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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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逃走劇2



 商人に必須の魔術と言えば間違いなく『シグナルライト』だ。襲われたときの救援要請、伸びきった行商の隊列を制御するための信号、ときには目晦ましとして使われる。風月は馬車の中に入りそれを見ていないが、もしそれを目にしていたら間違いなく『信号弾』だと言うはずだ。


 空を駆け上がるように上った赤い光。王都東側は経済で政治をぶん殴る東の貴族たちに近く繋がりの深い豪商、つながりを求める行商人たちが鎬を削る場所だ。キャラバンの隊列内で意味が変わる色もあれば、絶対に変えてはいけない色も不文律として存在していた。

 それは赤。驚異に対する避難指示だ。

 これで商人たちは絶対に近寄ってこない。それ以上はもう責任が持てない。

 

 ガタン、重い音がしてクルスの背後の扉が開く。

 風月と神域の騎士が対峙した。


「ほんっとうに、いつまで追ってくんだテメェ。いい加減しつこいんだよ」

「貴様を裁くまでだ」

「熱烈なラブコールをどーも」


 余裕に言葉を交わす風月とアルト。だが、本当に余裕があるのはアルトだけで、風月のはただの空元気。それすらもだせなくなったら、アルトが躊躇う理由を失う。

 今、攻め込めずにいるのは馬車の中身が問題だった。


 アルトが外注し御者が馬車で運んできたのは数エルズ分の香辛料、そして魔石。両方とも自分用ではあったが、問題は魔石の方だ。鍛錬勤勉節制を経て騎士の鏡とすべきは第三席とまで言わせしめたアルトが本来持ちえないはずのものだ。それでも手にしていたのは偏に弱さを補うためだ。


 逆に言えばその使い手によっては『神域の騎士の()()すら補えてしまうもの』が詰まれている可能性があった。一歩間違えば王都で使者が何百と出る大惨事に早変わりだ。しかも馬車に乗った風月には余裕らしきものがあり、その実ただの虚勢にアルトは攻めきれないでいた。


 尤も、そんな危険物は真っ先に積み出されて、残っているのは食事に素敵な香りと刺激的な感覚を添えてくれる香辛料だけだ。まさか魔石どころか魔術の魔の字もしらないただの人間が神域の騎士相手にそんな虚勢を張る馬鹿がいるなんてアルトには考えもつかない。

 対する風月は心臓の高鳴りに自分の感情が分からなくなっていた。


 どう戦っても勝てない敵。一時撒くだけでも可能かどうか。守るべき相手、ティアが後ろにいて、最悪、命を投げ出すことになるかもしれない。そんな想像がしっかりとできていたのに笑っている。

 そうでもしないと立ってられないからだ。体の中を滑り抜ける薄く冷たい鉄の感覚を思い出すだけで膝が震える。呼吸が止まって、ストレスで胃液があふれてきそうになる。


――懐かしい。


 いつだってそうだ。不安だった。見知らぬ場所。伝わらない言葉。そのなかで旅をして、あの男はいろいろなものを見せてくれた。

不安でも楽しかった。

 怖くても最後には笑えた。

 だから、今風月の浮かべる笑みは逆境の中で自らを奮い立たせるためのものだ。足の震えも怯え以上に武者震いが勝ち、高鳴る心臓も興奮によるものだ。


「ラブコールの返事だ」


 風月がボールを投げるように振りかぶり、一気に握り込んんだ香辛料の粉末をばら撒く。魔石の判断がつかないアルトは一瞬身を縮こませ、防御も次の動作に織り込んだが、流れてきた身に覚えがありすぎる芳香に内心舌打ちをした。

 樽に満たされた香辛料だけで資産に数えられるほどの価値がある。それをまさか目つぶしに使われるとは思わなかった。


「ディナーは美味しくいただけなさそうだ」


 今夜のステーキにさよならを。

 後始末のせいで美味しくいただけないことが確定した。

 その苛立ちに任せて細剣を振るうと、軌道に沿った風圧に巻き込まれて香辛料が流れていく。風月の狙いであった目には一粒たりとも入り込まない。これを狙ってやれるのが最も技巧に優れた騎士たる所以だ。

