それから、暗闇の中でも赤く輝いていた瞳が見えなくなったこと。

 目を瞑り、覚悟を決めたのだと理解する。


 ふわり。

 月明りの中、海月が海の中を重力を知らず漂うように、青い髪が舞った。

 華奢な体は軽く、風月にしな垂れかかっても息苦しさは感じない。しかし、首筋にあたる吐息がくすぐったくて、肩をすくめる。同時に、柔らかく、それでいて微かに湿ったモノが首元に押し当てられた。

 未知の感覚にティアを押しのけようとして、いつの間にか体の自由が奪われたことを知る。


「動くと危ないから」


 耳元から感じる敵意のない声色。しかし、息は荒くどこか語感がおかしい。


「もう、限界なんだ。あんな程度じゃ満たされない」


 僅かに感じるザラつき、熱、湿り気。未知のモノが首筋を這いまわり、くすぐったさに体が強張る。


「なんだ、なにしてるっ」


 ここにきて得体のしれないものに対する恐怖に声が上ずる。首筋を舐られているなどと、前後関係がおかしすぎて思いつきもしなかった。

 咀嚼音にも似た水音。堅い歯と瑞々しい唇が優しく首の肉を挟みながら、震える。


「いただきます」


 甘い声が鼓膜を震わせた刹那、理解するよりも先に首筋に赤熱した銅を押し当てられたかのように局所的な激痛が駆け抜けた。

 唐突な激痛に全身の毛が逆立ち、痛みから嫌な汗がにじみ出て、瞳の端から涙が数的零れ落ちる。

 だが、生理的な反応以外何もかもを押さえつけられた。肺すら呼吸のための収縮を忘れ、酸素求めて唇が喘ぐ。


 最初、何が起きているのかわからなかった。微かに感じる、嚥下する喉の動き、飲み下される液体の音。湿った首を伝う温かいものが唾液ではないと理解したとき、灼根の痛みをそのままに血の気が引いた。液体をすする音が闇の中に響き、同時に鋭い痛みが広がっていき鈍重なものに変わっていく。

 同時に身体が謎の束縛から解き放たれ呼吸を取り戻す。

 首元の熱の中で唇が蠢き、血液を啜る音が響く。


「きゅう、けつき」


 血液で服が張り付く不快感に顔を顰める。出血多量の影響か、あるいは疲労がここにきてピークに達したのか、視界が明滅しこめかみの当たりに痛みが焼き付く。

 血液をすする音が止んだ。


「さすがに気づくか」

「お、重い……」

「むかっ」


 楽しそうに笑みを浮かべ、白い歯を風月の首に押し当てていた吸血鬼。いくら閨でのお楽しみとはいえ、重いと言われたのがさすがに看過できなかったらしい。


「あででででででででっ!?」


 先ほどまでとは異なる激痛が風月を襲う。首を物理的に目視できない風月は何が起きているのか全く分からなかった。噛みついたのではなく、傷口を抉り返すように舌がねじ込まれたのだ。

 激痛に身をよじり、反射的にティアを着き飛ばす。


「重いだなんて言うからだ」


 むすっ、と顔を顰めるティアは、口の周りを赤黒く染め、口の端から顎まで伝わった血液が滴り、ネグリジェを汚していく。月明りの下で頬は薄い朱に上気し、血でピンクに染まった牙が覗く口は荒い呼吸を繰り返している。


「全く、牙を突き立ててたら、動脈が千切れているからな」

「何をした?」

「むっふふぅ。女の子には秘密がいっぱいなんだ」


 口の周りにべっとりと張り付いた血を舐めとる。風月は、ティアの目が明らかに怪しいことに気づいている。少なくとも人間を見る目ではない。カエルを前にしたヘビのように鋭い眼光で、その興奮が抑えきれず荒くなった呼吸を整えようとしている。


「もう一度言う。僕を連れて行ってくれ」

「断る」

「無理にでも攫ってもらうよ。そのために血を吸ったし、傷も癒した。どんなに探したって噛み痕も見つからないだろう?」


 痛みの残る首をさすっていた風月は出血していた個所を探していた。早急な止血をしなければまず助からないからだ。それが存在しない。確かに二か所、熱のこもるような痛みはあるのに、肝心の傷跡がどこにもない。


「食事の度にいちいち殺していたらいくらいても足りないからさ」


 その不気味さと流血により頭が冷えた風月。


「最初は馬車で逃げ出した時からだ。お前は、俺の身体を操った。吸血鬼だし、思い当たることは一つだ。血で操ったな?」

「君は頭をぶつけていた。昼間の僕じゃ一滴だとせいぜい一瞬さ。夜になって力が増したからもう一回使ったけど、あれがなければ死んでいたんだよ。ちょっとは感謝してくれないと」

