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朝霧  作者: KARINA
1/9

ローズブレイカー その1

私としょうこ♂お姉さま、そして、らいずまい先生の合作『朝霧』を、捨てるにはもったいないので、公開する事にしました。知ってる方も、知らない方も、最後までお付き合いして下さいましたら、幸いです。

僕はぼんやりと、目の前の風景をみる。

それは、僕にとっての見慣れた物だった。

・・・いつも遊んでいる近くの神社。

でも、暗く、いつもとは違う風景。

遠くからは、祭り囃子の音が聞こえてくる。

あとは、降り注ぐ月明かりだけ。

とてもその光が蒼くて綺麗だった。

・・・初めてかな?月を綺麗って思ったの?

遠くの囃子の音と、その月明かりがとても良く合っていて、テレビで言う『ゲンソウテキ?』なんだと僕は思った。

『ゲンジツ』では無いキレイな眺め。

キレイ・・・だからこれは、たぶん・・・夢。

きっと僕は今、夢を見ている。

それは、とっても怖い夢。

怖い?これが怖いって感情なんだ。

理由なんてぜんぜん分からなくて、ただ漠然とそう思った。

だって僕は、他の人が言う『怖い』って言う感情を感じた事が無いから。

たぶん、他の人とは何かが違っている。

それが僕には普通で、不思議じゃなかった。

でも僕は、この夢が怖い。

・・・何でだろう?

『ゲンソウテキ』な、その眺めをもう一度、見る。

ああ、そうだった。

その光に照らされて、・・・それは居た。

何をするわけでもなく、ただそこに立っているだけ。そんな感じで。

僕は目を離す事が出来なかった。

片手で掴んだ大きな物を、風船か綿飴のように、『それ』は貪っている。

僕はそれを見る事を止めない。

きっと、これが恐怖なのだろうと思う。

『それ』は、僕の目をじっと見ている。

ばきぃ、ぼりぃ、じゅらぁ。・・・嫌な音。

やっぱり僕を見ている。見つめながら、それでも気にもせず貪り続けている。

それが掴んでいる物は、だらしなく腕を垂らしていた。

その腕は、糸の切れた操り人形みたいに、力なく揺れている。

最初に見た時から判っていた。

浴衣が似合う女の人。

きっと綺麗な人なんだろうなって、思ってた。

でも、食べられちゃって、今はもう、顔が無い。

夢を見始めた時は、まだあったような気がするけど・・・。

だけど僕は、そんな事はどうでも良かった。

これはきっと夢だし、今は別の事に興味がある。

だって僕は、怖いと思っている。

それは初めての経験。

そして『それ』は怖い。

怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

ふしぎ。なんで怖いんだろ?

僕は怖いと思っている。

だけど『それ』は怖い。

怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

僕は『それ』が怖かった。

やっぱり、僕は可笑しいのかな?

人が食べられているのに、それは怖くない・・・。

でも僕は、貪り食らう『それ』が怖かった。

身体が動かない。これは恐怖?それともちがう物?

でも、身体が動いても、きっと逃げたりはしない。

だって、初めて感じる恐怖に僕は酔っている。

知らないキモチに痺れている。

恐怖とは、こんなにも甘い味がする物なんだと、初めて知ってしまった。

不意に、『それ』は手に掴んでいた女の人を放り出す。

まるでおもちゃに飽きた子供のように。

理由は簡単。

目の前に、もっと美味しそうな物を見つけたから。

・・・近づいて来る。

「うぉあぁあぁぁああああえぉあーーーーーーーーーーーー!」

これ以上はないって位の恐怖のイメージを感じる。

僕は初めての恐怖に狂い、獣の様に吠える。

いつまでも、いつまでも、それが続けば良いと思った。

でも、たぶん、終わりはもうすぐ。

夢は終わる。

あれ?夢に終わりなんて在るのだろうか?

・・・。

考えていたら突然、強い風が吹いた。

僕の横を何かが駆け抜けて行く。それが人だと解るのには時間は掛からない。女の人だった。

流れるように、まるで舞っているような動き。すごく綺麗だった。でも、目で追うのがやっと。

動きが速すぎて、人じゃないみたい。

その人は『それ』に向かって行く。人なのに・・・って思った。いくら速くても、きっとダメ。

その人は、さらに低く、『それ』に飛び込んでいく。

『それ』は、それを気にする事もなく、笑っていた。

そして『それ』は、その人をすり抜けるように、僕へと向かってくる。

かわされたその人は、とても慌てているようだった。

『それ』の肩越しに彼女の長い綺麗な髪が見える。

顔はぼやけていて見えないけれど、僕に何かを言っているような、紅い唇だけははっきり見えた。

何を言っているの?そんなに困ったような顔をして。

何を言っているのか気になって、その人をじっと見ていたけれど、何かが僕の視界を遮る。

正直、『それ』が邪魔だなって思った。

でも、次の瞬間、鈍い痛みが僕を襲う。

・・・。

・・・あれ?変な感じ。

・・・周りの音が消えた。

襲ってきたと思った鈍い痛みは、もう何処にもなかった。

何でだろう?

恐怖と思ったそれも、髪の綺麗な女の人も、僕の視界から消えている。

その代わり、視界に入ってくるのは満天のお月様。

お月様はこれ以上無いってくらいにまん丸だった。

そして、何か赤くて生臭い物が僕から噴き出している。

妙にミスマッチな気がした。でも、綺麗・・・。

あぁ・・・、紅く染まったお月様。

濡れた月って、・・・なんて綺麗なんだろう。

僕は、とても緩い時間の中でそれを見ていて、それがとても長い一瞬に思えて・・・。

あぁ、そうか。

あの髪の長い人は、僕に「にげろ」って言ったんだ・・・。

そして、僕は更に深い夢に落ちて行く・・・。












僕は夢を見ていた。それは長い・・・長い・・・夢。

どんな夢だったのだろう・・・?

考えてみたけど、どうやっても思い出せない。

頭がぼーっとする。

目覚めた僕は、なんとなく天井を見上げ、そして何も考えない事にした。

どれくらい、そうしていたんだろう?頭がハッキリしてきてから、あれっ?って思う。

見た事の無い天井。

視線だけで辺りを見渡す。

僕の知らない部屋。

ここは何処なんだろう?

壁も床も白ばっかりで、つまらない部屋。

微かに嫌な、消毒液みたいな匂いがする。

僕の通っている小学校みたいに、遠くから放送の声がひびいて聞こえる。

誰かを呼んでいるみたい。

ここがどこか、ぜんぜん分からないけど、自分の家じゃないって事だけは確かみたい。

僕はなんで、ココに寝ていたんだろう?

・・・いろいろ考えたけど、やっぱり思い付かない。

とりあえず起きてみようと思う。

「イタタっ!」

身体を動かそうとしたら、急に痛みが走った。

不意の感覚で声が漏れてしまう。

起きあがろうとしたけど、身体がうまく動かない。

なんでだろ?

やっとの思いで、窓の所まで行く。

「よかった」

そこには見慣れた風景があった。

自分の住んでいる町。

町に一つしかないデパートや、さほど大きくはない駅がよく見渡せた。

ここからは見えないけど、きっと自分の家もあそこら辺に有るはず。

・・・そう考えた。

そして、ここがとても大きな建物で、見た事のある所だって事も分かった。

入った事はなかったけれど、ものすごく大きな病院。

外の空気が吸いたくて窓に手を伸ばす。でもこの窓、開けられるようには出来てないみたい。

不満、と言う訳ではないけど、ちょと残念って思う。

何で病院に居るのかは、さっぱりだけど、やる事も無いし、窓からの風景をただ眺めつづけた。

ガチャ。

後ろでドアの開く音がした。

ゆっくり振り向く。

看護婦さんの姿をした知らない人が入ってくる。

「やっと気が付いたのね」

看護婦さんの姿をしたその人は、そう言った。

変な人だった。

服装が変とかじゃないんだけど、でも、やっぱり変。

「あなた、1ヶ月も眠りつづけて居たのよ」

変だなって思って見ていたら、その看護婦さんに話しかけられた。

看護婦さんは、僕が眠っていたベットに腰掛けて、おいでおいでをする。

妙に落ち着いた感じのする人だった。

見た目は二十歳くらいなのに、お年寄りみたいな感じ。

僕は返事をするでもなく、てくてくと歩いて、看護婦さんの横に飛び乗るように座る。

起きたばかりでそんな事をするから、少しバランスをくずしてしまう。

そしたら看護婦さんが「あぶない、あぶない」と言って僕をささえてくれた。

良い人なのかもしれない。

でも、僕が黙っていたからかな?なにも話さないで時間が過ぎて行く。

ふと、看護婦さんが僕の方を見て話しかけてきた。

「ねぇ、端鷹くん。あの時の事覚えている?」

・・・あの時の事?

突然、何の事を言っているのだろう?と思った。

初めて会った人に「覚えている?」と聞かれてもピンと来ない。

僕の生きた10年の中で、彼女と会った事が有ったかな?

「そう、覚えていないか・・・」

看護婦さんは、僕の方を見て、ほっとするようにそう言った。

そして、考えるように指をこめかみにそえ、違う質問をして来た。

「所でさ、私って、変?」

いきなり話題を変えられて、僕はあわててしまう。

実は、最初に言われた事の答えを、まだ考えていたから。

あせった僕は、相手に気を使うなんて事も出来ず、素直に「うん」と答えてしまう。

もしかすると、すごく失礼な事を言ったかもしれない。

「私の何処が変か教えてくれるかな?」

そう答えた僕に、看護婦さんはすごく真面目に話掛けてくる。

びっくりする位、本気の視線で・・・。

看護婦さんが部屋に入ってきた時から気になっていたから、僕は素直にそれを指差す。

どうやっても隠しようの無い、時代劇のような黒い刀。

看護婦さんは、その刀を肩から腰にかけて担ぐように持っている。

「あぁ、やっぱり見えているんだぁ。普通、見えないんだけどなぁ」

すごくがっかりしている。

いや、驚いているのかもしれない。

「それじゃ、このままバイバイって訳にはいかなくなっちゃったわね」

何の事を言ってるのだろうか?

僕は首を傾げた。

しかし、看護婦さんはそんな事を気にも止める気もないみたい。

「それじゃ、もう一度聞くわ。あの夜の事を覚えている?それとも恐怖のあまり忘れちゃった?」

看護婦さんの言っている事は、なんだか良く分からない。

それに、さっき質問と微妙に内容が違っている。

『夜』と『恐怖』と言う言葉が多くなっている。

夜・・・・・・・?

恐怖・・・・・・・?

何かがトゲのように、僕の頭にひっかかる。

僕は怖いとか、恐怖って物を感じた事がない。

もしかして、本当に怖いって感情が無いのかなって、思ってた。

ちょっと人と違うって、良く言われる。

でも、危ないとか、危険だって事は、理屈で解っている。

だから、恐怖なんて感じなくても、僕は大丈夫。

・・・なのに。

・・・・恐怖?・・・・・怖いモノ?

ぞぶりっ。

何かがこみ上げて来る。

まるで僕の中でスイッチがはいるみたいに・・・。

・・・・・知ってる。

・・・・・・僕は知っている?

・・・・・知ってる。

・・・・・・僕は恐怖を知っている?


・・・ボクハ、キョウフヲシッテイル。


・・・アンナニモコワイモノ。


・・・アンナニモキョウフスルモノ。


・・・アンナニモアマイアジヲ、ボクハ、ワスレルハズガナイ・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・。


・・・・・・・・・。


「端鷹くん!端鷹くん!」

「えっ?」

看護婦さんの声で僕は我にかえった。

慌てて看護婦さんの方を見る。

どうやらぼーとしてしまったらしい。

「端鷹くん・・・、今どんな顔をしていたのか自分で分かる?・・・いいえ、あなた本当に子供なの?」

何を言っているのだろう?

見れば分かると思うけど。

『ふぅー』と呼吸をして、看護婦さんは力を抜いた。

「ごめんなさい。ちょっと気持ちが焦ったみたい」

そう言って、看護婦さんは僕に向き直る。

「自己紹介がまだだったわね。私は、桜守。『さくらもり』なんて、庭師みたいな名前だけど、呼ぶ時は『さくら』でいいわ。看護婦の制服を着ているけれど、看護婦じゃないのよ。正義のみかたぁ・・・とも違うけど、悪者じゃないわ」

そして彼女は、僕に対し満面の笑みを浮かべる。

・・・変な自己紹介。

「はい、次は君。もちろん私は君が誰かは知っているけど、君の名前、貴方の口から直接聞きたいの。いい?」

「桜守」と名乗ったニセ者の看護婦さん?は、屈託の無い笑顔で聞いて来る。

僕はそれに頷く。

なんでだろう?近くに居るだけで、なんだか落ち着ける。

会ったばかりなのに・・・。

「はしたかです。加々美端鷹。小学5年生です」

さくらさんは、僕の自己紹介を聞いて、ケラケラと笑った。

どうやら子供らしくないのが可笑しいらしい。

「端鷹くんって、普通と違うって言われない?」

ずけずけと物を言う人だと思う。

「自己紹介も終わった所で、本題に入るけど、良い?」

自分に拒否権があるかどうかは分からないけれど、僕は「うん」と答えた。

「そう、・・・さっきの感じからして、覚えているのね。あの時の事」

僕はただ、首を縦に振って答えた。

正直、なんと答えて良いか分からなかったから。

だって、夢だと思っていたから。

「なんであんな時間に、あそこに居たかは、覚えている?」

首を横に振る。

僕はなんで、あそこに居たのだろう?

そこは、神社の境内だった。

とても月明かりがキレイで・・まるで夢のような光景。

「アレを見たのは覚えている?」

『アレ』?・・・ぼくは返事をしなかった。

その代わりに、さくらさんをじっと見つめる。

「そうね、端鷹くんからは、アレが何に見えたのかな?私に教えてくれる?」

僕からは?その聞き方が変な聞き方で、僕は少し考える。

一瞬思い出したけど、もうそんなには怖くなかった。

「・・・怖いモノ」

ただ、それだけ。

「人には見えなかった?」

・・・?

考えても見なかった。

そう言えばアレは人の形をしていた。

「人?・・・人はあんなじゃないよ。全然ちがう」

当たり前の事なのに、どうして聞くのだろって僕は思った。

「貴方には見えるのね。いえ、逆ね。見えないから騙されないってのが本当かしら?」

なんだか難しい事を言う。

さくらさんの言う事は全部クイズみたいだと思った。

僕が分かってないだけかもしれないけれど・・・。

突然、さくらさんの目が険しくなった。何かを、大事な事を僕に伝えたいのが解る。

僕は座り直してさくらさんを見つめた。

「貴方、長生きしたい?他の人と同じくらい」

なんでそんな事を聞くのだろう?

「ごめんなさい。突然変な質問で。でも貴方なら解ると思うわ」

言葉の最後で、さくらさんはフフッって笑う。

だけど、さくらさんは本気だった。

それは作り物じゃない、僕がここに居る事を、本当に認めてくれている視線。

「うん」

僕は答えた。

・・・迫られて言っただけだと思ったのに、・・・涙が流れた。

さくらさんは、なんで涙が出たのか解らないで居るぼくを、そっと抱き寄せてやさしく言った。

「やっぱり、解っているのね」

何を?ぼくは聞きたかった。

自分がどうして泣いているのか分からない。

「生きたいか?」と聞かれて、妙に心が締め付けられる。

まるで自分にはそれが許されない、手の届かない物のように・・・。

「あまり時間は無いけど、ゆっくり、ゆっくり、貴方の事を教えてあげる。少しでも長く生きられる術と、これから貴方に起こるかもしれない色々な事を・・・」

さくらさんは暖かかった。

・・・いい匂い。

お母さんってこんな感じなのかな?