 ただし、力量の差を見せられて諦めるような性格を風月はしていない。むしろ単純にやられないだけの技量があると知れれば躊躇など消えた。


「弾はまだある。喰らってけ!」


 風月が今投げているものが硬貨だとは知っていてもそれが樽一つで風月が売った百円玉程度では回収できないほどの値が着くとは思っていない。それ以上にすべてアルトの懐から出ているなどと思ってもみないだろう。そして、中身が消費されていくごとにアルトの怒りゲージがぐんぐん上昇していく。


「貴様は絶対に許さん!」

「それ何回か聞いたよ!」


 その応酬の間に都合八回、アルトが剣を振るう。その腕の一度も風月は目視で捉えることはできなかった。だが、その風圧によって舞い上げられた香辛料が赤い光を纏ったあたりでようやく何かがおかしいことに気づいた。

 アルトは僅か八度の剣の動きで香辛料を選別し、魔方陣を描き、魔術を発動してしまった。とはいえ、こんな状況下でとっさに発動できる魔術などたかが知れている。

 炎の壁が馬車へとたたきつけられた。


「――っ」


 炎の壁がぶつかる瞬間、風月がティアを庇ったのを見逃さない。魔石が詰んであると思っているアルトにとって、引火してはたまったものではない。ただの目晦ましの魔術だ。それを風月はティアを庇うことで行動を無駄にした。少なくともこの瞬間に魔石を使った攻撃はないと判断した。

 強火のコンロに手をかざすような熱。それが一瞬で通り抜け――ただそれだけだった。一瞬厚いだけで深呼吸していても喉の奥まで焼けない程度の火。ティアを体で庇い、背中で熱を受ける。だが、肩透かしのその状況に気づき振り返ればアルトが馬車の入り口に足をかけていた。

振り向く程度の一瞬の間だが、神域の騎士が飛び乗るには十分な時間があった。


「げっ」


 ぎょっとして肩を跳ねさせる風月。

 それはアルトに驚いたからではない。樽に詰まった香辛料に引火し、樽が火を吹き上げていたからだ。ドアを開けたことによって吹き抜ける風は樽の中の粉末に着いた火を一瞬で燃え上がらせた。火が上がるのは一部分だけだが高熱によって粉末は燻り一気に黒煙を吹き上げる。


「――燃え移ったのか!?」


 そう叫んだのはアルト。魔石に引火するはずがないと思っていた程度の火で何の因果か馬車から黒煙が漏れ出したのだ。

 反射的に馬車から距離をとる。

 最悪のシナリオは爆発炎上。周囲への被害とクルスとティアの死亡。犯罪者はともかく協力者と奴隷には死なれては困るのだ。長老院の連中は一筋縄ではいかない。捜査段階で何かあれば平然と逃げ果せる。