「魔獣捕まえるために使ったのは完全に自分のためだろ」

「そうかも。確かに。でも、結果から見て本当に僕だけの為だったのかな? いや、この言い方はイジワルか。僕たちの為、だったのかな?」

「何が言いたい?」

「君のためでもあった。僕なんてできて精々血を吸って傷を癒すくらい」

「散々操ってたじゃんか」


 風月が口をへの字に曲げ、ティアは肩をすくめる。


「君はよくわからない病気にポンポン罹っていく赤ん坊みたいだ」

「さっきから何が言いたいんだよ」

「魔力やほかの力に対する抵抗力がゼロってことさ。まるで、この世界とは別のところから来たみたいに。そうだろ異世界人」

「――っ、……」


 言葉が詰まった。

 まさか、()()が認知されているなどと露ほども思わなかった。だから、驚いたというのが正しいのかもしれない。しかし、風月の胸には言葉にできない居心地の悪さが渦巻いていた。


「別に君の出自になんてさほど意味もなければ興味もない。だからそんな怯えなくてもいいさ」


 当てられた。

 風月はそう思った。心の内に抱えた自分でも言葉にできない感情を見透かされて、居たたまれなくなる。


「さて。話を戻そう。もしも魔獣に僕たちが喰い散らかされてたら、死ぬほど後悔したんじゃないのかい?」


 赤い双眸と逃げ出したものと向き合うようで、恐ろしさから目が合わせられない風月。


「沈黙は肯定と取らせてもらおうかな。君を僕は救った。二度も。だからさ、僕のことも救って欲しいんだ」


 がっちりと風月の顔を両手でつかむティア。能力で体を操ってしまえばいいのに、風月を気遣うようにやさしく顔を向かせる。それでも目線だけは見たくないものから逸らされていた。


「聞いて欲しい。僕を売ったのはたった一人の家族になってしまったミクハ・ドラクルだ」

「……っ」

「たった数日で、家族は処刑され、生き残ったのはそのミクハだけなんだ。本当に幸せになれると思っているのかい? 戻ったらどうなるかなんて分かり切っているじゃないか」


 風月は迷う。

 家族の下へ連れていく、それがやって良いことなのか確信が持てなくなったのだ。


「お前の言葉で約束は、違えられない」

「じゃあ、あの娘の言葉でなら違えるのかい? あの娘は何が起きたかも理解していないんだ。なのに、そんなことを口にする状況なんてっ」


 残酷なだけだ。

 濁した言葉の先が風月にはわかってしまった。

 だから、ここから先は逃げて、挙句の果てにこの世界に来て戻れなくなってしまった風月が言葉を交わす番だった。目をそらしてはいけない。視線をゆっくりと上げてティアの赤い瞳を覗き込む。そこに映る自分の顔を見つめる。


「俺に、できなかったことをやったんだ。ここにきて郷愁の念なんて懐いたことはない。一日もいなかったけど、かつての場所にあるのは逃げ出してきた後ろめたさだけだったんだ。その前の旅でも、家族に会いたいなんて思ったことはなかった。自分の過去となんて向き合ったことはないし、向き合おうとも思わなかった。だから」


 言葉が詰まる。

 風月は目の前の今を捨てて先を欲しがっていた人間なのだ。そんな自分が嫌いだった。変わりたかった。そして変わるべきだと髪飾りをくれた氷川がいた。舌を剥くのを止めなきゃいけないのに、いまだに下を向いている自分がいる。

 変われ、そう自分に言い聞かせて言葉を吐き出した。


「過去と向き合って、今を取り戻そうとするティアが眩しかったんだ」


 それは目の前のティアへの言葉ではない。自分が逃げ出さないための楔を打ち込む。


「大丈夫、向き合えない時には背中を押すし、本当に折れたときは連れていくさ。そしてくれた人たちがいるから、俺もそうすることができる。だから、本当にダメな時に言ってくれ」


 眉を眉間に寄せた後、こてん、と風月にもたれかかるティア。


「むぅ。正直、そこまで本音を話すとは思ってなかった。血を飲んで、君の気持は全部知っていたのに、それを隠すと思って僕は黙っていた。何よりその顔は卑怯だ……」

「えっ」

「君は防御力なさすぎだから読みたくなくても読んじゃうんだよ。だから、僕の事を信用しきっていない癖に全部吐露するとは思わないじゃないか。だからそんなイジワルなことをした僕からの君への償い。僕の動機だ」


 唾液を嚥下する喉の動きが伝わる。それが覚悟を決めた一瞬だったと風月にも理解できた。むしろ、理解できなくてはおかしい。

 たった今、同じように前へと踏み出したのだから。


「この娘の中で、僕という先祖の人格が目覚める以前から、僕は飢渇に苦しんでいた。死後の飢えなんてものを自覚したことなんてなかったけど、今振り返るからこそ言える。僕は飢えていた。この娘の中で目覚めたときにそれは爆発した。夜な夜な、目覚めては調理場でウサギや鳥の生肉を漁っていたのさ」


