光に吞まれる物語⑤
ウェルトに指示された。ラアナの足止めをしてくれ、とかそういった意味でウェルトは指を動かしたのだ。指示には従う。だけど、ウェルトのことは気がかりだ。本当は戦いが苦手な人なのだ。技術の問題ではなく、これは精神の問題で、この戦いが終われば、ウェルトはパン屋を開くと言っている。そんな人が戦いに向いているわけがない。しかしウェルトは戦う。目的のためならば、どこまでも自分のことを偽ることができる。そんな人だから。
——だから、ウェルトの側にいてあげたいと思えるのだ。
リリアは光に踏み込んだ。地上に舞い降りた星のように、夜行蜂は燦然と輝いている。光の隙間を縫って、リリアは進む。待ち構えているのは、今や世界の敵となった、黒髪を携えた一人の聖女。
「加勢しなくていいの?」
聖女が言った。
「するよ」
護衛が言った。
「だけど、ラアナが邪魔をするでしょ。あなたの目は、なにかをしてやろうっていう目だもの」
「あなたが教えてくれた。全力を尽くせって」
「うん。だから私も全力だよ」
リリアは懐から、一本の短剣を取り出した。
「それで私を刺すの? そんなこと、あなたにはできないよ」
「そうだね。ラアナは聖女だから、変に手出しはできない。だからね」
逆手に持った短剣を、リリアは自らの前腕に突き刺した。真っ赤な血が溢れ出るし、何より痛みが尋常ではない。
「私は私を刺すの」
ラアナが何かを察したのか、花の中に身を隠そうとした。
血管がそのまま浮き出たような、うねりにうねった赤い文様が、現在リリアの体中に浮いている。これは、リリアが加護を発動させると必ず現れる副産物のようなもので、リリアはこの姿になることが心の底から嫌いだった。見た目もさることながら、「体液を毒に変える」という加護の内容は、どこか毒の魔女を想起させ、加護の制御がうまくきかない幼少期は、同年代の子たちに「気持ちが悪い」と避けられた。事実、危険な存在だった。周囲と関わりを持つことを禁じられ、自宅の中での謹慎状態が、年が十になるまで続いた。それまでの話し相手といえば、両親以外には誰もおらず、身体的な発達はあっても、精神的な発達はかなり遅れたように思える。きっと、リリアが子供っぽいと言われる原因は、こういった子供時代に起因するものであろう。答えなんて最初からわかっていた。だけど、周りと違う自分を認めることが、差別を受けているようで怖かった。すべて加護のせいなのだ。もっと無害な加護であれば、友達がたくさんできて、周囲の者達からは奇異の視線を浴びせられることもなかった。
そして軍の招集もやってきた。行きたくはなかったけれど、軍に逆らうことはできない。息をぜいぜいと切らしながら走り込みをして、想像していたよりも重かった剣を何度も振るい、時には百人規模で行われる整列や行進に参加した。何年前から使っているのかわからない、ぼろぼろの宿舎の中で、家に帰りたい、いっそここから逃げ出してやろうか、と毎日のように思っていた。しかし、リリアにはそんな度胸がなかった。全くつかない筋肉を鍛え、リリアを遠巻きにする、同じ部屋の住人たちの視線に耐え、そして、聖女の護衛に選ばれた。役割としては、いざという時に身を挺して聖女を庇う、という一種の身代わりのようなものではあったが、それでも誉れ高いことだということはリリアにもわかる。
そして、ウェルトたちに出会った。
彼らと親睦を深めると、今までの者達とはリリアへの接し方が随分と違うことがわかった。加護のことで決してからかわないし、何より無能な自分を仲間と認めてくれた。彼らと出会えた。それだけが唯一、自分の加護があって良かったと思える瞬間だった。
この加護は、出会いのきっかけをくれた。そして今、無力な自分を補うための、信頼のできる力へと変わってくれた。
血を毒へ。
相手の動きを止める、麻痺毒を創造する。
リリアは腕を振るい、流れる血をばらまく。ラアナが躱せば美しい花たちに、自分の醜い毒が降りかかる。
「ごめんね」
ラアナが相手を翻弄する、まるで蝶のような動きを見せている。焦点が定まりきらない。やがて、花で身を隠すことを止めたラアナが、側面から襲いかかってくる。ラアナは剣を川辺で捨てている。格闘戦で相手を封じるつもりなのだろう。しかも殴る蹴るよりも厄介な、関節技を決めにくる。
血が流れ出ているリリアの左腕を、ラアナがその右手で封じ、そのままリリアを押し倒す。首に腕が食い込んで、リリアは呼吸がままならない。彼女は全力なのだ。邪魔をするリリアに容赦はしない。ならばこちらもそのように応じるだけ。そもそもリリアが焚きつけたことなのだから、こちらがそのように応じることは当然のことだ。
リリアの毒は、体液であれば意識した毒に変えられるが、最も効力が高くなるのが「血」である。ならば自傷行為は避けられない。
ラアナの青い瞳がすぐ近くにある。とてもきれいな瞳だ。リリアは唇を噛み、口の中に血を含む。それを吐き出すと、ラアナの瞳が赤く染まる。ラアナは仰け反り、まぶたを押さえる。悲鳴を漏らさず、ラアナがのたうち回っている。リリアはその上にまたがって、まぶたを押さえているラアナの両腕を、掴んで地面へと強引に抑え込む。ラアナの目に沁み込んでいる毒は、とても強力な激痛の毒だ。今後、彼女が光を目にすることは残念ながらもうない。ごめんね、と謝ってしまいそうな自分の心を制する。ここで謝ることは相手に全力を尽くしていない証拠だ。
「もうあなたは動けないよ」
淡桃色の艶っぽいラアナの唇に、自らの唇を重ねて、リリアは麻痺毒を口から流し込む。掴んでいた腕から抵抗する力が抜けていくことを確認し、リリアはその場から立ち上がりラアナを背にする。
「待っていて」
花畑とは外れた場所、そこで二人が戦っている。二人は何だか似ている。容姿ではなくその表情がよく似ている。初めて毒の子に会った時、リリアが既視感を感じたのは、その表情がどこかウェルトに似ていたからだ。争い事が嫌いなくせに、目的のためには争うことを辞さない。心に矛盾を抱えて戦うその表情は、翳りを帯びたような悲痛を垣間見せている。
二人の争いを止めるため、リリアは覚悟を決めて走り出す。




