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朝霧  作者: KARINA
2/9

ローズブレイカー その2の1

私としょうこ♂お姉さま、そして、らいずまい先生の合作『朝霧』を、捨てるにはもったいないので、公開する事にしました。知ってる方も、知らない方も、最後までお付き合いして下さいましたら、幸いです。

今、何を見ているのだろう?

そこは、まるで闇のように深く、そして無音室のような、静かな場所だった。

白く・・・、静かなその場所は、光よりも正反対の闇を思い出させる。

何処までも広く、まるで際限が無い。

感覚よりも先に肯定が支配する場所。

耳鳴りが妙に神経に刺さる。

珍しく不愉快な気分だと思う。

音を感じない訳ではない。

耳鳴りの他に、単純に音が無いのだ。

音が無いと言う事はこんなにもつまらなく、寂しい物なのだと、改めて知った気がする。

耳鳴りがやけに刺さる。

・・・不愉快だ。

僕は、不快感を紛らわす為、身体を動かす。

だが、実際に動く身体は無く、状況はいっこうに変わろうとはしなかった。

存在と意識だけの場所。

漠然とそんな風に思う。

・・・驚きはしない。

ここは最初から、そうだから。

知っていた訳ではない。

動く事の無い事実としての肯定。

・・・吐き気がする。

長く見つめていたからだろうか?

ある筈の無い胃は収縮し、ある筈の無い口は、ある筈の無い物を吐き出そうと悲鳴を上げる。

・・・不愉快だ。

まるで、この場所に否定されるかのように自分は存在し、まるで、肯定するかのように、同じ風景だけを見続けされている。

・・・不愉快だ。

あるはずの無い瞼を閉じようとする。

しかし景色が変わるはずも無く、それも無駄に終わる。

・・・不愉快だ。

ふと、声が聞こえたような気がした。

視線を向けた訳では無い。

しかし、そこに少女は立っている。

何時から居たのだろう?

何も変わらぬ風景は、動かぬ筈の自分に少女を見せ、自分はその少女を見つめている。

だが、そんな小さな疑問などはどうでも良かったのかもしれない。

僕は、それまでの不快感や疑問など忘れ、思わずその少女に魅入ってしまう。

それ程の美形、それ程の可憐。

人では有り得ないような顔立ちに、戸惑いさえ感じてしまう。

その少女は悲しげにこちらを見つめ、微笑みかける。

この感覚は、何なのだろう?

少女のその姿に・・・いや、少女として見えているモノに、僕は安堵感を覚えている。

ああ、知っている。

・・・自分は彼女を知っている。

ただ、それだけ。

なぜかは知らない。

・・・この感覚と、それの肯定。

僕には処理しきれていないのだろう。

少女は僕に近づき、覗き込むように僕の存在を見つめる。

きっと彼女には、僕が見えているのだろう。

僕は再び、彼女をみつめる。

まるで踊りだしそう・・・と言う言葉を思い出す。

それ程、彼女の姿は楽しげだった。

自分に向けられた視線が余程嬉しかったのだろうか?

彼女は振る舞う。

言葉を変え、存在を変え、僕の為にクルクルと表情を変えてくれた。

そして、何も出来ない僕に話しかけてくる。

だけど、・・・どの言葉も僕の中に伝わることは無かった。

そう、僕は彼女の言葉を受け取ることが出来なかった。

自分はまだ、そこには存在していない。

同じ場所に存在して居るはずなのに、彼女の声を受け止める事が出来ない。

それが結論だった。

恐らくこの場所と、僕の在り方に問題があるのだろう。

それを察したのだろうか、少女は二度だけ首を横に振り、僕にも受け取れるように言葉を発した。

『・・・早く戻って・・・』

それは、本来聞こえるはずの無い声。

そして、ノイズ混じりで、とても苦しそうな一言。

少女の姿がまるで蜃気楼のように揺らめき、僕の視界の中でぼやける。

その一言を発するのに、どれ程の力を使ったのだろう。

少女は膝を付き、苦しそうに胸を押さえる。

その姿を見て、僕は胸が痛む。

しかし、僕のこの痛みは本当の痛みではない。

解っては居たのだ。

・・・そうなる事が。

そしてそれが僕のせいだと言う事。

そう、

・・・彼女は自分の存在を、

僕の為に、

・・・歪ませた。

ほんの少しだけ、たった一言の為。

僕の存在にあわせる為に、少女は、大粒の汗を垂らし、今にも倒れそうなほど蒼白な表情を見せる。

だけどそれは、僕自身の映し鏡である事を理解する。

それ程に、この場所での自分の存在は酷く歪で、無理やりな物なのだ。

・・・。

少女を見つめることしか出来ない。

そんなジレンマだけが、胸の中を満たしていく。

・・・。

・・・ここに居てはいけない。

そう思った。

それが彼女を苦しめないで済む方法。

この身ままで、この場所に来てはいけなかった。

この身のままで、この場所を覗いてはいけなかった。

この身のままで、この場所に存在してはいけなかった。

意識はそれを事実として肯定する。

戻らなければ・・・。

僕はそれを強く意識する。

僕の在るべき場所へ戻らなければ。

方法などは知らない。

そうすべきなのだと思うだけ。

あせりなどは存在しない。

事務的に、意識が処理を行うだけ。

でも僕は、気持ちを残してしまう。

目の前で胸を押さえて、やっと立ち上がる少女。

僕は彼女を知っている。

・・・名も知らない、始めて見るその少女。

戻らなければならない。

そう思う意識と、反発する気持ち。

・・・僕は残した心を捨てることが出来なかった。

それは間違いである。

きっと、選んではいけない選択。

・・・少女は微笑む。

気持ちを残してはいけない・・・と。

無駄には出来ない。

単純にそう思った。

僕は肩の力を抜くように、意識を開放する。

それは唐突だった。

彼女の思いを台無しにしていけない。

そう思った瞬間、何かに引き摺り下ろされるように、視界が遠のいていく。

闇に包まれていくような感覚。

それが『戻っていく』なのだと解る。

闇に閉ざされながら、ほんの少しだけ、寂しそうにする少女の笑顔が見える。

閉じる事の出来なかった視界は閉じ、意識も同じように閉じていく。

・・・。

忘れてはいけない。

僕と、彼女の存在を・・・。

たとえ僕が、何者なのだとしても。

意識は更に閉じていく・・・。

深く、深く、深く・・・。





僕は夢を見ていた・・・。

とても大切な人の夢。

それが愛しいと言う感情なのか、それとも別の感情なのか、自分でも分からないまま、漠然とした安心感だけを実感している。

その人は僕の事を覗き込み、子どものような笑顔で微笑み掛けてくれる。

とても鮮烈で、忘れる筈のない程、優しい出会い。

あまりにも自然で、あまりにも唐突な別れ。

後悔など、一度もした事は無い。

だけど、この夢は、僕にとって一寸だけ切ない感じでキツかった。

『さくらさん・・・・』

その夢の中で、僕はそっと、彼女に腕を伸ばす。

彼女の透き通った真紅の髪は、肩から流れるように落ち、まるでサラサラと音を立ているようにさえ思えてしまう。

僕はそんなそれがとても綺麗に思えて、さくらさんを思わず抱き寄せてしまった。

夢の中とはいえ、積極的な自分の行動に少し驚く。

まあ、いいさ。

夢の中くらい思いのままだとしても。

僕はそのまま、両手で抱え込むように抱きしめ、ひと時の安息を得る。

・・・。

ん?

・・・はて?

僕は不思議に思う。

この夢は、随分と感触がリアルだと。

それに、子供の時の記憶とはいえ、さくらさんの身体は、こんなにも小さかったのだろうか?

僕も成長はしたのだから、実際はそんな物なのかもしれない。

しかし、夢の中までリアルな設定を持ち込むような人間だったろうか?と、自分を疑ってしまう。

・・・ふむ。

その日の夢は、やはり、いつもと違っている。

なんだか腕の中のさくらさんはジタバタと暴れだしていた。

妙な夢だと思う。

いや、夢の中だから妙でも良いのだろうか?

よく分からないが、僕は、はなしてあげた方が良いような気がして来る。

・・・ゴス!

・・・痛い。

抱きとめていた腕を放した瞬間、鈍い痛みと共に、朝の光を感じる事となる。

『夢から覚めた』と言う自覚が、少しだけ寂しかった。

夢の世界は終わり、僕は当たり前の現実へと視線を戻す。

そして僕は、ぼやけた意識の中で、僕のベットの側に立つその少女、美姫に気が付いた。

美姫は何故か怒った様な、恥ずかしがるような態度で、何か言いたげにこちらを見下ろしている。

「・・・ん?おはよう美姫」

僕は意識がはっきりしないまま、僕の従妹に当たる少女に朝の挨拶をした。

「うわぁ、この人あれだけの事して清清しく挨拶してるよ。まぁ、さまになってるけど・・・」

なんだか微妙な憎まれ口を叩かれているような気がする。

「ところで美姫」

「なに?お兄ちゃん」

「なんで僕の部屋に居るわけ?」

それは小さな疑問であったが、思春期の青年としてはきっと、当たり前の疑問である。

「なに寝ぼけてるの?ここお兄ちゃんの部屋じゃないよ」

少し呆れたって感じの美姫の言葉に、僕は辺りを見回す。

・・・。

「リビングだね」

「そう、リビングだよ」

僕はしばし考える・・・。

「なんで?」

「私にきかないでよ!」

美姫はプイッ!と擬音が聞こえそうな勢いで台所の方に姿を消してしまう。

美姫にしては随分と機嫌が悪い。

まぁ、だからと言って、美姫の魅力が損なわれている訳では無いのだが。

「あら、端鷹君。起きたのね」

美姫と入れ替わるように歩美さんが台所から現れる。

「おはようございます、歩美さん」

なにげない挨拶を交わし、ふと、自分が学生服のままである事に気が付く。

「昨日お風呂入らなかったでしょ?端鷹くん。シャワー浴びていらっしゃい。その間にアイロンを掛けておいてあげるから」

「そうさせて頂きます」

僕はそれ以上何も言わず、風呂場へと向かった。

別に、昨夜の事を全て忘れてしまった訳ではない。

美姫や歩美さんに簡単に話せる物では無いと言うだけ。

少し、頭の中を整理したほうがいいだろう。

まぁ、整理出来るといっても、たいした量ではないと思うのだが・・・。

バスルームに入った僕は、シャワーのコックを開き、少し熱めのお湯を身体に当てる。

急激に熱せられた身体は、心地よい刺激を感じ、急速に精神の覚醒を進めてくれる。

僕は、長くない自分の髪を掻き毟るように洗い、視線は見える筈の無い、昨夜の情景を浮かべる。

夢では無い。

確かに奴と僕は、人間では無い黒田と僕は、殺し合いを・・・した。

それは、変わることの無い事実として、存在する。

一瞬、・・・唇が歪む。

僕は・・・笑っている。

奴を殺し損ねはしたが、それは然程問題とは思わなかった。

思い出しただけで・・・これか。

我ながら呆れてしまう。

だが今は、余韻に浸っている時ではないだろう。

何故僕は、家に戻っていたのか?

