1話
所詮、貴族間の結婚は愛のない政略結婚。
婚約したから、結婚したから、相手を愛さないといけない、愛することができるというわけではない。
人の心は気の持ちよう。
そう思いながら、彼女は手にしていたカップをテーブルに置き、目の前の2人に視線を向ける。
「わかりました。では、私たちは今この瞬間、赤の他人ですね」
彼女、セレーネ・ルーンナイトはなんの未練も含まない、ただ業務的な口調で目の前の元婚約者にそう返事を返した。
◇ ◇ ◇
セレーネ・ルーンナイト伯爵令嬢とセドリック・ハーストン侯爵令息の婚約は、一般的な政略結婚だった。
元々父親同士の交友が深くあり、爵位など関係なくお互いに頑張ろうという手と手を取り合うための婚約だった。
ハーストン侯爵家の子供はセドリックのみで、ルーンナイト伯爵家は長男が後を継ぎ、次男は王太子の護衛騎士の1人。そして、末娘であるセレーネは魔法の才能に恵まれてとても優秀だった。
セドリックは少し奔放なところがあったため、優秀な妻を迎えたいと思っており、この婚約が決まった。
初めて顔を合わせたとき、セドリックは不服そうで、セレーネもひどく無関心。誰が見てもそこに愛などはなかった。
それは成人しても変わることはなかったため、結果として婚約破棄は起こるべくして起こったと言わざるを得なかった。
「セレーネ、そんな言い方冷たすぎるわ。破棄したとはいえ、婚約者に言うべき言葉ではないわ」
「いいんだ、元々こいつはこう言う奴なんだ。愛嬌もない、女として魅力を全く感じない」
「まぁセドリック様。そんなことないわ。セレーネはとても素敵な人よ。彼女の魅力は、親友である私が一番よくわかってるもの」
無邪気な笑み、小鳥のような美しい囀り。それは、婚約破棄をした元婚約者同士がいる場所にはあまりにも不釣り合いな代物だった。
メルフィー・エトワール公爵令嬢
この国の三大公爵家と呼ばれる、エトワール家の末娘。
その美しい容姿と慈悲深い振る舞いから、世間では【妖精姫】と呼ばれている。
その表情ひとつひとつに男は頬を染め、女は庇護欲に駆られる。まさに、人々を魅了する存在。
「そうだ。婚約パーティーにはもちろんセレーネも来てくれるわよね」
そして彼女は自称セレーネの親友であり、彼女から婚約者を奪った元凶であった。
◇ ◇ ◇
2人が初めて顔を合わせたのは学院に通っているときだった。
「貴女がセレーネ・ルーンナイト伯爵令嬢?」
周りにいるたくさんの生徒の熱い視線を浴びながら、彼女は愛らしい表情をセレーネに向けた。
そんな彼女に対して、セレーネは無表情だった。
太陽のような満面の笑みを浮かべるメルフィーと氷のような冷たい表情を浮かべるセレーネは、周りから見れば対比的な様子だった。
学院では身分関係なく皆平等と言われているが、貴族社会の縮図したものだった。礼儀正しく挨拶をするセレーネに対し、フレンドリーに気軽な対応をするメルフィー。それはまるで、鎖に繋がれている貴族というよりも、自由気ままに花畑の上を飛び回る妖精のようだった。
その出会いをきっかけにメルフィーとセレーネが一緒にいる時間が増えていった。
だけど、彼女は公爵令嬢でセレーネは伯爵令嬢。身分の差がある上に、メルフィーより成績が優秀。周りがセレーネに向ける嫉妬は非常に大きく激しいものだった。
最初こそ、メルフィーが庇ったり気にしないようにと励ましてはいたが、その激しさが徐々にエスカレートしていく頃に、メルフィーはセレーネの側からいなくなり、逆に婚約者であるセドリックの側にいることの方が多くなった。
でも、その光景に彼女は驚かなかった。むしろ心の中で遂にかと思っていたぐらいだった。
初めて会ったその日から、セレーネにはメルフィーの悪意が視えていた。
◇ ◇ ◇
「元々、俺はお前との婚約に納得いっていなかったのだ。どうして俺ほどの男の結婚相手が、お前のような欠陥品なのか」
「セドリック様、そのようなことを言ってはいけませんよ。たとえ一つ欠けていても、セレーネはそれを補うほどに優秀な子なんですから」
フォローしているようでフォローしていない回答。昔から彼女はセレーネを落としつつ自分の株を上げるような言動が目立っていた。
それに気づいていない周りは、親友を庇う優しい令嬢。という好印象を受けていた。
「ねぇセレーネ。婚約パーティーの衣装は何色がいいと思う。あ、せっかくならセドリック様とお揃いにしようかしら」
「それはいいな。俺たちがどれだけお互いに愛し合っているか目に見えてわかるな」
お互いに手と手を取り合い、顔をぐっと近づけて見つめ合う2人。
そんな様子に小さくため息をつきながら、セレーネはもう一度カップに口をつけた。
「用が済んだのであればお引き取りください」
「そんな……もう少しお話ししましょう。そうだ、ねぇセレーネ。お詫びと言ってはなんだけど、私が代わりに新しい婚約者を紹介するわ」
彼女の言葉にぴたりとカップを置く手が止まった。
何を言ってるんだと顔を上げれば、彼女は悪びれた表情は何一つせず、いつも通りの天使のような笑みを浮かべていた。だけど、その表情はこれでもかと言うほどに悪意が満ちている。
「それは名案だ。よかったな、セレーネ。お前のような欠陥品でも貰ってくれるやつが1人や2人ぐらいはいるんじゃないか?」
「そうよ。セレーネは美人だしとても優秀だから、きっといい貰い手がいるはずよ。そういえば、最近お父様の友人が奥さんを亡くされたって言っていたわ。ご提案すれば、きっと喜んで迎えてくださるはずよ」
無邪気な会話はただただ悪意に満ちている。
今すぐにでもカップに残っている紅茶をメルフィーにかけてやりたい気持ちでいっぱいになったが、セレーネはぐっと堪えていた。
「遠慮しておきます」
「そんな。私と貴女の仲じゃない」
「いえ。結婚相手は自分で見つけます。それに、たとえ相手が見つからず、1人で余生を過ごすことになっても、私は構いません」
「そんな。私は貴女に幸せになって欲しくて」
「幸せになってほしい相手の結婚相手に……父親の友人の後妻になれと言っているのですか?」
セレーネのその言葉に、そんなつもりじゃと震えた声を出した後に、顔を覆いながら泣く仕草を取る。それを見たセドリックがセレーネに謝罪を求めるが、彼女は聞く耳を持たなかった。
要件はとっくに済んでいる。これ以上この2人がこの屋敷に滞在する意味など何ひとつない。
「お引き取りください。そして、二度と我が家に足を運ばないでください」
メイドを呼び、強制的に2人を帰らせた。セドリックは随時セレーネを罵倒し。メルフィーはずっと顔を手で覆っていた。
だけど一瞬、部屋を出る時に指の隙間から見えた彼女の目は、嫉妬と憎悪に満ちていた。