母の居ない僕は、ふとそんな風に考える。

抱きしめられながらそう思ったら、呼吸がくるしくなった。

自分でも気が付かないうちに、しゃくり上げる程、派手に泣いていた。

今にして思えば、自分が長く生きられない人間だって、子供心に気が付いていたのかも知れない。

母は僕が物心ついた頃に亡くなっているし、その兄弟も10代半ばで、皆亡くなっていると聞いた。

その時はそんな事、知りもしなかったけど。

・・・。

それから、どれ位の時間過ぎたんだろう。

気が付くと、さくらさんの姿は何処にも無かった。

代わりに、「また明日きます」と言う置手紙を見つける。

泣き疲れて眠るなんて、僕は少し恥ずかしい事をしてしまった。

僕はチョット反省した。

そしてその後少しして、僕の周りは何だかな?って感じになる。

お父さんが病室に来て、これ以上ないって位、大泣きをするし。

でも、さくらさんの事はお父さんには言わなかった。

僕の事も、神社で野犬に襲われたって事になっているようだし、心配させてはいけないって思ったから。

仕事が忙しいお父さんは、すっかり落ち着いている僕を見て、「悪い」と言いながらすぐに帰ってしまった。

どうやら、お父さんは、この1ヶ月間ろくに仕事が手につかなかったらしい。

お母さんが居ないからって訳ではないけれど、僕はずっと優等生をやってきた。

だからだろうか?僕の元気な姿を見たお父さんは、もう心配は無いって感じで安心しきっていた。

お父さんに、変に心配されるのも、僕は好きじゃ無かったし・・・。

そんな感じでその日は終わった。

そして次の日から、さくらさんの授業は始まった。

僕は精密検査やら何やらで、当分病院に入院しなければならない。

さくらさんは、その間に教えられる事を教えるって、かなり張りきっていてた。

僕はその少ない時間の中で、いろいろ聞いて、いろいろ知った。

どうやら僕は、霊的不感応者と言う者になるらしい。

それは、身体や精神が、内的、外的な霊的影響を受け付けないようになっていて、とても特殊な体質だと言う事。

でもこれは、お母さんからの血筋だって話。

そして、お母さんが死んでしまった理由が、それに関わる事だろうって。

さらに追い討ちをかけるように、さくらさんは言っていた。

僕は、確認出来る範囲で完璧な霊的不感応者で、とても珍しい存在であると。

僕が寝ていた1ヶ月の間に、色々試したので間違い無いとも言っていた。

つまり、結界のような『アレ』のテリトリー内に、何故か居るはずの無い『僕』が居た。

それに『アレ』が僕には人間に見えなかった。

それは結果として、僕が一切霊的に見たり感じたり出来ない人間だからって事だった。

普通の人は、本能のような物で近づこうとしないし、知覚にフィルターのような物が掛かって、『アレ』をそのまま見たりはしないって。

こう言うとなんかすごい力のように思うけど、実際は危ない事を、全く避けれない人って事になってしまう。

つまり、「第六感」や「霊感」と言ったものが、僕には全然ないらしい。

だから『アレ』のような物にまた会ってしまうかも知れないし、会ったら会ったで今度は助からない。

と、さくらさんは言っていた。

僕はため息を突く。

実際に僕の人生は、10年で終わる所だった。

そして『アレ』を、さくらさんは「鬼」と言った。

人の天敵だって。

それ以上は知る事は無いとも言った。

さくらさんは、そんな信じられないような事を、難しい言葉は使わず、僕に理解出来るように教えてくれた。

だけど、僕はそんな毎日がとても楽しかった。

何時までも続く物だと思っていた。

退院のその日まで。

・・・。

ガチャ。

病室のドアが開く。

足音はしない。

さくらさんは何時もそう。

「端鷹、今日退院だね」

僕を名前だけで呼ぶようになっていたさくらさんは、呟く。

いつもと様子が違っている。

「うん、退院。さくらさん、ぼくが退院したら、家に遊びに来てくれるんでしょ?」

無駄なんだって、僕も分かっていた。

でも、さくらさんを引き止めたかった。

彼女はきっと僕の前から居なくなる。

さくらさんは笑っていたけど、返事をしようとはしない。

僕が不安に思った事に「そうですよ」って答えるように黙ったままだった。

「だめなの?」って聞こうとした時、さくらさんは、その言葉をさえぎる。

「軽い罪滅ぼしのつもりだったの・・・」

つぶやくように、誰かに謝るかのように言う。

罪滅ぼし?誰に?

僕は自分の顔の左側を、手で触る。

爪で、えぐられたような傷がある。

鬼と呼ばれる『アレ』に襲われた時に付いた傷。

・・・分ってた。

さくらさんは、あの時「逃げて!」って言ってくれた人。

顔は覚えていないけど、間違い無くあれはさくらさん。

その後、きっと僕を助けてくれた人。

彼女がいなければ、きっと僕は生きてはいない。

そう考える。

そしてさくらさんは、初めてこの病室に来た時みたいに、僕を抱きしめる。

だけどその時とは、何かが違っている。

「ごめんね・・・、あの時助けてあげられなくて」

さくらさんの声が少し震えている。

とても責任感の強い人・・・。

見ず知らずの僕に、怪我をさせてしまったと、後悔をしている優しい人。

「ちが・・・」

抱きしめられながら、それでも言いたい事があるのに、僕は言えなかった。

「違う」って、「さくらさんは僕の命を救ってくれた」って言いたいのに。

彼女がその言葉を拒絶する事が分かったから、僕は言えなかった。

・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・。

長い抱擁は終わり、僕達はいつもの様にベットに二人で腰掛けて窓の外を眺めている。

「ねぇ、さくらさん」

「ん、なに?」

とても自然に話をしていた。

おそらく彼女は、一時間もしないでこの病室をでていくだろう。

「僕が大人になったらさぁ」

「大人になったら?」

だけど、これはお別れじゃないって確信が持てる。

だから、ぜんぜん悲しくなんてないって思う。

「僕がさくらさんの彼氏になっても良い?」

「・・・・・」

だから今は、今は自分に正直な只の子供でいる事にした。

「なんて顔してるの?さくらさん」

「いえ、男性の方に愛の告白をされるなんて初めてだったものでつい・・・」

さくらさんは、困ったような、嬉しいような、珍妙な顔をしていた。

「私、おばあちゃんよ。見かけ以上に。それに理想高いし」

「自慢じゃ無いけど、僕、きっとハンサムになるよ」

出来る限り真面目な顔をさくらさんに向ける。

「それは確かに・・・、じゃなくて・・・・そうね。きっとハンサムになるわ貴方」

「でしょ」

僕は嬉しそうに答える。

さくらさんも、僕の「子供らしい」に付き合ってくれたのが嬉しかった。

「でも、外見だけじゃ駄目よ。中身も良くなきゃ、お姉さんは振り向かないわよ」

「うん!がんばる」

生まれて初めての作り笑顔をする。

僕は、あまり笑った事が無いので、上手く出来たかどうか少し心配。

でも、そんな隣のお姉さんと男の子のような会話が僕らの最後の会話だった。

さくらさんは時計に目をやると、「時間ね」と、独り言のように呟き立ちあがる。

「じゃあね」

彼女はそれだけを言った。

元気でね・・・でもなく、また会いましょう・・・でもなく。

僕はそれを見送りながら、手でバイバイをする。

そして、さくらさんは出て行った。

病室に一人残った僕は、心にぽっかり穴が空いているようだった。

不思議。

そんな風に感じた事など、いままで一度も無かったのに・・・・。

短い時間だったけど、彼女は僕にとって、掛け替えの無い人になっていたのだと思う。

でも・・・、今はこれで良い。

絶対また会える。

大人になって、また会える。

・・・そう考える。

それは思い込みなんかじゃ無くて、僕にとっての確信。

なんでそんな風に思うのかは判らないけど、それを考えたって、しょうがない。

僕は、外を眺めながら、もう一度笑顔を作ってみせる。

「また会おうね、さくらさん」

僕は青く晴れた空を眺めて、そう呟いていた・・・。













よく晴れた朝だった。

空を見上げる。

それは、まるで絵に描いたような青空。

僕はなんとなく背を伸ばして、体をほぐす。

それが気持ちよくて、何度か繰り返してしまう。

歩き出した僕は、自分の通う学園に向かう。

「なかなか、馴れない物だな」

呟き、また空を見上げる。

・・・・・・風が吹く。

流れる風が、何だか心地よい。

こんな日は、学校など行かず、何処かに行ってしまいたいと思ってしまう。

些細な事だが、それはきっと、誰もが思う事だろう。

もっとも、それが見慣れた風景かどうかは別として。

僕はつい二週間ほど前、自分の我がままで、転校をしていた。

・・・高校2年の十月と言う月に。

『ここら辺の年齢で、あなたのご先祖さんは皆、亡くなっているわ』

七年前、さくらさんの言った事を思い出す。

僕が幼い日に亡くした母は、あれで、長生きした方らしい。

そして僕は、さくらさんの言う『ここら辺』と言う年齢になっている。

笑ってしまう。

そうなのだと思ったら、不意に何かをしたいと、思ってしまった。

今までとは違う何かを。

それに、さくらさんが言った『少しでも長く生きられる術』を僕は少なからず身につけている。

表向きは剣道・・・と言う事になっているが、退院をした後に、さくらさんの紹介と言う人が現れ、僕に剣術と体術を教えてくれた。

そしてその人が、『ある程度は形になった』と言ってくれた。

それが転校と決断の、少なからずの理由。

以外だったのは、父が転校に対し即断で了承をくれた事。

無理な話だと思っていたのだが、なぜか実現される。

世界とはそんな物なのかも知れない。

『僕はもう少しで、死ぬかもしれないので、何かをしたいんです』

と、僕の心は言う。

・・・我ながら、馬鹿っぽいと考えだと思うし、十二分に電波が出ている発言だと思う。

だから僕は、母が命を落としたこの土地、美咲町を選んだ。

馬鹿っぽくても、それに何かしらの繋がりがあれば良いと考える。

もっとも母は、交通事故での他界なので、何が在る・・・と言う訳では無いのだが。

「繋がりねぇ・・・」

そう言いながら僕は笑う。

全ては言い訳、全ては自分の快楽の為なのかも知れない。

そしてこの町と、僕との繋がりと言う物に理由をこじつける。

それは大事な事だと考える。

だが実際はそんな物、頼りにするまでも無かったと、実感していたりもする。

僕を取り巻く環境は、この町に来た瞬間から大きく変わって居た。

叔母の家に住み込むようになって分かったのだが、・・・この町はおかしい。

この二週間で既に二回・・・、僕は人では無い者を目にしている。

おかしいだろ?これ。

初めのそれは、『アレ』と言うには希薄な、恐怖を持たない存在だった。

浮浪者達と共に居たそれは、周りの人間に害を与える訳でもなく、ただ存在をする。

それは、僕にとって、珍妙とも言える光景だった。

そして二度目。

あの時・・・僕は、我を忘れた。

恐らく『アレ』だとは思うのだが、あまりにも自然で、おかしな存在だった。

僕は、それが自分の視覚に入ってきた瞬間、動けなくなった。

それは「恐怖」と、一言で表現出来る物ではなかった。

その存在その物が、まるで全てを詰め込んだ小さな小箱のような物だった。

『アレ』は、小さく可憐な女性の姿をしていた。

女性と言うには幼く、少女と言うには大人びている感じがする。

長い銀色の髪をなびかせた『アレ』は、当たり前のように、人ごみの中を歩いていく。

それを、色で例えて良いならば、純白と言う物。

青などは一切落とさない、本当の白だけの純白。

一部の感情が欠落しているこの僕が、こんな事を言うのも何だが、その時の印象は、・・・彼女の存在は、それだけ尋常な物ではなかった。

なのに、だれも振り向こうとはしない。

まるでそこに彼女の存在が無いかのように。

だから違和感を覚える。

彼女はその後、すぐに人ごみに紛れて見えなくなってしまった。

もう一度会って見たいと思う。

僕にとって、それが人生の最後になってしまうかもしれないが、それでも会って見たいと想う。

「ふふっ」

この町を選んだ僕の選択は、間違えて無かった様だ。

・・・何でだろ。

僕はなんでそう思う?

自然とつり上がる唇を、止めることが出来ない。

可笑しいな。

・・・僕は恐怖を待っている?

その恐怖は、自分の「死」と直結しているかもしれないと言うのに・・・。

気持ちは踊ってしまう。

ニヤケる口元を押さえて、人に見られないようにする。

さくらさんに「あんた、その笑い方止めた方が良いわよ」って言われた事を思い出す。

まぁ、良いさ。

僕は空を見上げる。

・・・焦る事は無い。

ゆっくり行こう・・・ゆっくり。

果実と言う物は、腐る一歩手前が一番オイシイのだから・・・。

僕は、まだ形の無い何かを期待し、それを確信へと、変えて行く。

そして空は、・・・相変わらず、澄みきって居る。





教室に入る。

この教室も、自分の机も随分なれたような気がする。

すでに午前中の授業は終了し、お昼休みも半ばに差し掛かっていた。

ほとんどの生徒は昼食を既に済ませ、思い思いの休憩を楽しんでいる。

僕も、そんな他の生徒と同じように、昼食を済ませ、次の授業までの残り時間をもてあましていた。

「あのぉ・・・、」

僕は、声を掛けてきたその人物に振り返る。

それはやっと・・・と、言うべきなのだろうか?

弱々しく、それでも透き通った綺麗な声で僕に話しかける。

「何?」

僕はそっけなく返事をする。

そこには、つい先日同級生になったばかりの女子生徒が立っていた。

彼女が僕の後ろに立ってから、声を掛けるまでに費やした時間は十分程度であろうか?