それの方が重要なのかもしれないと、思う。

そう思い、シャワーの温度を上げる。

必要以上に熱せられたお湯は、痛みこそ感じるが、僕の余計な雑念を取り払ってくれる。

自分の知らない時間、そして結末。

不安よりも、自分にとっての判断材料が欠落する事に、危険性を感じる。

昨日僕は、あの公園で意識を失った。

そして目を覚ました今、僕の疲労は思っていたよりも激しい。

初めての殺し合い・・・。

その精神への負担は、思いの他、肉体に影響を及ぼす。

僕はあの後の事を、なにも覚えては居ない。

なのに僕は、歩美さんの家に居た。

考えられるのは、自分ではない誰かが、僕を家まで運んでくれたと言う事。

無意識に帰ってきたとも考えられるが、それは無いと考える。

僕には、リビングに居ると言う習慣が無かった。

つまり、無意識で戻るなら、リビングではなく、自分の部屋の方だと思う。

短い期間とはいえ、ホームとしての習慣とは、そういった物だ。

だとすれば・・・だれが。

一向にその人物が思い当たらない。

黒髪の少女の姿が目に浮かぶが、それも一瞬。

可能性が低すぎる。

彼女とは面識がない。

公園で見たあれが、夢で無いと言う保障は何処にもない。

それ程、その記憶は曖昧な物だった。

だが、それが夢なのか現実なのか?

僕は、黒田がその少女の拳を受け、空を舞う風景を目にした事になる。

黒田を殴り飛ばす?

人では無くなったあの黒田を?

一瞬しか見ていないとはいえ、それは人の技では無かった。

曖昧な記憶をたどれば、昇降口ですれ違った少女。

恐らくは同一人物だろう。

さくらさんとも、美姫とも違った雰囲気の女性ではあるが、間違いが無いのは、目立つほどの美形だったと言う事。

そして、恐ろしく冷たい表情を見せる人物では有ると言う事。

僕を助けて得をする人間なんて居るのだろうか?

ふと、自虐的に考え、思わず笑ってしまう。

事実はどうであれ、楽観的思考で憶測を巡らせても、まともな答えなどは出ないだろう。

僕は吹っ切るように、意識を変える。

そして、とうに目覚めた頭をもう一度振り、バスルームを後にした。

台所へ行くと、律儀に朝食を待つ美姫が、待ち構えていた。

「お兄ちゃん、遅っーい!」

「ああ、少し考え事をしていたんだ」

僕は、洗い挿の髪に櫛を通しただけのまま、食卓に着く。

「ちょっとだけ時間おしてるよぉ。遅刻しちゃうんだからねー」

「走れば大丈夫だろ。それに美姫だって足は速かったよな」

僕は普段通り、朝食に箸を付ける。

たとえ時間が押していようが、リラックスできる時間とは尊い物なのだから。

「たしかに・・・って、なんでお兄ちゃんがそんな事知ってるの?」

「教室からだってグラウンドが見えるだろ。それにおまえは目立つ」

意識して言った訳では無かったが、何気ないそれは美姫にとって、そうでもなかったらしい。

「み、見てたの?・・・私の体育」

美姫の顔が急に赤くなる。

「ん?・・・いや、見てたと言うよりは嫌でも見える、窓から」

本当の所、窓際の席などに座っていない僕は、美姫の体育の授業風景など見れる筈も無かったりする。

まあ、何度か美姫の体育姿を見たのは事実という事。

「ふぅ~~ん。お兄ちゃんて、思ってたよりもエッチなんだぁ」

「エッチかぁ。そんな風に言われたのは初めてだな」

僕はわざとそっけなく言う。

しかし正直な所、こんな僕でも男である事には変わりは無い。

可愛い女性がそこに居れば、自然と視線はその人物を捉えるし、神崎の女性ネタを聞いていても、うるさいと思うときは有っても、聞きたくないと思った事は一度も無い。

「そだね。お兄ちゃんて、見た目がアレだから普通は誰もエッチだ!とか言わないよね」

「見た目?人から見た僕の見た目ってやっぱり変か?」

僕は自分の頬を触りながら言う。

見た目。

まぁ、普通ではないだろうな、と思う。小さい頃に付いた傷とはいえ、僕の顔には随分と大きな傷が残っている。

それは、触れてはいけない物、覗いてはいけない物、と他の人の目には映るのかもしれない。

「ん?違うよ?その大っきなキズの事じゃ無いよ。お兄ちゃんてほら、張り詰めた感じって言うか、近寄りがたい感じがするじゃない。・・・あ、これは同級生が言ってたんだけどね」

「そう・・・なのか?」

美姫の言い振りには、『気を回した』といった感じはなく、僕の顔の傷など、どうでも良い、と言う感じだった。

「本当はそんな事ないのにねぇ~。実際のお兄ちゃんて、エロエロだし」

「今度はエロかよ」

僕は様式美の様に、返答をする。

あはは・・・と笑いながら美姫は、席を立った。

「わたし、走ったりするの嫌だから、先に行くね」

少しだけ余所余所しい所を見せ、美姫はテーブルをはなれる。

何時もと違うそれは、ほんの少しの疑問を僕に問い掛ける。

もっとも、『女性の考える事』など、僕に分る筈も無い。

「ああ」とだけ返事を返した僕は、美姫に視線を移し、『いってらっしゃい』の変わりに、手をヒラヒラと振るだけだった。

身支度を整えた僕は、いつものように歩美さんから、送り出される事になる。

「では歩美さん、行って来ます」

「はい、端鷹君いってらっしゃい。あ、そうそう、端鷹君」

玄関を出ようとした僕に、歩美さんは何かを思い出したように話掛ける。

「はい?」

呼び止められた僕は、振り返り、そんな歩美さんに視線を向けた。

彼女は、何かを言いたそうにした後、もじもじとしながら口を開く。

「えっとね、・・・端鷹君。端鷹君は、美姫と・・・そのぉ・・・、何処まで行ってるの?」

・・・。

「はい?」

予想外の質問だった。

僕は歩美さんが何を言っているのか解らなく、目を点にする。

「う~ん、やっぱりね、母親としては今朝みたいに二人の抱擁を目の当たりにするとね、気になっちゃうのよ」

抱擁・・・。

抱擁とは、意味としては抱き合う、家族及び好意を持った物同士が、その愛情を言葉でない物で表現する。

そんな所だろうか?

「あ、しちゃイケナイって言ってる訳じゃないの。やっぱり、そう言う事はしっかり把握しておきたいかなぁ~って、母親としては思う訳」

歩美さんは、語尾を強くしながら、目をキラキラさせる。

両の手を、胸の前で合せているのは、彼女の女性的行動なのだろうか?

「あの・・・抱擁って、それは何時の話ですか?」

僕は確認をする様に質問をした。

「今朝の事よ。私が端鷹君に話しかけるチョットだけ前」

僕は、今朝の夢を思い出す。

それは妙にリアルな感触を持った夢。

さくらさんを抱き寄せたその感触はそう、ちょうど・・・。

「あの、歩美さん」

「なぁに?」

「それって本当の話なんですよね」

僕は少し真面目な顔をして歩美さんに確認する。

「ええ、そうよ。端鷹君が珍しくソファーなんかに寝てるから、美姫が起こしに行ったの。そしたら端鷹君が美姫を優しく抱き寄せて、なんだか映画のワンシーンみたいで、惚れ惚れしちゃったわ」

ふむ。

なるほど。

どうやら僕は、自分の知らない所でとんでもない事をしていたようだ。

僕は理解し、今朝の美姫の余所余所しさや言動に納得をする。

しかし、歩美さんも母親ならば、僕の事を叱るとか、注意するとかはしないのだろうか?

「歩美さん、前もって言いますけど、誤解です」

「・・・五階?」

歩美さんはまるで、頭の上に『?』を浮かべたように首を傾げる。

「わざと間違えないでください」

僕は少し、笑いながら言う。

「今朝の僕は多分、寝ぼけてたと思うんです。よくは覚えてないんですが、その直後に美姫にグーで殴られていますから間違い無いと思います」

僕は、あやふやな記憶と、その状況から予想できる事実を、自分の頬を撫でながら歩美さんに説明する。

「あら、そうなの・・・」

歩美さんはなんだか残念そうに呟く。

そして少し考え込んでいるような様子を見せた歩美さんは、僕の顔を覗き込むようにして別の質問をして来た。

「所で端鷹君、美姫の事、嫌い?」

「あの、歩美さん。僕の話・・・聞いてますか?」

もちろん好き嫌いを言われれば、答えは自然と決まるのだが・・・。

「あはは、ちょっとね。端鷹君から『お母さん』って呼ばれるのも悪くないかなって思っちゃただけよ」

僕は、苦笑いをするしかなかった。

まだまだ短いとは言え、同じ時間を過ごした人に好意を持ってもらえると言う事は、とても幸せな事である。

「美姫の事は好きですよ。本当に妹みたいで」

嘘は言っていない。

ただ、その言葉を僕は、自分自身に反復するよう、噛み締めながら言う。

「そう・・・、今はそれでも良いわ。だけど、内容はどうであれ、端鷹君は物事を真っ直ぐ言い過ぎるから、美姫にはもっと優しく言ってあげてね。人の恋愛の形なんて、人それぞれだから」

