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愛と毒が殺す世界  作者: 仲島 たねや
第1章 花と時計塔の街
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花と時計塔の街②

 馬車から降りると、ウェルトは大きな伸びをした。


 外の空気を肺にため込んでから一気に吐き出す。


 解放された、という気分にしばらく浸った。


 アダンが横にいると、ウェルトはいつものようについ畏まってしまう。嫌っているわけでは決してないのだが、厳格である父にちょっとした苦手意識を持ってしまっている。苦手意識というよりも怯えているといったほうが正確かもしれない。ウェルトが口を開けばいちいち叱責が飛んでくる、そんな気がする。最近でこそ少なくなったが、昔は家にいようが軍の学校にいようが常に怒られていたように思う。笑った父の顔など見た記憶がなく、父を思い出すときに浮かぶのは、眉根にしわを寄せてまるで怒るタイミングを計っているかのような思案顔ばかり。


 父の期待に応えようと必死だった。


 生まれた時からウェルトの道は定められており、その道を全力で駆け抜けてきた。

 父に褒められたことなど一度もない。父は不器用なところがあるので、子供に厳しく接すると決めたらその方針を一切変えることなどはしないのだろう。きっと甘やかすことなど言語道断と考えているはずだ。


 今回の旅の人員選出にはアダンが関わっている。アダンはウェルトのことを推薦してくれた。身内びいきをするような人ではないということはわかっていたので、その時初めて父に認められたのだと実感することができてとても嬉しかった。


 だけどウェルトは実のところ、戦いというものがあまり好きではない。父には悪いのだが、今回の旅を無事終えることができれば、兵士を辞めようとウェルトは思っている。父は認めてくれるだろうか。一筋縄ではいかないことはわかっている。母にはすでにこのことを話している。辞めた後はパン屋をやりたいのだと言うと、母は「あんた本当にパンが好きなのねえ」と笑ってくれた。母は父とは正反対のほんわかとした性格をしており、いつもウェルトに優しく接してくれる。


 今回の旅に失敗すれば優しい母の命が危険にさらされる。世界などという規模はウェルトには想像しづらいが、身近な人の存在を守るためだと思うと、今までの辛い特訓を耐えてきて、聖女の護衛として力になれることを誇りに思える。


 アダンが街の門兵に話をつけている間に、後続の車が止まる。そこから三人の男性と一人の女性が降りてくる。


「おーい、車内は楽しかったか?」


 三人の中で最も年の若い男が手を振りこちらに近づいてくる。


「わかってて言ってるだろ」


 若い男は「ひひ」と笑いながら人差し指で自らの鼻をこすった。


 同輩のスティードである。


 いかにも活発そうな笑顔を見せている。ズボンが七分袖ということも相まってわんぱく坊主という印象が強くなる。しかしその印象とは打って変わり、剣の腕は繊細だ。剣技を競う試合では何度も剣を交え、勝敗はウェルトの辛勝。だが、加護を使った試合ではスティードに軍配が上がる。普段が鎧を着ている分、ラフな格好で動きやすさは増し、彼の剣裁きにもキレが増していることだろう。


 ちなみに、一行のほとんどの恰好は自分の普段着である。鎧を着て歩いていれば当然注目を浴びることになる。作戦は「毒のヴェノム」に気づかれず島へと向かうことだ。なので、目立つ服装は作戦失敗の可能性が高くなる。ウェルトも、ブラウスの上に紺のベスト、灰色をしたズボンというちょっとしたいいとこの坊ちゃんといった格好をしている。これぐらいの服装ならば街でも目立つことはない。


 普段着だと、いざ戦闘の機会があれば防御力が不安になる。しかし、服の全てに防刃や耐熱といった「加護」が付与されているので、見た目よりもずっと防御力は高い。それに物理的にだけでなく精神的にも体にかかる重さは軽くなる。鎧を着ていると気持ちが無駄に引き締まってしまう。それにウェルトは特に服装を気にする性質ではないが、それを気にする者にとってはおしゃれに気を使えるという利点がある。


 例えば、スティードに続いてウェルトのほうへと近づいてきた、顎に無精ひげを生やした男性。アダンの次に年齢が高いはずの彼の服装は、様々な形の金属の装飾品を至る所からぶら下げており、歩けばじゃらじゃらとした音を周辺にまき散らす年齢に全くそぐわない革の服である。


 初め、この服を着てきた彼を見て、アダンがとてつもない剣幕で怒鳴りだすのではないかとウェルトは肝を冷やした。しかしアダンは何も言わなかった。意外だった。だけど、よくよく考えてみると、このような服を着た者がまさか聖女を護衛しているなどとは誰も思わないだろう。彼もそのことがわかっていて、わざと派手な服を選んだに違いない。しかし彼の嗜好がまったく入っていない、と言えば嘘になるのだろうが。