随分と時間を掛けた物である。

「えっ!・・、あのぉ・・・」

彼女はうつむき加減に声を絞り出そうとする。

クス、クス・・・・・。

クス、クス・・・・・・。

少し離れた所から、他の女子生徒の笑い声が聞こえる。

笑いの対象は、どうやら目の前の彼女らしい。

男子も数人、彼女に視線を向けて居る。

どんな経緯でそうなったのかは知らないが、目の前の彼女は、彼女の本意でそこに立って居るのではないだろう。

この学校に転校して来てから、僕はあまり他人と話をしていない。

それに、自分で言うのも変だが、お世辞にも優しそうな顔をしているとは言えない。

つまり僕は、彼女への嫌がらせのダシに使われているのだろう。

あまり良い傾向とは言えない。

「そこに座ったら?中里さん」

うろ覚えではあるが、僕は目の前の女子生徒のファミリーネームを呼び、笑顔を作ってみせる。

「は、はいっ!」

突然苗字を呼ばれて驚いたのか、中里さんはその場の床に正座してしまった。

僕にとっては、予想外の行動だった。

「いや・・、そこではなくて、椅子に・・・」

話がしやすいように後ろの席を進めたつもりだったのだが・・・。

ただ、周りの生徒達はある程度予想はしていたらしく、声を上げて笑う者や、聞こえない程度に『バーカ』と口を動かす者も居る。

困った物だなと、思ったが、数秒後に教室が静まり返る事になる。

誰かが、牛乳の紙パックを中里さんに投げつけていた。

飲み残しのある牛乳パックを。

怪我こそしないだろうが、かなりの速度で投げ付けられたそれは、あたれば只では済まないだろう。

だが、教室が静まり返ったのは、中里さんに牛乳パックがあたったからではなかった。

それは、僕が何気ない動作で牛乳パックを受け止めていたから。

・・・キャッチする音も無く。

そして、ガコン!と言う鈍い音を立てながら、牛乳パックはごみ箱に投げいれらる事になる。

中身の入った牛乳パックを捨てるのは良くないが、自分でそれを飲む道理もここには存在はしない。

僕は、周囲に目線を配り、それを投げたであろう生徒に視線を移す。

その男子生徒は、一瞬顔を蒼白にして硬直するが、僕が視線を中里さんにもどすと、ホッとしたように肩を撫で下ろしていた。

僕にその生徒達をどうこうする気は無かった。

僕に危害が加われば話は別だが・・・。

「あれ?どうしたんですか」

中里さんは急に教室が静まり返ったので首を傾げている。

どうやら彼女は、何も気付いてはいないらしい。

多分、この娘は『天然』と呼ばれる人種なんであろう。

それはそれで幸せかもしれない。

「中里さん・・・、よければ僕と友達になりませんか?」

何だか面白いことが起こりそうだと思った僕は、そう言いながら、床に座ったままの中里さんに手を差し出す。

「え?・・・、は、はいっ!」

中里さんは、一度差し出そうとした右手を引っ込め、スカートに汗ばんだ手の平を擦り付けた。

再び差し出された手を引いて、僕は彼女を起こす。

「先に・・・、先に言われてしまいました」

「ん?」

僕は聞き返してしまう。

「わたし、加々美君が寂しそうにしているって、他の子に言われて・・・、それで、その・・・、お友達になりませんかって言おうと思って・・」

「・・・・」

なるほど、それを真に受けたんだ、この娘。

思わず眼が点になる。

どうやら僕は、中里さんに気を使わせてしまった事になるらしい。

人が良いと言うか、やはり天然と言うべきか、悪い娘では無いようだ。

「それなら話は早い、中里さんと僕はもう友達だ」

我ながら、嘘くさい笑みを浮かべながら適当な台詞を吐く。

「そ、そうですね。お、お友達です」

中里さんは僕から視線をそらし、どもるように返事をする。

反応が挙動不審なような気がするが、始めはこんな物かもしれない。

そして何事も無かったように教室には、騒々しさが戻っていた。

ガラガラガラ。

教室のドアを開く音がする。

「やぁ!加々美君元気?」

突然声を掛けられる。

「あぁ」

その声の主にそっけなく返事をする。

『神崎優』それが奴の名前だった。

こいつは転校初日から僕に声を掛けてきて、必要以上にべたべたと接してくる。

悪意はないようなので、ほっといては居るが、静かな友人が多かった僕としては、少々うるさかったりもする。

ちなみに、こいつは同じ教室の生徒なので、今日始めて会ったわけではない。

「あれ?今日は一人じゃないんだ」

僕の隣の席に座っている中里さんを見つけ、意外そうに神崎が言う。

「まぁな」

そっけなく返事をする。

「あ・あ・あ・い・いいえ・・、あ・あ・あの・・、こ・これはですね・・・」

中里さんが引きつったような笑いを見せて、なにかを言おうとする。

「加々美君は俺を捨てて、中里さんに鞍替えする気なのかぁ~!」

「まぁな」

相変わらずいい加減な事を言うな、こいつ。

そう思いながらそっけなく返事をする。

「いえ、私達はそんな・・・、」

何故か中里さんは「いやいや」を始める。

「だめだぜ!加々美君!君は俺の物なんだからな!」

「勝手に僕を私物化するな」

僕は神崎に、あからさまな嫌悪感をして見せる。

「し、私物化!!」

僕と神埼の会話を聞いていた中里さんは、妙な所で動揺をする。

「これは運命!別の言葉で言うと『さ・だ・め』と言う奴だ!」

そして神埼は、僕の言葉のニュアンスを、まったく汲み取ろうとはしない。

「これは天啓!これは啓示!二人の存在が引き合わずには居られない物理的現象だと理解するべきさ!」

どうでも良いが、天啓も啓示も物理的現象ではないから・・・と、つっこみたくなるが、それは奴に『餌』を与えるに等しいと考え、やめる。

「訳が分からんから止めろ」

そろそろ止めないと、何を言い出すか分からない。

「ごめんなさい・・・」

そう言って、中里さんが、突然立ち上がる。

「私、私まだ、ダブルには耐えられないんです・・・」

「はい?」

思わず、間抜けに返事をしてしまう。

ダブル?

それは意味不明の言葉だった。

そして中里さんは席に戻ってしまう。

まったく意味が解らない。

「ふふふふふふふ。身の程を知ったか!中里」

勝ち誇ったように神崎が髪を掻き上げる。

何か勝負でもあったのだろうか?と僕は思う。

それが何なのか考えてはみたが、結局解りはしない。

もっともそれ自体、僕にはどうでも良い事なのだが。

目の前の椅子に、神崎がどっかっと座る。

ふざけた感じは既に無く、真剣な眼差しに変わっている。

「所で、加々美君。彼女、中里さんは、君の目から見て、どう見えている?」

「どう見えてるって・・・」

・・・神崎の突然の言葉に、僕は少し躊躇する。

「どう言う意味だ?」

僕は声のトーンを落とす。

僕から見て『どう見えている?』と神埼は言ったのか?

『どう見える』では無く、『どう見えている』と。

それが、僕の体質に対しての言葉ならば、無視してはいけない言葉だった。

改めて中里さんを見るが、僕には人間にしか見えない。

それ以外の何に見えると言うのだろうか?

「なに、そのままの意味だよ。可愛いのか、ブスなのかってね」

「・・・、かなり可愛いんじゃないのか?」

僕は見たままに答え、それが考え過ぎだと、判断をする。

それに、神崎が中里さんを人間かどうか確認する必要もないだろうし、僕の体質を知っているとも思えない。

「そぉっかぁ~!やっぱり加々美君の眼力は鋭いな!流石は俺と対等に並ぶ人間!ルックスプラスアルファが備わって、初めてツートップってな物だ!」

「ツートップ?」

眼が真剣だと思ったら、訳の分からないことを言い始める。

「黒田は、ダメだったんだ。奴は何かが足りなかった!ルックスは良かったんだが、俺に並ぶには何かが欠けていたんだ!他の連中と同じように彼女を鼻で笑っていたしな!」

黒田正道・・・、同級生の顔を思い出す。

そしてその黒田は、風邪で休み・・・と言う事になっている。

空席になっている彼の机を見ながら、神埼と親しげに話していた姿を思い出す。

「黒田が居ない事を良い事に、随分な言いようだな」

「事実だ!全ての女性を愛する!それが当たり前の概念と言う物だろ」

迷いの無い、澄み切った彼の瞳に、あきれ返ってしまう。

「言ってろ」

それだけ言って僕は会話を止める。

神崎がその後も何かしら言っていたが、聞き流して相槌だけ打っていた。

「そう言えば、何だか神隠しって話だよな!」

聞き流していた言葉の中に、そんな話が入ってきた。

「神隠し?」

随分と古風な言い回しである。

普通は行方不明とか言うだろう。

今の時代に『神隠し』は死語に近い。

「一年の生徒が行方不明になっているのに、だれも気が付かなかったらしいぞ。一ヶ月もの間」

「それで・・・?」

だれも気づかない?・・・カチリ。その言葉に、僕の中のなにかにスイッチが入る。

「あぁ、それでな、親も周りも、そいつが居なくなっている事に気が付かなかったって話で、それは『神隠し』だろって」

「へぇ~、そうなんだぁ」

僕の言葉が歪む。

少なくとも、この町には『アレ』の類が存在している。

それが本当の話で、なにを基準にそう言っているのか解らないが、『アレ』の類が関わっていれば、それは、それに関わった人間の在るべき結果なのかも知れない。

僕は思わず下を向く。

そのまま顔を上げていたら、神崎に顔を見られてしまう。

僕の歪な笑っている顔を。

「どうした?加々美君」

「いや、何でもない。それで、その生徒は帰ってきたのか?」

唇を強引にもどし、ごく自然に会話をする。

「そこまでは俺も聞いて居ないけど、どうせ家出かなんかなんだろ?実際は」

「だろうな・・・・」

僕はそれだけを言う。

しかし、ニュースや新聞でその手の記事を見たことが無い。

神崎の言っている事全てが、事件として起きているかどうかは定かではない以上、雑談の域を越える事は無い。

それでも僕は、確実に『アレ』の恐怖が近くに存在するような気がした。

僕は嬉しいのだろうか?と自分に自問し、だが僕は期待している・・・と自答する。

神崎のよた話を聞いているだけだったが、それでも何かが心の中で踊っている。

それはたぶん、僕としての仕方のない事。

そして、午後の授業を知らせる予鈴が鳴り、神崎は自分の席へと戻っていった。

窓から見える空は、相変わらず突き抜けるように青く輝いている。





その後、学校ではこれと言った特別な事は無かった。

ある意味、学園生活を謳歌した事になる。

だけどその後、僕にとっての事件が、叔母の家で僕を待っていた。

「ただいま」

玄関を入って、形だけの挨拶をする。

「おにいちゃん!おにいちゃん!」

突然、従姉妹の美姫が、慌てたように家の奥から駆け寄って来た。

一歳年下で従姉妹の美姫。

美姫は、僕とほとんど面識が無かったくせに、僕を「おにいちゃん」と呼ぶ。

歳の近い男家族が出来たのが余程嬉しかったのだろう。

普通は歳が近いと言うだけで嫌がる物だと思っていたが、この娘に関しては違っていたようだ。

「どうした?慌てて」

僕は、極力自然に振舞う。

血の繋がりは有ると言っても、僕にとっては2週間ほど前に出会ったばかりの女の子。

それも同世代の女の子で、世の中では間違いなく「可愛い」に属する部類だろう。

僕も妹が出来たみたいで、そのまま「美姫」とは、呼んでいるが、実は兄を演じるのも楽でない。

なにげにふと、ここに来たばかりの頃を思い出す。

美姫とは同じ学園になるのだが、道が分らないと言う理由で、僕は美姫と一緒に登校していた。

その結果、僕は、クラスの男子生徒の質問攻めを食らう事になってしまった。

どうやら美姫は、男子からの人気が高いらしい。

僕も、生物学的には「男」である。

そんな彼女を意識しない方がおかしいのかもしれない。

だけど、本当の妹が出来たみたいで嬉しいのも、事実だったりする。

「なんだかおにいちゃんに、大っきな荷物が届いているよ!」

「荷物?」

誰からだろう?そんな風な思考が僕の中で走る。

父からも、そんな物を送ると言う話は聞いていなかった。

なんだろう?と思いながら、その届いた荷物の所まで案内してもらう。

「ね!」

美姫が勝ち誇ったように僕の顔を覗き込んでくる。

・・・確かに、大きい。

大きいと言っても、僕の胸の高さ程の細長い箱だった。

「誰から・・・」

誰に言った訳では無いが、美姫は自分に言われたのだと思い、「知らないよぉ」って、返事をした。

送り状の送り主欄には、「桜守」と、それだけ。

・・・住所も電話番号も書いてない。

だけどそれは、懐かしい名前だった。

僕の大切な人の名前。

「さくらさん・・・」

僕はそう呟いて、早速、箱の開封に取り掛かる。

後ろで美姫が、だれ?だれ?とひっきりなしに聞いていたが、今はそれどころではなかった。

・・・「!」

僕の眉間にしわが寄る。

箱の中には、長い棒状の物が一つだけ入っていた。

御札のような物でぐるぐる巻きにされている。

「空箱?何にも入ってないね」

美姫の言葉で、僕はその事に気が付く。

普通の人には見えてない。

・・・これはその手の品物だと言う事に。

実際、どうした物かと思った。

厄介なものなのか?

少し考えたが、さくらさんに限って、危ない物を送ってくるとは思え無いし、ここは、開けて見るべきだと思った。

それに少々飛躍するが、最悪のケース、何物かが何かしらの意図で偽名を使って居たとしても、その理由も根拠も僕には解らない。

真面目に考えたが、答えは出てこない。

結局の所、御札の中を確認するしかないと判断をする。

僕は意を決して御札を剥がし始める。

すると後ろから覗いていた美姫が急に騒ぎ出す。

「凄い!おにいちゃん、なにそれ!手品?」

美姫は目を輝かせている。

まぁ、それもそうだろう。

僕が御札を剥がして捨てると、その端からそれが見えるようになるのだから。

はたから見れば、僕が次々と、訳の分らない紙くずを出しているように見えている事だろう。

「なに?この変な紙?どっから出してるの?」

不思議でしょうがない美姫は、何度も聞いてくる。

しかし、中身の確認が先決、あえて無視させてもらった。

そんな僕だったが、思わず手が止まる。

「まいったな・・・」

中身の一部が見えた時点で舌打ちをする。

僕にとってそれは、見覚えがあって、懐かしい物だった。

朝霧・・・。

看護婦姿の彼女が肩から下げて居た、さくらさんの愛刀。

彼女が言うには、持つ者、触れた物全てを喰らう妖刀。

余程の力を持つか、僕のような霊的不感応者でなければ全てを喰われ、触れる事も出来ない代物だと、さくらさんは言っていた。

そして普通の人間には、朝霧の姿を見る事も出来ないと。

ただ、人は本能的に見えなくとも朝霧を避けるらしい。

その説明は、まるで『アレ』の様に、人は朝霧に本能でフィルターを掛けているとも言える。

そんな朝霧を、さくらさんは、自分の特異能力によって押さえていると言っていた。

彼女の能力は、本来戦闘向きではないのだが、おかげで朝霧が使えると、さくらさんは言っていた。

しかしその朝霧が、何故ここに有る?

そう考えるが、僕はその疑問に、答えを持たない。

念の為、朝霧その物には触れない様にする。

御札でぐるぐる巻きにされている部分を持ちながら、唸る。

「ねえ、ねえ、おにいちゃん。なんか手紙入っているよ」

不意に美姫が声を掛けてきた。

よく見れば、箱の底には手紙らしき封筒が一枚残っている。

美姫にも見えている所を見ると、危険な物では無いのだろう。

「いただきっ!」

「ちょっ・・・待て!美姫」

僕が箱の底から封筒を取りだそうとした瞬間。

美姫がそれを掠め取る。

今のスピード、とても人間技とは思えない・・・。

それよりも、さくらさんの、さくらさんからの、7年ぶりのメッセージが・・・。

頼むから、僕より先に見ないでくれ。

慌てた僕は間抜けにも、口をパクパクさせてしまった。

だが、僕の願いも空しく、それは叶えられそうにも無かった。

瞬時に部屋の角まで移動した美姫は手早く封筒を開け、中の手紙に目を通す。

「・・・なによ、これ?」

美姫が怪訝な顔をする。何か見せてはまずい物が書いて有ったか?

「どうした?」

「うん・・・、白紙なの」

・・・白紙?

僕は、美姫に近づいて手紙だと思われる物を受け取る。

しかし、便箋には、何も書いていない訳ではなかった。

引かれれいる線の先頭の行と、最後の行にだけ、文が書かれていた。

最初に、「朝霧を握れ」と、

最後に、「朝霧を道元先生の所に送る」と書いてある。

道元先生とは、僕に剣術と体術を教えてくれた人。

先生は、「感」や「気の流れ」が分らなくとも、物理的な危険の察知が出来る術を、僕に教えてくれた。

それは死ねる程に、みっちりと。

僕が気の流れや霊力を感じる事が出来れば、『達人の域に達した筈』と先生が嘆いていた事を思い出す。

はたから見て、ウケを狙って居るとしか思えないほどの、見事な落胆ぶりであった。

しかし、僕はそれだけの努力はしたし、実際大変だった。

僕の人生の中で、二番目に死にそうになった体験だと、今でも思う。

死なないようにする為の修行で、死にそうになっていたら、世話は無いと思うのだが。

だけど結局、命に関わるような事で、それらを使った記憶は無い。

しかし、その道元先生と朝霧に付いてのその二文が、美姫には見えていないようだった。

何かしらの細工が施されているのだろうか?

しばし、彼女が何をしたいのか、僕なりに考える。

・・・この二つの文はそんなに重要な事なのだろうか?

・・・何がしたいのですか、さくらさん?

道元先生に送る?

なんで?直接送らないの?

朝霧を握れ?