歩美さんは、『お話はここまでよ』と言った感じに切り上げる。

「そうですね」

今は気にする事ではないだろうと思い、歩美さんに話を合せ返事をする。

そして何時ものように歩美さんに見送られながら、玄関を出る事にした。

空を見上げ、いつもと変わらない筈だったその風景を見つめる。

空はやはり、何時ものように何処までも青く澄んでいて、もうすぐ冬だと言うのに、その美しさを惜しげも無く披露してくれる。

僕の世界は変わったのだろうか?そう思う。

いや、そうではないか。

『変わるかもしれない』と、『前と同じではない』の狭間、そんな中途半端な気持ち。

それが無理にでも日常の変化を期待してしまっているのだろう。

・・・どうやら自分らしくない事を考えている。

僕はそう思い、肩から下げた朝霧を意識する。

不思議と昨日までの違和感は無く、朝霧は僕に情報を補完してくれている。

そんな中僕は、遅刻しそうな事実を思い出し、立ち止まった。

「やばい!」

焦りなど微塵も無いくせに、思わずそんな言葉を漏らす。

僕は、当り前の様に朝霧を押さえ、走り出した。

そう、当たり前の様に・・・。

校門前は明るい緑色の制服であふれ、学生達は未だ疎らになる事は無かった。

全力などで走ったつもりは無かったが、思いの他、学校には早く着いてしまう。

僕は、教室に入ると朝霧を自分のロッカーに掛け、席に着いて一息付く。

相変わらず、朝霧を離したときの喪失感はあまり頂ける物ではない。

これと言ったイベントも無く、順当に物事は進む。

「おはよう・・・ございます」

「おはよう」

中里さんと朝の挨拶を交わす。

しかしこの娘は特徴的と言うか何と言うか、話し始めに、恐る恐る近づいてくる癖があるようだ。

「何時もより、少し遅めでしたね」

「ん?・・・ああ、そうだね。ちょっと寝坊して走ってきた」

「加々美くんが寝坊ですか。なんだかちょっとイメージと違います」

中里さんは、てへへと笑いながら少し首を傾げ、腰まで伸ばした髪が揺れる。

軽くカール掛かった髪と、その女性的な仕草が彼女の魅力を引き立てた。

僕はふと疑問に思う。

教室内での中里さんの扱いはあまり良い物ではない。

イジメと言っていいだろう。

だが、彼女からはそう言った『イジメられる要因』をあまり感じ取る事は出来ない。

逆に神崎では無いが、ほとんどの男子が好意をもっても良いような、そんな面持ちとスタイルを持っている。

容姿的に優れ、同性の反感を買うと言われれば分らないでもないが、彼女の場合、男女問わずそれは発生している。

もっとも、それがどうした?と言う話なのだが。

「そう言えば中里さん」

「はい、なんでしょう?」

「神崎の姿が見えないけど、くだらない理由で何処かに行っているのか?」

僕は、『相棒(自称)』を名乗る迷惑極まりない人物の話題を出した。

「優くんですか?なんでも新任の先生がいらっしゃるとかで、職員室の方を覗きに行ったみたいですよ」

「なるほどねぇ。奴の事だから、きっと新任の先生は若い女性なんだろうな。・・・あれ?中里さんは神崎の事、名前で呼んでたっけ?」

僕は、頭に浮かんだ疑問を言葉にしてしまう。

「あ、いえ、それは・・・」

中里さんは、少し慌てたように言葉に詰まる。

それを見た僕は、今朝歩美さんが言って居た『恋愛の形は人それぞれ』と言う言葉を思い出す。

僕は「そっか」と言う風に中里さんを眺める。

一昨日までほとんど会話などした事が無いはずなのに、・・・神崎の奴、本当に手が早いんだな。

「悪い、気の利かないこと聞いた」

ごめん、ごめんと言った感じで言う。

「気が利かない?さて、何の事でしょうか?」

中里さんは僕の言っている意味が分からないような素振りをする。

遠まわしに言った訳でもないが、言葉は端的に言う方がよい時もあるだろう。

「中里さん、神崎と付き合い始めたんじゃ無いの?」

僕は極力自然に笑いなが言う。

僕の言葉を聞いた中里さんは、その数秒後に音を立て後ずさる。

ズサササーーー!

擬音としては、そんな所だろうか?

「ち、違います!決してそのような事では無いのです。全知全能の神に誓います!優くん・・・いえ、神崎くんとは何でもなく、神崎くんに優くんって呼んでって言われたのでそうしてるだけでして、私のような者が神埼くんとだなんてとんでもないのです!それにもし加々美くんに許しもなくそう呼ぶのがお気に召さないようでしたら、金輪際、優くんとはお呼びしませんから変な納得はしないで下さぁ~い」

中里さんは、あわあわと慌てながら説明し、最後はまるで懇願するかのように必死にその事を否定した。

あまりの必死さに少し気圧された程である。

そこまで必死に否定されると、思わず哀れに思ってしまう。

神埼が。

「いや、分ったから。まず落ち着いて中里さん。それにわざわざ僕の許可とか要らないから、気を楽にして」

僕は中里さんをなだめるように言う。

しかし、中里さんは僕の言葉を聞いて、顔を少し青くしながら棒立ちになっていた。

「そんなぁ・・・。そうですよね、加々美君の許可とか、そんな資格すら私にはないですよね。・・・そうですよねぇ」

中里さんは肩の力を落とす。

僕が何か悪い事を言ったのだろうか?とも思ったが、中里さんはペコリと頭を下げるとぶつぶつと呟きながら自分の席へと戻って行く。

何なのだろう?

引き止める程でもないので、僕はそのまま見送る事にする。

中里さんは自分の席に付く前に「見えたんだけどなぁ」と意味不明の言葉を呟き、ため息を突いていた。

いや、実に面白い娘だなぁ。

落ち込んでいる中里さんを遠目で眺めながら、僕はそんな事を思っていた。

こんな緩い感じも良いだろう。

そして僕の背後に、その存在は突然現れる。

・・・な!

予告などには期待もしないが、背後を取られたことに驚く!

中里さんに気を取られ過ぎていた?

そんなはずは・・・。

確認するが、僕に人の気配などは読めない。

だが、教室内の状況は、足音や衣服の擦れる音で常に把握しているつもりだった。

近づく人物が居れば、なにげにそれと判る。

しかしその人物は突然・・・、そう、突然僕の背後で音を立てたのだ。

足音はしない。

衣服の擦れる音がかすかに・・・。

恐らく、気配と言う物も絶っているに違いない。

正直、それらは一般の生徒が出来る事では無いだろう。

何かしら特殊な訓練か、修行を積んだ者であろう。

振り返る暇は無かった。

それは、僕の首を押さえるつもりなのか、僕の死角より、腕を伸ばしてきている。

僕は躊躇をしなかった。

どんな時でもそれが致命傷になると教わった。

「いてててててててててて!・・・、加々美君・・・ギブ!ぎぶ!」

僕に腕を掴まれ、その上、目一杯腕を捻られている人物は、妙に聞きなれた声で救済を僕に求めてきた。

「お前、何者よ・・・」

その人物、神崎優に冷ややかな視線を落としながら僕は呟く。

そう言えば、昨日も同じような事があった。

なんだか馬鹿らしくなって来て、掴んでいた神埼の腕を開放する。

「いててて、相変わらず冗談が通じないなぁ、加々美君は」

神崎は、『まったく、まったく、フゥー!』と言ったゼスチャーを取りながら抗議をして来る。

お前の方がよっぽどだ!と突っ込みを入れたい所だが、それでは神崎が増長するだけなので、今回もあえて無視する事にする。

「あらぁ~、加々美君ご機嫌ナナメだねぇ~」

その原因の人物は僕の心境などお構いなしにひょうひょうとしていた。

「まぁ、それは良しとして加々美君、笑美ちんがなんか向こうでブツブツ呟きながら廃人になってるけど、何か知ってるかい?」

神崎が中里さんの呼び方を変えているの聞いて、ああ、そう言えば中里さんの名前って、笑美だったなって思う。

僕は中里さんの方を見る。

しかし先ほどから彼女の状況は変わっていないようである。

「お!さすがに女子ネタには反応がいいね!」

「神崎がそれを言うのか?」

僕はそれだけを言う。

神崎は僕がそれ以上喋らなくとも、それが当たり前かのように、話を続ける。

「笑美ちん、なんか『・・・そうですよね』とか『見えたのになぁ』って連呼してたぞ。あれ・・加々美君が原因じゃねーの?」

神崎は、その過程を見たわけでもないのに、いきなり僕が原因と疑ってきた。

「僕のせい?お前のネタで会話してただけなんだが、それでも僕が原因なのか?」

「あぁ、加々美君は朴念仁な所があるからなぁ。もう少し女の子の気持ちを考えなくっちゃなぁ」

原因は僕だと、既に断定されたようだった。

「さぁ~って、俺が一寸なぐさめてくるかなぁ」

神崎はそんな事をいいながら、中里さんの方へと近寄っていく。

まめだな神崎。

とりあえず僕は『がんばれよー』と神崎に目で合図する。

まぁ、伝わりはしないだろう・・・。

ん?神崎が僕の方に向かって、グーサインをしている。

どうやら神埼には、それで伝わったようだった。

やはり只者では無いな、神埼。と、僕は完全に馬鹿にした形で感心をする。

中里さんはそんな神崎にまかせて、僕は時計を見る。

そろそろホームルームが始まる時間である。

そう言えば神崎が教室に入って来た時間が、ホームルーム五分前ではなかったことに気が付く。

神埼は意外とそこら辺をキッチリとして居て、ほんの少しの例外に驚いた。

「まいったよ・・・加々美君」

相手にしてもらえなかったのか、早々に戻ってきた神崎はため息を突く。

「以外に早かったな、神崎。中里さんどうだった?」

「いきなり笑美ちんに睨まれた。それはそれで可愛いんだが、心ここに在らずって感じで『申し訳ありません・・・神崎くんのせいではないですよぉ』ってすぐに謝られて、ブルー色が一層強くなっちゃったよ」

・・・なるほど。

神崎の報告を聞く限り、どうやらこれは、原因不明の案件らしい。

とりあえず、中里さんの事は、少しそっとしておこう。

「ところで神崎、僕に何か話があったんじゃないのか?」

僕は、『他に』と言う意味で神崎に話を振る。

「ああ、そうだった。さすが加々美君。言っても無いのに察しがいいね」

恐らく、神崎が遅れて教室に戻ってくるような事があったのだろう。

そう考えて聞いたのだったが、間違いはなかったようだった。

「くるぜ!もうすぐ」

神崎の瞳は、キラキラ・・・いや、ギラギラしていた。

「来るって、誰が?」

「新任の女教師。それも若くて綺麗な娘らしいぜ。何故かは分らないが、うちらの担任とダブル担当だって話なんだ」

先生でも若ければ、女の子扱いするところが神埼らしい。

「顔はまだ見てないんだが、名前がなかなか可愛いんだ。苗字が水守で、名前が桜だそうだ」

「水守・・桜?」

なにか引っ掛かる名前である。

個人的には好きになれない名前かもしれない。

響きが似ているせいで水守とは呼びたくないなと思う。

名前の方は言うまでも無い。

「おや?加々美君は、なんだか浮かない顔だねぇ」

神崎にそう突っ込まれるが、理由を話す必要も無い僕は、曖昧に返事をしておく。

「お!早速、桜ちゃんの登場かな?」

そう言って、神崎は自分の席へと戻っていく。

僕とは違い、神崎は女性の足音だけは聞き分ける。

神崎が余裕を持って席に着くと、それからいっぱくを置いて何時ものように担任が教室へと入ってきた。

教室は、それまでの喧騒とした状況から一変して静かになる。

「水守先生もこちらへ・・・」

担任の真壁がそう言って、新任の女性教師であろうと思われる人物を、教室へと招き入れる。

真っ赤なスカートタイプのスーツを着た女性だった。

スーツと同じ・・・いや、それ以上に鮮やかな真紅の髪。

「なっ・・・!」

僕は思わず派手な音を立てて椅子から立ち上がってしまっう。

何かを言おうと思うが言葉にならず、しばし硬直する。

「はぁーい!そこの男子ぃー!先生がいくら美人でも勝手に立たなぁーい!」

その女性教師はビシィ!と僕を指差し、勝ち誇ったように注意をする。

「座れ、加々美」

担任の真壁は朴訥にそれを言う。

「後、水守先生も静かに」

「あら、すみません」

その女性教師は「おほほほ」などとわざとらしいゼスチャーをする。

いや、なんと言うか・・・、何処からどう見ても、さくらさんだよ。

突然の事に、自分の脈拍が上昇するのが分る。

まずい、動揺してしまっている。

多分、さくらさんは狙っていた。

僕の動揺を。

でなければ何だ?あの勝ち誇ったような笑みは。

担任の真壁がさくらさんの着任について説明をしているようだったが、ほとんど僕の耳には入って来なかった。

頭の中を何かがぐるぐると回る。

なにを考えているのか正直自分でも分らない程だ。

僕が混乱している間に、さくらさんの自己紹介と、今朝の連絡事項は終わり、チャイムが鳴る。

ホームルームが終わり、真壁先生とさくらさんは教室を出て行こうとする。

彼女は立ち去る瞬間、一瞬視線を僕に移し、ウインクをした。

思わず冷めた目で、それを見送ってしまう。

さくらさんとの再会。

それは僕にとって、間違いなく嬉しい事なのだが、なんだか少し腹立たしい再会だなと思ってしまう。

「加々美くーん!見たぜ!見たぜ!」

そう言いながら神崎が近寄ってくる。

「ああ、そうだな。神崎の期待どうりの若い先生でよかったな」

僕に左程の余裕は無かった。

ただ、自分の動揺を悟られないように普段通りの会話を演じる。

「ちがう!ちがう!そうじゃなくて!取り乱した加々美端鷹を始めて見た!」

「ちっ!」

つまらない事をしっかり覚えている神崎に、舌打ちをする。

「教室の奴らも、水守先生より、加々美君のご乱心に気を取られた感じだったしな。・・・あ、中里さんだけはあのままだったけど」

僕は何も言わず、立ち上がる。

「あれ?加々美君、怒った?」

神崎と漫才をする気は無い。

「用事が出来た。すぐに戻ってくる」

それだけ伝えると、神崎を置いて一人教室を後にする。

ホームルームから一時限目までの間には十分程の準備時間が在る。

上手くすればさくらさんを捉まえる事が出来るかもしれない。

そう思った僕は、渡り廊下を抜け、別棟の校舎にある職員室へと向かう。

授業の移動及び休憩時間としてはあまり活用されない時間なのだろうか?