「やっと着いたな。それにしてもあいかわらず馬車ってのはどうも苦手だ。吐き気が嫌でもこみ上げてくる。ウェルトは大丈夫だったか?」


「俺も少し気持ち悪くて。まあ吐き気まではしませんけど。エルレグさん、顔色悪いですよ。早く宿に行って休んだらどうです?」


「いや、俺には使命がある」


「使命?」


 スティードが目を細めて言った。


 ウェルトには、エルレグが何を言うのか大体の予想がついていた。きっとスティードもウェルトと同じ予想をつけているはずだ。


「この街で俺を待つ美人を探しに行かないとな」


 エルレグが口を開くと、出てくる話題はほぼ女性に関してのことばかりだ。今までの五十日程度の旅の時間で知った彼の人となり、それと新たな街に辿り着いたという今の状況を考えれば、エルレグの言葉の推測は容易に行える。


 エルレグは、ウェルトの右肩に己の右腕を、スティードの左肩には己の左腕を回し、二人の体を自分の体に引き寄せる。


「お前らも俺の運命の人探しに付き合え」


 エルレグはご機嫌といった様子だった。彼が先ほど感じていたはずの吐き気は、すっかりどこかへと消え失せてしまったようだ。


 ウェルトとスティードは、エルレグの顔を手で押しのけて、腕の拘束から逃れようとする。中々逃れることができない。力が強い。腕の筋肉を見ると、相当鍛えられていることがわかる。アダンとは何度か同じ戦場に立ったのだとエルレグは言っていた。戦場を経験し、そこから生き残るために見つけた振舞いこそが今のエルレグの姿なのかもしれない。仮にそうだとしても、この状況を仕方ないと済ますわけにはいかない。男の腕に抱かれるなど、ただ単にむさくるしく鬱陶しいだけだ。


「二人とも困っていますよ」


 女性が呆れるように言った。


 女性は光を受けて輝くブロンドを背中に流している。見える双眸からは、彼女の性格を表すかのような折れることのない真っ直ぐな視線が放たれている。歩き方には気品を感じる。まるで体の中心に軸でもあるような、ぶれることのない美しい歩行をしている。彼女は名門ともいえる貴族の出であり、歩き方一つにも厳しい指導を受けてきたそうだ。


 貴族というと、なぜか取っつきにくい印象がある。しかし彼女には人を惹きつける魅力がある。真面目だが、冗談がまるっきり通じないというわけではないし、むしろ冗談が通じなかった時の反応に愛嬌を感じる。


 そんな彼女の言葉には力がある。


 エルレグは「へいへい」と言い、ウェルトとスティードから手を離した。


 解放されたウェルトは一息ついた。


「エルレグさんはもっと緊張感を持つべきです。今だって誰かに狙われているかもしれないんですからね」


 女性——ルミナスが人差し指を立ててエルレグに注意を促す。


「へーい」


「返事は短く、が基本ですよ」


 ルミナスの言葉にまたしても「へーい」と答えるエルレグ。


 ルミナスはちょっぴり頬を膨らませた。


 その横で「ははは」と気の抜けるような笑い方をしている男がいた。名前はクロックといい、彼はルミナスと恋人の関係にある。そのことをルミナスの両親は知らない。クロックは貴族ではないので、二人の仲を反対されることはほぼ確定事項である。貴族というのは体裁や血を気にする。貴族は基本的に他の貴族としか婚約をしない。自分たちの家系に庶民の血など流したくない、というのが彼らの言い分だ。


 しかし、聖女の護衛を立派に務めた者ならばどうだろう。そのような者との婚約を反対する理由はない。体裁は保たれるばかりかむしろ向上するだろう。だから、クロックは今回の護衛の旅を成功させ、ルミナスとの婚約も成功させるつもりなのだ。


 愛する者のため。


 恋人などできたことのないウェルトから見ても、それはとても立派でかっこいい動機だと思う。


 が、普段のクロックの覇気のなさ、間延びした口調、意志薄弱を感じさせる下に向かった目尻。どれ一つとっても男気というものがない。戦いの時は頼りになるとルミナスが自慢げに話していた。しかしクロックと共に戦ったことがないウェルトには、頼りになるクロックというものが想像できない。


 それを知らぬままにいられることの方が良いに決まっているのだけれど。


「あ、アダンさんの話が終わったみたいだよ」


 リリアの言葉を聞き、アダンの方を見ると、アダンがこちらに来いという仕草をしていた。門兵との話が済んだのだろう。


 街へと続く跳ね橋が、軋むような音をたてながら下りていく。


 ウェルトたちは馬車から積み荷をおろす。轍を作りながら街の中へと入って行く馬車を見送り、それに続くようにして聖女を含めた護衛一行も街の中へと入って行く。後ろからはまた軋むような音が聞こえる。振り返れば跳ね橋が上げられているのが見えた。今は戦争状態にあるので、警戒が厳しくなっており、街への侵入者にはとりわけ敏感になっているのだろう。門兵たちがこちらの顔を無遠慮に眺めてくる。スティードがそれを不快に思ったのか、顔を前に出して門兵と目を合わせている。ウェルトは「おい」と肘でスティードの腕を小突いた。


