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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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血縛の契り

 契約。

 それは太古からこの世界に根付く法則。

 互いの魂と運命を重ね合わせて、互いの利害で縛る。種類はおおくあれ、そのどれもが目的を果たすために尽力すること、それ以外の利は無く、どんな小さな契約であれ、命すら落としかねないものに化けることすらある。今では魔術や法律による契約に置き換得られてきたが、それは代償が重すぎるがゆえだ。


 代償がキツイ、言い換えるのなら割に合わない。それが契約。今ではやり方のみが伝承として数多く残り、しかし紙とペンと法律による契約が普及したことで誰も使わなくなった法則だ。


 そんな契約の内の一つ。

 血縛の契り。

 前提条件として、契約を理解し、互いの目的を理解し、同じもので同じ個所を傷つけることで成立する契約。

 単純ゆえに強力。

 契約の代表とも言えるポピュラーなものだ。




「俺に言う必要あった?」


 満身創痍の風月は足についたデカい木片、というより壁のような木をボロボロと指で崩しながら言う。

 というのもあれだけあった大木は森神の能力によってバラバラに朽ち果て、風月は高さ一〇数メートルから救出された。アルトが木を細剣でえぐり取ったところで風月の足に立派と形容できるくらい残った木は朽廃を止めて、それでも腐食し、シロアリに長年集られたかのように脆くなり風月の指で崩せる程度だった。


「普通はいらない。そのくらい知れ渡っている常識だ。だが、貴様の場合は必要不可欠だ。世間知らずなことを私は知っているからな」


 苦虫を嚙み潰したような表情はティアの首輪を外したことを思い出しているがゆえだ。


「そんな嫌味たっぷりに言わんでも」

「契約の方法を知らなければ形式に則った儀式を行っても契約が交わされたことにはならない。これも必要不可欠なことの一部だが知っていたか? 私の杞憂だったか?」

「いや、なんでもないです」


 目が合わせられない風月。

 顔を背けた先でティアと目が合う。頬にべっとりと血が付いており、流れ落ちた血液が口の端を伝って服を汚していた。痛がる様子もなかったが反射的に傷を確かめていた。

 拭い取ったはずの血液が、さらに広がりだした段階になったようやく頬を撫でる風月の掌が血まみれなことに気づく。腕輪越しに噛まれたときの傷は手頸の静脈を傷つけ、血が流れていた。指先がマヒするほどきつく締め付けるように変形した腕輪のせいで痛みもおぼろげで、不幸中の幸いというべきか簡易的にだが止血されていた。


「怪我はないか?」

「うん」

「良かった」


 まだ、終わってない。

 今は生きているが、このまま終われるとは限らない。痺れた手に平に感じた微熱に覚悟を決める。気を引き締めてアルトに向き直る。


「ほかに、不足している知識はあるか?」

「いや、最低限はそれくらいだ。あとは契約の内容のみ。貴様らの番だ」


 契約の内容を詰めろと暗に示唆するアルト。


「アルトは、契約を交わさないのか? 褒めるようであんまり言いたくないけど、俺より権力も能力もある。契約の相手なら俺以上の人材のはずだ」

「それも織り込み済みだ。今回私はティア嬢の救出という名目で動いている。そのために政治的にも多少の無理を押し通した。この土地に道を通し、互いの利益を保証するためには動けない。だから、契約をそれに絡める」


 意味が分からず首をかしげる風月。


「契約の内容に組み込むのはティア嬢の命だ」

「それはっ」

「落ち着け。貴様が守りたがっているということもわかっている。だが、これはティア嬢とクルスの命を守ることにもつながる」

「北領の騎士団……」


 風月の口からこぼれた言葉。アルトと森神が邂逅を果たす前の会話で気づいたからこそ、出てきたものだ。それをアルトは頷くことで肯定した。


「この契約、征伐の準備をしている奴らにとってよくは思われない。辿れば絶対にティア嬢に行きつく。何せティア嬢の救出という名目で私はここにいるのだから。契約に巻き込めば政治的に牽制できる。森神が契約に乗り気なら巻き込んでおくべきだ。クルスはそのついでだ」

「それで契約の履行に手を貸してくれるのか?」

「成立すれば、間違いなく。神域の騎士として手を貸そう」


 その言葉を聞き届け森神へと視線を移した。


「契約の中身はそんなに変えないぞ。道を通してそこに通行料をかける」

「どの程度取るつもりだ?」

「迂回路から割り出す。迂回路を使った場合に予想される食費、護衛費、その他の費用額の合計から多少下げた金額だ。この道を使うメリットを示しつつ搾取する。割合もクルスの商業ギルド、東の領主、それから魔の山で折半だ」