 すぐにばれたけどね、と重ねた。

 自嘲気味なニュアンスを含む言い方だが、風月にはすでに何が言いたいのかわかった。


「罪滅ぼし」

「そうだね。僕が目覚めたから、この娘は怖がられた。血抜きされていたから僕としてもおいしいものじゃなかったんだけど、それでも口に放り込まずにはいられなかった。それがコックに見つかり、親に伝わり、僕はその衝動をコントロールできるまで地下で育てられた。ようやく新鮮なウサギの血にありつけたんだけど、数年で、好奇心旺盛な姉に見つかってしまった。そこからは外部に告発されてこの通りだ。外のことも知っているのは八百年前のことまで。ほかにどうするべきかもわからないけど僕は責任を感じている」


 服をぎゅっと握り、闇の中から見上げる赤い瞳がティアそっくりだった。


「僕がすべてを狂わせた。これ以上不幸な目になんて合わせたくない」


 似ている。

 それは自分にはできないことをしているという一点において、幼いティアと目の前のティアは似ている、そう感じていた。

 風月は自分を労わり気遣うことも、誰かを想って行動することもない。ティアを助けるのも結局は自分のためで、約束を果たすためなら自分すら軽く見ている節すらある。

 だからこそ、風月にとってやはりティア達は眩しかった。


「こんな時ばっかりは笑わないんだね」

「笑う?」

「いつだって楽しそうに歯を見せて笑顔だったじゃないか」


 自覚のない風月は首をかしげる。

 笑顔と言われて思い出すのは共に旅をしたあの男の癖。不敵な笑みは見ていて安心した。どんなことも任せておけば安心できるような気になり、躊躇いなく同じ旅路を行った気がする。


「クルスにも言われたけど、俺が笑っていたのは、たぶん楽しかったからだ。あの男の癖でも移ったのかな」

「今まで言われたことなかったのかい?」


 泣きながら謝ったあの瞬間。

 あの時からこの世界に来るまでの間。笑ったことなんて思い出せない。楽しいと思わなかった。ただ、忍耐の時だと思い続けていた。

 それが実を結び、柵から解放されたとき、風月は笑えたのだ。思い返す間の沈黙が、答えだった。


「笑っていてほしい」


 細い指が頬に添えられ口角を押し上げる。


「君の協力がなければ僕は生きられない。一時逃げ出したとしてもいつかは死んでしまう。この娘を家族の下へと連れていくというのなら僕は君に協力するしかないんだ。この道が正しいかどうかわからなくて不安なんだ。だから、間違ってないって、この選択が正しいって証明するように笑っていてほしい」


 安心させなきゃ、心のどこかでそう思っていたのかもしれない。


「急に笑えって言われても……」

「別に今じゃなくってもいいさ。今まで見たいにピンチの時ほど笑顔でいてくれたら」


 共にいる間あの男に倣う。

 大変だな、という言葉を呑み込み、天井を仰ぐ。空気が弛緩し、ゆったりとお開きの空気になった。そんなことも束の間、水分不足で乾いた唇は口角を上げられたまま脱力したせいかピッ、と鋭い痛みととみに薄皮が裂けて血が滲み始める。


「じゅる」

「おい待て」


 獲物を見つけた肉食獣のように目を見開き、口の端から垂れ始めた唾液を啜るっティア。吸血鬼の本能に引きずられ、ぐるる、と空腹を知らせる音がした。それが寝起きの時のように自分のものであればどれだけよかったことか。残念ながら獲物を見つけた少女の胃が空腹から上げた声だった。

 思わず裂けた下唇を口内へ押し込み血液を舐めとる。鼻腔を抜ける鉄臭さに、顔を顰める風月。


「ダメだぞ、もう俺がふらつくほど飲んだだろ。というかこんなマズイもんの何がいいんだ」

「羊が虎に肉の何がいいんだって言っているのと同じだよ。食性が違えば好物も違ういくら人の食べ物で腹が満たせるからって、吸血鬼の血が濃いこの体にとって最も栄養があって美味しいものは血液なんだ」


 肩に手を当て、つっかえ棒にして距離を取ろうとするが、当然の如く力で押し返すティア。


「お前っ、力使ってるだろこんなことに」

「神域の騎士から逃れることを考えたら、必要になって当然の量飲んだからね」

「使わなくなったんだから温存しておけよっ」

「別にいいだろ変るもんじゃあるまいし」

「物理的に俺の血液が減ってんだよ! というか血を吸われるの本当に居たいんだよ! 俺が知ってる吸血鬼は血を吸われるときに痛みを伴わないんだけど!? 知る限りエロチックな演出に使われたりしてんだけど!?」

「痛みがないなんてことあるわけないじゃないか。身体に穴が開いてるんだから痛いに決まっているだろう?」


 現実を見たまえ。

 そんな言葉と共に、たった一度で風月にトラウマを植え付けた牙がゆっくりと近づいてくる。


「やめろ、本当にやめろ」

「堅いことこといわないでくれ。僕にとっては数日ぶりだったんだ」


 とうとう発言の自由まで奪われ体が硬直する風月。半分涙目になったのが、舌なめずりをするティアの嗜虐心を煽り、躊躇なく牙を突き立てられた。


 さっきの羊と虎の話ってそういうことか。


 そんな言葉も発することすら許されず、疲労と痛みによって意識を刈り取られた。

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