ローズブレイカー その3の4
私としょうこ♂お姉さま、そして、らいずまい先生の合作『朝霧』を、捨てるにはもったいないので、公開する事にしました。知ってる方も、知らない方も、最後までお付き合いして下さいましたら、幸いです。
僕は今、何を見ているのだろう?
それは・・・・まるで闇のように深く、何も無い空間。
際限が無い。
全てを呑み込んでしまいそうな・・・、そんな底無しの白い空間は、逆に闇を連想させる。
ここは感覚よりも、先に肯定が支配する場所。
耳鳴りが煩わしい・・・。
何も無い筈の空間は、音も存在せず、己が耳鳴りだけを強調する。
・・・。
はて?
何も無い筈のこの場所で、耳鳴りは、存在出来るのだろうか?
それは、当たり前の疑問として、意味の無い思考を強要する。
・・・不愉快だ。
僕は身体を動かす。
存在するはずの腕は無く、存在するはずの足は無い。
僕の見ている物は朧げで、なのに真理と見分けが付かないほど、それは肯定的だった。
何も無い。
・・・何も無い。
・・・・・・何も無い。
・・・・・・・・・何も無い。
・・・。
『どうしたの?』
目の前の小女は、僕を見詰め、微笑む。
何度、彼女と出会ったのだろうか?
何も無い筈の世界を、彼女を・・・、僕は肯定する。
しかし、思い出そうとすれば、それはかすれ、忘れようとすれば、それは色を増す。
何も無い・・・。
僕の思考に、彼女は首を振る。
『ちがうよ』・・・と。
回り、跳ね、大きく手を振るように舞う。
君は誰?
僕は、その目の前の存在に、疑問を投げ掛ける。
君は自然に存在し、僕は否定的に存在する。
僕の存在は、この世界に居るにも関わらず、歪だった。
・・・だから?
僕は存在を強める。
・・・。
この世界での存在を。
彼女は動きをとめ、そんな僕を見詰める。
どうしたの?
『まだ・・・』
聞こえなくとも、その唇はそう言う。
何が?
何故・・・僕を否定するの?
僕は疑問を思い浮かべる。
少女は首を振るだけ。
まだ?
僕は疑問を、オウム返しに思考する。
『まだなの・・・』
少女は瞼を閉じ、聞こえない言葉を閉じる。
何故?
・・・何故?
・・・・・・何故?
・・・。
機械的に繰り返す疑問は、滑稽なほど、純粋に否定する。
僕の何が『歪』なの?・・・と。
それは、この世界への否定、そしてスイッチ。
僕の意思とは関係無く、世界は収束を始める・・・。
・・・あ、そうか。
僕は存在しない声で、呟く。
この世界でしか、目の前の少女は存在せず、僕は、僕自身の存在を肯定する。
・・・あ、そうか。
僕はここに存在する思考で、考える。
この世界には、僕は存在せず、その在り様を否定する。
・・・。
・・・。
・・・。
僕は帰って行く。
・・・。
僕の世界へ・・・。
・・・?
僕の世界?
・・・?
はて・・・?
僕は、何処に存在するのだろう?
僕は、何処へ帰るのだろう?
・・・それはデジャヴュなのだろうか?
昔・・・、同じ事を考えたような気がする。
・・・昔?
・・・、
・・・、
・・・。
・・・どうでも良い。
僕は帰って行く。
僕の・・・世界へと。
・・・・・。
・・・・。
・・・。
世界は・・・、
この世界は・・・、
閉じて行く。
長い、長い夢を見ていた。
それは、どんな夢だったろう・・・。
とても長い夢だったのに、僕は思い出すことが出来なかった。
夢などと言う物は、そんな物かもしれない。
頭がぼーっとする。
まだ目覚めたばかりだからだろうか?
意識と身体は、覚醒しきっていない事を確認する。
意識がはっきりするまでの間、なんとなく天井を見詰める。
・・・。
あれ?
なんだろう?
デジャヴュ?と言う奴だろうか?
僕は過去において、似たような感覚で、天井を見詰めていた事が有ると認識をする。
もちろん、この病室はおろか、この病院に来たなどと言う、経験は無い。
・・・。
ここは病院。
人々の騒音と院内放送、それに、病院独特の匂いが、それを教えてくれる。
「そうか、・・・生き残れたんだ」
僕は、そう呟き、ベットから起きる。
意識は覚醒をし、僕は状況を理解する。
「いたたたた・・・」
無意識に声が出る。
縫われた傷口が痛むのは当たり前だが、身体の節々が痛むのは何故だろう?
僕は、言う事を聞かない身体を動かし、窓へと近づく。
「よかった」
僕は自然に、そんな言葉を出して居た。
そこには見慣れた建物が並ぶ、見知った風景が在った。
ここからの眺めは初めてだが、その感覚は、安堵と言っても良い。
『僕はまだ、この町に居る』
その現実と、その事実が、僕にとって大切だった。
ガチャ!
不意に、病室のドアの開く音がする。
僕は外を眺めながら、その存在に、意識をまわす。
足音はしない。
空気が揺れるのを感じ、彼女が慌てて近づいて来ることが判る。
僕が振り向くのと、それはほぼ同時だった。
「ちょ!」
僕は思わず声を上げる。
病室に入ってきたその女性は、らしからぬか弱さで、僕の胸へと飛び込んで来る。
まるで、少女の様に。
「どうしたの?さくらさん?」
両手で抱くように受け止めた僕は、その細さと小ささに驚く。
「よかった・・・」
さくらさんはそれだけを言う。
「もしかして、心配した?」
僕は意地悪だと思いながら、そんな、らしからぬ彼女に声を掛ける。
「ばか」
さくらさんはそう呟き、強く寄り添ってくる。
・・・、
しかし、彼女は、こんなに小さかったのだろうか。
さくらさんを抱きしめながら、僕は彼女のイメージを一新する。
僕は、さくらさんの頭の上に、掌を乗せてしまう。
なぜだろう?
この時だけは、それが当たり前の様に、思えてしまった。
「こういうさくらさんも、可愛いと思うよ」
僕はそれが面白くて、馬鹿にするように言う。
「な!・・・違うから!」
さくらさんは拒否するように言い、そして、びっくりした様に突然離れる。
いや、顔が赤いのは隠せないと思うよ、さくらさん。
「ほんと、心配させたね」
僕は軽く言い、さくらさんはそれに答えず、そっぽを向く。
機嫌を損ねたのだろうか?
僕は、そんなさくらさんを見て、苦笑いをするしかなかった。
「所でさくらさん、何でナース服なの?」
僕は、素朴な疑問を投げ掛ける。
そこには、初めて出会った頃と、寸分たがわないさくらさんが居る。
いや、違いがあるとすれば、彼女の持つ物が、朝霧か、それともハマナスなのか・・・と言う事だった。
「この服が一番怪しまれないから」
さくらさんは、朴訥に言う。
「へぇ~」
僕は適当に関心しながら、今の自分に、大切な事を思い出す。
「さくらさん」
「何?」
僕の呼びかけに、さくらさんは振り向く。
「早々で悪いんだけど、僕がどれだけ寝てたか、教えてくれる?」
身も蓋も無いのだが、さくらさんとの会話を楽しんでいる暇は、僕には無いと考える。
「ちょっとよ」
さくらさんは、どうとでもとれる、抽象的な言いましをする。
そのちょととは、いったい何日間の事を言うのだろう?
僕の関節の痛みは、それが、一日や二日では無い事を物語って居た。
「所で彼女、蔵姫はまだ生きているんだろ?」
それは何か、義務的な言葉として、僕の口から出る。
さくらさんは答えない。
「教えては、くれないんだ」
僕は、真面目な顔で、冷たく言う。
「そんな顔をしても駄目よ。そんな事より、貴方は身体を休める事を考えて。
その傷、普通だったら、死んでいたんだから・・・」
そう言いながら、さくらさんは目を伏せるように、視線を逸らす。
「成る程・・・、判った」
僕はそう言って、再びベットへと、横たわる。
「判ってくれれば良いの」
さくらさんは、本物のナースの様にし、僕に布団を掛けてくれる。
「蔵姫もヴィシャスもまだ生きていて、何も終わってないんだね」
僕は率直に、自分の認識と、その状況を言う。
さくらさんは一瞬その動きを止め、何事も無かった様に、笑顔を見せる。
僕はさくらさんを見詰め、そして、さくらさんは表情を変えない。
「さくらさんの事、・・・嫌いになりそうだよ」
そんなさくらさんに対し、僕は正直な意思を示す。
「構わないわ」
さくらさんは静かに、そして笑顔のまま、何事も無い様に答える。
・・・面白くない。
「さくらさんは、僕がどんな人間か、知ってるよね?」
それは、試すと言うよりは、これから僕が何をするか・・・と言う意味の言葉。
僕がそう言った後、二人の間には、しばし沈黙が訪れる。
「ええ。貴方の事は良く知っているわ。・・・他の誰よりも」
さくらさんは、僕の目を見る。
その言葉は、冷たく、威圧感の有る物だった。
なんだろう?