廊下は人影もまばらで、然程込み合っても居なかった。

「何処に行くつもりなのかな?」

職員室の手前、ひと気の無い廊下で声を掛けられる。

ふぅー。

僕は息を吐く。

「さくらさん・・・」

声の聞こえた方に体を向け、イントネーションを下げながら、それだけを言う。

人が居るような音はしなかった。

声を掛けられなければきっと気づく事無く、通り過ぎていたに違いない。

子供の頃は分らなかったが、それが普通の人が出来る事ではない事が分る。

もっとも、神崎の様な規格外も存在はしているが。

さくらさんは壁にもたれ掛かるようにしながら、笑顔で微笑む。

服装こそは違え、その姿は初めて出会った頃と何一つ変わる事は無かった。

「大きくなったわね端鷹。それにほんと道元先生の言ってた通り・・・」

教室でのテンションが嘘であるかのように、その様子は静かなものだった。

「久しぶりだね」

気の利いた言葉が思いつかず、何年かぶりに会う別れた恋人にでも言うような台詞をはいてしまう。

「来て迷惑だった?」

僕が淡々としているからだろうか?さくらさんはそんな事を聞いてくる。

「・・・いや」

僕は首を横に振り、静かに否定する。

嬉しくない訳が無い。

短かったとは言え、自分に掛け替えの無い時間をくれた人。

何かを言うつもりでここまで来ていた。

突然現れた事に対しての皮肉でもいい。今までやって来た事の自慢話でもいい。なんでも良いからさくらさんと話がしたかった。

でも、さくらさんを目の前にした僕は、話したい事全てがどうでもよい物に思えて、口を閉ざしてしまう。

少しだけ張り詰めたような小さな沈黙が流れる。

「そろそろ授業がはじまるわよ。私も新任早々で授業が在るの。ゆっくりしていられないから、先に行くわ」

そう言って、壁にもたれ掛かっていた肩を離し、さくらさんはポン、ポンと埃を払うような動作をする。

後一分もすれば、始業のチャイムがなるであろう。

どのような事情であろうと、教師としてこの学校に居る以上は、その流れに乗る必要がある。

それは僕も同じことなのだが。

「さくらさん、昼休みに時間ある?」

僕は、立ち去ろうとするさくらさんに声を掛ける。

何を話そうという事は無いのだが、少しでもさくらさんとの時間を作りたかった。

立ち止まったさくらさんは、笑って「うん!」とまるで少女のように答える。

「何処かで待ち合わせしようか」

僕は、簡単な約束を持ちかける。

「そうね、誰も居ないところで話したいから、屋上で待ってるわ」

「それでいい」

時間も無いのでそれだけを言うと、僕も教室に戻る事にした。

「あ、端鷹」

「何?」

「ご飯はきちんと食べてきてね。急いじゃダメよ、消化に悪いから」

そんな母親のような事を言うさくらさんに、僕は苦笑いを見せながら、今はその場を後にする。

気持ちはもう・・・・落ち着いていた。












午前中の授業が終わり、終業のチャイムが鳴る。

僕は歩美さんの作ってくれた弁当を出し、早々に昼食を取る事にした。

「で、なんでお前が僕の前で飯を食っているんだ?」

僕は、何の断りも無く目の前の席に陣取った神埼に言う。

「え!ダメなんですか?」

そう言ったのは、慌てて机を合体させようとしていた中里さんである。

「いや、中里さんじゃなくて、こいつに言ったの」

とりあえず、でかい態度で牛乳を吸っている神崎を指差す。

「寂しい事言うなよ、加々美君。一人で食べるご飯より、みんなで食べるご飯の方が美味しいからに決まってるだろ。

だからこうやって、有志を募って集まったんじゃないか」

そう言いながら、神崎は今日も可愛らしい『貰い物』の弁当箱を開けて食べている。

実際の所、神崎はもてる。

それも理不尽なほどに。

教室に居る時でさえ、僕と話している時以外は誰かしら女子が隣に居る。

この弁当も恐らくそんな女子の誰かに貰ったのだろう。

「え?私は神崎君に『加々美君と一緒にご飯を食べる約束をしてるから、一緒においで』って言われたんですけど、もしかして無免許だったんですか?」

・・・無免許。

中里さんは、なんだか意味が通じるような通じないような微妙な事を言う。

「嫌だなぁ、笑美ちん。免許も何も、加々美君が嫌だって言う筈ないじゃん」

神崎は勝手な事を言う。

今に始まった事ではないのだが、この男は何を根拠に僕のことを決め付けるのだろう?

「そう言えば、笑美ちん。元気になって良かったね」

神崎は聞かなくとも良い事を中里さんに聞く。

一瞬、中里さんの動きが止まり、またブルーモードに突入するかと思わせる。

しかし、そうではなかったらしく、彼女はガッツポーズを取ってみせ、復活した事をアピールした。

「はい!めげてはいられません!やっとダブルにも慣れて来ましたし、たとえ苦渋の道だとしても、乗り越えてこその勝利なのです!

渡るなら、乗り場で待とう、渡り舟なのです!」

中里さんは力説する。

意味不明の俳句を引用してのそれであったが、まぁ、元気になったのは良しとしよう。

「そっか~?俺ならどっちかって言うと、読み尽くせ、俺の幸せ、グラビア誌だけどなぁ」

「はい!それは神崎君らしくて、素晴らしいですね!」

僕はもくもくと弁当をたべながら、意味不明な二人のやり取りを眺める。

中里さんは神崎との事を全面否定しているが、僕にはどうしていいコンビに見えて仕方が無かった。

「あれぇ~、笑美ちん。俺の事は優でいいって言ったのに、呼んでくれない!なんか俺さみしい!」

「あ、いえ・・・それは」

中里さんは「ははは」なんて苦笑いをしながら僕の方をちらちらと見る。

そう言えば、中里さんは俺が嫌なら金輪際言わない・・・、などと言っていた事を思い出す。

「僕は嫌じゃ無いよ。ダチなら当たり前だし」

少し笑いながらそう答える。

僕の許可とはこんな感じで良いのだろうか?少し疑問に思う。

だが、それを聞いた中里さんは、少し悩んでいるようだ在ったが「はい!」と嬉しそうに返事をしてくる。

「と言う訳で、神崎く・・・いえ、優くん!お許しが出ましたので、優くんとお呼びさせて頂きます」

中里さんは今朝のブルーモードが嘘のように、にこにこと機嫌良く自分の弁当を食べ始める。

「何?お許しって。加々美君何かしたの?」

僕と中里さんのやり取りを見ていた神崎は、燻しげに僕の顔を伺う。

「中里さんはどうやらお前の・・・、まぁいい。お前の相方らしい僕の許可をもらわないと、神崎の事を名前で呼べないらしい」

それを聞いていた中里さんは、少し不満そうな顔をしている。

僕の言い回しに何か不手際が在ったのかもしれない。

ころころ変わる女の子の心中はよく分らない。

だが、そんな彼女とは別に、その対面に座る神崎は、嫌ぁ~な笑い方を僕にしてくる。

「ふふふふ、加々美君。遂に認めたな。この神崎優が永遠のパートナーである事を!」

神崎は勝ち誇ったように僕を指差す。

「認めてない。それに指差すな」

僕は即否定する。

僕が神崎を認めたとは、一言も言ってはいない。

「まぁいいさ。加々美君が認めなくとも然程問題ではない。知らぬは本人だけと言う事も良くあるからね」

神崎は「やれやれ」などと、呆れたような態度を取る。

「・・・神埼お前、何が言いたい」

神崎のはぐらかすようなトークに目を細めるが、奴の気にする所では無いらしい。

「そういえば加々美君」

神崎は話題を変える。

「桜ちゃんとは、いったいどんな関係なんだい?」

「・・・」

僕は危うく力加減を間違えて、持っていた箸を折りそうになる。

「なるほどね。加々美君の反応を見ると、やはり初対面ではないか・・・」

僕は、動揺を最小限に抑えたつもりだったのだが、神崎は両手を組み、妙に納得する。

「あのぉ、優くん。桜ちゃんとは、どなたの事なのですか?」

中里さんは、?マークを頭に浮かべ、質問をしてくる。

「ん?笑美ちんも居たじゃん。今朝のホームルーム」

「え!今日、ホームルームなんかありましたっけ?・・・私、気が付いたら授業が始まっちゃてて・・・」

しばし三人の間に沈黙が流れる。

中里さんは本当に面白い娘だと、僕は再確認する。

「そ、それじゃ笑美ちんの為に俺から掻い摘んで説明しよう」

神崎は椅子を座り直し、仕切り直しと言う感じで説明をはじめた。

「笑美ちん、俺が今朝、新任の先生が来るって話はしたよね」

「はい。優くん、とても喜んでましたものね」

中里さんは、ふむふむと頷く。

神崎はその後、一息で桜さんの事を神崎的に説明する。

「その先生が桜ちゃん・・・水守桜先生なんだけど、それがまた美人教師で、その上このクラスのサブ担任になって、なおかつ加々美君を追っかけて来た、前の彼女だったんだよ!」

・・・はい?