 あくまでもこの商路を使えば費用が浮くという程度にしなくてはならない。護衛を含めた迂回路の方が儲かるのなら、この道を使わなくなるからだ。


「そこに条件を追加して、有事の際の神域の騎士の派遣」


 そこから、武器を普段持ち込ませないことなどを盛り込んだ。

 これ以上の細かい話は王都に持ち込まれ、掘り下げられる。最終的には魔の山との条約として締結される。


「これ以上は俺たちだけじゃ詰められない。最後に組み込むのは俺たちの命の保証。そこで一つ聞きたいことがある。この補償は何処までだ?」

「何処?」


 森神は風月の質問の意図を察しかねて復唱する。というのも、条約が結ばれるまで風月たちはこの山に留まるつもりはない。そうなれば山の

外で死ぬこともあり得るのだ。


「この契約を果たすまでに俺や契約に組み込まれたティアが死ねばどうなる?」

「貴様次第だ、風月凪沙。貴様が契約を『遂行する意志』を持って動けば、儂は運命に呼ばれる。貴様も同様だ。見たこともない貴様に分かれとは言わん。ただそうなると知っておけ」

「運命に呼ばれる……。うん、なんか、偶然だの、どうしてかそうなるだのと言われるよりしっくりきた。ピンチの時には容赦なく馬車馬のように働かせるからな」

「ヌハハハハハッ、ぬかせ。命が擦り切れるほど必死になるのは貴様の方だ」


 豪快に浅ましさを笑われる風月。不思議と悪い気はしなかったが、聞き逃せないことが一つ。


「俺?」

「当り前だ」


 思わず聞き返した言葉に答えたのはアルトだ。


「これからティア嬢のごたごたを解決しつつ王都での交渉に狩りだされて、神域の騎士たちの協力も取り付けないといけない。擦り切れるまで頑張ってもとてもじゃないが死んでいられる時間なんかないぞ」


 サアァァ、表情を一切動かさないアルトの言葉に血の気が引く。


「一〇〇〇年誰一人として成し遂げられなかった偉業に手を掛けている。挙句、その切り札まで手中に収めてつつある」


 できることをできる限り必死にした、風月にはそんな程度の認識しかなかった。だが、アルトの言葉で風月はやらかしたことの大きさを再度理解した。

 森神が悪魔のような笑みを浮かべ、アルトは暗がりの中で冷徹な瞳を光らせている。

 ――逃げられると思うなよ。

 そんなセリフが聞こえた気がしたのだ。


(ああ、これは失敗したかもしれない……)


 そんな心の声は言葉には出ず。しかし、同じことをアルトも思っていた。


(この男、何で笑っている? 何が面白い?)


 アルトが感じ取ったこの異質さ。

 絶体絶命の危機に瀕してよく笑う男をアルトは知っている。戦場という空間において恐怖を紛らわせるために笑い、自らを奮い立たせた者たちを知っている。風月にも同じ現象を幾度か見てきた。

 だが、今回だけは当てはまらない。

 命の保証がある契約を前に空気は弛緩し、風月も気を緩めたはずなのに、気の抜けたそぶりがない。未だ戦場にいるかのように自らを奮い立たせている。

 その異質さを感じ取ったのはアルトだけではない。風月もまた、自らの異常に気づき始めていた。


「嫌な、予感がする」


 笑って放つセリフではなかった。アルトにその真意を理解することはできず言葉を促すように首を傾げた。


「良いことの後には大抵悪いことが起こる。でもって悪いことはベッドに潜るまで終わらない。あの日もそうだった。大切なものを預けられて認められた気になって、その挙句あんなところにいられなくなった」


 風月の語る意味を理解できるのはこの世界にいない。それは、前の世界で引き起こした事件のことを指しているからだ。


「疲れたし腹も減った。早く……」


 風月の言葉が詰まる。

 嫌な予感がのしかかり、口を開こうとしても言葉が出てこない。まるで、契約そのものを嫌うかのように。

 その気持ち悪さを噛み殺し、強引に口を開いた。


「契約を」


 アルトが腰の細剣に手を掛けようとして、すぐに手を下ろす。如何に契約のためとはいえ、森神がさすがに武器を抜くことを許さなかった。睨まれたことに気づき、アルトが手を引いたのだ。

 代わりに出したのは細剣と比べても頼りないナイフ。それこそクルスがナイフと言い張っていたマチェットと比べても遥かに小さい、風月の考えるナイフと同じ程度のちゃちなものだった。確かに、これなら森神の命までどうあがいても届かない。

 届かないはずなのだが、風月のこめかみがチリチリと痛む。嫌な予感がぬぐえない。


(予兆なんて漠然としたものじゃない、すでに見えているヒントをつかみ損ねてる?)