僕とさくらさんの間に、今までに無かった空気が流れる。
「この場で、貴方の両足を折る事もできるの」
さくらさんは笑顔を崩さない。
足を折れば、僕の行動を強制的に止められる・・・、そう言う意味だろうか?
「どの理由でそれを言うかは解らないが、さくらさんに、それが出来るの?」
僕は、尚、冷たく言い放つ。
「出来るわ」
さくらさんは笑顔でそう言い、僕との視線を、外そうとしない。
ほんの少し、彼女の手が震えている。
それは、僕の感じる『恐怖』・・・そんな、つまらない事とは違う、別の物だと解る。
彼女は、あらゆる物から否定的な程優位で、そして強い。
その彼女が見せる、ほんの少しの、特別な好意・・・特定の弱さ。
その彼女の強い意志と、その虚勢。
その感情が何なのかと考えれば、心は痛む。
僕は今、きっと卑怯な事を、言っている・・・。
これはたぶん・・・、自惚れではないだろう・・・。
つまり、・・・酷いほど、彼女は僕に優しい。
・・・。
僕はニヤリと笑う。
だから?
僕は、僕らしい選択を、選ぶ。
僕が彼女にどう思われてて、それがどんな結果で在ろうとも、僕は目の前の障害物・・・さくらさんを・・・、
排除する。
「ならば・・・」
僕はそう言って、ベットから起き出そうとする。
僕に迷い等は、無い。
だが、その時に起きた状況に視線を奪われ、僕は結果として困惑する。
「どうして拘るの?」
さくらさんの言葉は不意で、そして弱々しく、僕は動きを止めた。
僕の視線の先には、静かでは在るが、悲しそうな彼女の顔がある・・・。
「あの娘の事が、・・・好きなの?」
「へ?」
さくらさんの言葉に、僕は思考を停止する。
それまでの張り詰めた空気は消え、何かを迷うように、さくらさんは視線を逸らす。
僕のロジックは、行き先を見失った。
意味が解らない・・・。
「な・・何をどうすると、僕が蔵姫を好きだって事になるの?」
「だって・・・」
さくらさんは、言葉を止める。
「だって端鷹・・・、あの娘の為に、死のうとしたじゃない」
・・・。
・・・。
確かに。
「いや、実際に助けたけど、死ぬ気だった訳では無いよ」
僕は、結果とは違う、僕としての意見を言う。
「有り得ないわ」
さくらさんは、間を置く事無く、それを否定する。
「前にも言ったけど、貴方は自分から死ぬ事を選択しないわ。・・・いえ、しなかったっと言うべきかしら・・・。 その貴方が、あの時・・・意識していなかったとしても、その選択をしたの」
・・・。
「だから僕が、蔵姫を好きだと?」
「違うの?」
・・・。
僕は考える。
・・・。
蔵姫を可愛いとは思うが、・・・その考えは無かった。
「判らないな・・・、正直」
自分でもビックリしているのだが、僕には答えようが無かった。
「そう・・・、端鷹がそう言うのなら、本当に判らないのね」
さくらさんの言葉に、僕はその視線を彼女に向ける。
恐らく僕は、かなり間抜けな顔で、彼女を見ているのだろう。
「なら聞くけど、そうまでして、なぜあの娘に拘るの?」
さくらさんは、覗き見るようにし、僕はあらぬ方向へと視線を向ける。
何故だろう?
何度か考えた事ではあるが、いまだ、答えが出ない。
「約束・・・かな?」
僕は、自分に理由を求め、美姫からのそれを『約束』と言った。
それは、答えが出ない事への、言い訳と言っても良い。
「約束?誰との?」
さくらさんは怪訝な表情をし、追求するような態度を見せる。
「土地神・・・」
隠す必要も無い。
だが念の為、僕は『美姫』とは言わずに、そう言う表現を使った。
「土地神って・・・」
さくらさんはそう言い、何かを考えるようにし、少しか弱げだった態度を豹変させる。
それは冷やかに。
「端鷹、・・・あの女が本当に土地神だと思っているの?」
その言い様、なにか汚い物でも見るような、そんな表情だった。
それは、土地神と名乗っている存在を、認識していると言う事になる。
「さぁ、どうなんだろうね」
僕は、軽いジェスチャーを入れる。
しかし、蔵姫が『あの娘』で、美姫が『あの女』って・・・。
「もしかして、あいつの事・・・嫌いなの? いい娘だよ?」
僕は率直な意見を言う。
「端鷹から見れば、そうでしょうね。貴方や歩美には悪いけど、あの手の存在を私は好きになれないわ。大体、あんたに『いい娘』なんて言わせる辺り、ムカツクし」
・・・さくらさんは間を置かず、そう言う。
さくらさんは、美姫の事を認識し、どうやら彼女の事が、嫌いらしい。
「でも端鷹、それが本当に理由なの?」
さくらさんは、納得出来ないような表情をする。
「さぁ?」
僕は、はぐらかす様に言う
「そう・・・、でも良いわ。これ以上言った所で、貴方は自分を曲げないでしょうから。納得は出来ないけれど、今はなっとくしてあげる。どの道、貴方は動けないでしょうし」
さくらさんは話を切り上げ、僕のわき腹辺りに、視線を向ける。
僕の現状・・・、その事を否定はしない。
僕が何を考え、何を選択しようとも、現実と言う物は変えられない。
僕の傷は深い。
それが仮に、一週間程度前の傷だとしても、完治と言うには、程遠い状況だろう。
・・・。
なら、どうすれば良い。
僕は考える。
・・・、
・・・、
ならば・・・、
・・・、
ならば、先に現実と現状を変えてしまえば良い。
「ねぇ、さくらさん」
「何?」
僕の声に、さくらさんは笑顔を返す。
この話は終いとでも思ったのだろうか?
「もし、今すぐに傷が治ったら、あの後、どうなったか教えてくれる?」
それは、僕としての提案だった。
さくらさんは、僕の傷を心配し、ヴィシャスと蔵姫の事を教えてくれない。
「あら、出来もしない事を言うなんて、貴方らしくないわね」
僕の言葉に、さくらさんは『意外』・・・と言う感想を言う。
僕の性格と、僕の体質を知っている彼女としては、仕方が無い言葉だろう。
「僕が聞きたい事は、そんな事じゃないよ? さくらさん」
僕は表情を変えず、真面目な口調で、それを言う。
さくらさんは少し、考えるそ振りを見せ、目を細める。
「・・・そうね、出来ればね」
さくらさんは、試す様に言う。
どんな考えであろう、さくらさんの言ったそれを、僕は了承と認識する。
「じゃぁ、朝霧を取ってくれる?」
僕はそう言い、さくらさんは何も言わず、部屋の隅に立て掛けて有る朝霧を僕に渡す。
「後、この部屋の中の音を、完全に消してもらいたいんだ」
僕は、然もそれが出来るように言い、さくらさんを見る。
「本当に出来ると思っているの?そんな事」
さくらさんの目は、厳しい。
実際、さくらさんは難しいと思っている様だった。
「できると考えたから、言っている」
僕は、当たり前の様に言う。
・・・。
二人の間に、軽い沈黙が流れる。
「全部は無理よ」
さくらさんはそう言って、溜息を突きながら、手を挙げ指をパチンと鳴らす。
・・・、僕は驚嘆をする。
出たら目な人だとは思っていたが、本当に部屋の中の音は・・・殆ど消える。
僕に対するそれは、物理的に音を遮断したと言う事。
「じゅうぶんだ、ありがとう」
僕はそれだけを言うと、余計な事を考えるのを止め、やるべき事を始める。
目を閉じ、それでも見えるものに集中する。
それは、霊的な作用、呪術的な作用とは全く違う、僕と朝霧だけの限られた世界。
外的感覚を見せるそれは、見る方向さえ変えれば、違う世界を見せる。
僕は意図的に、朝霧の見ている物を、全て自分の中へと向けて行く。
ヴィシャスに切られた傷口へと。
・・・。
・・・。
バルブは、徐々に開かれる。
・・・、
心音、呼吸、血流、体液、細胞、そしてそれをコントロールする物理的電気信号。
僕はそれを把握し、五体を操るように、一つ一つを束ねていく。
・・・、
不意に、朝霧を初めて握った時の事を思い出す。
そうか。
僕は改めて、それを理解をする。
これは、情報の流れ。
解ってしまえば、簡単な事。
僕は、漠然としていた感覚を肯定された物へと換え、全ての自分を・・・己が配下へと降していく。
・・・、
必要な物・・・不必要な物。
それを選別・・・排除・・・そして結合・・・分裂・・・補充・・・。
自分の身体を構成する物に対し、幾千・・・幾万・・・幾億の、気の遠くなるような単純な物理的作業。
そしてその繰り返し。
人が人として在るのであれば、気の狂いそうになるようなその行為は、無限に続くと思わせる程の地道な作業だった。
僕はそれを続ける。
・・・、
そして僕はそれを続ける。
・・・、
そして僕はそれを続ける。
無限に続くと思われる行為は、何度も繰り返えされ、ふと考える。
どれ程の時間が経っているのだろう?