流れのまま、神崎に任せたのが間違いだった。

僕は椅子から立ち上がり、神崎の頭を殴ろうとするが、その場に居たもう一人の人物に邪魔される事になる。

「にええええぇーーーーーーーー!」

中里さんは僕よりも勢い良く立ち上がり、驚くほどの声を上げた。

この場合、奇声と言ってもいい。

出遅れた・・・。

タイミングを外した僕は、中里さんにまず座るように言ってから自分も座る。

動揺を隠し切れないのか、彼女は落ち着き無く腰を下ろす。

「神崎、あまり出たら目を言うと、怒るからな」

僕は声のトーンを落として視線の先の神崎に言う。

もっとも、この男にどれほどの効果が在るかは怪しいが。

ふと、中里さんを見ると、神崎の顔と僕の顔を交互に見ながら、鯉の様に口をパクパクさせている。

何かを聞きたそうにはして居るが、どちらに聞いたら良いかと、迷っているのだろう。

とりあえずは放っておいても害は無いだろう。

「あれ?否定的だねぇ~。加々美君の態度と状況から考えると、当たらずとも遠からずって感じなんだけどなぁ。それに俺的に言わせれば、生徒と教師の恋慕に抵抗なんてまったく無いんだぜ」

「勝手な推測で物事を決めるな」

僕はそう言いながら、最後の卵焼きに箸を付ける。

少し甘めに味付けられたそれは、既にデザートと化していた。

「ごちそうさま」

僕は手早く弁当を包み、片付ける。

神崎の勝手な推測に付き合うほど、僕は人が出来ては居ない。

「加々美君は礼儀正しいねぇ・・・って何処行くの?話し途中じゃん」

神崎の話半ばで立ち上がる僕に、神崎は声を掛ける。

「用事がある。時間が無いから急ぐ。またな」

それだけ伝えると、僕は振り向く事無く教室を後にする。

教室からは神崎の「マジ?マジ?桜ちゃんの所?」なんて声と、中里さんの「え?え?えぇーー!」などと言う声が聞こえるが、僕の知った事ではない。

さくらさんのと約束は、昼食後屋上で待ち合わせ、と言う事だった。

この学園は、生徒が屋上に出る事を禁止している。

危険性がある為となってはいるが、実の所、不良の溜まり場にならないようにとの、学校側の対処だった。

もっとも、普段は鍵が掛けられていて居る訳で、わざわざ立ち入り禁止などと言わなくとも、一般生徒は出入りなどは出来ない。

もっとも、まかりなりにも教員と言う肩書で来たのだから、さくらさんがなんとかするだろう。

ふと、廊下に掛けられている時計に視線を向ける。

昼食を取るのに二十分程費やしたが、昼休みは半分程度残っていた。

僕は屋上へ出る階段を上り、その出口となるドアの前に立つ。

「さくらさん、これやり過ぎ・・・」

僕は呟くように言い、問題と思えるそれを眺める。

屋上へと続く筈のドアのドアノブが、見るからにひしゃげ、鍵をこじ開けたと言わんばかりの様子を見せている。

何か強い力で無理やり曲げた・・・そんな感じ。

焦げた後も無いので、純粋に力だけなのであろうか?

そして他の部分への影響は殆ど無く、そこだけが綺麗に陥没するように曲がっている。

ふむ・・・。

見方によっては拳で殴ったようにも見えるが、そんなに器用に殴れる物なのだろうか?

大体、それは人の成せる技では無い。

人の技では・・・無い?

不意に、そんな風に思う。

その言葉は、それは、人間以外の『アレ』の存在を連想させた。

さくらさんでは・・・無い?

ぞぶりとした感覚が腹の底を舐めるように這い上がる。

この先にさくらさんは居るのだろうか?

そんな疑問が頭を過ぎる。

彼女との約束は有るが、この状況をみると、先に居る人物はそうではない可能性が高くなる。

さくらさんとは言え、ここまで出たら目な人ではないだろう。

朝霧を持ってくるべきだったか?

ふと、そんな風に思う。

朝霧は教室のロッカーに掛けたままだった。

僕はドアを開ける前に、外の音を確かめる。

分厚い金属のドアとは言え、多少状況が掴めるかもしれない。

しかし、屋上の方に誰かが居るような音は聞こえない。

もっとも、さくらさんのように音を消せる者がそこに居るのであれば、それすらも掴みようが無い。

ドアを開け、屋上に出る。

警戒しつつも、僕は少し不思議な感じがした。

そこは屋上であるはずなのに殆ど風が吹いていなかった。

空には何時もの如く雲は無く、晴れ晴れとした広大な空間が広がっている。

その感覚は、僕の気持ちを開放的にしてくれる。

気持ちいいとは、こう言う事を言うのだろう。

考えすぎだったのか?

そう僕は思う。

張り詰めた神経を一旦緩め、全身の力を抜く。

空が青かった。

僕は腕を伸ばし、空の空気を吸う。

俗に言う深呼吸と言う奴。

こんな時間も良いかもしれない

緩やかな時間の中、さくらさんとの待ち合わせを忘れ、その事を堪能する。

・・・突然

・・・空気が動く!

ヤバイ!

そんな言葉が僕の頭に浮かぶ。

気を抜くべきでは無かった。

僕は無理やり姿勢を屈め、その勢いのまま前へと転がる。

息を吐いている最中だったのが、幸いした。

タイミングが悪ければ、その横殴りの一撃を、間抜けなポーズのまま食らっていたに違いない。

転がりながら体制を整えた僕は、その一撃と、それを繰り出したモノの正体を見る事になる。

「何を・・・」

言い掛けた僕は、思わずそれに、見惚れていた。

「何をする。と言いたいのか?」

その少女は、わざと回し蹴りの余韻を残していたのか、その上げていた足をゆっくり地面へと下げて行く。

その動作が美しく、短く詰めた制服のスカートが、スラリとした両足をより一層艶かしく見せた。

一瞬、神崎が今の動きを見たら、さぞ喜んだであろうな・・・と、邪な事を考える。

しかし、僕にはその少女に見覚えがあった。

これほどの美形、そう簡単には忘れはしない。

昨日、校門で見掛けた人物。

そして僕の記憶が正しければ、夜の公園で、信じられない光景を見せてくれた少女。

「どうした?わざわざ結界を破ってまで入って来たのだろう?」

その少女は氷のような表情で冷たく言い放つ。

いや、そうでは無いか。

彼女はただ感情を込めて居ないだけなのだろう。

まるでそれが、彼女のスタイルであるかのように。

僕は、いつでも動けるように立ち上がり、その理不尽な行為に疑問を感じる。

「僕は知人と約束があってここに来ただけだ。突然襲われるような理由は無いと思うんだが。それに結界とは何だ?」

僕はそう言いながら、自分の失敗に気が付く。

結界・・・。

彼女はそう言った。

聞き違いではない。

普通の人が言うのらな、笑って済ます所だが、そうも行かない。

先ほどの一撃、それは当たり前の世界に住む人間の物では無い。

恐らくこの場には結界が張られていたのであろう。

どうやら僕は、それに気が付かず、その結界を抜けてしまったらしい。

「ほう・・・、そうだな。結界はまだ破られてはいないか・・・。ならば抜けたと言うべきか?」

その少女は間合いを詰めながら話しを進める。

恐ろしくスムーズで、何時前に出たのか分からないような動き。

その予備動作の無い動きは、達人と呼ばれる者のみが持つ物だった。

ヤバイ・・・それが率直な意見。

僕の意識は間合いを取れ!と、強く命令する。

この少女は危険だと。

だが僕は、反対にその場を動かない事を選択する。

この少女は強い。

僕が何をした所で所詮は何が変わるわけでもないだろう。

「ふむ。何者かとは思ったが、只のバカか?」

動こうとしない僕に対して、少女は疑問を持ったようだった。

僕の目の前で止まった少女は、見上げるように僕の顔を覗く。

・・・小さい。

正直僕は驚く。

その長く伸びた足のせいであろうか?

かなりの長身と思われたその少女は、実の所、美姫と殆ど変わらぬ身長だと分かる。

「酷い言われようだな・・・」

僕は真面目な顔でその少女に呟く。

「ほう、これ程プレッシャーを掛けても動じぬばかりか、無反応とはな」

少女は一瞬眉をひそめ、僕の方を見つめる。

まるで珍しい物でも見たような、そんな感じ。

「一つ聞くが、先輩は私が一年の『蔵姫』だと言う事が分かるな?」

彼女はそう言う。

それは不思議な言い回しだった。

まるで聞いている人間に、自分が誰なのかを教えるような変な言い回し。

「すまない」

それだけ答える。

嘘をつく理由なども無いから。

「ふむ、面白い奴が居るな。暗示にも掛からぬか」

蔵姫と名のった少女は一瞬、元の容姿からは想像出来ないような妖艶な笑みを浮かべ、笑う。

「まぁ、良いだろう」

と、少女はそう言い、

「どう言う事だ?」

と、僕は聞き返してしまう。

それが危険な事だと理解はしているが、僕は彼女に、興味を覚えてしまった。

「なに、私に害が無ければ無理に排除する必要も無いと思っただけだ」

蔵姫はそう言うと、背を向けその場を立ち去ろうとする。

「言っている意味が、よく解らないんだけど」

僕はそんな蔵姫に声をかけてしまう。

それは選択肢としては決して正解とは言えない判断である。

「誰かと約束があるのだろう?」

それはまるで、気を使ったような口ぶりである。

「そうだ先輩。一つ忠告しておく」

「なんだ?」

「解っていないのか、狸なのか。どちらにしろ、私の蹴りを避けられるような奴に、『普通』な奴などは居ない。そう認識しておけ。・・・でなければ命を縮める」

僕の事をどう思ったのか、蔵姫はそう言うと校舎の中へと消えていった。

僕は、蔵姫の去った後を見ながら、結局彼女は何者なのだろう?などと言う当たり前の疑問を持って、それを見送る。

しかし、さくらさん来ないな。

なかなか来ない待ち人の事を考える。

まぁ、蔵姫が居た状況で来られても、多分揉めるような気がするので、遅れて正解かもしれない。

僕はそう考え、空を見上げる。

すると、屋上に繋がっている階段の下から、女性のわめく声が聞こえて来た。

「ちょっと、なによ!この結界!あぁーーーーーー、うざいわ!」

桜さん・・・、そんなに喚いたら、目立つだろ?

