叶わぬ夢
「人は自身が叶えられない夢は見ない」と、どこかで聞いたことがあります。この場合の「夢」は寝てみるほうではなく、それを目標に生きていくほうの「夢」です。
出処は、もしかすると自己啓発の類かもしれませんが、私なりに解釈をしますと、以下のとおりになります。
1.無意識に夢に箍をはめている。いわゆる、その人にとって身の丈にあった現実的な夢しかみないという場合です。
2.実現が不可能な夢を捨てていく。いわゆる、意識的にしろ無意識的にしろ「諦める」という場合です。
こう書いてみると、それこそ、どちらにも夢がありません。ということで・・・
3.夢は力をくれる。夢を見続ければ、身の丈以上の力が発揮できる。だから、夢を継続できれば、遠くに思われた夢も、いつかは手の届く範囲にあったりする。でも、保証されるわけではない。
これも、どうでしょうか。「でも、保証・・・」以下がつくと、やはりニュアンスが変わってしまいます。結局、「人は自分が叶えられる夢しかみない」という言葉は、夢をかなえた人の経験から出た言葉なのかもしれません。
ですから・・・
4.夢は夢をみることに意味がある。諦めず、実現しようと頑張れば、叶わぬまでも自身を成長させることができる。何よりも、人生に張りが生まれ、活き活きとした生活がおくれる。
叶わなくても挫折だなんて考えはいらない。夢をみなかった自分よりも、夢をみて頑張った自分のほうがずっと素敵だ。
というような位置づけが妥当なのかもしれないと思います。
ならば、叶わないとわかっていてみる夢はどうなのでしょう。
叶わぬ夢は、朝靄に 霞む景色の曖昧に
似て、もどかしき切なさを 与えて、我を惑わせる
叶わぬ夢は、水無月の つゆのひぬまの風に似て
湿りを帯びて絡みつき 我の未練も湿らせる
叶わぬ夢は、陽炎の 揺らぎにも似て、頼りなく
かたちを変えて、目指すべき 姿を我にくれもせぬ
叶わぬ夢は、野分たつ 荒野を駆ける風に似て
すべてを薙いで、我が胸を 千切れるほどに疼かせる
叶わぬ夢は、秋の日の 午後の日差しのうつろいの
儚さに似て、我が指に 掴んでみても温めぬ
叶わぬ夢は、枝に染まる 紅葉のように鮮やかに
枯れても色を変えながら 変わらず、我を魅了する
叶わぬ夢は、淡雪の 積もらず消える虚しさで
ただ、我が胸を凍えさせ 遠き山端を降り積もる
叶わぬ夢は、埋火の 静かに燃える確かさで
まだ、我が胸を消えかねて いまもきみだけ想わせる