・・・、
考えた所で、終わりの見えない作業を繰り返すことに、変わりはない。
今、気にすることではないと考える。
・・・、
どれ程の時間が経ったのだろう。
・・・、
そして僕は続ける。
・・・。
何度も同じ作業をし、何度も同じことを考え、塗りつぶす様につないで行く。
不意に僕は、その行為を止める。
実際にどれ程の時間を費やしたかは、分からない。
完璧と言う言葉など、初めから期待はしていなかった。
「僕が目を閉じてから、どれ位時間が経った?」
目を開いた僕は、さくらさんに聞く。
「五分程度よ」
その言葉に、僕は「そっか」などと、軽く答える。
僕の感覚では、何十時間もの時間の流れを感じていた。
精神的疲労は、隠せないかも知れない。
「こんな物かな?」
僕はそう言いながら、腹に巻きつけられた包帯を解く。
そこには、痕こそは有れ、傷の塞がった皮膚が姿を現す。
さくらさんは、何も言わず、険しい顔をする。
「どうしたの?さくらさん」
「いえ・・・、何でもないわ」
そう言いながら、さくらさんの表情は、あからさまに蒼ざめたように見える。
上辺だけのハリボテとは言え、僕の身体が短時間で再生するなんて事は、在りえない筈の話だった。
「約束だよね」
僕は、さくらさんに確認するように言う。
「止められ無いのね」
さくらさんは呟く。
その言葉には、諦めと言う響きが混ざるのだろうか。
「僕の事を、誰よりも知っているんでしょ?」
僕の言葉に、さくらさんは、目を閉じる。
「いっその事、私が・・・全てを・・・」
一瞬、さくらさんは思い詰めたように言い、無表情になる。
「さくらさん!」
そんなさくらさんに対し、僕は怒ったように、言葉をなげ掛ける。
「そうね・・・、貴方はそんな事、望まないものね」
さくらさんは、肩の力を抜く。
そう・・・、彼女に、僕の楽しみを台無しにされては困る。
僕は、彼女の頬に手を伸ばしながら、「好きだよ」と言って、願いを聞いてくれたさくらさんに、感謝をした。
「酷いのね、そんな言葉をこの場で言うなんて」
僕は笑顔で言った筈なのだが、さくらさんは、悲しそうな顔をする。
彼女を泣かせたい訳では無いのだが・・・。
「じゃ、酷いついでで悪いけど、約束通り、状況の説明も御願い出来る?」
僕は、自分の感情とは裏腹に、極力軽薄に言葉を選ぶ。
さくらさんは小さく笑い、僕を見詰める。
「さくらさん?」
「貴方って、そう言う人よね」
さくらさんはそう言い、仕方ないなぁ・・・みたいに、笑ってくれた。
今は、そうしてくれる彼女に、感謝するしか無いだろう・・・。
僕はやはり、酷い事をしているのだと、自覚をしてしまう。
それは後悔などでは無く、単純な・・・肯定だった。
病院を出た僕は、駐車場へと足を向ける。
駐車場に立ち寄った僕は、さくらさんに渡されたキーと、目の前の車を交互に見る。
赤いスーパー7・・・いや、フレイザークラブマンだったか・・・。
白華音との殺し合いの後、僕は少し気になって、調べて居た事を思い出す。
さくらさんの所有するその車は、7の名前を名乗らない、有る意味、孤高のスーパー7であると言う事だった。
『貴方なら、乗りこなせるでしょ。』
さくらさんは、そう・・・言っていた。
僕は自動車の免許など持ってはいないのだが、さくらさんが自身の権限により、僕が持っている事にするらしい。
まぁ、世の中、知らない方がいいルールは有るものだ。
僕はコックピットへと、滑り込む。
キーを回して、エンジンに火を入れる。
その爆音とも言える排気音は、まるで、生き物の咆哮の様にも思えた。
エンジンルームから、微かにタービン音・・・。
トヨタ製3SGEにタービン音・・・、3SGTEに換装しているのか、ボルトオンターボなのか、どちらにしろ、250馬力を軽く超えているのは間違い無いだろう。
この車の車重・・・、600キロ程度の重量を考えれば、そのパワーウェイトレシオ、
・・・。
「化け物だな。」
僕は呟く。
ギアを入れ、アクセルワークとクラッチミートを緩やかに行う。
「へぇ~、」
僕は感心をする。
ガチガチの強化クラッチが入っているかと思ったが、思いの他、動力はタイヤへと自然に伝わる。
良いチューニングがされているのだろう。
もっとも、ほんの少しアクセルワークを間違えると、あっと言う間にオーバーステアからスピンに落ちるほど、リアのトラクションは不安げである。
普通ではありえない程、車体と駆動輪に対しての馬力が、大き過ぎるのだ。
「僕なら乗りこなせるって、・・・よく言うよ」
僕はリズミカルにギアを上げ、さくらさんに毒づきながら、そのドライブを楽しむ事にする。
それは、そのハイパワーと裏腹に、意外にも緩やかで、速度を上げる事を躊躇ってしまう程、気持ちよい行為だった。
ふと、見上げれば、雲ひとつ無い青空がそこには有る。
何時もと変わらぬそれは、まるで、僕を包んでいるかの様だった。
・・・、
・・・、
・・・、
さて。
つけてくる奴が・・・居る。
僕はその存在に気を配りながら、ハンドルを握る手に力を込める。
「蔵姫か?それとも別の何者か」
僕は呟く。
現状では、判断が付かない。
フレイザーを追尾するそれは、常人とは思えない移動速度で、自力移動をしている。
考えたくは無いのだが、・・・つまり、走っている様なのだ。
僕はブレーキを踏み、フレイザークラブマンを、路肩へと停める。
無駄に憶測するよりも、直に確認するほうが早いと、そう考えた。
「悪い、予想外だった」
僕は、程無くして追い付く人物に、率直な意見を言う。
「予想外? まるで、誰かが来るのを期待をしていた様ですね」
息の切れた様子も無い彼女は、言葉とその視線を、冷たい物とする。
僕はその言葉を、否定はしない。
「もっとも、未来のない貴方には、『期待』などと言う言葉自体、必要の無い物だと思いますが?」
言葉を続ける彼女は、緩やかでは有るが、冷たいその言葉を言う。
それは、先日の彼女・・・北条のイメージとは、違う物だった。
「未来のない・・・? また言葉遊びをするのか?」
僕の可能性としては濃厚なのだが、なぜかその言葉に、引っ掛かりを覚える。
「言葉あそび?」
北条は一瞬、怪訝な顔をするが、何かを察したように嫌な笑い方をする。
「事実の見えてらっしゃらない者は、本当・・・キリギリスのように愚かだと言って居るのです」
キリギリス・・・、僕の事を言っているのだろうか?
そうだとすれば、僕にとっては、笑えない話だった。
「じゃぁ北条は、自分が蟻だとでも言うのか?それはそれで難儀だと思うんだが」
僕は嫌味・・・と言う物を言ってみる。
「面白い事を言うのですね。しかし、私と貴方、その命と言う物、その価値の落差に哀れみを感じてしまいます」
北条は、僕の言葉を聞き、露骨に機嫌を損ねた様だった。
・・・はて?
僕はそんな彼女に、以前北条に感じた『違和感』とは違う、『違和感』を覚えてしまう。
これではまるで、初めて出会った時の北条ではないか。
・・・?
僕はしばし考え、自分の疑問の答えに、思い当たる。
「なんだ、そう言う事なんだ」
「何がです?」
「いや、何でも無い事だから、気にしなくて良いよ」
僕の言葉に北条は、その美しい指を軽く顎に当て、考えるようにする。
「それよりも、僕をつけて来る理由を聞かせて欲しいんだ」
僕は、話を逸らすように笑顔を作る。
付いて来るなとは言わないが、場合によっては、排除の対象となる。
「答える必要を感じません」
その返事は、冷たいと言うよりも、そっけ無いと言う物だった。
「僕を止めに来た訳じゃないんだな?」
状況判断ではあるが、僕はそれを確認する。
「私は護部、この町の守護が最優先ですから」
北条は、どうとでも取れる言い回しをする。
「桜守の言葉を聞かなかったのか?」
僕は、あの時に言ったさくらさんの言葉を、復唱する代わりにそう言う。
「桜守の?また面白い事を」
「面白い?」
僕は、興味深く、問いかける。
「ええ、面白いですね・・・。その言い様・・・まるで、貴方が桜守をも統べる鑑守であるような言い回しに聞こえます」
北条・・・いや、北条さんは、嘲笑うように言う。
「違うのか?」
「私の決める事では在りませんが、少なくとも私の知る限りでは、別人のようですね」
北条は、鑑守と言う人物を知っている素振りを見せる。
「成る程、こうも上から目線だと、北条も大変だな」
僕は、率直な感想を言う。
「それは、どう言う意味ですか?」
北条さんは、眉を潜める。
「言ったままだよ」
僕はそう言いながら肩の力を抜く。
介入はともかくとして、僕の邪魔をしようとしている訳では、無いらしい。
ふと、彼女?の利用価値を考える。
「九汲み矢って、北条さんにとって、どれ位の威力なの?」
僕は普通の会話として、言う。
「貴方に言う必要が在りますか?」
聞いてはいけない事を、聞いたのだろうか?