そんな風に考えながら、ゆっくりと桜さんが来るの待つ事にする。

「ちょと端鷹ぁー!あんた何時からあんな事出来るようになったのよ!それにドアはもっと丁寧に壊しなさい!後始末が大変でしょ!」

怒りながら桜さんが屋上に現れる。

蔵姫が創った結界に手間取ったのか、それを僕のせいにしようとする。

「僕の結界じゃない。さくらさんが一番知ってるだろ」

「そ、それはそうなんだけど・・・」

さくらさんは、口を尖らせるようにする。

霊的不感応の知識を教えてくれたのは、目の前のさくらさんの筈なのだが。

だけど、始めてみるそんな姿が、なんだか可愛らしくて、僕は笑ってしまう。

小さい時は分からなかったが、この元気さが、彼女本来の姿なのかもしれない。

「なに?端鷹、あの結界の事知ってるの?面倒だから壊したけど、この学校に結界を張るような、そんな奴居るの?」

「居るみたいだね。あ、ちなみに人間だよ。その娘」

僕は蔵姫の顔を思い浮かべる。

「そうでしょうね、人間じゃなかったら端鷹が・・・」

「ん?・・・僕が?」

「ううん、何でも無い」

一瞬、さくらさんが表情を曇らせたように見えた。

「所でそいつ、ここの学生?何者?」

さくらさんは目を細めながら聞いてくる。

「知らない・・・。僕もさっき初めて話した」

「ふぅ~ん。で?そいつとなにかあったの?」

さくらさんは、何かを感じたかのように聞いてくる。

「何って、・・・そうだね、僕が結界に気づかないで入ったら、いきなり襲われて、その後説教された程度かな?」

とりあえず嘘は言わず、掻い摘んで説明してみる。

伝わったかどうかは怪しいが。

「襲われて説教ねぇ・・・。軽くて済んだみたいだけど、気をつけてね。相手によっちゃあ、その状況・・・殺されてるわよアンタ。もちろん比ゆとかじゃなくて」

「だろうね」

僕は肩をすくませ、『やれやれ』と言った感じのポーズを取る。

「あっさり、『だろうね』・・・で済ませちゃうのね」

それは、『僕が命を粗末にしてる』と言いたげに聞こえる言葉だった。

「そんな事無いよ。僕だって考えてはいるから」

僕は否定するように言う。

「端鷹・・・、そう言う所は変わらないのね」

「そう言う所?」

僕は昔のように優しく笑うさくらさんを見て、聞き返してしまう。

「そう、貴方は考えるの。いつも自分の命を『考える』の。・・・それは『感じる』じゃ無いわ」

「よく分からないな・・・」

僕は、はにかむ。

「そうね。無い物を考えても、現実感は無いと思うわ。でも、とても危険な事なのよそれは」

さくらさんは続ける。

「・・・人は普通、『生きたい』って思うわ。そして『生きたい』って事は『死にたくない』って言っているのと同じ事なの。

つまり、どんなに死ぬのが怖くない人でも、生きたいと思っている以上、人は恐怖を感じるの。だから生きて行ける。

でも・・・・貴方は違うの。貴方は本当に死ぬのが怖くない人なの」

「貴方は、『胸にナイフを刺したらどうなるの?』なんて思ったら、自分の胸にナイフを刺して死んじゃう人なの。

でも貴方はそれをしないし、もちろんそのまま死ぬ事もない。それは『生きる事を選ぶ思考の選択肢』なんて言う、それを止める為の矛盾を持っているから。

そしてそこに、貴方の感情なんて物は入らないわ」

さくらさんは何か思うように、瞳を伏せがちに言う。

「・・・少しは変わったかと思ったけれど、やっぱ変わらない物ね」

「そうかな?自分では多少変わったって思っているけど」

僕は屋上の手すりにもたれ掛かり、遠くの風景を眺める。

空はなお青く、澄み渡る。

「私から見れば変わってないわ。あの頃から、そのまま大きくなっただけ。

そうね、端鷹は元々子供くさくは無かったから、微妙だけどね」

さくらさんは僕から少し離れた所にもたれ、同じように遠くを見る。

「そうだ!端鷹」

突然、さくらさんは飛び跳ねるように僕の名前を呼ぶ。

「どうしたの?さくらさん」

「ふふ、端鷹。私って、変?」

そう言って、僕の前でぐるっと回ってみせる。

昔、初めて僕の病室に来た時も、さくらさんは同じ事を言っていた。

でも、さくらさんはその時よりも、ずっと楽しそうだった。

「変だよ」

僕は笑いながら言う。

あの時とは違い、そこに朝霧は無い。

だけど、彼女はやっぱり、学校の先生が持ち歩かないような物を身に付けていた。

「はは。端鷹はやっぱり、おかしい?って思うかぁ」

そう言って、腰から下げた、赤い短刀を嬉しそうに触る。

「普通の人は、気にも留めない筈なんだけどなぁ」

さくらさんは、昔と同じような事を言って笑う。

「なに?その短刀って、また見えない奴なの?」

僕はその短刀の事を聞く。

僕からは、他の人にどう見えているかは分からない。

・・・朝霧と同じように。

「違うわ。他の人にも見えてるの。端鷹が見ているのと同じように」

見えてる?

ならば、何が違うのだろう。

「気にも留めない・・・って言ったでしょ。この『ハマナス』は、人に存在を肯定させちゃうの。そこに在って当たり前って。

端鷹は私に目や鼻がついてる事を『おかしい?』っては思わないでしょ。それと同じ事。

・・・誰も、ハマナスの事なんて気にも留めないわ」

さくらさんは笑う。

「だからこの『ハマナス』を『おかしい?』って思う端鷹は、やっぱり貴方らしいの」

僕がハマナスを見つけた事が嬉しかったのだろう。

さくらさんは、真紅の髪を風になびかせながら、少女のようにもう一度、回って見せた。

・・・なんだろう?一瞬であるが、やさしい風のような物が通り過ぎる。

それが気のせいなのか、それとも僕の知らない感情なのかは、今の僕には掴み様が無かった。

「さくらさん・・・」

「なに?」

そこに居るのが当たり前すぎて、久しぶりである事を、僕は忘れてしまいそうだった。

「側に行っても良い?」

僕は、昔の様にさくらさんを間近に感じたくて、そんな事を言う。

彼女は僕の事を話す時、優しい目をしたり、ほんの少し悲しそうな目をしたりする。

僕はそれがとても心地よくて、とても大好きだった。

「良いわよ。・・・でも、何だか恥ずかしくなっちゃうわ。・・・端鷹が大きくなっちゃって」

「ハンサムになったっては、言ってくれないんだ?」

僕は、ほんの悪戯心で、さくらさんに問いかける。

「そうね、今は言ってあげない。端鷹がハンサムだなんて言ったら、お付き合いしなきゃいけなくなっちゃうから」

さくらさんは別れの日に交わした、小さな約束をおぼえて居てくれる。

そんなさくらさんの言葉がくすぐったくて、僕は自然とさくらさんの綺麗な髪に手を伸ばしてしまっていた。

「やっぱり綺麗な髪だね。・・・本当に真紅い水晶みたい」

さくらさんは嫌がるような素振りは見せず、僕のやりたいようにさせてくれる。

「うん・・・。この真紅の髪は、今でも貴方だけの物よ・・・」

それだけ言うと、さくらさんは何も語らず、自分より背が高くなってしまった僕の肩に頭を預けてくれる。

「そろそろ授業がはじまるわ」

さくらさんは今朝と同じように言い、僕に寄り添うようにしていた身体を離す。

「さくらさん・・・、学校が終わったらどうするの?」

名残惜しさを感じた僕は、呟くように問い掛ける。

「おや、端鷹さん。大人になって少々色気が出てきましたか?」

さくらさんは僕を茶化すように言う。

僕はなんだか癪に障って、渋い顔をしてしまう。

「あははははは。心配しなくてもいいわよ。すぐに会えるから」

さくらさんは、意味深な言葉を残し、「バイバ~イ!」なんて手を振ると、僕を置いたまま校舎の中へと戻っていく。

バイバイか・・・。

もちろん、それがお別れの言葉なんかではなくて、直ぐに来る、再会の約束である事に、僕は心地よさを感じる。

そして僕は、いつまでも屋上に居るわけにも行かず、さくらさんと同じように授業に戻る事にする。

空は変わる事無く、その青さを保っている。







授業が終わっての放課後。

クラブ活動をしていない僕は、時間を持て余す。

僕は「すぐに会える」なんて、意味深な言葉を残して行ったさくらさんを言葉を思い出し、校舎をウロウロしていた。

・・・女々しいな。

僕は、思わず笑う。

ほんの少し、さくらさんを見ないだけでこれか。

ま、いいさ。

あせっているわけでもないし、明日になればまた会えるだろう。

僕はため息を突き、気分を変える。

そして、朝霧を教室に取りに行った僕は、そのまま、急ぐ訳でもなく浅田低に帰宅する事にする。

帰り際・・・ふと、歩美さんの事が頭に浮かぶ。

今朝は何も言われなかったが、歩美さんには心配を掛けてしまったと思う。

帰ったら、それとなく謝ろう。

僕はそんな事を考えながら、沈みかける夕日の中、帰宅の足を速める。

今の我が家である浅田邸に着いた僕は、玄関へと繋がる小さな門を開ける。

玄関灯が点いているところを見ると、美姫が帰ってきているのだろう。

歩美さんの帰宅は、仕事の関係上、もう少し遅い。

「ただいま」

僕はそう言いながら玄関へと進む。

・・・ん?

そこには見慣れない女性物の靴が一足、余計に置いてあった。

・・・お客様だろうか?

浅田邸にお客様とは珍しい。

記憶を遡り考える。

浅田邸に来客があったのは、僕が来てから初めてではないだろうかと思う?

「端鷹君。お帰りなさい」

家の奥からパタパタと小走りで出迎えてくれたのは、僕の予想に反して、この家の家長である歩美さんであった。

一見、幼な妻を思わせるその人は、同じ学校に通う、従兄妹の美姫の母親だと言うのだから、驚きである。

「歩美さん、今日は早いですね」

予想外の人物の出迎えに、帰宅の挨拶も早々に、そんな質問をしてまう。

「そうなの。今日は色々と準備があったから、会社を早退して来ちゃったの」

歩美さんは何か嬉しい事が有ったかのように、笑顔を見せてくれる。

「・・・準備?」

それが何であるか分からない僕は、首を少し傾げてしまう。

「端鷹君、昨日遅かったものね。説明は後でするから、まず着替えてきて」

僕は歩美さんの言葉に従い、二階の部屋へと上がっていく。

そして着替えに十分程時間を費やし、一階のリビングへと降りる事にする。

朝霧は部屋に置いてきた。

ガチャ。

僕はリビングのドアを開ける。

「お帰り~~♪」

その女性、玄関にあった見慣れない靴の持ち主は、その場所に居るのが当たり前のように僕を出迎えた。

僕は少し硬直し、その次に、今朝の教室を思い出す。

取り乱したりしなかったのは、学習と言う物だろうか?

「端鷹君、紹介するわ。私の同級生の桜ちゃんよ」

歩美さんは、楽しげな声でソファーに座った女性を僕に紹介する。

「水守桜です。よろしくね!」

桜さんはウインクをしてみせる。

この人は何を考えているのだろうと、僕はそう考える。

どうした物かと、僕は腕組みをしてしまった。

さくらさんが言った「すぐに会えるわ」とは、こう言う意味だったのだろうか?

「で?どう言う事なの?」

僕はさくらさんに質問をする。

きちんとした説明をしてもらいたいものだと思う。

「昨日、急に決まっちゃってね。端鷹君には説明できなかったけど、今日から少しの間下宿する事になったのよ」

歩美さんは、それが自分への問い掛けだと思い、さくらさんの代わりにそう言う。

「さくらさん・・・」

僕は少しトーンを落としながら、目を細める。

「い、いやねぇ~端鷹。そんなに怒んなくても良いじゃない。驚かそうとしただけなんだから」

さくらさんはひらひらと手を振る。

「ん?ん?何?何?桜ちゃん、端鷹君。二人とも知り合いなの?」

歩美さんは僕とさくらさんを交互に見ながら不思議そうにしている。

自分の甥っ子と、同級生が知り合いなのが、事の他意外なのだろう。

「そうね、まだ歩美には言ってなかったけど、端鷹が小学校の時、ほんの少し手ほどきをした事が有るのよ」

さくらさんは当り障り無く言う。

「ふぅ~ん、桜ちゃんは小学校の先生もしてたんだね。今度赴任して来たのが高校よね。桜ちゃんも色々先生やってるのね」

歩美さんは勝手に勘違いをして納得をしてくれる。

小学校と高校の教師テリトリーが違うのは追求しない方がいいだろう。

「あれ?それじゃぁ、桜ちゃんが今回赴任して来た高校って・・・」

「あ、うん。端鷹の高校よ」

歩美さんは「へー」なんて言いながら感心している。

と言うか、前もって聞かなかったのだろうか?