 ゆえにクルスに近い馬車の右側面へと駆け寄った。


「馬車を止めろクルス!」

「むむっ、む無理です! 今の火で竜が暴走してますぅ!」


 涙目になりながら訴えるクルス。


「魔石に引火した可能性がある! 魔力誘爆が起きるぞ!」

「うげぇっ!? どうするんですか!?」

「上層へ向かえ! 無理そうなら走りながら馬車を解体して全部まとめて吹き飛ばす!」

「上層――、右ですね!」


 右手で手綱を握ったまま左手を右の空へと伸ばすクルス。


「シグナルライト――ぉぉおう!?」


 クルスの左手をつかみ強引に曲げたのは、御者席へと飛び出してきた風月だ。


「くらえ!」

「――チィッ」


 赤く立ち昇る光を前に一気に下がるアルト。


「ちょっと!」

「早く打ち上げないと轢くぞ」

「誰のせいだと――、ああもう! シグナルライト!」

「次こっちね」

「あででででっ!?」


 クルスの肘関節にサブミッションを決めて瞬時に手の方向を変える風月。向けた先は馬車後部の開け放たれた昇降扉だ。


「そっちから来ると思ったよ」


 黒煙を斬り裂きながら飛び乗ったアルトからすれば大混乱もいいところだ。魔力による誘爆を彷彿とさせるに充分な光が目の前に現れたのだ。きもをつぶ舌のは間違いない。反射的に飛び退きながらそれが『シグナルライト』の光だと看破し一刀の下に両断し、二つになった光はバランスを失ったからか不安定な軌道を描きながら壁にぶつかってはるか後方へと消えていった。


「着地失敗くらいすると思ったがまだ駄目か!」

「痛い痛いってっ、はやく手ぇはなしてぇ!」

「悪かった」


 神域の騎士への攻撃を思うと涙が止まらないクルスは鼻水を垂らしながらぐずり始めていた。そんな心労を気にも留めず火の吹き出した樽を一気に蹴りだす風月。

 その直後、風月が目にしたのは『青』だった。

 煙の隙間から漏れ出す青い光。

 それを纏ったアルトが足を止め、細剣を構える。それは今まで見せたことのない本気の臨戦態勢。


(なんだ? 樽を警戒しているのか?)


 何にしても距離が開くのは風月にとって好都合。今のうちに距離を稼いで逃げきる。そんないかにも状況を理解て来ていない能天気な思考は次の一瞬で粉々に打ち砕かれた。コマが切り取られたフィルム映画のように動きの時間のつながりが消えたように感じた。残った燻煙も吹き飛ばし、高速道路の車すら追い抜くほどの速度で走る馬車を吹き抜ける風すら逆流させた。

思わず目を閉じ、手で風よけを作り指の隙間からアルトの姿を覗き見る。


「なにが、おきた?」


 その一瞬で樽が消えた。

 アルトからは樽は遥か上空。馬車の真上にあった。魔石に魔力や衝撃を通して意図的に誘爆させる。被害は少なくなる。

 樽を砲弾のような速度で打ち上げる一撃。その瞬間に樽には魔方陣が刻まれていた。速さだけならまだ上がいる。しかし、丁寧さ、或いは技術としてアルトの上に行く者は誰一人としていない。


「ここで吹き飛ばす」

「きれいだ……」


 纏っていた光がひと際強く輝く。

 オーロラのような、それでいてまじっりけのない深い青。夜空を連想させるその色に見とれていて、すぐに我に返る。

 風月はまだ、アルトが風月を狙っていないことに気づいていない。


(あの光がまともなわけがない)

「もっと飛ばせ!」

「もうこれが限界――って『剣気』!?」


 刹那、アルトの細剣が振るわれた。

 あの光はクルスの言う『剣気』ではなく魔力。剣の風圧に魔力を乗せる高等技術。魔力は空気によって伝達される。剣でその通り道を作り出し魔石へ一気に叩き込む。

 そして一秒と立たずに遥か上空で樽が砕け散った。


「は?」


 爆発もせず、魔石が落ちてくるわけでもない。想像とは全く異なる結果に一瞬脳がフリーズした。そしてようやくアルトはそもそも魔石が乗っていない可能性にいきついた。


「光が消えた?」

「こんなふうに騙されたのは初めてだ」


 互いに声は聞こえない距離。

 だが、表情や口の動きから何となく察することはできる。肩透かしをくらったような顔をした風月。そして手の上で踊らされる結果になったアルト。過程や思考が足を引っ張ったとはいえ結果だけ見ればアルトは風月に一歩遅れた。殺さないだの、手加減だの、そんなことを考えていたから、風月に刃が届かなかった。


 そして一足先に風月とアルトの視線が交差し、逃走劇の第三幕が始まる。



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