北条さんは言葉の感情を消す。
「九汲み矢自体と言うよりも、北条さんの実力が知りたい」
北条さんは、僕の言葉に、眉をひそめる。
「僕と白華音を狙った時の矢、それが九汲み矢よりは強力なのは解る。だけど、あの程度で限界じゃ無いんだろ?」
僕は、あえて笑いながら言う。
「それが何か?」
僕は指を三本立てる。
「三倍、あの時の三倍の威力で射る事が出来るか?」
僕はあえて、自分の目算よりも大きく、北条さんの実力を見る。
「それは、単純な挑発と認識して良いのでしょうか?」
北条さんの反応は、軽く構えを取るほど、露骨な物だった。
「違う、これは、交渉と提案だ」
「戯言を。私がそんな話に乗ると思いますか?」
「北条さんの目的と、僕がこれから相手にする人物を考えれば、妥当な話だと思うが」
僕は、北条さんを見据える。
「ではやはり、これから貴方が向かう先には・・・、」
「ああ。ヴィシャスが居る」
北条さんは改めて、考える様な仕草をする。
意外と、オーバーアクションの人なのかも知れない。
「貴方一人であの存在に、勝てる勝算が在るとでも思っているのですか?」
それは、北条さんの、純粋な質問だったのかも知れない。
「まぁ、勝算なんて物は、無いさ。だけど、僕が同じ質問を北条さんにしたら?」
僕はそう言いながら、北条さんを見つめる。
そして、・・・しばしの沈黙。
「良いでしょう。話だけは、聞きます」
僕は北条さんの言葉に打算的なもの感じ、内心二ヤリとする。
僕にとっての北条さんは、イレギュラーでしかない。
だが、その戦力、無駄にはならないだろう。
「それで十分だ」
僕はそう言い、北条さんにやってもらいたい事を説明する。
もっとも、手短に説明したそれが、適切かどうかは知らない。
だが北条さんは、返事をする事も無く、それを静かに聴く。
・・・。
「乗ってく?」
僕は、一通り北条さんへの話しを終え、軽くウィンクをする。
「勘違いなさらないで下さい。邪な存在と馴れ合う道理はありませんから」
その視線は冷たく、相容れない物へ対し、切り捨てるような言葉だった。
さすがと言うか、これでは彼女が萎縮する理由も、判ると言う物である。
「じゃ、悪いけど、お願いする」
僕はそう言って、フレイザーを発進させる。
言葉を返さなかった北条さんは、僕を追いかける事はせず、別の方角へと向かって行く。
それは、『了承』と取れる行動だった。
僕は、その能力と存在に、期待をする。
どう動いてくれるかは別として、手駒として数えられるのは、ありがたい。
北条さんが敵であれ、または味方であれ、ヴィシャスや鬼以外の勢力である事に、間違い無いだろう。
さて、どうなるか。
僕は、ヴィシャスが居る筈の、競馬場を目指す。
僕はフレイザーを適当に停め、その施設に目を配る。
それは、今は使われていない、古びた建物だった。
前に、歩美さんから聞いた話を、思い出す。
景気の良い時代に作られた競馬場だと。
大都市には程遠い、小さな町である。
なぜそのような物を作ったかは知らないが、現状を見れば、どんな物だったかは、想像が付く。
僕は朝霧の感覚を伸ばす。
競馬場跡地と言う事だけ有って、ここがとてつもなく広い空間だという事は判る。
もちろん、使われている形跡などは、無いと言って良い。
だが、疑問にも思う。
これ程の面積を放置して居るのである。
立地条件が悪い訳でも無い・・・・、何か理由でも有るのだろうか?
チリッ!
朝霧の感覚に、何かが引っ掛かる。
中央トラックの真ん中辺り。
それが何であるかは見当が付く。
だが、決め付けるのは早計だろう。
僕はそれを確認する為に、競馬場内へと足を運ぶ。
「ん?」
僕は違和感に、足を止める。
光の屈折・・・だろうか、間近で見て初めてそれと判る。
朝霧の感覚で異差を確認できる、透明な空間。
その空間が、それその物を覆い隠す様に、競馬場全体広がっている。
「結界かな?」
僕はそう呟き、気にせずそのまま進む。
急ぐ必要は無い。
僕はその古びた建造物を眺めながら、ひとけの無い通路をゆっくりと進む。
手入れのされていない構造物とは、こんな物であろうか?
放置されて、たかが数年の筈。
されど、この建物の利用は、既に無理と考えられる。
それ程のカビ臭さと、荒廃ぶりだった。
通路を抜けた僕は、観客席上段の出口へと、辿り着く。
そして、見晴らしの良い場所を選び、シートへと腰を下ろす。
「ふぅ~ん。」
僕はその光景を眺めながら、頬杖を突く。
視線の先、中央トラックの中心に居るのは、ヴィシャス。
予想はしていたが、何をするでもなく、彼はそこに佇んでいた。
いや、座を組むと言うのだろうか、瞑想をしているようにも見える。
そして、力の解放と、静粛。
そこには、矛盾と言い難い、帯の様な力の流れが存在する。
だが、どう言う事だろうか?
朝霧の情報とは裏腹に、僕には『恐怖』をヴィシャスから感じる事は出来なかった。
既にヴィシャスは、本来の姿を見せて居る筈なのだ。
僕は朝霧の感覚を縮め、僕としての、その時を待つ事にする。
もちろんヴィシャスは、僕に気付いて居るだろう。
・・・、
・・・、
・・・、
ふと、さくらさんからの話を思い出す。
彼・・・ヴィシャスの目的が、僕に在ると言う話を。
以外では在るが、その話は『今の』と言う意味で、ヴィシャスがこの町に来た本来の目的では無いらしい。
「何んだか面倒くさそうな話だ・・・」
思わず独り言を言う。
それが儀礼的に言った愚痴だとしても、誰も咎めはしないだろう。
僕は笑う。
「僕が愚痴ねぇ・・・」
それは、自分へ対する嘲笑。
『在り得ないわ』と言った、さくらさんの言葉。
もしかすると、僕はほんの少しだけ、変わったのかもしれないと自覚をする。
「さて」
僕は、そう言葉を吐いて立ち上がり、観客席の階段を下りる。
僕としての、最初の準備は整った。
軽く朝霧を地面に突き、その反動を利用してフェンスを越える。
これと言った動きの無いヴィシャスに対し、僕は無造作に近づく。
「呆れる程の希薄さと言うべきか」
ヴィシャスは呟く。
「言っている意味がわからないな」
僕はヴィシャスの側へと寄り、まるで友達に話し掛けるように、言葉を返す。
「少年・・・いや、ハシタカだったか?その在り様、あまりに歪で、否定的な者よ」
ヴィシャスは、さも楽しそうに語る。
「酷い言われ様だ」
僕はそう言いながら、北条にも、同じように言われた事を思い出す。
「ほめ言葉だとは思わぬのか?」
「ほめ言葉?何を?」
僕は単純な疑問を投げ掛ける。
「易々と我が結界を抜け、今の我に恐怖する事無く、我が前に立つ。それは我と同じ世界に立つ者となり、他者とは相容れぬ至高の存在である証明であろう? 我と同じく・・・歪な者よ」
歪な者・・・。
あまり嬉しい表現では無く、僕としては、否定したい事だった。
「同じと思っているのは、お前だけだろ?」
僕は、自分の言葉の語尾が強くなるのを感じ、その理由を自分の中で探す。
「我を喰らいに来たのだろう?ハシタカ。それは、なれが我と同じ・・・進化する者、と言う事では無いのか?」
・・・?
僕は、ヴィシャスの言っている事の意味を、考える。
「それとも、なれは、我に喰らわれに来ただけなのか? それはそれで構わぬが、ルゴサも来ぬのであれば、つまらぬと言う物」
ヴィシャスは笑う。
「何度も言わすな、僕の目的は、それとは違う」
隠す必要も無い。
「なれは我とは違うと?」
ヴィシャスの言葉に、僕は答えない。
「なれの思い・・・考えること、それが異なる手段であろうとも、結果は我と同じと言う物」
ヴィシャスは、目を閉じたまま、楽しそうに言う。
「お前の本来の目的は聞いている。だが、そんな物に僕は興味が無い」
僕はそう言いながら、さくらさんの話を反芻する様に思い出す。
上位次元生命体への進化・・・。
・・・それが、ヴィシャスの最終的・・・存在的、目的。
難しい事は解らないが、イカレタ存在だと、さくらさんは言っていた。
ヴィシャス・・・そして蔵姫も、人工的に創られ、自らその途中過程にある存在であると言う事だった。
なぜ僕に目を付けたかは知らないが、『進化』と言う物には、僕が有効らしい。
「まったく良い迷惑だ」
僕は呟く。
「はて?『お前』呼ばわりされる程、我とハシタカは親密であったろうか?」
ヴィシャスは、話の腰を折るように、白々しく言う。
「親密? 自分を殺そうとした人間に、気を使って居ないだけだ」
僕は、僕としての道理を言う。
「殺そうとした? なれをか?