僕が朝霧にさわれるってのは、7年も前に分っているし。

・・・、訳わからん。

いろいろ考えて見たが、やはりこれと言った結論が出ない。

結局の所、手紙の指示通り、朝霧を握ってみるのが一番早いのかもしれない。

「ちょっと、離れていてくれ」

今更、何かが起こるとも考え辛いが、念の為、美姫を自分と朝霧から離す。

「なによ」と言った感じで美姫は不満そうだったが、僕が真面目な顔で言った為か、渋々離れた。

改めて、朝霧を見る。

僕にとっては、普通の日本刀にしか見えない。

時代劇なんかでよく見るそれだ。

ただ眺めていても始まらない。

それに、朝霧の見えてない美姫から見れば、僕が変なポーズをとって居るようにしか見えないだろうから、早く終わらす事に越した事はない。

・・・!っつ!

朝霧を握った瞬間、ほんの一瞬では有るが、静電気のような物を感じる。

何なんだろう今のは?

不思議に思った矢先、これ以上無いって位の違和感が、僕に襲い掛かる。

「なっ、に・・・?」

ドサッ、と言う音と共に、肩から頭にかけて、鈍い衝撃が走る。

何と言う事はない。

僕が倒れた音と、その衝撃だろう。

「きもち・・・わる・・ぃ」

倒れながらも、僕の口から出たのはそんな言葉だった。

ものすごい量の「何か」が僕の中に入ってくる。

視覚?聴覚?痛覚?そんな物じゃない物が大量に流れ込んでくる。

今まで感じた事の無い、感覚。

それは、かなり強引な物だった。

『そんなに一度には無理だ!』

声にはならなかった。

全ての神経が麻痺してしまったように感じられる。

僕は心の中で叫ぶ。

『そんなに見せるな!』

それは情報の渦だった。

『頼む、もっとゆっくり!』

それは僕の都合なんて、一切考えてはくれない。

『こんな量、処理できない!』

危険信号が点滅する。

危うく自分自身のブレーカーが落ちそうになるのを堪える。

すごい吐き気を我慢する。

そんな時、へたり込んで泣きじゃくる美姫の姿が見えた。

どうして良いか判らず、おろおろするだけで、何も出来ないで居る。

・・・見えている?

それは、変である。

僕は、あまりの気持ち悪さに、いま目を閉じている。

見えるはずの無い物が、僕には見えている。

これは何?、今、見えていると思っている物は。

これは僕が目で見ている物では無い?

では、誰が見ている?

それとも何が見ている物なんだ?

・・・・何が見ている?

・・・・・・。

何が?

・・・。

ああ、そうなのかもしれない。

そう考えると、先ほどから自分の中に流れ込んできている物、それが何であるかが何となく解る。

恐らくこれは、僕の周りの情報なのであろう。

いや、そうでは無いか・・・。

僕の周りでは無く、朝霧の周りの・・・情報か。

それが僕の中に流れ込んで来ている。

まいったな・・・。

まさかこんな事になるとは。

現状、体が動かない以上、腹をくくるしか無いと思った。

仮に、これらが朝霧から流れてくる情報だとして、僕はこの情報を普段の視覚や聴覚と言った五感と平行して処理出来るのだろうか?

朝霧を僕の体から離せれば、今の状態からは抜け出せると思うのだが、生憎、身体が言う事を聞かない。

他の誰かに外してもらうと言うのも、絶望的だろう。

朝霧には、触れる事すら出来ないはずだから。

どうやら今は、僕の中に流れ込んでくるこの情報を、自力でなんとかするしか無い様だった。

僕はそう考え、・・・観念をする。

初めに、これは朝霧からの情報だ、と理解する。

すると、それが思っていたよりも直線的な情報だと判る。

意外と他の物との区別が付けやすい。

それは僕にとって幸いだった。

これなら、なんとかなると思えた。

僕は、ゆっくりではあるが、意識を収束して行く。

気分が最悪な事とは裏腹に、意識は驚くほど鮮明だった。

しかし、我ながらこんな状況でも怖いと感じない。

随分と冷静な自分に、感心すらしてしまう。

ゆっくり、ゆっくり、情報のバルブを開けて行く。

一つずつ、ゆっくり、ゆっくり、これでもかって位、慎重に。

最初に指先が開放される。

次に手首。

そして肘、と言った具合に。

そして、順々に開放されて行く。

それらが全て開放されて五体全てが整った時、僕は大きく息をはいた。

「ぶはぁーーーーーー」

どうやら呼吸まで止まっていたらしい・・・。

危なかった・・・。

朝霧のそれと気が付かなければ、本当に死んでいたかもしれない。

本当に危なかった。

しかし次の瞬間、その気持ちは吹っ飛んでしまう。

僕は自分の周りに広がる世界に驚いていた。

言葉に出来ない・・・と言うのだろうか?

今までに見た事の無い風景。

自分の周りの動き、流れが直に伝わってきた。

音や空気の流れである程度は掴む事は出来たが、それとは違う物がハミングを奏でるかのように伝わってくる。

倒れている最中の考えでは、最終的に僕の見ている物と、朝霧が見ている物が、別々に見える物だと思っていた。

それが実際は、僕個人の感覚として成立している。

これはかなりのカルチャーショックだった。

素直に驚いた。

なんだか判らないけど、かなり凄いよ!さくらさん。

・・・死にそうになったけど。

少し複雑な気分になる。

『さくらさん・・・』、心の中で、少し恨めしく呼んで見る。

そんな時、不意に後ろから僕に迫ってくる気配がする。

それが美姫だと分ったから、避けずにそれに任せてみる。

「おにいちゃん!おにいちゃん!おにいちゃん!大丈夫なの!?」

強烈なタックルと共に美姫は、涙声で聞いてきた。

「ごめん、・・・大丈夫」

僕はそう言って、美姫の頭を撫でる。

父親意外では初めてだろうか?身内と思える人間で、こんなにも僕の事を心配してくれた人は。

「だって、だって、おにいちゃん急に倒れて、それで、なんか動かなくなるし、息してないし・・・」

「怖かったよぉ」と再び泣き出した。

「ごめん、軽い貧血みたいだ」

かなり無理がありそうな言い訳だが、この場を納めなければと思い、そんな嘘をついた。

「大丈夫?大丈夫?」の連呼をしていた美姫も、格段怪しむと言った事は無く、「よかった」と安心したようにつぶやく。

僕は、そんな美姫に、念の為少し部屋で休んでいると告げる。

「お夕食は食べられそう?」

美姫が気を使って聞いてきた。

正直、食欲は無かったが、食べない訳には行かないだろう。

「たぶん、だけど軽い物にしてくれるかな」

「おかゆで良い?」

「それで頼む」

僕はそれに頷いて話に区切りを付ける。

一息ついて自分の部屋にいこうとする僕に、美姫は何かを訴えてかける様に視線を向けて来た。

「どうした?」

そんな美姫に声を掛けると、恐る恐ると言うか、そんな事を今聞いていいのかな?って感じで美姫は僕に聞いて来た。

「結局・・・何だったの?・・・中身」

思わずクスッって笑ってしまった。

送られてきた物が、かなり気になっていたらしい。

「手品グッズだったよ」

僕はそう答えた。

説明出来る物での無いし・・・。

それだけ言って、すぐにその部屋を後にした。

手品グッズ・・・まんざら嘘でもないかな?そう思いながら、それを聞いた時の美姫の顔を思い出す。

本当なの?って美姫の怪訝そうな顔が可愛くて印象的だった。

思わず笑みがこぼれるが、僕の足取りは、あまり軽くない。

今の自分の総重量が原因とは思えなかったが、改めて思う。

肩から朝霧を架けて、ポケットにはさっきの手紙が入っている。

手紙の内容をもう一度確かめないと・・・。

少しだけ覗いたのだが、僕は手紙に書かれている文字が読める様になっていた。

僕が朝霧と繋がっている?からなのだろう。

手の込んだ事をする。

そう思いながら、僕は、一人自室へと入って行く。








屋上からの、風景を眺めていた。

町の音や、車の排ガス、何処からか漂ってくる機械油のような匂いも流れてきて、騒がしい感じ。

でもここは、・・・僕にとって寂しい場所。

人の気配はするのに、まるで自分はこの世に居ない気がする。

「なんでだろ?」

独り言の様に、それは僕の口から出てくる。

何に対する疑問なのだろう?

自分でも、言った言葉の意味に悩んでしまう。

「こんな所に居た」

何気なく、振り向く。

そこには、ここ数日間、僕の先生をしてくれている女性が居た。

「あぶないぞ、そんな所に居ちゃ!」

手すりから、乗り出すような形で空を眺めていた僕に、彼女は笑顔で話し掛けてくる。

「君の目には、何が見えるの?」

彼女は僕と同じように身をのりだし、僕と同じ方を見る。

そこには、ただ高い空とほんの少しの雲だけ。

「雲・・・」

それだけ答える。

まるで世界が自分を疎外しているような、そんな錯覚が自分を襲い、なんとなく笑いがこぼれた。

「ほんと、子供っぽくないわね、あなた」

その女性、さくらさんは笑いながら茶化す。

「端鷹が、何を黄昏ているのかは知らないけれど、貴方が思っているよりもずぅーと、世界は貴方を愛しているわ。そして人も。

例えば貴方のお父様。何度かお話したけれど、とても貴方の事を愛していらっしゃるわ。それに、学校のお友達もお見舞いに来ていたじゃない」

さくらさんは、僕の思っている事を見透かすように言う。

そして最後に「私も居るし」と恥ずかしそうに付け加えていたのが印象的だった。

そんなさくらさんを僕は、じっと見つめていた。

・・・とっても変な人。

看護婦さんの制服を着ているのに看護婦さんじゃなくて、その姿に似合わない時代劇みたいな刀を肩から掛けて歩いている人。

風で彼女の長い髪がなびく。

ほんの少しだけ癖っ毛のある長い髪。

腰まで掛かろうかと言うその髪は、そのボリュームを感じさせないほど、サラサラに風になびいている。

でも、変な髪。

だけどこんな綺麗な髪をしている人を僕は見たことがなかった。

その髪は真紅の色と水晶のような透明感を持っていた。

見れば、それが作り物でない事はすぐに分かる。

初めてさくらさんと出会った時、「私って変?」と聞かれた。

人の特徴を見て「変」と言うのはさすがに失礼だと思って、僕はもう一つの『変な物』朝霧を指差した。

それ以降、さくらさんの髪の毛の話をした事は無い。

「さわって良い?」

僕は何の考えも無く、さくらさんの髪に手を伸ばす。

「なに?私の髪?」

「うん、すごく綺麗」

笑顔で『いいわよ』と無言の返事を返すさくらさんの髪に、僕はふれた。

なんでだろう?それがやめられなくて、さくらさんの事を気にせずに、ふれたり、撫でたりしてみる。

「ずいぶんお気に入りのようね」

さくらさんはそれがくすぐったかったのか、「あはははは」って感じで笑いながら聞いてくる。

「うん、さくらさんの髪って、さわるとすごく気持ちいい。それに、こんな綺麗な色、初めて」

僕は素直にそう言う。

「端鷹!」

さくらさんの声が一瞬強張る。

「ごめんなさい・・・」

僕は怒られたのだと思ってとっさに謝って、さくらさんの髪から手を離す。

「違うの、怒ったんじゃないのよ。・・・そう、貴方なのね」

微笑むように、それでもほんの少し悲しそうにさくらさんは僕の頭を撫でる。

「ねえ、端鷹。貴方には私の髪、どんな風に見えて居るの?」

僕の瞳を真っ直ぐ見つめて確認するように聞いてくる。

「うん、すごく綺麗な紅色。水晶か、ガラスみたいな感じ」

「ずっとそう見えて居たの?」

僕はただ首を縦に振り、「うん」と答える。

僕の肩にふれている手が少し震えているのが分かる。

「そうなんだ・・・」

「誰かにその話をした?」

「してないよ」

僕は答える。

「そう、良かった。私の・・・私の髪の毛の色の話は、私以外にはしないでね」

なんだか咎められたような気になったけど、怒っている訳では無いみたいなのでで、僕はほっとした。

だけど、さくらさんの髪は、誰が見ても同じ色に見えるはずなのに、誰にも話すなって、どう言う事なんだろう。

「うふふ。何でって感じね」

僕を見て、イタズラっぽく笑う。

「私の髪ね・・・、周りの人には黒髪に見えて居るの。だから、端鷹に見えている私の髪の色は私と端鷹だけの色なの」

そう言いながら、さくらさんの頬は、ほんの少し赤らんで見えた。

「それに端鷹が、私の髪の事を綺麗って言ってくれたから、私の髪は端鷹だけの物よ。だからさわって良いのも端鷹だけ」

茶化すようにそんな事を言ってくる。

僕の疎外感は、そんなさくらさんのせいで何処かに消えてしまう。

「さくらさん、それって僕を口説いているの?」

僕は真面目な顔をして言ってみる。

「おや、そう切り返すかい」

それを聞いたさくらさんは、目を丸くして苦笑いをしていた。

「あんた、やっぱり子供っぽくないわ」

「まだ小学生だよ、僕」

「その言い方が子供っぽく無いっての」

さくらさんは何が面白いのか、けらけらと笑う。

その笑顔があまりにも素敵で、僕は見とれてしまっていた。

「でも、どんな大人になるのか楽しみではあるわ」

彼女は、嬉しそうに僕の顔を覗き込む。

まるで、お気に入りのおもちゃを見るように。

「ひどいよ、さくらさん。それってなんだか、傷つく」

「ははは、ごめんね。でも、楽しみなのは本当よ」

さくらさんは、遠くの景色に視線を移す様にした。

そこで彼女は無口になってしまう。

何かを考え込むように。

今は風が吹いていて、そして病院の屋上には二人だけ。

何を会話する訳ではなく、遠くの景色をただ眺め続けた。

自分を拒絶していたもの全てが、僕はどうでも良くなっていた。

なんでだろ?

さくらさんと居るから?

こんな簡単なことで、世界は変わる。

・・・だから少し、このままでいよう。

ただ、遠くを眺めた。

僕はただ、空を眺めた。

それから言葉の無い世界は続き、いか程時間が経ったのだろうか。

「ねぇ、端鷹。私が貴方に出会ったのは、偶然なのかしら?それとも・・・」

突然に出たその言葉は、そこで止まってしまった。

彼女はまた同じように何かを考え、遥か遠くを見ている。

「どうしたの?急に」

「ううん、何でもないのよ。でも良かったわ、貴方で」

「なにが?」

「ふふふっ」

さくらさんは微笑えんでいた。

「教えてくれないんだ・・・」

ふて腐れてみせる。

それは演技で、本当は気になんかしていない。

彼女が近くに居てくれるだけで、僕は幸せなのかも知れない。

「端鷹が大きくなったら話してあげる」

「大きくなったら・・・か」

僕は大きくなれるのだろうか?

そう思った瞬間、僕はさくらさんに抱かれていた。

「貴方は大丈夫よ」

それだけだった。

それがたまらなく心地よかった。

いつまでもこのままが良いなって思った。

でも、そうも行かないらしい。

不意にさくらさんは離れて、バイバイのポーズをする。

・・・それは突然。

「またね」

「帰っちゃうの?」

今日は何も教えてくれていないのに、さくらさんは帰ると言う。

僕の質問に、さくらさんの返事は無い。

彼女がどこか知らない所に行ってしまいそうで、僕の疎外感はまた大きくなる。

「端鷹」

なんだか寂しくなって駆け寄ろうとした僕に、さくらさんは振り向いて、真面目な顔をする。

「私は、私はね端鷹。私は端鷹の・・・・・・私と端鷹は・・・、・・・から、・・・・・心配しないで・・・」

二人の間に、風が吹いていた。

さくらさんの言葉はよく聞き取れない・・・。

「何?さくらさん、よく聞こえない。聞こえないよ」

だけど、彼女は答えようとはせず、僕を見詰め微笑むばかり。

「ねぇ、待ってよ。さくらさん!」

少しでも近づこうとして、僕は足を前にだす。

・・・あれ?

・・・・さくらさん?

彼女との距離がぜんぜん縮まらない。

どうして?

急に僕の視界がぼやける。

僕の世界が変わる。

今まで聞こえていた町の騒音が止む。

まるで世界が閉じていくようだ。

僕の世界が・・・・。

だけど彼女は微笑むばかり。

・・・?