 

 街に入ると、地面が変わった。


 長方形に切り取られた石たちが辺り一面に敷き詰められている。石には鼠色と赤土色の二色がある。それらが規則正しく並んでモザイク状となっている。先に目を向ければ多くの露店が目につく。敷かれたカーペットの上には、商品が値札とともに並べられており、その奥にいる胡坐をかいた店の人が大きな声で客を寄せている。それに負けじと他の者たちも声を張り上げ、一帯がにぎやかさに包まれる。


 多種多様な商品があるのだが、その多くには共通点がみられた。商品は大体が花や時計塔を模した形となっている。「リーフネル」の象徴ともいえるこの二つを、街としても前面に押し出していきたいのだろう。


 数ある商品の中で、ウェルトは一つの髪飾りに目をつけた。六つの花弁があり、色は鮮やかな黄色。想像したのは髪飾りをつけたリリアの姿。中々似合っているのではないだろうか。買ってあげようか悩む。しかし、どうしてリリアの姿を真っ先に思い浮かべたのか。謎である。


 女性三人は、少し離れたところで固まって、色々なものに目移りをしていた。


 リリアに気づかれず髪飾りを購入するのなら、今が好機である。


「これ可愛いなあ」


 隣にいたクロックが折り曲げた人差し指を顎に当てていた。おそらくは、ウェルトと同じ髪飾りを見ている。


「ルミナスさんにですか?」


 訊くと、クロックは頷く。


「似合うと思うんだけど、どうかな?」


「えっと、はい。似合うと思いますよ」


 クロックは「そうか」と言ってから、髪飾りを購入した。


 ウェルトは先に目をつけていたのは俺だぞ、とはついぞ言えず、代わりに「ルミナスさん喜ぶといいですね」とクロックに言っておいた。


 ウェルトはスティードに肩を叩かれた。スティードはどこからか買ったクッキーを頬張っている。クッキーは従来の丸型ではなく、妙に長細い形をしていた。どうやら時計塔の形をしているらしい。スティードがクッキーを一つ差し出してきたので、ウェルトは軽く礼を言ってからクッキーを受け取った。牛乳が多く含まれているのか、しっとりとしていてまろやかな風味が口の中に広がる。


「美味しいな、これ」


「なあうまいよな。クロックさんも一枚どうぞ」


「ありがとう」


 クロックもまたクッキーを受け取り、その味を堪能していた。


「その髪飾りはルミナスさんに?」


 スティードがクロックに尋ねた。


 クロックが「ああそうだよ」と答えると、スティードは「ふーん」と言い、二列に並んでいる装飾品の品々を見回した。


「ウェルトは何か買わなくていいのか?」


「なんで」


「リリアにあげたら喜ぶんじゃないか?」


「それはいい考えだね。ぜひ買ってあげなよウェルト君」


 なぜリリアなのか。


 スティードにしてもクロックにしても、自分にしてもそうだが、どうしてリリアの名前を出すのだろうか。ウェルトの中でよくわからない感情が胸の中で蟠り、それが原因なのか何なのか、思わず買わないと言って二人の意見を却下した。少し意地になったような喋りかたをしてしまったかもしれない。二人がなにやらいやらしい笑みを浮かべている。ウェルトはからかわれたように感じ、眉根を寄せて不機嫌を二人にアピールしてやった。


「そう怒んなって。……まあ俺もラアナに何か送ってみようかな」


 ウェルトは以前、スティードの想いを嫌というほど聞かされた。ラアナの顔立ちは理想の一言に尽き、触れれば消えてしまいそうな儚げな雰囲気を彼女は持っている。髪を耳にかける仕草がいい、目の前を通りすぎたときにふっと鼻をかすめる香りがいい、たまに聞く声は鈴の音など比較にならないほどに美しい。等々。


 ウェルトは思わず気持ち悪いと感じてしまったが、恋というものは人の視野を狭め、周囲の反応に対して大様になってしまうものなのだろう。未だ恋を知らぬウェルトにはスティードの気持ちがわからない。良き相談相手になってやりたいが、こればっかりはどうしようもない。


「二人の恋は茨の道どころじゃないよなあ」


 クロックが何事か呟いたが、アダンの「そろそろ行くぞ」という号令で、ウェルトの耳に届く前に呟きがかき消された。


 若い女性の店員に話しかけていたエルレグもアダンの言葉には逆らえず、名残惜しそうにしながら店員の子と別れ、アダンの元へととぼとぼ歩いていく。ウェルトは呆れた顔でエルレグの後ろ姿を眺めてから、スティードとクロックの二人と顔を合わせる。二人とも苦笑気味だった。女性陣を見てみても、同じような顔をしていた。

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