「それじゃぁ、端鷹君、桜ちゃんの事は『水守先生』って呼ばなきゃね!」

歩美さんは、悪戯心とも、大人の意見とも付かない口調てそんな事をいう。

僕はその言葉に対し、少し苛立ちを覚える。

「端鷹、立ったままじゃなんでしょ。座りなさい」

さくらさんは自分が座っている四人がけのソファーの隣を左手でぽんぽんと叩く。

僕は何も言わずそこに座った。

さくらさんは出されていた煎餅のかごを僕の方へと、ずらしてよこす。

僕らにとってのそれは、たぶん自然な事だった。

「へぇ~」

歩美さんは何を感心したのか、そう言いながら、僕にお茶を出してくれる。

「何よ歩美。なんか変だった?」

さくらさんは、その「へぇ~」が不満だったのか、歩美さんに聞き返す。

「違うの。二人のやり取りがすごい自然で、家族みたいだなって。それに桜ちゃん、変わったのね、私びっくりしちゃった」

「変わった?変な事言わないで。私が変わる訳ないじゃない」

さくらさんは『何いってんのよ』と言った感じで冷めかけのお茶を啜る。

「桜ちゃん、すごく女の子っぽくなってる。・・・もしかして彼氏?」

「ぶ・・・っ」

さくらさんは啜っていたお茶を噴出しそうになる。

「なに?・・・彼氏って誰の事?端鷹の事じゃないわよね」

さくらさんは僕の事を指差しながら驚いたように聞き返す。

「何言ってんのよ桜ちゃん。そんな訳ないでしょ。大体・・・端鷹君と何歳離れてると思っているの?いくら私でも無茶言わないわ」

歩美さんは手首を上下に振りながら、おばさんチックに「ほんと、いやねぇ~」なんて言っている。

「・・・そうね、端鷹とは親子程、歳が離れているものね」

一瞬、そう言いながらも、彼女の表情が曇るような気がした。

「それに歩美、私に彼氏なんて居る訳ないわ。・・・昔言ったでしょ。恋愛するつもりも無いし、彼氏を作ったり、男と付き合ったりなんて、これっぽっちも考えて居ないって」

さくらさんは視線を伏せるようにし、淡々と言う。

「そう?昔の桜ちゃん、結構男っぽい上に、人を寄せ付けなかったじゃない。桜ちゃんが端鷹君に優しいから、男の人で人生観変わったのかと思っちゃった」

歩美さんは、「おかしいわね?」なんて、頬に手を当てポーズを取っている。

「端鷹の前で変な事言わないで」

さくらさんはそう言って、お茶のお代わりを歩美さんに要求する。

そして、同じようにお代わりを貰った僕は、桜さんとお茶を啜る音をハモらせてしまう。

「あ、美姫が帰ってきた」

玄関前の小さな門の開く音を聞いた僕は、確認するように呟く。

それを聞いた歩美さんは「そうなの?」と呟くと、美姫を出迎えに玄関へと向かう。

歩美さんがリビングを出たの同時だろうか?玄関のドアの開く音と共に、美姫の「ただいま」の声が聞こえて来る。

「・・・端鷹、あんた耳いいわね。私は気配で誰か来たって分かったけど」

さくらさんは他人事のように言う。

「誉められた事にしておくよ」

僕はお茶を啜りながら、手に取った煎餅をかじる。

「お兄ちゃんただいまぁ~~って、これどう言う事?」

制服のままリビングへと入ってきた美姫は、しばしさくらさんを観察すると、お辞儀もせずに怪訝な顔をした。

「お帰り。美姫は歩美さんから聞いて居ないの?こっちはさくらさん。今日から下宿する事になったらしい」

僕は他人事のように言う。

「それは知ってる。友達が来るって、お母さんに聞いた。・・・そうじゃなくって、なんでそこに座ってるの?」

美姫は露骨に嫌そうな表情をする。

「こら!桜ちゃんにきちんと挨拶しなさい。お母さんが恥ずかしいでしょ!」

歩美さんは美姫をたしなめるように声をかける。

「だってぇー。」

美姫は何故か不満そうに言うと、仕方なくお辞儀をした様だった。

「ふふふ、すごく仲が良さそうに見えるでしょ。桜ちゃんと端鷹君、知り合いだったんだって。桜ちゃんて、見た目が若く見えるから、なんだか焼餅焼いちゃうわ」

何が楽しいのか、歩美さんは美姫に意地悪っぽく言う。

「いいもん!」

美姫は僕の隣にドカッと座り、自分の分のお茶を歩美さんに要求する。

「ほら、美姫!座ってないで着替えてきなさい。もうすぐ夕食なんだからお手伝いして」

一旦腰を落ち着けてしまった美姫は、「う゛~!」と声を上げながら、渋々自分の部屋へと向かう。

「端鷹、モテるわね」

美姫が立ち去った後、さくらさんがボソッと言う。

その言葉を聞いた僕は、自分の口が妙に渇く感覚に襲われ、残ったお茶を一気に胃袋へと流し込む。

「そんなんじゃ無いって」

そう言葉に出しながら、自分自身でよく解らない感情を持て余し、はにかむ事にする。

まぁ、それも良いのかもしれない・・・と。

だって今は、隣にさくらさんが居るのだから。








その日の夜、いつもより献立が多かった夕食は、何事も無く終わる。

そして、程なくと言うのだろうか?

越してきたばかりのさくらさん共々、各自部屋に戻る事になった。

ちなみに、さくらさんの部屋なのだが、一階の階段脇の和室と言う事になる。

実は、二階にも大きな空き部屋が在るのだが、自然に却下となった。

理由は簡単で、さくらさんはともかく、年頃の男子の隣の部屋はダメだと美姫が強く言った為だった。

理由は解らないが、美姫の態度がいつもと違うように思えたのは、僕だけだったのだろうか?

自分の部屋に戻った僕は、なんだか騒がしくなってきたと、ベットに腰掛けながら物思いにふける。

それから、どれ位時間が経ったのだろうか?

「トントン」と部屋のドアをノックする音が聞こえる。

・・・足音はしなかった。

「入ってきて、さくらさん」

僕は誰?とは聞かず、そう言う。

この家で、足音を立てずに歩ける人間など、僕かさくらさんだけだから。

湯上りなのだろうか?

さくらさんは桜色のパジャマを着ていて、頬が少し上気している。

まだ乾き切っていないであろう真紅の髪は、ほんの少しだけ輝いて見えた。

「端鷹、お風呂入らないの?」

そう言いながら、さくらさんは僕の隣へと座る。

初めからそこが自分の場所だと、決まっているような自然さで。

「さくらさんさぁ・・・」

「なに?」

僕は一旦言葉を切ってから、さくらさんに話しをする。

「そろそろ僕への用件を、言っても良いんじゃないかな?」

それは、今朝のホームルームから思っていた事。

さくらさんが意味も無く、僕の前に現れるとは、とても思えない。

もちろん、朝霧を送ってきた事も。

「端鷹、あんたってさぁ・・・、可愛くないわよ」

「この歳で可愛いなんて、言われたくも無いよ」

僕は少し憎まれ口を言いながら、渋い顔をしてみる。

「昨日・・・、同級生が人じゃ無くなってたんだ」

何の前ふりもなく、僕は昨日あった事を言う。

さくらさんは別段驚いた様子も無く、「そう・・」とだけ、短く答えた。

「それって、さくらさんが来た事と、何か関係在るの?」

僕は聞く。

「そうね、在るかもしれないし、無いかもしれないわ」

さくらさんは曖昧に答えた。

でもそれは否定ではなく、彼女には目的が在るという、答え。

「昨日、僕をこの家まで送り届けてくれたのはさくらさんだよね?」

なんとなく思った疑問に、さくらさんは「ええ」と短く答える。

「・・・見てたんだ」

僕は少し寂しく言う。

近くに居たのなら、目的はどうであれ、顔くらい見せて欲しかった。

「勘違いしないで端鷹。私があの場所に着いた時には、もうそれは終わっていたの。朝霧の解放は感じたから、貴方が『アレ』を倒したんでしょ?」

さくらさんは覗き込むように聞いてくる。

どうやら黒田を倒したのが僕だと思っているようだった。

「やっぱり黒田は死んだんだね」

僕は何を思う事無く、ただそう言う。

「やっぱりって?変な事を言うのね」

首を傾げる様にし、さくらさんは不思議そうに言う。

「変でもないさ。さくらさんは勘違いをしているようだけど、僕は黒田を殺し損ねたんだ。倒したのは多分・・・蔵姫」

「・・・クラキ?」

その名前を聞いて、さくらさんの表情が少し硬くなる。

それはまるで、蔵姫を知っているような反応だった。

「私は、貴方がアレを倒したんだと思ってたわ」

「さくらさん、蔵姫を知っているの?」

さくらさんは首を振る。

「知り合いって訳じゃ無いわ。ただ、私の知っている人物なら、クラキが倒したってその話、納得は出来るけど」

「所でそのクラキって人は、前からこの町に居るのかしら?」

さくらさんは『蔵姫』に興味を持ったのだろうか、話を変える様に言う。

「いや、居たかどうかは別として、会ったのは昨日が初めて。多分、来たばかりなんじゃないかな?」

確証のある話ではないので、僕は曖昧に答えた。

「端鷹、出来ればその人には近づかないで。命の保証は出来ないから」

さくらさんは真面目な顔で言う。

「危険な娘なの?」

僕は意外と言う風に首を傾げる。

「私は近づこうと思わないわ。こっちの世界での噂しか知らないけど、見境が無くてかなり危ない奴らしいの」

さくらさんは、噂でしか知らないと言いながら、蔵姫に何か苦手意識のようなものを感じているようだった。

「そうなんだ。でも、見た目は可愛い娘だよ。美姫と同じくらいの背丈だし」

「あんたねぇー」

さくらさんは目を丸くし、ため息を吐く。

「そう言えば、昼休みにさくらさんが結界を壊したじゃない。あれ、蔵姫が作った結界だよ」

僕は何気なく昼の事を言う。

「ちょっ、・・・マジ?それまずいじゃない!」

さくらさんはやっちまったかぁーー!みたいな顔をする。

深刻な話をしているようで、どこか茶目っ気があるのが、少し可愛い。

「で?話を戻すけど、蔵姫は別として、僕になにか用事があったんだよね」

僕は本題に戻す。

さくらさんが「終わった」と言った時点で黒田が死んだ事は間違い無いだろうし、その黒田を倒したのが蔵姫である事も間違いではないと思う。

僕としては、その時点でのそれ以上の答えを必要としなかった。

「そうだったわ。まぁ用事って程の物でも無いんだけどね。私はただ、貴方の事を心配して、忠告しに来ただけ」

「忠告って?」

僕はほんの少し首を傾げ、さくらさんの瞳を見る。

「危険な事はするな、って話」

彼女は目を細めるようにして言う。

「彼方が死ぬのは勝手よ。ただ、悲しむ人が少なからず居るわ。その事だけは、頭の隅に置いて居て欲しいの」

さくらさんの言葉は、誰でもない自身の思いのようにも聞こえる。

「つまり、さくらさんは悲しんでくれるって事?」

「つまんない事を言うのね、端鷹。そこは聞かずに納得なさい」

彼女は面白くなさそうにそう返す。

「いや、さくらさんがあんまり真面目に言うから、なんとなく・・・ね」

「真面目よ、私は。それに端鷹がどう思っているかは知らないけれど、私は御人好しでは無いの。

だから、心にも無い事は言わないし、他人の死を悲しむ・・・なんて言う趣味も持ってないわ」

僕は、そんなさくらさんの言葉を聞いて、なんだか嬉しくなってしまう。

それは、目の前の人間が『特別』だと、遠まわしに言っているのと同じ事だったから。

「なに笑ってるのよ?端鷹」

憎まれ口のようにさくらさんは言う。

だが、そこに彼女の不愉快さは感じられない。

僕が何を思って笑ったのかが、彼女は分かっているのだろう。

さくらさんは満面の笑みを浮かべる。

「それはそれなんだけど、それとは別に、端鷹に重要な忠告も在るの」

満面に見えたそれは、不思議と軽い笑みに見えはじめ、今まで見た事の無い笑みとなる。

「ん?なに?」

それに違和感を覚えながらも、僕はさくらさんの目を見つめる。

「私の仕事の邪魔はしないでね」

そう言いながら、彼女は笑う。

・・・?

