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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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逃走劇3

 あそこで出し惜しむ意味がない。ゆえに魔石は存在しない。

 そう決めつけたアルトの動きに変化があった。馬車の速度に合わせていたのが、一足飛びに石畳を駆けていく。

 風月がわざわざ御者席に寄っていたのはクルスが変なことをしないように見張るためだ。風月から見てもアルトが乗り込むつもりであることは一目瞭然だった。

 行けばクルスは上層へと舵を切る。そうなれば物理的に逃走先がなくなり、逃げ切るのはほぼ不可能。だがここで待っていればアルトに殺される。最悪の板挟みで風月は後者を嫌った。


「もうここしかない」


 手の中のマチェットを握りなおす。

 もう風月にはこれしかない。こんなもので五秒あれば追いついてくるアルトを相手に何ができるのか分からない。けれど諦められるほど物わかりのいい人間でもない。

 だから勘がるよりも先に身体は動き出していた。直感的に使えるものは気づいていた。身体が動いて脳がようやく何をすべきなのか理解する。

 手を伸ばしたのは扉の蝶番。カバーで隠してあるが仕組み自体は非常に簡単で、金具同士が差し込まれているだけだ。言い換えるのなら固定されていない。


(目測あと三秒。こっちは二秒で十分だ)


 ガコンと音を立てて扉が浮きそれを蹴りだす。

 ただの時間稼ぎ。視界が隠れている間に鉈を投擲する算段だった。だが、この一手は風月が思う以上の効果をあげる。

 理由は単純で馬車が特別製だからだ。神域の騎士が使う馬車は魔術によって防御する機構がふんだんに詰め込まれている。それこそ神域の騎士が命を落とすような戦場で立てや休息所の役割を果たすほどのものだ。


(この期に及んでソレかっ!?)


 アルトが身に纏う剣気は力を引き出す反面、その力に耐えられなければ物体を崩壊させる。それが馬車の魔術を発動させる。斬ることも触ることもできない。それをすれば足止めは必至だ。ゆえに避けるしかなかった。

 縦の回転。前方宙返りで扉に触れるギリギリを通り避ける。速度こそ犠牲にしたがまだ取り返せる許容範囲内だとアルトは判断した。


「……なんで」


 なんで斬らないのか。

 馬車の一部分を切断するアルトを見ていた風月からすれば当然の疑問だった。だが答えは出ない。代わりに熱くなった思考が冷めた。


(まずい、このままだと負ける。圧殺される!)


 ほんの少し前クルスとアルトが交わした言葉を思い出した。


『上層へ向かえ! 無理そうなら走りながら馬車を解体して全部まとめて吹き飛ばす!』

『上層――、右ですね!』


 元より、それをさせないためにクルスに張り付いていたはずだ。肩越しに一瞥すると次の曲がり角が近づいていた。もしも上層へ行けば騎士や衛兵に囲まれて、時間すら敵に回る。そうしたら絶対に勝てない。

 すでに振りかぶった鉈。そして、投げる方向を変えた。アルトからクルスへと。躊躇いなどないと思っていたのに、持っている刃物が容易く誰かの命を奪えることをどうしても意識してしまう。

 小柄な背中に突き立てるつもりだった横に狙いが逸れてクルスの顔のすぐ右横に刺さった。


「きゃっ!?」

「――外した」


 外した、だが成功した。

 思わず体が縮こまったクルスは、顔をそむて怖がったせいで左の手綱を強く引いた。ガチン、と駆竜に噛ませた金具と歯がぶつかり合い、その痛みを和らげようとして左へと曲がりだす。