なんか変。

なんか変。

・・・・・・・?

あ、そうだ。

僕は気が付く。

ここは僕の世界なんだ。

昔あった、僕だけの世界。

だから帰る時間なんだ。

今の僕の世界へ。

さくらさんは微笑んでいる。

また会えるかな、ここでも良いから会えるかな?

ここは寂しい所だけど、さくらさんがいてくれる。

それだけで良い。

それだけで僕は満たされる。

だからこの世界は永遠であって欲しいと、そう思う。

・・・。

今、僕の願いとは裏腹に世界が収束していく。

・・・。

・・・。

一つの世界は突然終わる。

・・・世界は闇に閉ざされる。











「ゆめ・・・?」

そこは自分の部屋だった。

まだ見慣れない自分の部屋。

ずいぶんとハッキリした夢だった。

まるで現実のような夢。

枕もとの時計に目をやる。

「起きても良い時間だな」

独り言は癖のような物である。

普段よりも早く起きてしまった僕は、二度寝をするよりも、起きる事を選ぶ。

体を起こして、壁に立て掛けてある朝霧に視線を送る。

「ふぅ」

ため息を突く。

・・・昔の夢を見て居た事を思い出す。

朝霧が原因とも思えないが、今は朝霧に触れようとは思わなかった。

見た夢は決して嫌な物ではない。

ただ、今まで見る事の無かった夢を見せられたような気がして、今は遠慮しようと思う。

昨日、・・・僕の所に朝霧が送られてきて、そして朝霧と僕は・・・繋がった。

下手をすれば死んでいたかもしれない。

だが、さくらさんはそれを、必要と思ったようだった。

僕は、本当に朝霧が必要な物なのか、判らないで居る。

・・・。

深く考えてもしょうがない。

そう思った僕は、早々に着替えて部屋を出た。

階段を下りた所で、パジャマ姿の美姫に会う。

どうやら、今起きたばかりのようで、随分と眠そうにしている。

「おはよう」

僕は普段通り、声を掛ける。

「お、お兄ちゃん!」

それが当たり前の事で何という訳ではないのだが、下を見ながら歩いていた美姫を驚かせてしまったようだ。

「なに?そんなに驚いて・・・って」

僕は言葉を途中で止める。

言い終わる前に、慌てた様にパタパタと、美姫が自分の部屋に入って行ってしまったからだった。

美姫の行動はよく解らない・・・。

首を傾げながら台所に行くと、僕の叔母さんで美姫の母親の歩美さんが朝食の準備をしていた。

叔母は、父の妹に当たるのだが、旦那さんを早くに亡くし、美姫との二人暮しを以前からしている。

今は僕を入れての三人暮らしとはなるが、父と僕とのちょうど反対の家族構成になる。

「きゃ!」

歩美さんは僕と目が合った瞬間、妙な声を出す。

「あ、あら端鷹くん、もう大丈夫なの?」

「え?・・・ああ、全然大丈夫です」

そう言えば、昨日倒れた後、叔母さんには会っていない。

夕食も美姫が部屋に運んで来てくれたので、僕は部屋を出る事が無かった。

「美姫から、端鷹君が倒れたって聞いて、びっくりしたのよ」

「すいません。ちょっと貧血起こしたみたいで・・・」

・・・嘘を付くのはあまり気持ちが良い物ではないが、しょうがない。

軽い嫌悪感がはしる。

「貧血、よく起こるの?」

「いいえ、珍しいですよ。初めてかもしれないです」

歩美さんが心配そうに聞くので、そう言う。

下手に心配されれては困る。

「初めてなら、なお更気をつけないとだめよ」

「心配しなくても大丈夫ですよ。昨日も夕食を食べたときは、もうぴんぴんしていましたから」

そう、美姫が夕食を部屋に運んできてくれた時には、すでに落ち着いて、さくらさんの手紙も読み終わっていた。

「朝食、食べられる?」

「ええ、頂きます」

台所に立つ歩美さんは、鼻歌を歌いながら、僕の朝食を準備してくれる。

その後姿を見ながら、僕の母さんもこんな感じだったのかなと思う。

・・・。

・・・しかし、この人はいったい何歳なんだろう?

下手をすると、美姫の姉だって言っても通じるのではないだろうか?

不公平と言う言葉は、この人の為にあるのかもしれない。

パタパタパタ・・・、廊下を小走りする音が聞けてきた。

「お、お兄ちゃん。おはよう」

「あぁ、・・・おはよう」

どうしたんだろ?さっきは返事もしなかったのに、ずいぶんと慌ててる。

「あら、美姫。着替えてきたのね」

「だってぇ、お兄ちゃんがぁ・・・」

美姫の言葉に疑問を感じる。

僕が何かをしたのだろうか?

・・・美姫は照れたような、怒ったような顔をして歩美さんと話をしている。

「ほら、端鷹君が難しい顔をしてるわよ、美姫」

「・・・」

茶化すように言われた美姫は、まるで言われたく無いことを言われたかのように押し黙ってしまった。

「端鷹君、ごめんなさいね。貴方がこんなに早く起きてくるなんて、この娘は思いもしなかったのよ。それにね美姫、寝起きを見られる貴女が迂闊のよ?」

迂闊?・・・寝起きの顔を見られる事が、そんなにマズイ事なのだろうか?

「そう・・・なんですか?」

「ちょっ!・・・おかあさん!!」

二人に話しかけて来た歩美さんは、同時に言葉を返される事になる。

「所でおにいちゃん、今日は美姫と一緒に学校行くよね」

彼女は、台所のテーブルに手をつくように、身を乗り出して聞いてくる。

話を切り替える・・・と言う所なのだろう。

「・・・どうして?」

「どうしてじゃないの!心配だからに決まっているでしょ!」

そう言えば昨日、僕は倒れたんだった。

それを考えれば美姫の「心配」と言う言葉も頷ける。

「そうね、念の為、美姫が一緒に行った方がいいかもしれないわ」

二人に気を使ってもらうのは嬉しいが、僕にその気は無かった。

考えと言う物は、歩きながらの方が、よくまとまる。

今日この時に限っては、一人で歩ける時間は、貴重な物だと考える。

「歩美さん、僕は丈夫ですよ。それに美姫も心配しないで。子供じゃないんだから」

僕は笑顔を見せ、心配無い事をアピールする。

「えぇ~、楽しみにしてたのにぃ~」

ふて腐れたように、美姫が頬を膨らませてまゆを寄せる。

いくら可愛い顔をしていても、これでは台無しと言う物だろう。

「あらあら、美姫は目的が別だったみたいね。端鷹君は病み上がりなのよ。少し遠慮しなさい」

歩美さんは、笑いながら美姫をたしなめる。しかし、当の美姫はまったく聞く耳など持っていないようだった。

「ねぇ、いいでしょ。一緒に行こうよ!お兄ちゃん」

美姫は強引に、僕を誘う。

「ごめん、今日は遠慮しておくよ。ちょっと一人で歩きたいんだ」

素直な気持ちを言う。

それを聞いた美姫は、またプーと膨れてしまった。

「ほら、端鷹君がこまっているでしょ。その位にしなさい」

「は~ぃ」

美姫の、渋々といった感じの返事が妙に可愛らしかった。

ちょと悪いことをしたかな?と考える。

だけど、僕には他に思う所があった。

悩んでいるわけではないが、整理は必要であろう。

ほんの少し、時間が欲しい。

僕達は手早く食事を済ませ、登校の準備をする。

その後、制服に着替えた僕は、美姫よりも10分程度の遅い出発となった。

「気を付けて行ってくださいね。よけいな所に寄っては駄目ですよ」

歩美さんは玄関で見送りをしてくれている。

もちろん歩美さんにも仕事が無い訳ではなく、そんなにゆっくりしていて良いのだろうかと、少し心配にも思う。

だけど、それが彼女のココロ配りなのだと理解もするし、感謝もする。

「僕は小学生ですか・・・」

思わず笑みがでる。

そんな彼女に、他意を感じられない以上、素直に受け止めるしかないだろう。

「私から見れば、端鷹君も、美姫も、可愛い子供に変わりは無いですから」

歩美さんは「ふふふふ」と笑う。

とても自然な笑顔・・・。

目の前の女性は、見た目はともかく、年齢相応の母性を持つと考える。

「・・・行って来ます」

「いってらっしゃい」

それだけ交わすと僕は家を出た。

家を出て、すぐにまぶしい空が、僕の視界に入って来る。

・・・今日も天気が良い。

雲は浮かんでいるが、それもまばらで、時より日陰になるのが気持ち良いくらいだった。

ふと考える。

そう言えば、この町に来てから、天気の悪い日なんか在っただろうか?

天候の変わり易い季節だから、雨の一つも降って良さそうな物なのだが。

まあ、天気が良いに越した事は無い。

・・・歩きながら考える。

・・・いつもと変わらない空や風景。

空を見上げる。

・・・歩きながら考える。

・・・いつもと変わらない町の騒音。

また、空を見上げる。

・・・歩きながら考える。

・・・いつもと変わらない匂いや空気。

厳密には一秒たりとも同じ物など無いのであろうが、僕の感覚はそれらを変わらない物と認識する。

つまり『いつもの』である。

そんな変わらない物だと思っている物を見ながら、『いつも』とは言えない昨日の事を考える。

そう、・・・さくらさんが、朝霧を送ってきた。

それに、あの手紙。

あれは、本当に僕に必要な物なのだろうか?

あの不思議な感覚。

・・・朝霧から、僕に流れてくる膨大な情報。

僕の身体から離してしまうと、朝霧からのそれは途切れてしまう。

だけど、今までと違う風景、今までと違う感覚。

朝霧がそれを僕に見せていた。

厳密には何も変わってはいない物達。

朝霧を離せば、今までと何等変わらないはずの物。

全てが違って見える。

朝霧からの情報と、僕の感じる、本来の情報。

感覚とも言えるそれらは、お互いに違う物だと解りながらも、不思議と僕の中で共存していた。

・・・朝霧か。

以前、さくらさんは僕に言った。

「触れるものを喰ふ妖刀」と。

霊的不感症な僕に、なんでそんな物の情報が流れ込んで来るのか不思議でしょうがない。

さくらさんからの手紙によれば、これも一種の、物理的現象という物らしい。

僕は生れながらの体質、『霊的不感症』と言う、特殊事例らしいその事と朝霧の事を合わせて考える。

僕の『霊的不感症』は、かなり特殊な物らしく、外部から受ける直接的なそれらの症例の影響を一切受けず、肉体的及び、精神的に全てキャンセルしてしまうらしい。

だがそれは、それと別に存在する物や、それによって引き起こされる物とは一切関係無い物だ。

つまり、何かしらの「力」を込められた拳を食らってしまえば、拳だけは僕に当たる。

また、その力によって操られた物質などにも、当然当ってしまう・・・。

僕の霊的不感症とは、そう言う物であるらしい。

そう考えると、僕に対する朝霧からの情報も、その限りでは無いと言ったところなのだろう。

そう言えば、初めて朝霧を握った時、静電気みたいな物を感じた。

それが、さくらさんの言う物理的現象なのだろうか?

憶測の範囲で色々と考えるが、しかし考えた所で所詮、僕の頭では解かる事ではない。

事実、僕に分かっている事は、何が「原因」ではなく、「結果」として起きている事だけなのだから。

現に僕は、今まで見えなかった物、感じなかった物を朝霧を通して認識するようになっている。

改めてさくらさんの手紙の内容を思い出す。

・・・始めは「朝霧を握れ」とだけ書いてあった。

そして本当は、その続きがある事を僕は知る。

僕が手紙を読めるかどうかは、彼女にとって、一つの賭けみたいな物だったようだ。

僕が、朝霧を使えるのかどうかと言う賭け。

理由は詳しくは書いていなかったが、僕が朝霧を使えるならば、『朝霧』が僕に足りない霊的感覚を補える事になると。

朝霧の見ている物を、僕の知覚として感じるようになってから、その手紙の続きが読める様になった。

だけどさくらさん。

・・・普通の人でも、あんな感覚は持ってないと思うよ・・・きっと。

少し心の中で、さくらさんにツッコミを入れてみる。

それは、どう見ても普通の人より足りない物を「補う」ではなかった。

いったい、何を基準に「補う」つもりなんだろうか?

確かに朝霧に触れていると、見えなかった手紙の文字が見えた。

それは、藍っぽく光った文字、見れば見るほど不思議な感じがする不思議な文字だった。

あれが、呪術的感覚の現れなのだろう。

どんな仕組みになっているのかは、やはり僕には解からなかった。

もし仮に、僕の霊的感覚が補われなければ、あの手紙は読めなかっただろう。

読めなければ、それまでと考えたのかもしれない。

それで、手紙の最後に「朝霧を道元先生の所に送る」である。

読めなければ、それと気付かず、道元先生の所に送っていたかも知れない。

読める様になってからは、「朝霧を道元先生の所に送る必要は無い」に、文が変わっていた。

「必要は無い」が文として、藍っぽく光るそれが付け加えられていた。

他にも、色々と手紙には書いてあったが、僕にはあまり嬉しくない事ばかりだったような気がする。

それは、この町が非常に危険な場所だと言う事。

全てと言う訳ではなく、単純に僕にとって「危険」と言う意味らしい。

相手が、例え人間であったとしても、気を抜くなとまで書いてある。

さくらさんにとって、僕がこの町に越してくる事は予想外だったらしく、慌てて朝霧を送って来た様だった。

「常に朝霧を所持する事をすすめる」とまで書いてある事から、心配してくれているのが解かる。

・・・ありがとう、さくらさん。

朝霧を送ってくれた来た事ではなく、僕はその気持ちに感謝した。

そう考えると、心配してくれるさくらさんには悪いが、何気に嬉しくもなる。

しかし、そんなに危険な町なのだろうか、この町は。

確かにとんでもない所だとは思うが、さほど僕に実感は無い。

まだ危険な目に会っていないからだろうか?

なにはともあれ、朝霧を家に置いてきているせいで、僕の日常は何時もとなんら変わりはないはずだ。

「ふう」

ため息を突いてみる。

気が付けば、すでに通学路の半分以上を歩いてしまっている。

辺りに目を配れば、まばらではあるが、同じ学園の生徒がちらほらと目に付くようになってた。

いわゆる、朝の登校風景と言う奴であろう。

こればかりは、どこに住んで居ても、あまり代わり映えはしない。

あえて言えば、女子の制服が以前の学校と違うくらいである。

別に制服に興味が在る・・・と言う訳でも無いのだが、僕の目から見ても学園の制服は、随分華やかに見える。

こう言った物にも流行などが在るのかは判らないが、そのデザインを見ると、学園側の考えにもそれなりの苦労が在るのかもしれない・・・。

あれ?

・・・?

日常的な登校風景の中に、僕は違和感を覚える。

制服でもなく、会社に通勤するサラリーマンの背広姿でもなく、自由な時間を楽しんでいるような姿でもない。

一人だけ目立つ服装。

誰も、そんな姿で出歩かないだろう、・・・そう思う。

・・・そんな人が、その風景には混ざっていた。

・・・裸足でパジャマ?

・・・どうして?

それが率直な感想。

登校する生徒の中に混じって、僕と同じ位の年齢の少年の姿があった。

パジャマ姿その物はたいした事では無いかもしれない。

世の中は複雑だと、人はよく言う。

人それぞれ、色々な事情や原因があると考える。

だから僕的には、その行動自体に然程違和感を覚える訳ではなかったりする。

だけど、なにか変なのだ・・・。

いや、彼が変なのではなく、彼の事を、周りの人間が誰も気に止めていない。

僕は、その事に違和感を覚える。今の世の中、多少イカレタ奴も多いから、誰も驚かないのはわかる。

だが、それは違っていた。

どんな物であれ、人は違和感を覚えれば、それを気に止める。

たとえ見ない様にし、無視をしていたとしても・・・。

それは仕方の無い事。

それは本能のような物だから。

だけど、それがまったく感じられない。

だれも、視線一つ彼に止めないのだ。

・・・そこに存在が無いように。

・・・・・・・あれ?