なれは可笑しな事を言う。
あのまま消滅すれば、なれは我に喰われ、永遠の存在と成った筈であろう?」
ヴィシャスは、彼としての道理を言う。
僕はその言葉を笑い、ヴィシャスはほんの少し、表情を変える。
「悪いが時間だ。僕にとっての、待ち人が来た」
僕は自分を嘲笑するように、ヴィシャスへと言う。
「それは、なれにとって、我以上の存在とでも言うのか?」
ヴィシャスは、自然に、首を傾げる。
「いや、そう言う訳でも無い。腐れ縁と言えば、解りやすいかな」
僕の言葉に、ヴィシャスは「ほう・・・」と一言。
それがどう言う意味であれ、僕としての物語は、進む。
「始めさせて貰う」
僕はそう言って、朝霧の柄へと、手を伸ばす。
それがフェイクだろうが、本気だろうが、この場合は関係が無い。
一瞬、ヴィシャスの注意は僕へと向けられる。
充分だ。
僕は、そう考える。
その瞬間、雷鳴・・・とでも言おうか?
ヴィシャスの直上、その存在は拳を振り下ろす。
「愚かな」
ヴィシャスは呟き、その稲妻の様な一撃を難無く、弾き返す。
「全くだ」
僕は、ヴィシャスの詰まらなそうな言葉に呼応し、溜息を突く。
恐らく、ヴィシャスと僕は、同じ事を考えたはずだ。
何故、今の一撃で仕留めない?・・・と。
態々僕が作ったタイミングを、無駄にしてくれる。
滑るようにしながら着地したそれは、踏み止まるように、その姿勢を低くする。
蔵姫・・・。
前にヴィシャスが言った『力の解放』は、既に済んでいる様だった。
僕はその表情を見、もう一度、溜息を突く。
前と比べて、随分と、酷い顔をしている。
これでは、せっかく綺麗な顔が、台無しである。
「これ以上・・・私に、関わるな・・・」
僕の視線を感じたのか、蔵姫は呟くように言い、視線を逸らす。
・・・。
蔵姫は、何か勘違いをしているのだろうか?
「我が恐怖の束縛を脱したのは良しとしよう。だが『関わるな』とは、我の言いたいセリフだと思うのだが、どう思う?ハシタカ」
ヴィシャスは、蔵姫の言葉を、嘲笑う様に言う。
その言い様、蔵姫がヴィシャスの力の影響下を、脱して居ると僕は判断をする。
「なぜ僕に聞くかは解らないが、僕が否定する事でも無いだろ?」
僕は、笑いながらそう言い、朝霧を杖代わりにし、楽な姿勢を取る。
実の所、僕にはヴィシャスと殺しあう理由が、あまり無い。
ヴィシャスの『恐怖』は合格点では有ったが、僕の求める物は、それでは無い。
それに今は、その『恐怖』も感じない。
・・・。
・・・。
・・・。
互いの沈黙の後、蔵姫の攻撃が始まる。
蔵姫は踏みこむ。
蔵姫が踏み込む足元からは、土煙が舞い、拳を振るう先には爆煙が立ち昇る。
衝撃波は空気を揺るがし、その波動は音として爆音を上げる。
離れては近づき、緩急を付け、それは止まる事無く続く。
あらゆる方向からの打撃は、一つの例外も無く、ヴィシャスへと向けられて居た。
「詰まらぬな」
そう呟いたヴィシャスは、それを凌いで居るにも関わらず、一歩も動いていは居ない。
「まるで、オートマタの様だ。何度繰り返そうが、結果は同じであろう?」
「ほざけ!」
蔵姫は怒気を強め、大振りの一撃を入れようとする。
「もう・・・良い」
その言葉と共に、フルスイングの途中だった蔵姫を、ヴィシャスは吹き飛ばす。
何気ない掌打。
見た目とは裏腹に、その威力は、蔵姫の身体を強制的に折り曲げ、その猛攻の終焉を意味する。
ドシャ!
そう表現するのが正しい様に、飛ばされた蔵姫は、地面へと叩き付けられた。
「げほっ、げほっ・・・!」
内臓をやられたのだろうか?蔵姫は血を吐きながら、起き上がらろうとする。
僕はその姿を見、美姫が助けを求めて来た理由を理解する。
・・・。
惨めだな。
僕は蔵姫へと近づき、そんな蔵姫を、ただ眺めた。
「端鷹・・・?」
僕を見上げた蔵姫は、何かを求める様に、情けない顔をする。
やはり、こいつは何かを勘違いして居る。
・・・面白く無い。
僕は朝霧で、蔵姫を軽く小突く。
パン!と、結界が弾ける音がして、蔵姫は尻もちを付くように倒れる。
「貴様・・・、何・・を?」
蔵姫の目には、困惑・・・と言う物が見え隠れする。
「蔵姫、お前はもう帰れ。邪魔だ」
僕は、冷たく、それを言う。
「何故だ?私に関わって、お前に何の得が有ると言うんだ?」
蔵姫のそれは、僕がまるで蔵姫を案じて言ったかの様な、問いかけだった。
「やはり勘違いして居るか・・・」
僕は溜息を突く。
「勘違いだと?」
「勘違いだ」
僕は、蔵姫の問いに、言葉を続ける。
「僕は、僕の利害で動いている。お前の思考なんてどうでも良い」
「それが・・・、私に関わる・・・と言う事では、・・・無いのか?」
蔵姫の言葉は、意外なほど、おどおどとした物だった。
「蔵姫、お前にその価値が在るとでも思っているのか」
僕はそう言いながら、自分で再確認をする。
僕は自分の利害を優先し、その為の行為を優先する。
だから、蔵姫の意見など、どうでも良い。
「それに、どうせお前は、死ぬ覚悟も無いんだろ?」
僕は蔵姫を馬鹿にする様に言う。
蔵姫は一瞬、怒りを面に出すが、反論する事無く項垂れる。
僕は、視線をヴィシャスへと戻す。
ヴィシャスは御丁寧に、こちらの事情を待ってくれて居る。
「死ぬ…覚悟…か、・・・そうだな」
ぽつり・・・と、蔵姫は僕の後ろで呟く。
蔵姫の言葉は、覚悟というよりは、諦めに近い響きがあった。
覚悟にしろ、諦めにしろ、無いよりはましだと考える。
そして、少なからず状況は、僕の考えている方向へと進む。
「逃げても良いんだぞ、蔵姫」
僕は振り返る事無く言い、蔵姫は静かに、立ち上がる。
「私は・・・、お前に助けられてばかりだ」
予想通り・・・と言ったら悪いが、蔵姫はつまらない事を口走る。
「待ってもらって悪い、ヴィシャス。どうやら、これからが本番らしい」
僕は、そう言いながら、ヴィシャスへと、ウインクをしてみせる。
「それがハシタカの望みならば、その茶番もよかろう」
ヴィシャスは、笑う。
途端、疾風が、僕の横を駆け抜けた。
「だが、変わりはせぬよ」
ヴィシャスはそう言って、再開した、蔵姫の猛攻をあしらう。
蔵姫のその攻撃に、先ほどまでのマージンが無くなって居る。
それは蔵姫が、つねに自分を守ろうとする行為を、止めた・・・と言う事。
どうやら、蔵姫の覚悟とは、本当の事らしい。
「ハシタカ、サービスはこれ位で良かろう?」
ヴィシャスは、蔵姫を無視する様にそう言い、唇を楽しそうに歪める。
つまり、終わりにすると。
「あぁ、サービスは終わりだ」
だが、その言葉を言ったのは、蔵姫だった。
蔵姫はその猛攻を止める。
ヴィシャスと距離を置き、何かを決意するように、拳と拳をぶつける様に合わせる。
正確には、その両拳の白薔薇を。
「おおおおおぉぉぉぉおーーーーーーー!」
蔵姫は雄叫びを上げるように吼えた。
蔵姫の光は、濁る様に色を深め、今まで以上に強さを増す。
「ローズ・ブレィカーーーーーーーーー!」
技の名前なのだろうか?
それを言ったその瞬間、蔵姫の周りに渦を巻くような現象が現れ、蔵姫は地を蹴る。
例えるならば、閃光の矢。
蔵姫は、単純とも言えるそれを行い、ヴィシャスを捉え、貫く。
エネルギーの拡散と収束、それは塊となり、外へではなく、内側への爆縮を発生させる。
・・・、
・・・、
・・・、
・・・、
止まった様に時間は沈黙し、一瞬を、とても長い物へと感じさせる。
爆縮の収まったその場所に、蔵姫は一人立ち、ヴィシャスの存在は消える。
最後に取っておいた奥の手?と言うのだろうか。
朝霧からの情報は、その威力の大きさを僕に伝える。
「倒したのか?」
僕は独り言を呟く。
実際の結果とは、ドラマよりも呆気ない物なのかも知れない。
これで、終わりなのだろうか?