 イカサマが分かっているのに、タネが見抜けない時の感覚。

 月明りをまだらに照り返すナイフをくるりと手の内で回し、柄を森神へと向ける。


「俺が先だ」


 森神がナイフに手を伸ばしたところで割り込む。


「傷をつけるのに、順番は関係ないんだろ?」


 そんなルールは聞いていない、そう告げるとアルトの表情がわずかに曇った。

 その瞬間、確信する風月。


「火を起こそう。鍋もあるし、近くに川もあった。煮沸しろ、アルト。何なら川にそのナイフを投げ込め。手っ取り早く自分の掌を傷つけてみろ」


 何かを口に仕掛けてやめたことを誤魔化すように、乾いた唇を舌で湿らせるアルト。森神はすでに半歩退き、アルトに対して備えていた。それを確認してから、忌々しそうに口を開いたアルト。


「風月凪沙」

「ずっと気持ち悪かったんだ。ティアには命を捨ててまで助ける価値があるだとか、それだけ施される立場だとか。それが本当だったとして、守るためにはお前が生きていないと守れねえだろうが。毒を塗ったな」

「生きていられる最後のチャンスを不意にしたぞ」

「勘定に入ってるのはティアだろ。それとお前。普通に考えりゃ分かるわな。力を出すためにはほかの奴らの協力が必要なんだろ。最高戦力をむざむざ死なせるために送り出すわきゃないよな」


 今まで毒のナイフを抜かなかったのはプライドか、はたまた抜くタイミングがなかったのか。森神とアルトの力量の差は、風月にはわからない。だが、先ほど届かなかったのだ。本気で警戒を始めた森神に届くとは思えない。


「ナイフをしまえ」


 ミシリ、風月の耳にまで届いたのはナイフの柄が軋む音。

 闇夜に溶けてしまいそうな深い青の光が立ち昇り、アルトとピッタリまとわりつく。埒外の力を発揮するこの世界の法則。


「また、その力と対峙するなんてな。本当に……、失敗したよ」

「失敗した奴の貌じゃないな」


 そこかわ僅かな時間にらみ合った。

 森神は見に回り、手を出すつもりはないらしい。

 そんな膠着を破ったのはアルトの方だった。

 風月の動体視力を超越する速度で投擲されたナイフは意図的に外され、近くの木に突き刺さった。


(見えなかった……)


 肘から下だけしか使っていないのに、弾道は直線を描き、鍔までしっかりと突き刺さっていた。

 青の剣気は失せ、アルトが先に視線を逸らした。


「契約は結ばれても、確実に成されるという保証はない。むしろ、今は通らない方が都合がいいという奴らが多くいる。失敗するぞ」

「いくらでもすればいいじゃねえか。最終的に契約が達成されればいい。お前に追われてからクルスがどれだけ無理無理言ってたと思ってんだ。それでも俺はここまで来たぞ」


 追っ手である神域の騎士を振り切り、魔の山を抜ける。

 ここまでやってのけた人間をアルトは目の前の男意外に知らない。

 何となく、やりそうに思えて肩から力が抜けた。


「手段さえ択ばなければ、お前が王都で邪魔な奴を暗殺とか」

「できるか!」

「最悪森神に王都でも襲わせて強引に条約を締結させるとか……」

「それじゃ脅迫だろう」


 さすがにそんな手段は択ばないだろうと森神を肩越しに見やるアルト。


「暴れればいいのか?」

「……」

「そんな露骨に嫌そうな顔するのか、意外だ。ちゃんと表情筋生きてたんだな」

「お前の前で、取り繕うのをやめただけだ。権威も力も、お前は見ちゃいないみたいだからな。もう勝手にしろ」


 糸が切れた人形のようにぺたりと座り込むアルト。同じ神域の騎士、長老院、四大貴族、王族。その説得の大部分は謁見が容易なアルトが担うことになる。何よりも、こんな危険すぎる提案を、国防を担う人間の前で発言してしまう風月を王侯貴族のまえに出すわけにはいかなかった。

 これからを思うと気が重かった。


「それで、なんか刃物持ってない? アルトのは何一つとして信用できなったからさ」

「傷をつけた位置、物が同一であれば契約は成される」


 中指の爪を掌に立てる様子を風月に見せ付ける。堅い皮膚がゴムのように軋み上げ不快な音を鳴らす。手が開かれたとき、その爪にはベットリと人間の血液よりも黒ずんだ液体が月明りを照り返していた。