何処かで・・・・・・・・、

同じようなイメージを・・・・・・、

感じた事が・・・・・・・ある?

不意に足を止め、それが何であるか考える。

随分遠い記憶に触れたような気がした。懐かしいと言うよりも、ほんの少し切ないような苦しいような、そんな感覚。

それはデジャブであろうか。

それが何であるか僕には分らない。

「声を掛けなきゃ・・・」

そんな言葉が口から出る。

意識したわけではない。

すでに僕の足は、その青年に向かっていた。

それは興味本意や義務感などではなく、条件反射のような物なのだろうか?

青年に近づくにつれ、その青年に見覚えがある事に気が付く。

・・・黒田?

そこには、つい最近同級生になったばかりの学友の顔があった。

友達とまでは行かないが、教室で何度か話しをした事がある人物だ。

昨日、神崎が黒田の事を言っていた事を思い出す。

「黒田!大丈夫か?」

僕は、駆け足で近づいて黒田に声を掛ける。

一瞬、周りの生徒や通行人の目線が僕に集まる。

だけどそれも一瞬。

誰もが自分に関係無い事なら、気にも止めない。

だけど、逆を言えば誰かが一瞬気を止めている事にもなる。

そう、それが普通。

・・・だからおかしい。

・・・・・・・・・。

僕にだけ視線・・・か。

「・・・?」

声を掛けられた人物は、不思議そうにこちらを振り向く。

「そんな格好で、何処に行くつもりなんだ?」

「・・・・・・・・・カ・・・・・加々美ぃ?」

黒田がぼくの名前を呼ぶ。

だが、まるで目の焦点が合っていないような、そんな感じ。

「・・・・・・加々美ぃ・・・・なんでだぁ」

「なんで?何が?」

すでに、それが僕に問い掛けているかどうかも怪しく聞こえてくる。

しかし、僕を『加々美』と呼んだ。

少なくとも、僕が誰なのかが識別は出来ているようだ。

「・・・ダレもいねぇーよぉ・・・。ナンデおれだけなんだぁ・・・」

黒田はまるで放心したかのように、僕に話しかける。

「居ないって、誰が?」

「・・・ミンナいねぇーよぉ・・・。ダレもいねぇーよぉ・・・」

みんな?・・・どう言う意味だろう。

家族や友達の事だろうか?

「加々美ぃ・・・ナンデだぁ・・・、なんでおマエだけがいるんだぁ・・・」

「僕だけ?、僕だけって・・・どう言う事?」

嫌な感じが僕の頭の中で膨らんでくる。黒田には、「今」僕が見えている。

「キノウからよぉ・・・ダレともアえねぇーんだよぉ・・・・。ヒトリもマチにいねぇーんだよぉ」

「見えて・・・居ないのか?黒田」

僕は絞り出すように言葉を出した。

僕と黒田の脇を、同じ学園の女子生徒が何度か通る。

彼女たちは、一様に同じ態度をとる。

こちらを見て、くすくすと笑って通り過ぎていくのだ。

正確には、『僕』だけを眺めながら。

彼女たちは、『僕』を見ている。

まるでストリートパフォーマンスをしているパフォーマーを眺める様に。

・・・・・・彼女たちには、

・・・・恐らく、

彼女たち以外の人達にも、見えては居ない。

黒田の事が・・・。

昨日神埼が言っていた言葉を思い出す。

『神隠し』

それが本当かどうかは知らない。

だが僕には、その言葉が妙にしっくりと響いた。

「僕しか見えていないのか!そうなのか黒田!僕の声以外は聞こえないのか!」

「・・・なに・・・イってんだ・・・。ダレもイねぇー・・んダヨぉ・・・」

僕は思い起こす。

この町が僕にとって、本当に危険な町なのだろうか?と思っていた事を。

少し考えが甘かったか・・・。

「黒田、しっかりするんだ!僕をしっかり見ろ」

多少なりとも黒田の意識がハッキリするかもしれない。

そう思い、僕は黒田の肩を掴んで、強く言ってみる。

この際、僕が変な人に見られるのは構っていられない。

・・・恐らく、今の黒田は恐ろしく危険な状態・・・なんだと思う。

まず、僕以外の人間は黒田が見えていない・・・。

これは黒田の存在その物が、何かの原因、もしくは意図的に希薄になっていると言う事。

偶然ではまずあり得ないだろう。

次に黒田からは僕以外の人間が見えなくなっている・・・。

これは僕の体質が原因だと思う。

逆を言えば、僕の体質が露になるような事が黒田の身に起きている事になる。

そして、僕が彼に触れて、彼が見えている時点で、幽霊や亡霊の類では無い事も判る。

・・・あれ?

・・・なんで僕は、当たり前のようにそう思う?

・・・なんで僕は、当たり前のように肯定出来る?

「・・・ナンでだぁ・・・、ナンでだぁ・・・」

黒田が、僕の疑問を代弁するかのように、同じ言葉をオウム返しのように繰り返す。

同じ言葉を繰り返す黒田を見ながら、僕は自分の甘さを再度感じ、舌打ちをした。

今は僕の疑問なんてどうでもいい、そう思う。

これはある種、後悔の念・・・と言う物だろう。

今、黒田は危険な状態だろう。

それと同じように、恐らく僕も・・・。

黒田が、こうなった理由は、きっと何か意図的な力が働いている結果だろうと思う。

それが人間の仕業にしても、『アレ』の類の仕業にしても・・・。

・・・朝霧。

頭の中を、黒い刀の名前が過ぎる。

・・・僕には「力」なんて物が無い事を思い出す。

黒田を助けるにしても、予想される禍から逃げるにしても、僕だけでは無理なのかもしれない・・・。

今更、朝霧を置いてきた事に失念を感じる。

仮に、これを偶然なのだとすれば、然程の危険はないのだが、・・・それは余りにも幸せな考えかもしれない・・・。

いま僕は、何者かの力場か、結界のような物を、まったくお構いなしで、その上大手を振って歩いて居る筈なのだから。

「今、『アレ』が出てきたら、アウトだろうな」

おもわず口にだす。

尤も、さくらさんの手紙に「人間であっても・・・」などと書いてあったので、何が現れても、僕にとっての安全などは、無いのかもしれない。

「・・・『アレ』って・・・ナンだぁ・・、ナンだぁ・・・」

黒田は、僕が見えているせいか、声を掛けた時よりも、少し落ち着いている様に見える。

そんな彼を見て、少し安心をする。

「・・・・!!」

そう思った矢先だった。

まるで気配を殺すように、意図的に低くした足音が耳に入る。

その淀みないリズムとスピードから、只者では無い事が判る。

明らかに他の人達とは違う足音。

・・・僕には逆に目立って聞こえてしまう。

それが、僕達の方に一直線に向かってくる!

・・・まずい、来たか?!

僕は、黒田と足音のヌシの間に身を置くように構える。

剣術だけが能ではない。

体術もそれなりに身に付けてはいる。

過信と言う訳では無いが、いくらかの対応は出来るかもしれない・・・。

相手が人間であれば・・・の話だが。

・・・なる様にしかならないか。

覚悟じみた事を考えながら、僕はさらに腰を落とす。

・・・今更、肝を据える・・・訳でもないな。

諦めでも無いが、相変わらず、こんな状況でも気持ちがカラカラとしている自分に笑みがこぼれる。

足音を聞いてから2~3秒後の事であろうか?その足音のヌシと対峙する事になる。

「うわっ・・ったった!。やべぇ!」

???

対峙したん・・・だよな?

僕は一瞬、どう判断して良い物か迷ってしまう。

・・・只者では無い筈の人物は、アワアワ言いながら、目の前でコケそうになっている。

「・・・」

一瞬、言葉を失ってしまった。

「神崎・・・、お前は何をしているんだ?」

僕が、やっと絞り出せたのは、そんな陳腐な言葉だった。

張り詰めていた気が、抜ける・・・。

「いやぁ~何って、麗しの加々美端鷹君が、朝からパントマイムなんかをストリートで披露しているからさぁ~、チョット脅かしてやろうかと思って、近づいただけじゃん♪・・・そしたら急に振り向くんだもん、俺はびっくりしたぜ!」

何が「だもん」と「したぜ!」なんだ・・・。

僕は黒田の事もあり、能天気な神崎を見ていて少し腹がたった。

腰を落としたままだった僕は、思わず勢いで拳を神崎に叩き込む。

「バキ!」

軽く当てたとは言え、腰が入った拳は神崎をとらえ、いい感じで回転しながら奴は綺麗に倒れた。

・・・成敗。

とは言っても、ヒットの瞬間、神崎が打撃の方向に逃げているのが判ったから、実際は効いてはいないだろう。

さっきの足音といい、打撃の逃がし方といい、・・・神崎お前、何者よ?

倒れたままヒクヒクいっている神崎を眺めながら、自分的論点をずらして納得した事にする。

いやいや悪いな、神崎・・・と心の中だけで謝る。

「黒田、ビックリさせてしまったな・・・・?・・黒田?」

そう言いながら振り向いた僕は、辺りを見回す。

まずい!黒田が居なくなってしまっている。

神崎に気を取られすぎた?

・・・そんな筈は。

パジャマ姿の青年・・・。

目立つから、見付けやすいはずなのに見当たらない・・。

「黒田!どこだ?黒田!」

まだ近くに居るはずだ。

・・・見失なってしまったのか?

「いててててっ、黒田って誰だよ」

倒れていた神崎が復活してくる。

ダメージは残っていないようだ。

・・・侮れない。

「ああ、さっきまで黒田が居たんだよ。同じ教室の」

「あぁ~ん、同じ教室ぅ~?誰の事言ってんだよ?・・・いないぜ、うちのクラスに黒田なんて」

「居ない?」

神崎に聞き返す。

数日前、黒田と神崎が親しそうに話している所や、昨日神崎が黒田の事を言っていた事を思い出す。

神崎は、知らないはずは無いのだ。

「それに加々美君、一人だったじゃん。パントマイムやってたけど・・・。見てて結構恥ずかしいから、やめた方がいいよ、あれ」

「そ、そうだな・・・」

神崎の言葉を聞いて頷く。

これ以上黒田の話をしても、僕が変に見られるだけなんだろうと思う。

少し判断を悩む。

黒田の姿が見当たらなくなった今、僕はこのまま黒田を探した方が良いのだろうか?

黒田とは親しい訳では無かったが、助けたいと言う気持ちは在る。

だけど、今の僕には何も出来ないのかもしれない。

今から彼を探しても、何の結果も出せないだろうし。

黒田はもう手遅れなのかもしれない。

神崎の言葉を聞くと、思っているよりも状況が悪い。

彼の存在が既に固定できていない。

友達の記憶から消えているほどに。

このままにするしか無いのだろうか。

僕には何とか出来る「力」などが無い。あのまま黒田と行動を一緒にしていても、僕に何が出来るのだろうか?

腹の下辺りで、どす黒い何かが蠢く。

ごりっ・・・そんな感じ。

後悔とも違う、感情ではない物。

後味が悪いな・・・。

先ほどまで黒田が立っていた場所を眺める。

どうした物かと考えあぐねていると、神崎が僕の制服のカラーを鷲づかみにしながら強引に引っ張る。

「加々美君!遅刻するぞ!」

「うわ!ちょ、ちょっと待て!」

そのまま歩いてくれるものだから、こっちはたまった物ではない。

準備が必要かもしれないな・・・。

悩むような事では無いのかもしれないと、そう思った。

僕はやりたい様にやるし、なるようにしか成らない。

・・・だけど、もしかすると僕は神崎に助けられたのかもしれない。

少なくとも、黒田を縛り付けている何かしらの力から、今は抜け出しているはずだから・・・。

早めに情報を集めなければ。

だけど、そうは決めたけど・・・やはり、後味は悪いままだった。

「ぐふ!まて、死ぬって!・・や、やめろって!」

僕の叫びに構わず、僕を引きずったまま、神崎の歩くスピードが上がる。

・・・前言撤回だ!

これは助けられたなんて物じゃない!誰に殺されるって、このままじゃ僕は神崎に殺されてしまう。

「ギブ!ギブ!・・・」

情けない言葉を出す僕に対し、神崎は無視するよう歩き続ける。

意識を失いそうになりながら、僕は残りの通学路を進んで行った。




教室を見渡す・・・。

何処にでもあるような、ごくありふれた風景。

神崎と一緒に登校したせいだろうか、いつもより10分程早い登校となってしまった。

神崎は教室に入った後、何処かへと姿を眩ましてしまっている。

今、視界の中には奴の姿は無い。

神崎のおかげでホームルームまでには、30分ほど余裕がある事になった。

それは僕にとって、ある意味好都合なのかも知れない。

僕は視線を移す。

やはり、黒田の席は空いたままだった。

「当たり前か・・・」

僕はそう呟いて、席を立つ。

黒田の席を確認しておきたい、そう思ったからだ。

黒田の席には、教科書やらノートが置き去りにされている。

その内の一冊を僕は手に取ってみた。

「黒田正道・・・」

それが黒田の名前。

その教科書に書かれた名前を確認するように声に出す。

他に何か情報になる物が無いかと確認はしたが、然程たいした物は無かった。

ただ、僕にとって収穫が無かった訳ではなく、机の中から、懸賞用のハガキを一枚見つける。

懸賞に応募するつもりだったらしく、ご丁寧に住所と電話番号まで書いてある。

どの道、黒田の家まで行くつもりだった僕は、職員室で住所を調べるなんて、面倒な事をしなくても良い事になった。

本当の所、然程、黒田について調べられるとは思ってもいなかった。

自分で調べられる事など、たかが知れている。

これはこれで大収穫なのかもしれない。

僕は、何事も無かったように自分の席へと戻る。

「加々美くん・・・、なにしてたんですか?」

突然、中里さんに声を掛けられる。

誰も気には止めないだろうと、高をくくっていたが、どうやらそうでも無いらしい。

まぁ、人の机を物色していたのだから怪しく思われても仕方がないだろう。

「え、ああ、黒田に貸してた物があってね。ちょっと必要になったから、無いかどうか見ていたんだ」

僕はわざと「黒田」と言う単語を出して答える。

「黒田・・・くん?」

俗にいう「天然」のイメージが強い中里さんは、首を捻ってみせる。

たぶん彼女にも、記憶は残っていないのだろう。

だけど、「黒田」と言う名前には反応している。

彼女的に、少しは奴の事を覚えているのだろうか?

「うぅ~ん、うぅ~~~ん?!」

彼女は、僕の前で盛大に唸って悩んでくれている。

昨日初めて話したばかりだが、こう言った個性は貴重かもしれない。

「うぅ~ん、あ、あれですね!海に居るおっきい哺乳類!」

「・・・え?」

突然閃いた様に中里さんは言う。

中里さんが何を言っているのか、僕には今一つ判らなかった。

「あ、あれは・・・・クジラ・・・ですよねぇ・・」

困惑している僕を見て、彼女は申し訳なさそうに呟く。

クジラ?・・・黒田と何の関係があるのだ?

そう考えている内に中里さんは再び悩み始めた。

「うぅ~ん、うぅ~~~ん?!・・・・・ん!」

何か思い出したのか、中里さんは顔をニパッ!と輝かせ僕のほうを見る。

「判った!あいつが犯人だ!って奴でしょ!」

「・・・?」

何かがずれているような気がした。・・・話のズレは、何なのだろう?

「あれ、分り辛かったですか?、容疑者を黒だとか白だとかって言うじゃないですか」

何の話?

・・・黒田の話をしたはずなのに、黒だの白だのと・・・・・、黒だ?

ああ、そうか。

中里さんは僕に、ツッコんでもらいたいんだ。

そう考えると、彼女の言いたい事が判ってくる。

だからと言って、ツッコミを入れた方が良いのだろうか・・・?