僕は蔵姫に駆け寄って、崩れ落ちる蔵姫を抱き留める。
蔵姫は、左手を失っていた。
肘から上、二の腕の半ばころから焼失したそれは、覚悟の代償なのだろう。
「端鷹・・・、」
僕の名前を呼んだ彼女は、残った右手で僕を掴み、小さくすすり泣く。
それが安堵感なのか、左腕を失った悲しみなのか、僕には判断出来ない。
ただ、蔵姫が虚勢を張り、本来の自分を殺していた事だけは、なんとなく解る。
僕は、そんな蔵姫を褒めてやりたくて、頭の上に掌を乗せようする。
「やはり、愚かと言う物だ」
・・・!
「ヴィシャス・・・」
僕は、蔵姫を抱き留めたまま、声の主へと視線を向けた。
少し離れた所・・・そこには、一度消えた筈の、ヴィシャスの存在が在る。
「薔薇の暴走とは・・・面白い。オリジナル在っての物であろうが、技を放った者がそれでは、あまり意味を持たぬ」
ヴィシャスはそうい言い、見下すように蔵姫を眺める。
「そんな・・・馬鹿な・・・」
言葉を発した蔵姫は、少女の様に震え、無言でその事実を、・・・愕然と肯定する。
「が、しかし、一度とは言え、我が肉体を消滅させるとは。これはこれで、一興と言う物」
ヴィシャスはそう言いながら、自分の身体の動きを確認する。
まるで、自分の肉体が、再生したかのような言いまわしである。
「蔵姫、僕が時間を稼ぐ。その間に回復・・・、出来るな」
僕はそう言って、僕にしがみ付くようにして居た蔵姫を、離す。
蔵姫は、力無く項垂れるようにする。
この現状では、蔵姫は役に立たない。
「言い訳かヴィシャス。偉そうに言っても、ダメージは大きいんだろ?」
ヴィシャスの光は、揺らぎ、部分部分でパッチワークの様にも見えた。
「否定はせぬよ。しかし何故、そこの愚か者は、初めからそれを使わん?
我とて、ゼロ距離での不意打ちとなれば、それ相応の結果が得られたであろう」
不意打ち・・・?良く言う。
蔵姫の放った、初めの一撃。
あの時僕は、確かにヴィシャスの気を僕へと逸らさせた。
だが、蔵姫の存在など、ヴィシャスにも解っていた筈だ。
「悪いが少し、時間稼ぎをさせてもらう。僕に人を殺す趣味は無いんだが、それはそれ。ついでに死んでくれると助かる」
僕はそう言いながら、朝霧を抜刀する。
「ハシタカよ、なれは傷ついた我を、いたぶると言うのか?」
ヴィシャスは、演技かかった様に言い、白薔薇を弄る。
「悪いのか?」
僕は、そう言いながら、朝霧を振るって居た。
「まさか」
ヴィシャスはそう言い、鈍い重機音と共に、それを白薔薇で受け止める。
僕はその反動を軸に、横へと滑りこむ。
全ての事情を、止める必要などは無い。
僕は朝霧を振り下ろす間を置かず、跳ね上げる様に朝霧を振るう。
ヴィシャスは空中で円を描く様に避け、その軌道に重なるように、白薔薇を振るう。
無駄の無い、美しい動きが、そこには在った。
僕は朝霧を引き、その軌道を逸らすと同時に、地を離れる事無く、規則正しくランダムな円運動をする。
日本武術で言う所の『すり足』と言う奴である。
基本的な動きではあるが、幾度となく繰り返してきたその動きは、僕を達人と並ぶ域へと運んでくるれる。
何度目かの打ち合いの中、わき腹に、痛みが走る。
複数度の打ち合い・・・、その行為のせいで、僕の腹の傷口は開いてしまう。
その場しのぎの再生など、こんな物である。
さらしは巻いてあるが、長くは持たないだろう・・・。
僕達は重機的な衝撃音を繰り返し、幾ばくかの後、ヴィシャスは止まる。
「驚くべき進歩だ、ハシタカよ。いや、我らの場合は進化と言うべきか・・・。この数日で何が在った」
ヴィシャスは興味深そうに言い、僕は沈黙を守る。
ヴィシャスの動きは、先日のそれを凌駕し、その絶対的な力を解放している。
今は理由など、どうでも良い。
恐怖など感じられずとも、僕はヴィシャスの動きに、付いて行ける。
「進化・・・?それが本当なら、理由を僕が聞きたい位だね」
手を休める事無く打ち合いながら、わざと嘲笑うように言い、ヴィシャスに対し余裕を見せる。
もっとも、嘘は言っていないが。
「いやすまぬ、嬉し過ぎて要らぬ事を聞いた。それを聞くは野暮と言う物であるか」
ヴィシャスは、何か納得する様に言い、それとは別に視線を強くする。
「となれば尚の事・・・解せぬ」
ヴィシャスは困惑する様に言い、一旦構えを解く。
「随分と余裕だなヴィシャス」
僕は、そう言いながら間合いを取るが、ヴィシャスは気に留めてないようだった。
「なれの存在、それは感嘆と言っても良い。そう我は認識をする。
だがなれは、何故そこの愚かな者に、拘るのだ?」
ヴィシャスは蔵姫に視線を向けながら、まるで、さくらさんの様な事を言う。
「それは我と同じ目的で生まれ、我が進化を出来ぬ時の為の、万が一の保険として、我の次の苗床として造られた者。既に進化の過程に在る我にとって、付属品にすらならぬ、存在自体不要の者ぞ?」
ヴィシャスは何か、不必要な物を見るように、蔵姫に視線を向ける。
さくらさんから聞いた事が事実ならば、ヴィシャスの言っている事は解る。
ヴィシャスが居るにも関わらず、蔵姫が一族により創られたもう一つの目的。
蔵姫が、ヴィシャスの為に造られた『女』だと言う事。
ヴィシャスの言葉は、蔵姫がヴィシャスの為に造られ、ヴィシャスの為に存在し、その上で、既に蔵姫の存在理由など無い・・・と言うヴィシャスの見解だった。
・・・成る程、そう言う事か・・・と思う。
僕は、ヴィシャスの意見に納得した訳ではなく、自分がずっと不機嫌だった理由に思い当たる。
「そうかヴィシャス、お前も勘違いして居るんだな」
「勘違い?我がか?」
「ああ、そうだ。」
そう言いながら僕は、美姫や歩美さんの顔を思い浮かべる。
そしてヴィシャスは、僕の言葉に首を傾げる。
「お前達兄妹の事情や、それに対する認識など、僕には関係無い。そんな事に、興味すら無い」
僕は、今まで疑問に思って居た事への答えを出す。
それは、さくらさんからの、質問への答えを言っても良い。
ヴィシャスへの構えを解いた僕は、ゆっくりと蔵姫へ近づき止まる。
そしてその頭へと手を乗せ、ぐしゃぐしゃと荒く撫でた。
蔵姫はされるがまま、じっとして居る。
「これは、僕の世界に存在する」
それが、僕が出した、蔵姫へ対する答え。
「なれは、我を笑わせたいのか?意味が解らんな」
ヴィシャスは、見下す様に笑う。
「風景と言えば解るか?こいつは面白い物を僕に見せてくれる。何者かなんて意味は無い。今この時に僕の世界に存在し、単純に僕を、愉快にしてくれる」
僕は自分の言葉に納得をする。
「だからこれは、僕の娯楽の一つで、僕以外がその所有権を主張する事に、単純に腹が立つ」
別に蔵姫が好きな訳では無い。
ましてや、大切な存在などと言う物でも無い。
だが、一瞬でも、僕の世界・・・家族の風景に、彼女は存在してしまった。
だが明白、周知、確信。
僕の中に、『肯定』が存在する。
何故・・・そう思う?
何故・・・それを確証する?
自分の言っている事に、理由・・・疑問を投げ掛けるが、今はそんな事・・・どうでも良い。
「ほう・・・、下等な善意でも語ると思ったが、それではまるで、そこの愚か者が己が眷属で在る様な言い回しであるな」
ヴィシャスは、不意に視線を鋭くし、彼の言う愚かな蔵姫は僕へと視線を向ける。
「眷属・・・?」
そう呟いた蔵姫は、虚ろな・・・、いや、何か不思議な物を見る様な表情をする。
「お前は私を、美姫の様に・・・、お前の眷属にしようと言うのか?」
蔵姫は、弱々しくではあるが、僕を真剣な眼差しで見つめる。
眷属・・・?
