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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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プロローグ

以前連載していた「異世界に飛ばされた俺は旅をした」のリメイク作品です。

 最初の記憶は寂しいものだった。何処かもわからない場所で人が通り過ぎていくのを見続ける。この世の誰もが、俺をそこに存在しないものとして認識していないようだった。

 そんな中、一人のロクデナシの男だけが俺を拾ってくれた。

 男はこう告げる。


「よう、少年。俺と一緒に来ないか」


 時間にして5秒にも満たない言葉が出会いだった。

 男はどこからともなく戸籍をでっち上げ、二人で世界を旅した。


 世界のいろんな場所で男は詐欺で金を稼いでは人助けをしたりして、俺を育ててくれた。周りから見ればどこまでも汚い男だったが、俺には男が汚いと思えなかった。いつも困って、あがいてももがいてもどうにもならない人間のために詐欺を働き、だまし、笑いながら解決して去っていく。そんな男が汚いと思いたくはなかっただけなのかもしれない。

 もっとも俺のデザートを手に入れるために息をするように嘘をついたときはさすがにずるいと思ったこともある。

 俺は男に憧れ始めていた。けれどもそんな内心を見透かしたように言う。


「お前に詐欺の才能はねぇよ」


 目の前でトランプの二枚目を引き抜いて見せたときにせせら笑ってそういった。よく見せてくれたマジックだったから真似したけれど、上手くできずに何度もトランプを取りこぼした。小さな手ではそのトランプは大きすぎてモノに振り回されているのだから、男に言われずとも、自分でもそう思っていた。

 けれど口に出さない。


 男は泣き言を吐く、言い訳もするし、嘘も吐く。

 けれどその裏の努力を俺は知っていた。指が擦り切れて血が滲んでも練習し続けた背中、その最中に弱音を吐いたことなんて一度たりともない。

 だから、才能がないからなん諦める理由としては下の下だと思った。だから、あきらめなかった。

 足掻いて、思いつく限りの努力をしてその技術を一週間でものにした。披露してみせると男は目を丸くした。やってやった、早笑うと、男はまたせせら笑う。


「いや、お前に詐欺や騙しの才能はねぇ。優しすぎる」


 ひどく落胆したのを覚えている。ただ褒められたいから、男に勝ってみたかったから、それだけのために努力したのだ。


「だが、努力できるのはいい。それは絶対に無駄にならない。できるまで足掻け」


 その言葉は、ただ褒められるよりも嬉しかった。




 時がたつにつれ、俺は旅でいろんなことを見聞きし、糧とした。生き抜くために。

人助け、そんな名目でもこんな生き方をしていれば当然恨みは買った。何度も追われ、死にもの狂いで逃げたりもした。

 男は俺に読み書き計算などの基本的な事のほかに詐欺の技術を教えはしたが、実行させることをかたくなに拒み禁止した。不器用な優しさが分かったからこそ、言いつけを守り、俺は男と一緒にいる間は一度たりとも嘘はつかなかったし、騙すこともなかった。最低な状況ではあったが俺にとっても男にとっても、この上なく幸せな日常だったはずだ。


 なによりも振り返ってあの男をロクでもない奴だと思えるくらいには正しいことを教えてもらった。

 そんなある日、男はいつものように、おはよう、と挨拶するような調子で言った。


「ここにある住所に行け。そこで引き取ってくれる」


 男と離れることは信じられなかった。受け入れることすらできなかった。こんなことは墓前ですら言えなかったけれど、親のように、思っていたから。


「お前はこれから日の当たるところを見てくるんだ。俺のいない世界を見てこい」

「いや、だ。なんでだよ!」

「神様ってやつは充分有情だが冷酷でな。そうなっちまってるんだよ。散々に無理してきたんだ。ここが引き際なんだ」

「無理なんて知ってるよ。こんな生活がキツイのだって理解してる!」

「そうじゃないんだよなぁ」


 男の言葉は当時の俺にとって要領を得ないものだった。理由を話、納得するまで言葉を重ねてくれるいつもとは乖離した姿に少なからず怒りを覚えた。理由を言ってくれと強く訴える俺に男は諭すように優しく、そして諦めたように話しかけた。


「八年前だ。死を知った日から八年。地獄に行くはずだった日から六年半。どういう訳か生き延びちまった」


 あまりにも衝撃的な事実に俺は言葉を失った。衝撃的な事が日常の他愛ない話をするようなノリで言われたことにも驚いた。拾われてから八年。死が近づいていると知ってから俺を拾ってくれたのだ。


「あの時は死なんて怖くなかったんだ。だけど、地獄は嫌だから善行でもやってやろうって。そんな時にお前を見つけた」


 苦笑いしながら話す男は照れ臭そうだった。その顔は弱り切っていたのに、いつもみたいに笑っていた。


「でもさ、この八年間。クソッタレな今までの人生の中で一番幸せだったんだ。何よりも幸せで、そのせいでいまさら死にたくないなんて思っちまってさ。それでももう遅かった。俺に報いを受ける時が来た。ただそれだけのことだ」