「いや、そうじゃなくて、中里さんはここの席の黒田って奴、知ってる?」

「・・・誰です?それ」

次のボケを考えて居たのだろうか?不意を突かれた中里さんは、急に真顔で答えてくる。

・・・だろうな。

少しは覚えているかと思ったのだが、そうも行かないらしい。

彼女に黒田の事を説明しても、その存在の希薄さを証明するだけだと思い、僕は諦める事にした。

「いや、気にしないで」とだけ言って手をパタパタと振る。

「加々美くん・・・、もしかして怒りました?」

「・・・え、何が?」

僕が手を振ったのを、バイバイと思ったのか、中里さんの表情が沈む。

「ええっと・・・、わたしが変な笑いを取ろうとして・・・・・、それで加々美くんが気分を悪くしたのかなぁ・・・なんて」

中里さんはばつが悪そうに目を伏せがちにそう答えた。

「そんな事は無いよ。僕がツッコミそこねただけだから・・・。いいボケだったよ」

僕は笑みを作りながら答える。

「え、ほんとに?・・、そんなぁ~、怒られるところか加々美くんに褒められるなんて、てへへ」

中里さんは、喜んでいる・・・。

人はそれぞれとも言うが、こんなやり取りも、面白いのかも知れない。

「加々美君ってば、なぁーにやってんだっ!」

突然、姿を消していた神埼が声を掛けてくる。

今まで何をしていたのだろう。

時計を見れば、既にホームルームの5分前である。

これは、五分前行動なのか・・・・?

そんなどうでも良い思考が走る。

ただ、神崎が入って来てくれたお陰で、空気は日常的な物となる。

僕にとってはそれが助けとなる。

「中里さんと少し漫才をしてた」

「マジかよ。加々美くんが漫才って・・・。惜しい事をした」

真面目に答えた僕に、神崎が同じように真面目に相づちを打つ。

「それより神崎は何処に行っていたんだ?あの後姿が見えなくなったけど」

「え、それって俺の事が気になるぅ?愛しの加々美君が俺の事を気に掛けるなんて、それって愛?」

肉体的ツッコミを神崎に入れようかとも思ったが、さっきの様に綺麗に回転しながら飛ばれても、血反吐を吐かれても困るので自粛をする。

「なぁなぁ!それって愛?愛?愛!」

「・・・」

「なぁってばよぉ!」

「・・・」

「加々美君、無視かよ!」

相手にしていても仕方が無いので、無視をしていたが、神崎はそれに不満がある様な事を言って来る。

「不公平だなそれはぁー、中里さんとは漫才やって、俺とは漫才できないって事なのかぁー!なぁー、中里さんもそう思わない?」

神崎が話を中里さんに振るので、思わず僕も中里さんをみる。

彼女は何故か僕と神崎をじっと見つめていたが、話を振られたとたん慌てたようなそぶりを見せる。

「え!あ?えぇ~ですね・・・、なんと言うか、お二人が並んでいると、プレッシャーが、いや後光がまぶしくって、私には何とも・・・ごにょごにょ」

頬を染めながら中里さんが小さくなっている。

「やっぱり中里さんもそう思う?俺と加々美君がユニット組んで正解だろ!」

「それはもう!御二人は、すでに学園最強ですね!」

神崎は良くぞ言ってくれましたと、言わんばかりに中里さんに笑顔を振りまいている。

よく判らないが、中里さんは中里さんで、小さくなったり、元気になったり、忙しいようだ。

ただ、僕は二人の会話の内容が掴めて居ないけど。

・・・しかし、なにがユニットで、なにが最強なのだろう?

「だけど、加々美君は自分の価値がわかってないからなぁー。もったいないなぁー」

「あ、でも、神崎君。そこが加々美くんの良い所でも在るんですよ」

「確かにそれも有るけど、自覚してこそ輝くって物だろう」

「いえ、演出ではなく、身体からほんのりにじみ出てるような所が良いんです」

・・・二人で勝手に盛り上がり始めてしまった。

会話の方向性が今一判らない僕は、どうした物かと思う。

なんだかんだ言っても、取り残されるのは癪に障る。

「えっと、何の話をしてるか僕に教えてくれる?」

「何のって、そう言う話だよ。なぁ、中里ちゃん!」

「はい!そう言うお話です!」

いきなり「中里ちゃん」呼びになっている神崎と、力強く同意している中里さんを前にして、僕は困惑するしかない。

そうこうしている内に、時間を知らせるベルが鳴り、担任の教師が教室に入ってくる。

自然消滅的な形で僕達はそれぞれの席に着いた。

自分の席に着いた僕は、外を眺めながら思う。

人が一人居なくても、日常と呼ばれる世界は、何の変わりも無い物だと。

・・・・・そしてその日、出席の確認で黒田の名前が呼ばれる事は無かった。








下駄箱の靴を取る。

時間的には昼休みの真っ最中と言った所か。

校庭ではボールを使って暇つぶしをしている学生たちが見える。

それぞれ思い思いにスポーツを楽しんでいるのかと思えは、力任せにボールを蹴飛ばしているだけだったりする。

この間、ガラスを割って、叱られている生徒が居た事を思い出す。

そんな昼休みの中、担任に具合が悪いと嘘を言い、僕は早々に帰る事にした。

思っていた以上に朝の出来事、黒田の事が気になっているのだろう。

気になる以上、黒田の家に行ってみようと思う。

靴を履いた僕は、学園の玄関を出ようとする。

ふと僕は、正面玄関の向こうから、歩いてくる人影に気が付く。

・・・あれ?

僕は足を止める。

視界に入る人物。

それは女性だった。

とても綺麗な黒髪をしている。

色は違えど、さくらさんの髪に引けを取らないほどの艶と言って良い。

髪の長さはさくらさん程ではなく、肩の所で揃えてカットしてある。

まるで日本人形のように。

その女性、少女と言った方が良いだろう、そのあどけなさの残る少女がこちらへとゆっくり歩いてくる。

学園の制服を着ている所から、ココの生徒である事は判る。

だが、ココの生徒かどうかは別に、僕は彼女から眼を離せないで居る。

ただ、歩いているその少女を見つめていた。

何故だろう?

・・・彼女の表情は硬く凍り、まるで能面のようにも見えるのだ。

その少女は、まるで僕がそこに居ないかのように僕の脇を素通りして行き、校舎へと入っていく。

だれなんだろう?

・・・転校して来て日が浅いとは言え、あれほどの特徴の持ち主である。

それにどう差し引いても美人である。

僕が気がつかなくとも、神崎あたりがご丁寧に教えてくれるはずなのだが。

現に僕は、従妹の美姫の事ですら、神崎に語られている。

もっとも、美姫の見た目が可愛いと言う事に、否定をするつもりもないが。

そんな神崎からも、あんな娘が学園に居るとは聞いていない。

僕は少しの間、そんな事を考えながら、少女の消えた廊下を眺めていた。

だけど、人の居なくなった廊下を眺めていても仕方が無い。

僕は気を取り直して学園の校舎を後にする。







道を歩き始めた僕は、なぜか空に目が行ってしまう。

・・・空は青く澄んでいる。

本当に天気がいい。

こんな天気のいい日は、何処かへ遊びに行きたくなってしまう。

・・・はは、僕は、自分が早退してきた事を思い出す。

早退して来て、遊びか・・・。

それも良いかも知れない。

現に今だって、さぼって居る事には違いはないのだから。

「まずは、家だな・・・」

今、やろうとしている目的を考える。

それとは別に、世界はこんなにも緩やかに流れ、進んでいる。

だが今は、いつのも帰り道が、いつもと違う道のように思える。

その感覚が、なにが原因で、また、なぜそう思えるのかは、今は判らない。

目に見える風景に答えを求め、辺りを見渡しても見るが、これと言った違いは見当たらなかった・・・。

あたりまえだろうな・・・。

何をやっているのだろうと思う。

いつもの帰宅路は、まるで違うものの様であり、そして同じような物でもある。

程なくして僕は、最初の目的地に着く事となる。







叔母さんの家に辿り着いた僕は、玄関のドアノブを回した。

・・・鍵は、掛かったままだ。

もちろん、歩美さんは仕事から帰ってきていないのだろう。

まぁ、歩美さんが帰ってきていたら、逆に困るのだけど。

僕は、鍵を開けて家の中に入る。

自分の寝泊りしている家の筈なのだが、他人の家に、こっそりと忍び込んでいるような錯覚に襲われる。

その感覚は、悪さをしている子供のようだった。

廊下を過ぎ、階段を登る。

意味も無く足を忍ばせてしまう。

本当に意味の無い事だと思い笑いがでてしまう。

そうして自分の部屋に入った僕は、昨日、朝霧を立て掛けた所に目をやる。

それは、当たり前のようにそこに立て掛けてあった。

普通の日本刀にしか見えない。

それがあまりにも普通で、本当に、他の人には見えていないのだろうか?と、疑いたくなってしまう。

昨日の夜、さくらさんからの手紙を読み終わった僕は、朝霧を身体から離した。

それは唐突である。

それまで在った感覚を、ごっそり持っていかれるような感じ。

『朝霧からの情報が無い』・・・。

それが今までの『僕の普通』なのだが、それでも、その喪失感はかなりの物であった。

それから、朝霧に触れては居ない。

朝霧に触れないほうが良いのかも知れない。

そうも思った。

その喪失感ゆえの考えだ。

相変わらず怖いと言った感情や感覚は無いが、これは、危険回避をする為の選択的思考なのだろう。

手を伸ばし、朝霧を握る・・・。

一瞬、息が詰まる。

むせ返るような情報。

だがそれも一瞬。

無作為な情報の束は、まとめられて、収束して行く。

情報の整理の仕方は、昨日覚えた。

僕は改めて深呼吸をする。

すでに僕の世界は変わっている。

・・・これだから困る、そう思う。

あまりにも落差が激し過ぎる。

朝霧を持たない時の僕は、あまりにも無防備なのかもしれない。

そんな考えを持ってしまう程に。

さくらさんの様に、朝霧を肩から掛ける。

忍者の様に背中に背負うのも楽で良いのだろうが、僕的にはNGだった。

見た目もそうなのだが、正直なところは、さくらさんと同じようにしたい。

それだけなのかもしれない。

家を後のした僕は元来た道を戻る。

どうやら久しぶりに運動量が増えるようだった。

思いの外、目的地が遠い。

ハガキに彼の住所は書いてあった。

その住所から彼の家の場所を調べたら、学園を中心にして、叔母の家と全く逆方向にある事が分かる。

朝、黒田の目的地が学園だったとすれば、随分と遠回りをしていた事になる。

もっとも、黒田がそれを遠回りだと理解していたのかどうかは、別であるが。

・・・未だに町の中を徘徊しているかもしれない。

そうも思う。

それでも僕は、黒田の家を確認しておきたかった。

何故かは判らない。

そうしなければならないと、ただ思っただけだった。

・・・。

空を見上げながら思う。

黒田の事が気に掛かっているのは事実。しかしその反面、こんなにも落ち着いているのなぜなのだろう?

早退を決めたときは、気が焦っているかと思ったが、どうやらそうでは無いらしい。

学園を出た後に、僕の心は非常に緩やかな物となっていた。

不思議な物だと考える。

それにしても、朝霧からの情報は多いと感じる。

漠然としていて説明に困るが、『期』の流れとでも言うのだろうか、周りの動きが見えるのだ。

面白いとも思う。

あんなにも静かだった僕の世界は、こんなにも騒々しいのだ。

「ふふ」

思わず声が漏れる。

声が漏れて気づいた。

自分が笑っていると。

今は、この世界を楽しむ事にしよう。

そうして僕は、一度出たはずの学園にまた戻っていた。

学園に来る必要は無かったのだが、僕はわざとこの道を選んでいた。

理由としては、道が判り易い。

・・・ただそれだけ。

正直、この町の道を、僕は殆ど知らない。

だから学園を起点とした方が、判り易かった。

僕は、歩きながら学園のグラウンドに目をやる。

午後の授業は、既に始まっている様だった。

生徒らは、順に並んで、なにかしらのタイムを計っている。

元々この学園は男女共学で、男子と女子が体育の授業を受けている事になる。

もちろん、男女のグループ分けにはなっているが。

「・・・美姫?」

女子のグループの中に美姫を見つける。どうやら、体育の授業を受けているのは一年生の生徒達のようだ。

しかし、目立つ娘だな・・・。

美姫はどちらかと言えば、小柄な方なのだが、そのグループの中に居ても彼女とハッキリ判った。

決して他の娘がそうでない訳ではないのだが、神崎がチェックを入れているのも、うなずけると言う物だ。

僕が言うのも何だが、体操着の上からでも、彼女のスタイルは良いと判断をする。

その上顔立ちが良い。

・・・僕にも馬鹿兄貴の素質があるのかな?

自分の身内が良く見えるのは、当たり前なのかもしれないと、そんな風に思ってしまう。

ふと、自分が早退している身である事を思い出す。

さすがに、美姫に見つかるのはまずいと思う。

昨日の件もあるし、早退した事がばれれば、何を言われるか判った物ではないだろう。

そして僕は、目的を思い出し、目立たないように学園を後にした。








黒田の家を探すのに、思っていたよりも時間を掛けてしまった。

知らない道とは言え、こう言った事が、得意分野ではなかった事に気がつく。

僕は、学園から黒田の家に到着するのに、2時間程費やしていた。

季節柄、日は短くなっている。

恐らく、後1時間程で日は暮れてしまうだろう。

そして、黒田の家を前にした僕は、初めて見るそれを、ただ眺めている。

これが・・・、結界と言う物なのだろうか?

それは、僕の率直な感想だった。

知識の無い僕は、他に適当な言葉を知らない。

『力』のある人間にもそう見えるのか、もしくは朝霧だけがそう見ているのか、今の僕には『視覚的』に、それが見えて居た。

・・・薄紫色の空間。

それは、黒田の家を覆うように存在していた。

厳密には、黒田の家の敷地のみに、と言う事になる。

あの時も朝霧を持っていれば、今朝の黒田も同じように見えたのだろうか?

居るはずなのに・・・誰も気が付かない、見えていない。

僕は見えなかった・・・それ以上の事が。

門を開けて、敷地内へと入る。

入って思ったが、やはり僕と僕の身体に対しては、これと言った変化は無い。

門から三メーターほどの所に、玄関入り口がある。

何処の家でもでもそんなものだろうが、もう少し余裕が有っても良いような物だと思う。

・・・玄関のドアノブに手を掛ける。

案の定、鍵は掛かっている。

ここで僕は、自分の失敗に気が付く。

強引に入る事は出来るだろう。

何通りかの方法を考える事ができ、その実行が可能と思われた。

しかし黒田の家は、大きな道に面しており、家の前には人通りがある。

僕にとってはそれがまずかった。

既に、結界の中には入っている。

しかし、この道を通る通行人に『僕が見えて居ない』なんて事は、無いと僕は考える。

今日の朝、僕は黒田の机を調べ、物色していた。

それは、誰もその机を見ようとしなかったから。

誰も触ろうとしなかったから。

黒田ほどでは無いにしろ、同じようにその机の存在が希薄になっていたから。

結果、中里さんから声を掛けられる事になる。

つまり、存在の希薄な物に対し、僕の動きと存在はまったく関係が無い。

それは、あまり嬉しい事ではなかった。だから今現在の、明るいうちの行動は避けたほうが良いと言う事になる。

幸か不幸か、間もなく日は落ち、暗闇と言う物が世界を覆う。

僕は少し、時間を待つ事にする。

一旦、黒田の家の敷地から出た。

そして、少し離れた所で日が落ちるのを待つ事にした。

・・・。

ほんの少しだけの時間の筈が、妙に長く感じる。

人間の感覚とは、こんなにも曖昧な物だと認識をする。

日が落ちるのを確認した僕は、早速、黒田の家に向かった。

黒田の家には明かりが灯ったような感じは無い。

・・・朝霧のせいだろうか、やたらと夜目が利くようになっている。

再び玄関の前に立ちドアノブを捻る。

・・・鍵が掛かっている。

僕は、建物にそって家の外周を回ってみる。

回ってみて判ったのだが、建物の南側は庭として大きく取られていて、古風にも縁側が設けられてあった。

北側には台所と思われる換気扇やら、風呂場と思われるガラス戸などがある。

南側の縁側に回った僕は、引き戸の一つに手を掛ける。

前面にカーテンが引かれていて、中の状況は見えない。

少し力を加えて、横にずらす。

・・・鍵はかかってはいない。

難なく開いた引き戸から、僕は迷う事無く建物のなかに身体を忍び込ませた。

もちろん、これは不法侵入である。

・・・血の匂い。

家の中には血の匂いが充満している。

それも流されたばかりの匂い。

無造作に家の奥へと足を運ぶ。

僕は、あえて用心すると言った事をしなかった。

今、この建物の中で動いている物は二つだけだから。

一つは、・・・僕。

もう一つは、このドアの向こう居る物・・・。

それは判っていた。

日本の一般住宅は、然程広くは無い。

ドアの向こうの部屋もせいぜい十畳と言った所だろう。

僕は、ドアを開ける。

「・・・加々美かぁ~・・・」

「ああ」

その部屋の一番奥には、黒田が佇んでいた。

今にして思えば、僕は分っていたのかも知れない。

こうなる事を。

黒田の脇には、既に事切れている人間が二人。

年の頃は五十代と言った所だろうか?