「それって、どう言う意味?」

その時僕は、彼女の言っている事が理解出来ず、聞き返す。

「どう言う意味も何も、言ったままよ。私が端鷹の前に現れたのは、端鷹に忠告する為だけど、この町に来たのは仕事が在るからなの」

「貴方は黙っていると、人で無い者に関わっちゃうでしょ?

でもそれってさぁ、私の仕事にとってはね、とぉ~っても邪魔な物なの。判るでしょ、端鷹?」

邪魔?・・・僕が?

さくらさん言葉に、僕は少なからずショックを受ける。

当たり前のように『手伝って』位は言われると思っていた。

僕は朝霧を手に入れた。

それは、事実として『アレ』と『殺り合える』と言う事だった。

朝霧を僕に渡したのは、目の前のさくらさんである。

そのさくらさんの理由やら思惑を、少し考えあぐねてしまう。

そして僕は、動揺を隠す様に平常心と言う物を装う。

もっとも、感情の乏しい僕にとって、それは決して難しいことでは無かった。

「そうだね、極力邪魔はしないようにするよ」

僕はそう言い、微笑むふりをする。

「あら?思ったよりも素直ね」

さくらさんは、意外と言う様に怪訝な顔を見せるが、それも一瞬だった。

「そうでもないさ。代わりにさくらさんから情報は貰うし、現状で何が起きているは知りたい。忠告してくれた様に危険を回避するには、情報が必要だからね」

邪魔をしないとは言った物の、何が起きているかは僕だって知りたい。

それを知らなければ、大事な何かを見過ごしてしまう時だって在るのだから。

「ふぅ~ん」

さくらさんは燻気に僕を見る。

「もしかして、さくらさんの仕事上、問題が在ったりするの?守秘義務とか?」

僕は自然に振る舞う。

「違う違う、そうじゃなくって、代価を元に取引を切り出すなんて、端鷹も大人になったんだなぁ~って関心したの」

さくらさんは普段と変わらぬ笑顔で、素っ頓狂に言った。

「いや、そんな事に驚かれても、嬉しくはないよ・・・」

「まぁ良いわ、そんな事で貴方が関わってこないなら、安い物よ。それに逆に嗅ぎ回られても困るだけだし」

一拍置いて、さくらさんの表情が少し厳しくなる。

「そうね・・・、じゃぁそんな端鷹に、大っきな御褒美として、さっそく情報をあげる」

さくらさんはにっこりと笑い、僕を見据える様にする。

「端鷹も分ってはいるようだけど、今回この町に来た目的は、勿論仕事よ。そして、学園の教師とは仮の姿なの」

その言い草は真面目で、受けを狙っているのか本気なのか、区別付かない。

「そうなんだ・・・。なら、やはり『アレ』関係という事?」

僕は、苦笑いしながら、聞き返す。

「当たり前じゃない!だって私の本職、鬼退治だもん」

そう言えば、出会ったばかりの頃、自分の事を「正義の味方・・・」なんて言って居たが、本当の所は『鬼』と言われる『アレ』の類を専門に滅ぼす、退魔師のような物だと言う事だった。

「で、そいつなんだけど、間違いなくこの町に居るわ。端鷹の話しで確証が持てたから」

僕は、人では無くなった黒田の顔を思い出す。

「もしかして『アレ』になった同級生の話を聞いて?」

僕は確認するように言う。

「違うわ。無関係とも思えないけど、それはそれよ。確証たる物では無いわ」

僕は、さくらさんの言葉を待つ。

「問題は、さっき端鷹が言ったクラキなの。私の追っている奴は、そのクラキに関っている奴なのよ」

さくらさんは嫌そうに言う。

「つまり、蔵姫がそれに関っていると言うの?」

「そう、だからクラキが出て来てるのならば、今回の『私の倒すべき』存在が、この町に居るって言う事なの」

正直意外だと思ってしまった。

僕はさくらさんの事と、蔵姫の事が関っているとは思っていなかった。

もっとも、二人が同じ世界の人間だと言う事は容易に理解できる。

僕は「ふぅ~ん」とだけ相槌を打ち、その話を流す様に聞いた。

「今回私が追ってる『アレ』は、白薔薇と呼ばれている者の一つ」

さくらさんは表情を落とす様にする。

「白薔薇?初めて聞く単語だね」

過去において、さくらさんの口からその単語を聞く事は一度も無かった。

「そりゃそうよ、これに関しては、あんたに話すの初めてだもの」

そう言って、さくらさんはその白薔薇について説明を始める。

「世の中にはね、白薔薇と呼ばれる者たちが居るの。

いつ頃からその呼び名で呼ばれているのかは私も知らない。

私が初めて見たときには、既にそう呼ばれていたから。

白薔薇達は基本的に、鬼や、人間、魔術師、退魔師とかの区別は無いの」

「白薔薇と呼ばれる条件は唯一つ。その名の通り『白薔薇』と言われる退魔系武器を使用す事、ただそれだけ。

退魔系武器と言っても、『聖なる物』なんて立派な物じゃないわ。

武器の形をした、只の霊力増幅器。

鬼と呼ばれる、貴方の言う所の『アレ』を倒すのに有効な、数少ない武器。

凄く単純な意味の、殺しの道具。

だから鬼やら、人では無い者でも使えるの。

もっとも、同じような武器は他にも存在してて、業界としては当たり前と言えば、当たり前の物なんだけどね」

そう言いながら、彼女は一呼吸する。

「ただ、ちょっとだけ昔かな?白薔薇どうしの大きな揉め事があってね、そのせいで白薔薇の名前がこの業界で有名になっちゃったの。

時の単位で言うと、六十年位前だったかしら?」

さくらさんは、はにかむように笑う。

僕は自分の疑問を考える。

「もしかすると、その話に関係している蔵姫も白薔薇なの?」

僕は桜さんの話の内容と、桜さんの態度を思い浮かべながらそう言う。

「そう言う事になるかしら?」

ため息を吐くように、さくらさんは言いう。

「クラキは、この業界じゃ『ロサ・ムルティーフローラ』と呼ばれているわ。

白薔薇の原種って意味で」

「ロサムルティー・フローラ・・・」

僕はなんとなく口に出してしまう。

それは、彼女の冷たく無表情な面持ちとは、違った響きである。

「あ、今、少し邪な事考えてるでしょ、端鷹」

さくらんは僕の表情を読むようにし、弄る様にする。

「まぁ、あれだけの美人さんだからね、男としては気になるさ」

僕は茶化す様に言い、本意を隠す。

「所で聞いていい?さくらさん」

「何?」

「白薔薇ってのが居て、それが複数居るって話は分かったけれど、そのその白薔薇は、どれだけ居るの?」

僕は素朴と言える疑問を、さくらさんに問いかける。

「そうね。大体六人位かしら?人で無いものを含めてだけど」

「六人・・・」

その内のどれだけが『アレ』なのかと考えると、心が躍ってしまう。

「勘違いして居る様だけど、全部がこの町に来ている訳じゃ無いわよ」

さくらさんの言葉は、少なからず複数の白薔薇が、この町に存在すると言う証拠の様な物だった。

「最後に言うけど、白薔薇は強いわ。だから、私の邪魔をしないで」

さくらさんは僕に手を伸ばす。

「貴方じゃ駄目なの。お願い、危険な事には手を出さないで」

さくらさんはそう言いながら、僕の頬に手を当て、悲しそうな瞳をする。

そこには、今も消えない深い傷が残っている。

「さくらさん・・・・、それってさくらさんだって危ないって事なんじゃ無いの?」

僕の問いに、さくらさんは答えない。

少し間を置き、息をはく様にした彼女は笑う。

「まぁねぇ、心配してくれるのは嬉しいけど、実は大丈夫なの!」

自信満々なさくらさんを、僕はきょとんと眺める。

「だって私も薔薇だから」

僕はその言葉に首を傾げた。

「さくらさんも白薔薇なの?」

それは当り前の疑問と言って良い。

「違う違う、私は『白薔薇』なんかじゃないわ」

その否定は、馬鹿にするような、それでいて軽薄な言い方だった。

「私はね、表向きの言い方で『紅薔薇』って言われてるのよ、業界的に」

その言葉がどう言う意味なのか、僕には理解しようが無かった。

ただ、紅薔薇と言う呼び名・・・なんだか妙にさくらさんのイメージにしっくりと来る。

真紅の髪をした紅薔薇。

僕はそんなさくらさんを見つめ、この人に対する好意を、再度確認する。

そしてさくらさんは、『話はおしまい!』みたいな感じでその話を切り上げた。

「私やクラキに関わる以上、貴方も薔薇達について知っていた方が良い事は多いわ。

でも、それはその内にね。

明日も学校があるんだから、早く寝なさい。後、寝る前にお風呂に入いってキチンと歯を磨くのよ。いい?」

さくらさんは僕を指差しながら、自分の腰に手を当てる。

「あれ?僕、臭いかな?」

僕は自分の身体に顔を近づけ、においを嗅ぐ。

そんな僕を見たさくらさんは、「ばか」とだけ言って、僕の部屋から出て行く。

部屋に一人になった僕は、ベットに横になり、今までさくらさんの座っていた場所を見つめる。

「明日・・・か」

そんな風に呟きながら、全てを語らなかったさくらさんの事を考える。

まずい事は伏せて言ったつもりなんだろうが、分かり過ぎである。

きっと、彼女は慣れてないのだろう。

相手に対し、気を使うと言う事が。

この状況。

・・・まずいだろ、普通。

そう、まずいな、普通。

・・・フフ。

僕の口元が大きく歪む。

これ位我慢出来れば上出来だろう。

さくらさんの前では随分我慢をしていた。

『アレ』は僕にとっての最高の恐怖。

それはどんな時でも変わる事は無い。

その話をしていて、僕が高鳴らないはずが無かった。

僕は恐怖を思い出す。

・・・黒田の時を。

「くっくっくっく」

あまりの甘露な味わいに、思わず声が漏れる。

思い出しただけでこれだ・・・。

きっと、目の前に『アレ』が現れれば、抑えなど効かない。

さくらさんがどう考えようと所詮は無駄な事だろう。

まぁ・・・いいさ。

さくらさんとの時間、そして『アレ』と対峙する可能性の多さ。

僕にとってはある意味、両手に花とも思える状況なのかもしれない。

そう思う。

僕の期待は確実な物へとなり、の時は、刻一刻と近づいて来る。

僕は、天井を見上げ、見える筈の無い、夜空を仰ぐ。

全てはこれからだと確信して。








週一程度の更新となりますが、よろしくお願いいたします。

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