 この時、俺は人生で初めて大きな選択をしていた。


「そんなこと……」


 この笑顔じゃない。そう思った。いつもの余裕の笑みとは違う笑顔が張り付いていて、酷く悲しそうだったはずだ。うまく笑えていたとは思えない。

 それでも何とかしようとして、瞳に涙をいっぱい溜めて必死に歯を食いしばって泣かないように一生懸命に耐えていた。


「何年一緒に旅したと思ってんだよ!」


 その時の男の驚いた顔を、俺は一生忘れないだろう。

 初めて見た笑っている以外の顔を。俺はその二つの顔しか知らないのだ。


「知ってたよ、そんなこと」


 生まれて初めて嘘をついた。

 ただ一緒にいてほしかったから。精一杯見栄を張ったのだと思う。

 こらえることのできない涙が頬を伝い始めていた。


「最後くらい、看取らせてくれよ。ずっと、ずっと、俺はそこにいるから」


 誰かの死を見たのは初めてじゃない。けれども正面から受け止めることは初めてだった。その覚悟も知らずに俺は男にそういったのだ。




 それから一週間もしないうちに男は歩けなくなった。もとより歩ける体ではなかったらしい。

 ベッドの横でずっと座っていた。亡くなるその瞬間まで、後悔を背負いながら。初めてついた嘘の重さを俺は一生背負っていくことになるという予感があった。

 男は平然と嘘をついていた。だが、その嘘の重さは決して軽いものではなかったはずだ。それに耐えていた男を尊敬することはない。

 出会ってから八年。その前から数えたら一体どれだけの嘘を重ねたのか、さっぱりわからなかった。けれどいくら希釈したとしても消えるものではないのだ。

 そして死ぬはずの日を越えて六年と六ヵ月。

 呼吸、表情、瞼の動き、それらすべてが俺に死期の近さを伝えていた。


 ずっと、謝りたかった。嘘をついていたことを泣きながらでもいい、無様でもいい。ただ謝りたかった。あの嘘はあまりにも重すぎたから。


「もうそろそろだ。まさか、誰かに看取ってもらえるなんて思わなかった……」

「言いたいことが、あるんだ」


 精一杯のちっぽけな勇気を振り絞ってそう切り出した。喉が渇き、呼吸すら思うようにできない。次の言葉を紡ぐまでにどれだけの時間がかかったのかよく覚えていない。たった数秒だったのか。それとも一時間だったのか。

 確かなことは、男が俺の口から言葉を聞くのを待ち続けてくれたということ。


「そのごめ――」


 危なげない手つきでトランプを操一手いた指。ある時はコインを滑らかに転がしていたり、ペンを回していたりした指。それは見る影もないほどに細っていた。そんな指が俺の唇をしたから押し上げて黙らせる。

 言葉を待っていてくれても、最後まで聞いてくれるわけではない。


「嘘をついたことか?」


 キョトン、とあっさりとした静寂が訪れた。


「俺が何年詐欺師してたと思ってんだバーカ。お前なんかに死を悟らせるほどヤキが回ったかと思って焦っただろうが」


 男は俺の頭をグシグシと撫でつける。立ち歩くことも困難な病人とは思えないほど力強くて痛いほどだった。


「それにお前と()()()()()()()()()()()()()()よ。俺を騙すなんざ一〇〇年早いわ」

「ごめん、なさい」

 口を付いてやっと出た言葉はこれだった。


「嘘をついて、ごめん、なさいっ――」


 こんなヤツに、最後まで謝るのが癪になっていた。最後まで素直じゃない男に。

 だから笑って言ってやった。どうしようもないほど泣きながら。


「お前はずっとそこにいるって言ってくれたな。だけどさ、お前は行けよ。俺が見れなかった世界を見て、俺ができなかったことをやってこい」

「うん! うんっ――」


 ただ、頷くことしかできなかった。でも、男はそれを肯定したように、こんどは優しく俺の頭を撫でる。


「その代り、俺がお前のそばにいてやる。いつでも俺はお前のここにいる」


 俺の心臓のあたりへ拳を沿えた。


「俺の見れなかった光景を、俺に見せてくれ。俺の旅は終わりだ。お前にはもう何も見せてやれない。だから、これからはお前の旅を俺に見せてくれっ」


 そっと、押し出された。

 それが、俺とこの男の二人の旅路の終着点。

 男の手に力はなく、まもなく息を引き取っていた。


『よう、少年。俺と一緒に来ないか』


 その言葉から始まった旅は辛くも幸せな道のりだった。

 そして、たどり着いた先。


「辿り着いた先は地獄なんかじゃないよっ。俺が、俺が、保証するから。俺が、証明するから!」


 旅路の果て、親のような男の寝顔に向かってそういった。

 結局、向かった先なんて男にしかわからないが、この安らかな寝顔がその行先を証明しているようにも思えた。


 ここから俺の旅が始まるのはもう少しだけ先のことだ。


 


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