「お前がやったのか?」

聞くまでも無いだろうが、僕は黒田に問い掛ける。

「・・・美味かった・・ぜぇ・・・」

黒田の唇が、異常につり上がる。

それは人間では不可能な笑み。

両親と思われる二人を喰った黒田は、もう、人間ではなかった。

・・・黒田の姿をした『アレ』の類になってた。

「・・・加々美よぉ・・・」

「なんだ?」

「・・・・おめぇ・・、楽しそう・・だなぁ・・・」

黒田は、つり上がった唇で、たどたどしく話す。

そして彼を目の前にした僕は、・・・笑っていた。

理解する。

僕はこうなると判っていたと。

僕は、・・・黒田の事が気に掛かっていた。

それでも黒田を、・・・彼を、引きとめようとはしなかった。

そして僕は、・・・『今』、黒田の前に、・・・『居る』

僕は今、・・・震えている。

目の前に『恐怖』が有った。

人などではない、『アレ』が。

『黒田を助けよう・・・』

そんな気持ちは、初めから無かったのかもしれない。

目の前の『恐怖』

僕にとってそれは、甘美以外の何物でもない。

・・・それが答え。

自分でもおかしい?・・・とは、思っていた。

なぜか僕は、黒田を探すのが待ち遠しかった。

心配をしているはずなのに、何処かで楽しいとさえ感じている。

そんな自分があった。

僕は、この時を、黒田が熟すのを・・・待っていた?

「・・・所でよぉ・・・加々美ぃ・・・、おめぇ・・・何よ・・・」

黒田は、ゆっくりと立ち上がる。

「・・・なんで・・・ココに・・・居るんだぁ・・・?」

「・・・・・・・・・・・」

「・・・なんで・・・だぁ・・・」

自分の結界の中に、居るはずの無い僕が居る。

それは黒田にとって不思議な事なのかも知れない。

だけど、僕には答える義理が既になかった。

「それは、お前の両親か?」

僕は、人形の様に横たわる二人に目をやる。

別に、黒田の両親に興味があった訳ではない。

ほんの少しだけ、少しだけ時間を稼ごうと思った。

「・・・まぁな。・・・美味かったぜぇ・・・・・・・・加々美ぃ・・・。そんな事よりよぉ、・・・おめぇ・・・声が・・・震えてるぜぇ・・・」

僕は、否定をしない。

実際に、全身から汗が吹き出てくるほど震えている。

黒田は嫌な笑みを浮かべて僕を舐めるように見ていた。

黒田は僕が恐怖で動けなくなっていると思っているのかも知れない。

「・・・おめぇもよぉ・・・、美味いのかぁ~・・・」

黒田がゆっくりと僕に向かってくる。

だけど、僕のウォーミングアップはたった今終わった。

すでに身体は温まっている。

本来であれば、時間を掛けてゆっくりするのが好ましいが、実戦でそんな余裕は無い。

つまり、瞬間的に身体能力を上げる必要がある。

道元先生に教わったことが役に立とうとしていた。

『短時間で身体を温める』

・・・僕が震えていたわけがそれ。

「黒田・・・、死んでくれ」

僕の唇が吊り上る。

それと同時に黒田の腕が、横殴りに襲ってくる。

それは技などという物ではなく、只の暴力と言って良かった。

朝霧を抜かず、鞘のまま僕はその打撃を受ける。

次の瞬間、僕は2メートル程飛ばされていた。

鈍い痛みと共に、強烈に壁に叩きつけられる。

「かはっ!」

肺が衝撃で圧迫され、息がつまる。

壁が石膏ボードなどでなく、コンクリートか何かであればヤバかった。

身体を半分、壁にめり込ませるような形で止まった僕は、自分の考えの甘さを思いしらされた。

同じ方向に飛んでいなければ、肋骨の2~3本は持っていかれたかも知れない。

僕は黒田に目をやる。

先程まで黒田は、薄っすらと紫色に光っていた。

お世辞にも綺麗とは言えない毒々しい色で。

その光の量が増えている。

どうやら一撃で終わらなかったのが不満らしい。

「・・・うぜぇ・・・なぁ・・・、お前はよぉ・・・」

遊んでいる場合ではないようだ。

よろめきながら僕は身体を起こした。

それと同時に朝霧を抜く。

僕は、初めて朝霧を抜いていた・・・。

パンッ!・・・そんな感じ。

音がした訳では無いが、抜いた瞬間、その場の空気が変わってしまうような、肌に衝撃を感じるほどの空気の揺れ。

・・・そして空気が凍る。

それはある意味、音の無い世界。

結界の中に居ようとも、外界のざわめきや風の音は常に感じていた。

今は、それが、・・・何も・・・聞こえない。

だけど、僕は僕で、黒田は黒田のまま。

僕には、朝霧は朝霧で、・・・何も変わる事無く、にやりと笑う。

『ざくっ!』

『ごりっ!べきっ!』

それが次に聞いた音。

いや、感触だったかもしれない。

状態を整えるわけでもなく、ただ踏み込んで叩き下ろす。

そんな一撃。

「ぎぃぎゃぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

黒田は無くなった腕の付け根を押さえて狂ったようにのた打ち回っている。

何処を狙った訳ではないその一撃は、黒田の右肩から下へと抜けて、腕を一本削ぎ落としていた。

「・・・加々美ぃーーーーー!これは・・・なんだぁーーーーーーー!お前・・・オマエがぁ・・・、喰らったのかぁ」

黒田は苦しそうに僕を睨みつける。

「・・・・喰らう?・・・何を?」

僕は朝霧を正眼に構えたまま、疑問を問い掛ける。

別に黒田に答えてもらおうなどとは思っていない。

ただ、自分の中で出来た疑問を、黒田が代弁してくれたから、そう答えた。

黒田の肩は、何かにむしり取られたようにずたぼろだった。

とても刀の斬撃があった後の様には見えない。

・・・あ、そうなんだ。

僕は、部屋の中に落ちている筈の物が無い事に気が付く。

『喰らう』とは、そう言う事か。

黒田に浴びせた斬撃の最中、感触があった。

それは・・・、『喰らう』感触。

黒田の腕は、床に落ちる事が出来なかったのだ。

だから落ちているはずも無かった。

それは、喰われてしまった。

斬撃の一瞬に感じた感触。

・・・朝霧は『喰らっていた』

ごりっ。

頭の中で、何かが蠢く。

触れた者を『喰らう』とは、比ゆ的な表現などではなく、そのままの意味だったのだ。

「けひゃぁ・・・」

誰かが声を漏らす。

人とも獣の唸りとも聞こえる、不愉快な声。

それは、黒田の物ではなかった。

黒田は口を開いてはいない。

ならば、黒田の他に声を漏らせる者は一人しか居なかった。

「・・・てめぇ、笑うかよ・・・」

黒田は吐き捨てるように言う。

しかし、黒田の発する紫な光は、衰えてなどは、いなかった。

僕は笑っている。

幼い頃に感じた『恐怖』を思い出す。

そして、それを『喰らう』感触。

あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・おああああああぁーーーーーーーーー!

声にナラナイ甘露な感情・・・・・。

そして僕にとって、黒田は未だ『恐怖』であった。

・・・『喰らいたい』と、素直な欲求が心を満たす。

朝霧を構えたままだった僕は、そのまま朝霧を黒田に突き立てる。

しかし、その刃は空を切り視界から黒田が姿を消した。

人としては考えられないスピード。

黒田は既に僕の上に跳んでいる。

一旦振り切ってしまった朝霧の刀身を戻していては間に合わない。

身体を前に投げ出すように沈めた瞬間、今まで僕の頭の有った場所を恐ろしく凶暴な一撃が通り過ぎる。

風圧だけでも、その威力は容易に想像出来た。

朝霧の感覚が無ければ、その黒田の足から出された一撃で、僕は終わっていただろう。

苦しむなんて事も無く、一瞬で。

しかし、結果として黒田が跳んでくれたお陰で、僕は容易に体制を直す事が出来ていた。

位置的には、黒田と入れ替えたような形になるだろうか。

先に動かなければ、僕が生き残れる可能性など微塵も無い。

逃げるにしても、奴の方が早い以上、逃げ切れる可能性は皆無だろう。

それが事実だと考える。

尤も、そんな気はさらさら無かった。

僕は、判断をする。

半端な踏み込みでは、間に合いそうもない。

それ程、黒田のスピードが速い。

速すぎると言っていい位だ。

辛うじて僕に勝機が有るとすれば、黒田の動きは、格闘術、殺人術のどれでも無いと言う所だろうか。

奴の動きには、無駄が多い。

動作一つ一つに予備動作と言う物が存在していた。

それは、そのまま僕の勝機へと繋がる事になる。

だが、一撃で仕留めなければならない。

限界以上の動きをすれば、二撃目以降のスピードは、それを下回ってしまう。

斬撃の威力とは別に、その状況は、致命傷となる。

「黒田ぁーーーーーーーーーーーーーーー!」

ほんの一瞬。

黒田が床に、着地するまでの間が勝負だった。

黒田の気を反らす為に、叫びながら踏み込む。

僕は、全ての力をその一撃に、叩き込んだ。

渾身の斬撃は黒田を捉える事無く空を切る。

そして黒田の身体を裂く音の変わりに、壁を突き破る音が部屋の中を満たす。

それは、たった今まで行われていた殺し合いの、あっけない程の終焉を告げていた。

・・・既に黒田の姿は無い。

僕にとってのそれは、予想外の展開であった。

僕は一瞬、躊躇する。

笑える話なのだが、自分ではなく、『相手が引く』と言う状況を考えもしなかった。

「・・・」

僕は思わず舌打ちをする。

一瞬呆けたせいで黒田の動きを見失ってしまった。

近くに潜んでいる可能性も有るが、この場に有った結界と思われる薄紫の空間が無くなってしまっている。

・・・黒田を追わなくては。

可能性なんてどうでも良く、ただそう考える。

理由なんて知らない。

黒田の家の周囲を周って見る。

しかし、黒田の気配は何処にも見当たらなかった。

完全に見失ってしまったようだった。

暗闇に覆われた世界は、騒音と多彩で人工的な光につつまれ、幻想めいた面持ちを見せていた。

当たり前な日常の中に居る感覚。

僕の中から、張り詰めた物は既になくなっている事に気が付く。

ココに居てもしょうがない。

そう思って僕は肩の力を抜く。

気が抜けたのだろうか?突然疲労感が襲ってくる。

・・・身体が鉛のように重い。

これでは家まで辿り着けるかどうか、少し心配になって来た。

ほんの数分間ではあったが、僕にとっては、初めての『殺し合い』だった。

・・・予想以上に疲労が激しい。

正直、いつ意識を失ってもおかしくないようにさえ思える。

そして、身体を引きずる様に歩いてた僕は、ふと、公園がある事に気が付く。

場所的には学園の一歩手前と言った所だろうか。

「休んでいくか・・・。」

なにげに独り言がでる。

だけど、こんな所に公園があるとは思わなかった。

公園は静まり返ってるいる。

日中なら家族づれや、ジョギングをしている人に、もう少し時間が経てば大人の男女達や、暇つぶしの不良が目に付くはずだ。

僕は、辺りを見回し、何か変わった事が無いかどうか確認する。

・・・ここは人の匂いがする。

近くに有ったベンチに腰を掛けながらそんな事を思った。

自分しか居ないのに、色んな人の匂いのする。

・・・なんとなく落ち着かない。

人が居なくともそこに居るような気がする。

昔は、この匂いが苦手だった。

・・・いつからだろう?それをそれ程嫌いと、思わなくなったのは。

不意に、さくらさんの顔が思い出される。

あ、そうだよな・・・。

そんな事、考えるまでも無いか。

「さくらさんに会いたいな・・・」

僕はぽつりと呟く。

疲れからだろう。

僕は意識が飛びそうになりながら、大事な人の笑顔を勝手に思い描く。

その笑顔は昔のままのやさしい笑顔でぼくに微笑んでくれていた。

そしてその笑顔に霞が掛かって・・行って・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・。








・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・。

あれ?

周り見渡すと、情景が一変していた。

酷い匂いで公園が満たされている。

・・・血の匂い。

そして、黒田の家と同じ色の空間。

ほんの一瞬なのか、それとも数十分なのか、意識を失っている間に、それは現れていた。

今、自分が座っているベンチより、少し離れた所にある広場。

そこに・・・それは立っていた。

「まいったな・・・」

僕は呟いた。

そこには右腕の無いシルエットが、・・・黒田が、僕に背を向けるように立っている。

しょうがない。

・・・そう思った。

今の状態で襲われれば、それを防ぐ事は出来ないだろう。

僕の冷え切った筋肉は、言う事を聞かないだろうから。

だけど、黒田は一向にぼくの方を見ようとはしない。

何かほかの事に気を取られているかのように・・・。

・・・・・・・?

僕は、その情景に目を見張る。

今、気が付いたのだが、僕から見て黒田の奥に人影がある。

学園の制服?それは学園の女子生徒の物であった。

遠目では有るが、此処からでもハッキリと、それだと判る。

何処かで見た事のあるような気のする女子生徒である。

・・・誰だったろう?

まずいな・・・、素直にそう思った。

助けなければ・・・。

しかし僕の思いとは裏腹に、再び僕の意識は飛びそうになり、意識は半分霧がかったように曖昧になる。

そんな曖昧な意識の中、信じられない光景が目に入ってくる。

・・・黒田は吹き飛ばされ、宙を舞っていた。

その女子生徒が非常に美しい動きで拳を放ったのだ。

瞬間、黒田の陰になっていてよく見えなかった彼女の姿が露になる。

僕はその少女に見覚えがあった。

・・・あ、そうだ。

彼女は、学園の玄関ですれ違った綺麗な娘だ。

朝霧を通して見ているからだろうか?彼女は蒼く、澄んだ光に包まれている。

それを確認した所で、ほんの少し残っていた意識も闇に沈もうとしていた。

・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・。

・・・彼女は・・・何者なのだろう?

黒田は・・・どうなるのだろう?

・・・僕は今、・・・何を見ているのだろう?

・・・でも、きっとこれは夢。

だから大丈夫・・・。

・・・黒田も・・・彼女も・・・自分も・・・夢・・・なのだろう・・・。

僕は、僕の世界へと入っていく。

誰にも邪魔のされない・・・全てが僕を疎外する世界へ・・・。

・・・。

・・・・・・。

そして僕は、闇に包まれる。











少ない文ですが、これでも現在存在する物語の3割程だったりします。残りの7割は、ゆっくり公開して行きますので、気に入った方は少しの間お付き合いよろしくお願いいたします。

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