 血液滴る爪の先が風月へと向けられる。

 爪は尖っていたが、お世辞にも鋭利とは言えない。森神はそれを掌へ力で押し込んだのだ。

 間近で観察してわかるその大きさ。明らかに風月のどの指よりも長く、掌程度の厚みなど容易く貫通する長さだ。


「どうした、怖気付いたか?」


 言葉が出ない。契約は正しく理解していた。だが、その痛みを正しく考察できていなかった。乾いた喉を少しでも潤したくて唾液を嚥下する。

 怖気付いていた。だから、森神からそれを隠した。理由は単純、舐められたくなかったのだ。逆立ちしても届かない存在が、自分を買ってくれている失望させたくないという思い、この程度で怯んでいられるかと自らを奮い立たせる。

 それが風月自身も気づかないうちに再び笑みとして現れた。


「やってやるよ」


 小さく、口の中だけでそう呟いてから、森神と同じ右掌を爪先に沿える。


「――っ」


 一息で掌を押し込んだ風月が連想したのは『熱』だった。赤熱した鉄が掌に差し込まれるイメージ。灼熱の痛み。

指先までしびれるほどの痛みに息がつまり、額を打ち付けたかのように痛みだけが意識を支配し、立って居ることすら忘れて脚から力が抜けて、膝をついていた。

 どれくらいそうしていたのか、目に入った汗の痛みで我に返り、呼吸が戻ってくる。

 右手の甲に沿えた左手を恐る恐る取り払うと、予想とは違い、爪が貫通していなかった。中手骨によって爪が止まっていた。


「これにて、契約は成った」


 そういった森神の言葉が風月にはわからない。契約が成ったという状態を風月は実感できずにいた。


「まだだ」


 言いようのない敗北感が風月を突き動かした。

 痛みに顔色一つ変えなかった森神。たいして風月は顔を背け、痛みに歯を食いしばり、立っていることすらできなかった。そして、傷も浅い。

 痛み以上に、この差に耐えられなかった。

 バタタ、堅い地面に滴る血は風月のものではない。ワイシャツの袖を赤い筋が汚し、体に張り付いて不快感が増す。決して地面に落ちるような状況ではない。

 零れ落ちたのは森神の血液。

 手を基準としたときの傷の比率が異なっていた。風月の傷の大きさまで森神の傷が広がっていた。それこそが『契約が成った』と言った理由。膝をついて初めて目にした。


「森神、これはただの八つ当たりで、自己満足だ。悪いな……」


 ゴリッ。

 異物が骨を押しのける感覚。そのまま爪が掌を貫通し、ワイシャツの袖がクリーニング店でも匙を投げるほど鮮血で染まっていく。


(これ、血管やったか?)


 自らの手ではなく、バケツをひっくり返したかのような量の血が滴る森神の手を見てそう思った。


「見事だ」


 出血多量で気をやってしまう気がした。

 そんな風月の気力を支えたのはティアだった。横で心配そうに見上げ、風月のそでをぎゅっと握りこむ。気を失ってなんかいられない。


(あとすこし、あと少し……。約束を果たさないと)


 ティアとの約束を意識したのに、脳裏に浮かんだ『約束』はなぜかティアとの約束ではなかった。

 なぜなら、ティアとの約束は家族との再会を手伝うこと。契約を成したことで命の危機は脱した。一時的にティアとの約束の外側にいた。


(今の俺を突き動かしているのはそっちか……)


 真っ当に生きるために自分らしさを封印して、自分の中の正しさから目を背けて世間に染まった。結果として、浮かなくなったが、埋もれた自覚があった。誰の記憶にも残らないまま、どこかへ行ってしまえるように準備だけをし続けた。

 そんな風月を心配してくれた少女との約束。

 もう会うこともない。気まずさから逃げるためにお茶を濁したでまかせの〝頑張る〟だったのに、自分が好きに生きるためにその約束を守るつもりでいる。

 何かを勝ち得るわけでもない。それでも自分の旅をするために、ここで意識を手放すことをプライドが許さなかった。

 爪から手を引き抜くと、想像以上に森神に体重を預けていたのか、身体がふらつく風月。手が上がらず、爪が地面をなぞる。シャツの袖に溜まった血液が音を立てて地面に吸い込まれていった。

 アルトはその姿に敗北の苦渋を、森神は誇らしさを無言のままにかみしめた。


「失敗した、それでも俺の勝ちだ」


 その言葉通り、自らの行いを誇るように、そしてティアを安心させるように歯を見せて笑った。

 そしてティアに引っ張られた体は容易く傾くほど疲弊しており、そのまま小さな体に抱き寄せられて意識を手放した。

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