急な旋回によって風月の体が馬車の内部で叩きつけられる。それでも倒れない。


「いってぇな……」


 頭をぶつけ、その痛みに耐えかねて額を撫でると意外にもヌルリと手が滑った。思わず手び先を見れば、赤くテラテラと光を反射する液体にまみれていた。

 ぶつけた拍子に額を浅く切って血が垂れたのだと気づいた。

 ふと足の裾を引っ張られ視線を下ろすとティアが風月を心配そうに見上げていた。風月から滴った血液がティアの頬を汚していた。それを親指で軽く拭う。


「だいじょうぶ?」

「ああ。大丈夫だ。任せろ」


 ティアを安心させるように笑いかけてから、再びアルトの前に立塞がる風月。

 回避に使った時間はカーブの減速で埋め合わされ、距離は変わらず。


「斬られてでも足止めするしかない、か」


 最悪の展開。それを口にしても覚悟は固まらない。切断こそされていないが斬られたからこそ、アルトの持つ武器が恐ろしかった。

 そして、その覚悟の揺れはアルトにも伝わった。歴戦の兵だからこそ虚勢であることを見抜いた。未だに笑みは崩れていなくとも、目は怯えていた。

 だから、『二本目』を抜いた。

 逆手に柄を握り一気に引き抜き手の内でクルリと回すことで両手に剣を帯びる。

 嘘を斬る剣が光を弾き、風月の血を吸うのをいまかいまかと待ちわびている。


「―――っ」


 風月も今斬られたら死ぬことを理解している。斬られた後なら割り切れても、斬られるまでの恐怖に打ち勝てなかった。それでもやはり笑みは消えない。


「もっと斬りやすくしてやるよ」

「なに?」

「ティアの首輪を外すために奴隷商から渡された鍵、使ってねえんだ」

「―――」


 確かに鍵は使ったという言質は取った。そしてそれに嘘はなかったのは間違いないのだ。だからこそ風月の言葉の真意は分からなかった。

 だから左手に持つ『嘘吐きを殺す剣』で斬るなどという博打はしない。堅実に殺す。

 一気に踏み込み、馬車の縁に足をかけた。ついてに風月とアルトの視線の高さが揃う。そして両腕を振りかぶったアルトに風月は何のためらいもなく右手を握り込み踏み込んだ。


「持ってけ!」

「――っ」


斬!


 さらに殴りかかってきたのにはアルトも驚いた。だがそれで手がぶれるほどやわな鍛え方はしていない。だのに、風月凪沙は斬られていない。


(避けた?)


 アルトの剣筋すらよめない程度の動体視力、馬車から這い上がるのも時間がかかる程度の身体能力。体重も移動しきり避けられるタイミングではなかった。にもかかわらず風月は上半身を逸らして一太刀を回避して見せた。

 そして驚愕は風月も同じだ。

 目を見開き、笑みが消えていた。何が起きたのか何もわかっていない。


(まずい、隠していたのか! ならこの拳はヤバい)


 風月が擬態していたらこの状況はアルトにとって非常によろしくない。右こぶしの威力が神域の騎士クラスになればアルトも無傷では済まないのだ。

 左手に持つ『嘘を斬る剣』が風月の身体を袈裟懸けに振り下ろされる。


「お、ぐっ!」


 身体の中を冷たく鋭い何かが通り抜ける感触。不気味で冷たいそれをかをくいしばって耐えた。さっきの発言に嘘はない。斬られないことを風月は知っていた。


「な、ん」

「おおおおっ!」


 風月の右腕がアルトの胸に突き刺さる。ダメージにはならないが、圧された分だけほんの少し後ろに下がる。そこに足場はなく、馬車から押し出された。


「――今は退いてやる」

「そりゃどうも」


 言葉を交わす。そして馬車から落ちたアルトはそのまま地面を転がり、動きを止めた。時速80キロ以上で疾駆する馬車から落ちてもアルトは無傷だった。

 風月たちはすでに遠く、今からでも追いつけなくはないが、問題は向かった先だ。


「あのルートは魔の山だ。どうするつもりだ? 不可解なことが多すぎる。王にしても装備がないと無理だな」


 剣を鞘に納め、当たりを見回す。幸いにしてけが人はいても死人は出なかったようだ。


 集まって来た衛兵に事態の収拾を命令する。

 そうして事態の収拾を進めていると、白髪の多く混じった騎士が人ごみを割って出てきた。


「アルト様」

「レイギル・レイト。まだ下層にいたのか」

「ええ、まあ。急いでお伝えしたいことが」

「なんだ?」

「今朝購入された奴隷の件です。アルト様の預かりと耳にしまして」

「どういうことだ?」


 情報の伝達があまりにも早すぎた。そもそもアルトが通報を知ったのは一五分ほど前だ。それを騎士団長が把握しているのはどう考えても時間が合わない。騎士団が首を突っ込むような案件でもないのだ。


「下の者が情報を上にあげて、それが私のところまで来ました。それも納得の情報かと。私も半信半疑で――」

「御託はいい。それで?」

「ティア・ドラクルと」

「……」

「名乗ったそうです」


 誰がそう名乗ったかなどアルトには聞かなくてもわかった。

 あの水色の上の奴隷だ。ティアと名乗り剣で刺されて傷つかなかった。そして今しがた風月に買われ、親元に帰されようとしている。


「その情報に嘘はないな?」

「ありません」

「……長老院が首を突っ込んでくる前に、これ以上の情報は秘匿しろ」

「ですが……」


 アルトの命令に口ごもるレイギル。そのうろたえた様子も間違いではない。

それだけの価値がドラクルという名にはあったのだ。


「ドラクル家と言えば四大貴族ですよ?」


 四大貴族。功績でもって王家に並ぶほどの権力を手に入れた貴族。ドラクルは東の領地を治める最大の商業系貴族だ。


「だから秘匿しろ。緘口令を敷く。四大貴族を巻き込んで三年前の繰り返したいのか」

「……っ、分かりました。徹底します」

「頼むぞ」


 たった一つのもたらされた情報で状況が一変した。

 アルトは風月たちが行ったであろう魔の山をにらみつける。


「お前も頼むぞ。風月凪沙」

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