・・・家族的なことをそう言うのだろうか?僕は理解する事が出来ない。
「そうだな。私の様な者には、それが丁度良いのかもしれない」
自分を嘲笑する様に笑った蔵姫は、何か考える様にし、ふと、表情を変える。
「いや・・・まて、美姫の力・・・、あれが元々の物では無く、それが端鷹の眷属としての力だとすれば・・・」
一度、力を失ってしまった蔵姫の瞳には、それまでに無い、強い力が宿る。
「愚かな・・・。それが叶うとして、他者に進化の理を求めると言うか?」
ヴィシャスは言葉は冷たく、落胆的に聞こえる物だった。
「プライドを捨て、命を捨て、それでも私はヴィシャスを倒すことが出来なかった・・・。
そんな私に端鷹は、今一度チャンスをくれると言うのだな!」
蔵姫の言葉は熱を帯び、その瞳は真っ直ぐに、僕を見つめる。
「ならば、その証を!」
蔵姫は僕に、強く言う。
・・・。
・・・。
正直、二人が何を言っているのか解らない。
蔵姫とヴィシャスは僕を置き去りにし、僕に関係なく盛り上がる。
証・・・?
僕はそう考えながら、色々な事に腹が立つ。
蚊帳の外・・・とは、こう言う事を言うのだろうか?
僕は内心、『不機嫌』と言う言葉を思い出す。
・・・。
そして茶番に見えてきたそのやりとりに、感情とは逆に笑ってしまう。
まぁ、時間が稼げることに変わりが無いのだが。
ならばくれてやるか、その証と言う物を。
不機嫌と、悪戯心が身体を動かす。
僕は蔵姫の腰に手を回し、強引に引き寄せた。
「・・・っ!」
蔵姫は小さく声を上げ、初心な少女の様に驚く。
・・・構いはしない。
怒りにまかせ、僕は蔵姫の唇を、無理やり奪う。
「んっ・・・!」
その深いキスに対し、蔵姫は離れようとする意志を見せたが、すぐに身をゆだねる様にする。
必要性の無い・・・意味の無いキスとは、こう言う物を言うのだろう。
程なくして、蔵姫は目を逸らすようにして、僕から離れる。
「お、お前は、美姫にもこんな・・・、こんな事をしたのか?」
その恥じらいは、蔵姫のイメージとは程遠い物だった。
「いや、した覚えは無い」
「・・・」
僕は正直に答え、それを聞いた瞬間蔵姫は、僕を殴ろうとする。
「証が欲しかったんだろ?」
僕はその拳を避けながら、ヴィシャスへと、向き直る。
良く解らない諸事情は、僕には関係が無い事だった。
「お前は!お前は!お前は!」
憤慨する蔵姫に、僕は軽く手を挙げて見せる。
ふざけて悪かったと。
そしてここで、茶番劇や夢物語を終了にする。
眷属がどうだの、進化がどうだの、そんなファンタジーはいらない。
目の前のこいつを殺さなければ、僕が日常へと帰る選択肢などは、発生しないと判断をする。
「もういい!形はどうであれ、証は証だ!だが、少し・・・、少し時間を稼いでくれ」
蔵姫はそう言って、静かに目を閉じる。
時間稼ぎ。
蔵姫の事情はどうであれ、初めからそれを続けている僕は、それに異論を唱える事は無かった。
「だそうだ」
僕はそう言いながら、ヴィシャスとの間合いを詰め、朝霧を振るう。
「なれは、あの愚か者になにを期待する?」
一部始終を眺めていたヴィシャスは、朝霧を白薔薇で受け止めながら、問い掛ける。
「期待なんて、してないさ」
僕はそう言い、自分のタイムリミットが近い事を理解する。
腹の傷・・・、長くは持たない。
「華燭による進化・・・、その可能性は有るであろう。しかしそれとて多少」
・・・カショク?
ヴィシャスの言葉は、僕にとって煩わしいだけった。
「僕の言っている事を聞いて居なかったのか?そんな事はどうでも良いんだよ」
・・・まだか?
「ならば、終いにしよう・・・」
ヴィシャスは、そう言って、小さく微笑む。
ヴィシャスの光の色が消える。
その余裕、その態度。
それは、ヴィシャスが更に力を増すと言う、予告なのだろうか?
そして、力の質が変わる。
朝霧の感覚は、その様を、刻々と僕へと伝える。
まずいな・・・、ヴィシャスには、まだ先が在る。
「終わりだ」
ヴィシャスはそう言い、変貌と言って良い光を放つ。
僕の感情と思考は、相反する答えを出し、逃げろ逃げろ逃げろと、選択肢を強要する。
目の前に存在する者は、強い光を発する。
北条は『マナ』と言った。
ヴィシャスのそれは、美姫と同じ様に強く、そして、逆の禍禍しさを見せる。
瞬間、その力は飛来する。
来た!
内心、僕は、ほくそ笑む。
僕の後方、僕に隠れる様に、約束の矢は放たれて居た。
二壱の出矢・・・、それは北条さんの奥義。
『貴方ごと貫いてよろしいのですね』
そう言いながら北条さんは、美しい顔立ちとは不似合いな、邪悪な笑みを浮かべていた。
僕は当てずっぽで、半身だけずらす。
まるで槍の様な鉄矢は、僕をかすめ、目の前のヴィシャスを捉える。
僕はこの一瞬を待っていた。
「貴様!」
ヴィシャスはそう言い、白薔薇と自分の腕を交差する様に、それを防ぐ。
僕は、白華音との殺し合いを思い出す。
力の均衡は・・・、それは隙を作りだす。
最終解放と思われるヴィシャスのそれに、二壱の出矢は、匹敵していた。
予想以上だと、北条さんの力量に感心する。
全ては・・・、この隙を作る為の、時間稼ぎ。
僕は朝霧を、・・・迷う事無く、薙ぐ。
この瞬間、僕は自分の精度を極限まで上げ、残った全てを絞り出す。
出し惜しみと言う選択肢は、当たり前のように、存在を・・・失う。
キィーーーーーーーン!
それは、重機的な音などでは無く、何か楽器の様な澄みきった音だった。
白薔薇は折れていた・・・いや、実際は朝霧の斬鉄により、切断されたと言うべきか。
瞬間、全ては終わっていた。
・・・。
・・・。
「ちっ!」
僕は思わず舌打ちをする。
面白くない。
ヴィシャスの身体を捉える筈だったそれは、皮一枚を裂き、それ以上の結果を出さなかったのだ。
二壱の出矢の威力を流すように弾き、僕の斬撃をすんでの所でかわしたヴィシャスは、自分の裂けた服を眺め顔を歪める。
「素晴らしい・・・!素晴らしい・・・!我を追い詰める事の出来る存在が此処に・・・!」
それは怒りなどでは無く、喜びと言って良い表情。
「進化の糧!今こそ我は・・・なれを食らうぞ!」
熟れた果実を目の前にしたヴィシャスは、喜びに満ちた表情を見せながら、折れた白薔薇を振り上げる。
・・・終了か。
一撃に全てを傾けた僕には、避ける力も、受け止める力も残っては居ない。
最後の一撃は、僕にとっては、それ程の一撃だったのだ。
選択肢は・・・、残って居ないと、確認をする。
さて、この状況、どうしてくれよう?
死の局面に祭し、相変わらず、恐怖と言う物を感じない。
・・・ふと、風が吹いた。
そう思った瞬間、今まで以上の重機音を発て、何かが僕の視界を塞ぐ。
「待たせたな、端鷹。いや、我が主と言うべきか?」
僕を庇う様に割り込んで来た蔵姫は、ヴィシャスの一撃を、その右手の白薔薇で受け止めている。
「助かる」
僕は簡単にそう言い、それを聞いた蔵姫は、そのままヴィシャスを蹴り飛ばす。
「もう少し気の利いた言葉は無いのか?端鷹」
一度は『主』と言った筈の蔵姫は何か嬉しそうに言い、残った右手を振りまわす。
「命拾いをした。お前が居てくれて良かった」
僕は棒読みらしく言ったのだが、蔵姫はニコッと軽く笑い、「うむ!」と小さく言う。
それは、初めて見せる、蔵姫の素直な笑顔。
土煙を上げながら観客席まで飛ばされたヴィシャスは、何事も無かったように、その崩れた残骸から姿を現す。
「なんだその力は?」
ヴィシャスの表情は、能面の様に冷たい。
「ヴィシャス、お前も解って居るのだろう?これが端鷹の力だと!」
「ハシタカの力? 眷属が使える力は主の一割どころか、せいぜい一分程度、それで居てその力ならば、それではまるで・・・」
「そうだ!たった1%の力を借りただけで、これ程の霊力、これ程の霊圧!
此処に居るアホは、実際、化物なのだと言う、良い証明だ!」
蔵姫は熱く語るが、『アホ』とか『化物』と言う言い草は、僕として納得できない。
「阿呆とは、なれの事だ、愚か者が」
そう蔵姫に呟いたヴィシャスは、同情的な視線を、蔵姫では無く僕へと向ける。
ヴィシャスの言葉、意味は何となく解る。
「その意味も解らず力を行使する。眷属とは、なれには相応しい物よ」
そう言いながら、ヴィシャスは、自分から蔵姫との間を詰める。
「ほざいて居ろ!」
そう言いながら、蔵姫はそれを迎え撃つ。
理屈は解らないが、蔵姫の力の質と量は、今までの物とは別の物となっている。
なんとかなるかもしれない・・・。
僕はそう判断をする。
そして、激しい重機音の重なり。
蔵姫とヴィシャスは、言葉を交わしつつも、その拳と剣を激しく交差させる。
一撃一撃が、先ほど以上に土を巻き上げ、衝撃波を発する。
空気の震えは止まらず、物理的干渉が僕の肌を傷つける。
「勝てると思うてか?」
「負けるつもりは無い!」
ヴィシャスは挑発的に言い、蔵姫はその意思を強める。
「惜しいと言うべきか、完全体ならばそれも出来たであろうが、既に力が落ち始めているのも事実であろう」
激しく打ち合いながら、ヴィシャスは余裕を見せ始める。
蔵姫それは、攻め手より、受け手へと徐々に変わる。
「所詮は付け焼刃。どれ程の力にせよ、馴れぬ力。身体が付いて来ぬ様であるな」
ただ眺めるだけの僕は、ヴィシャスの言葉を、否定する事は出来なかった。
だが、無駄にヴィシャスの流暢な言葉・・・、奴自身も然程余裕は無いと見える。
「問題は無い。直に終いだ」
蔵姫はそう言い、ほのかに笑う。
「面白い」
ヴィシャスの言葉に、蔵姫はヴィシャス以上に光を強める。
ヴィシャスは、その光に、気が付いては居ない。
だが僕には解かる・・・。その光の輝き、蔵姫はその一撃へと賭ける為、準備をしている。
ヴィシャスと幾数度打ち合った蔵姫は、間合いを取るようにし、強く僕の名を呼ぶ。
「端鷹ーーーーー!」
その言葉には、確信と言う自信が宿るのだろうか?
タイミングを見計らって居た僕は、微かに残った力を込め、手に持っていたそれを、ヴィシャスへと投げ付ける。
「小賢しいと言う物」
ヴィシャスはそれを軽く掃おうとする。
その刹那、間合いを取って居た筈の蔵姫は、ヴィシャスの懐へと、飛び込む。
その速度は、神域と言って良いのかも知れない。
それ程の事を、蔵姫はこなして居た。
「・・・な」
この瞬間、言葉を発したヴィシャスの瞳には、何が映っているのだろう。
「ローズ・ブレイカー」
蔵姫は小さく、そして力強くその言葉を口にする。
蔵姫は力をセーブして居たのだろう。
ヴィシャスの言う通り、馴れない力に、蔵姫は付いて行けない。
だから、この時だけの・・・『全力』を、蔵姫は行使する。
ヴィシャスにでは無く、僕の投げた白薔薇の破片へと。
それは、朝霧によって折られた剣先だった。
爆縮は、一瞬の拡散の後、静かに内へと向かう。
先ほどのそれとは、異なり、穏やかな収束と言って良いそれは、その強い力を行使する。
蔵姫は、全力で技を放って居た。
・・・。
たぶん、これが蔵姫の限界で、そして精一杯。
・・・。
爆縮後、ほんの少しの沈黙が流れる。
・・・。
・・・。
・・・。
そして世界は、音を取り戻す。
「なれの進む道は、我と等しく、また・・・我とは異なる物」
ヴィシャスは静かに佇み、空を眺める様に言い、僕に笑顔を見せる。
ヴィシャスのそれは、穏やかで、優しい物だった。
「我が妹、なれにしては上出来と言う物か・・・」
ヴィシャスはそう言い、蔵姫に視線を落とす。
蔵姫は両膝を付く様にし、力無く項垂れる。
「うるさい・・・、お前の褒め言葉など・・・私には必要・・・無い・・・」
蔵姫は動けないのだろうか?視線を上げず、ヴィシャスへと毒づく。
「ハシタカよ、なれの進化は・・・、
いや、これは我が言う事でも、決める事でも無いと言う物」
何かを言おうとし、それを辞めたヴィシャスに、僕は何も言おうとはしなかった。
「これでは、再生も効かぬ」
ヴィシャスは、擦れ崩壊し、消えて行く自分の身体を眺めながら言う。
「ハシタカよ、なれは面白い。次の我に会う機会を、楽しみして居ると良いぞ」
ヴィシャスは、楽しそうに笑う。
「いやいや、我以外に我が倒されるとは愉快愉快・・・実に愉快」
それがヴィシャスの最後の言葉だった。
彼が消滅したと同時に白薔薇は消え、この場に居たのは、僕達だけだった様な錯覚に陥る。
「立てるか蔵姫?」
かろうじて立ち上がった僕は蔵姫に近づき、声を掛ける。
「立てん!」
「偉そうに言う事でも無いだろ」
力強く言う蔵姫に、僕は笑ってしまう。
「帰るぞ」
僕はそれだけ言って、蔵姫を抱きかかえる。
蔵姫は抵抗をしない。
以外に素直な蔵姫に疑問を感じつつ、一先ずの閉幕を了承する。
・・・。
結局、蔵姫に兄殺しをさせてしまった僕は、美姫のお願い達成出来なかったと考える。
まぁ、結果は結果だ。
そう考えながら、僕はフレイザーを駐車して居る場所へと、足を進めた。
「美姫、来ていたのか」
僕は、赤いフレイザーの脇に佇む美姫に、声を掛ける。
「終わったんだね」
美姫は短く言う。
「多分な」
僕は同じように短く言う。
「蔵姫ちゃん、左手・・・」
美姫はそう言いながら、僕を責めようともせず、視線を蔵姫へと移す。
「うむ、さすがにこれは隠しようが無いな。だが、綺麗に焼け落ちて居るから、命には関わらないぞ」
蔵姫はそう言って、肩から二の腕あたりの残った部分美姫にうごかして見せる。
カラ元気にも見えるが、今はそれで良いと考える。
「でも・・・」
美姫は、まるで自分の事の様に、辛そうにする。
恐らく、自分が介入出来なかった事が原因で、そうなったとでも思っているのだろう。
「気にするな美咲。私はきっと、それ以上の物を手に入れている」
蔵姫は優しく笑う様に、美姫に言う。
美姫は何も言わず、少しうつむく様に黙っていた。
・・・。
「・・・あれ?」
不意に、美姫は顔を上げる。
「蔵姫ちゃん、今、私の事『美咲』って呼んだ?」
・・・確かに言っている。
僕は、あえて触れない様にしていたが、呼べない筈のその名前を、蔵姫はさりげなく口にして居た。
「幾千、幾億の時・・・我はなれと同列に並ぶ事になった者。なれの悲しみはまた、我の悲しみ。
なれの喜びもまた、我の喜び。そんな顔をするな、我が姉と、まだ見ぬ妹よ」
蔵姫は意味深な言葉を言い、僕はその意味を考えあぐねる。
「うそ、マジ?」
美姫はそう言って、僕の事を睨む。
「僕に聞くな。一番事情が分かって無いのは、僕なんだからな」
「威張らないで!」
美姫は何かに怒り、抗議をする様な態度を示す。
何を言っているのか理解出来ない以上、僕に成す術は無いと考える。
多分、僕の腕の中に居る奴は事情を解かって居るのだろうが、何故か口を開こうとはしない。
そうこうして居る内に、すぐ近くで『すー・・・すー・・・』と、聞こえてくる寝息に、僕達は気が付く。
いつの間にか、蔵姫は僕に抱えられたまま、眠ってしまっていた。
まだ日も高いと言うのに、余程疲れていたのかも知れない。
「うわぁ・・・信じられない、蔵姫ちゃんが誰かに抱かれて無防備に寝ちゃうなんて」
「疲れてたんだろ?」
僕は思ったまま言ったのだが、そんな僕を、美姫は再び睨む。
「蔵姫ちゃんなんだよ!それって、あり得ない事なんだよ!」
美姫はそう言って、間を空ける。
「・・・ホント、蔵姫ちゃん、こうなる事を望んじゃったんだ」
美姫は・・・、いや・・・美咲は、嬉しそうで悲しそうな、良く判らない表情をする。
「それは、良い事なのか?悪い事なのか?」
僕はそんな美姫に、思い浮かんだ質問をする。
「少なくとも、私は幸せだよ」
美姫は、それにでは無い答えを言い、先に歩き出す。
「一人で帰るのか?」
「乗れないでしょそれ」
僕の言葉に、美姫は振り返りもせず言い、僕を真似る様に、ひらひらと手を振る。
・・・まったくだ。
僕は、寝てしまった蔵姫を助手席に乗せ、フレイザーを発進させる。
これで良かったのだろうか?
僕は柄にも無く、自分へと問い掛ける。
らしく無いな・・・。
そして、苦笑いしながら見上げた空は、やはり綺麗な青空だった。
ひとまず、手持ちはここまでとなります。
10年程書いていませんでしたので、そろそろ続きを書くかどうか・・・と、言うところです。
北条さん達の話、中里さんの話、桜さんの話、道元先生の話、黄色い薔薇の話、色々ネタだけはありますので、
そのうちまた会えたら、幸いです。




