光に呑まれる物語③
リリアたちは街の中心部へと向かっていた。
ラアナが先導するように先陣を切って、なにか不審な動きはないだろうか、とリリアとウェルトが彼女の後ろについた。今のところラアナに不審な動きはない。道が分かれていると、時折首を傾げてどちらの道に進むべきかを悩んでいる素振りをみせるが、この住宅街は複雑に入り組んでいるので、クロックのように「見たものを鮮明に記憶する」加護でもなければ、目的の場所にたどり着くまでに迷ってしまうことも多々あるだろう。実際、リリアも自分がどこを歩いているのかをよくわかっていない。だけど、花畑には着実に近づいているはずだ。先ほど横切った服飾店は、夕方ごろにも見たことがある。とりあえず、ラアナが花畑以外の場所へとリリアたちを連れて行くことは心配しなくてもいいだろう。
しかし、問題はどうして花畑なのか、ということだ。もしかすると、花畑にはラアナの仲間たちが複数で待ち構えているのかもしれない。だが、あの辺りには身を隠すような場所は存在しない。あくまでも一面に咲き誇る花々と、立派に突き立った時計塔を見るための、見晴らしの良さという一点を突き詰めた観光スポットなのだ。本当に警戒すべきは道中ではあるのだが、人々の住まう家々には寝静まった静寂のみが流れ、周囲に気配なんてものはまるでない。移動を始める前に、リリアはラアナに仲間の数を聞いてみると、「一人だけ」という答えが返ってきて、絶対嘘に決まっている、と思っていたのだが実のところラアナは真実を語っていたのかもしれない。
もうじき花畑に着く。
その前にリリアは質問を一つ。
「どうして花畑に?」
「だって綺麗だったから」
リリアは納得せざるをえなかった。
「ねえ、そろそろ教えてあげる。今まで私がなにをしてきたのかを」
かつん、かつん、と銅板入りの革靴がやけに軽快な音を鳴らしている。これはラアナの足音だ。
「まだ花畑には着いていないが?」
「だからかな。辛気臭い話は早く終わらせたいの」
陰鬱な気分では綺麗な景色は楽しめない。そういうことだろうか。
「辛気臭い、か。知ってたか? スティードはお前のことを良く思っていたことを」
「知らなかった。そうなんだね」
「……お前」
なんの関心も無さそうにラアナは話す。そこにウェルトは苛立ちを覚えているようだった。
「でも、私には好きな人がいるから、スティード君の気持ちには答えられない」
「好きな人?」
「そう。……さっき私は少しだけ嘘を吐いた。何もかもを失ったって言ったけど、私にも残っているものがあったの」
「…………」
「村にいた頃、私は一人の毒の子と出会ったの。いくら私が辺境の村にいたからって、毒の子についての知識はちゃんとあったよ。だけどその子は意識も無くて、誰かの名前を寝言みたいに何度も何度もつぶやいていた。きっと大切な人だったんだと思う。私にはその姿が悪い人だなんて思えなかった。それがアウルとの出会いだったの」
「あの毒の子のことか」
あの、とはウェルトが会合し、今まさに敵として戦っている毒の子のことであろう。
「うん。そして私はアウルと友達になった。村のみんなにはあくまでも内緒にね。彼と遊ぶ日々はとても楽しかった。優しくて面白くて、噂で聞いていた毒の子とは全然違ったし、なにより秘密の友達ができたことが、私にとってはとても嬉しいことだった。遊びの中で彼に自分の加護を私は彼に披露したの。その加護は『私の声を距離に関係なく届ける』というもの。加護の発動には印を相手につける必要があって、それは今も彼に刻まれている」
「人の動きを模倣するという加護は嘘、そしてその加護で毒の子に情報を与え続けていた。そういうことかよ。だから、俺たちの動きはずっとバレバレだった。最初から全部お前の手のひらの上で俺たちは踊らされていたってわけか」
ラアナの発言を思い出してみる。今日はどうにも不自然な発言が多かったように思う。主に、相手の発言を反芻するような物言いだ。それは護衛の誰もが、拭っても拭いきれない違和感を生じさせたはずだ。ラアナの加護を考えれば、すべての発言は毒の子のためにあった。そう言っても過言ではない。ならば、初めから今までに至るまで、彼女の言葉はリリアたちには向いていなかった。彼女の視界の中には、初めからリリアたちなど入っていなかった。
「聖女に護衛をつけて大きな戦いを避けるという作戦は、そもそも私が進言したんだもの」
「……本当に全部手のひらの上じゃねえか」
「他になにか聞きたいことはある?」
「ラアナが死ぬのは、アウルっていう毒の子のためなの?」
リリアは訊いた。
楽しい思い出に浸るように、ラアナは一瞬の間を空けてからリリアの問いに答える。
「そうだね。私にとっては加護がある人達も、加護のない人たちも同じ人間だから、価値はどちらも全くの平等なの。だったら、大切な人がいる方に肩入れをしたい、そう思うのが普通でしょ?」
ラアナの周囲の人々を殺したのは、毒の子ではなくて神の祝福を与えられた加護を持った人間だ。それなのに彼女は、加護を持った人間も加護を持たない人間も、命がそれぞれ平等なのだと言ってのける。自分がちっぽけな存在に思える。毒の子だという理由だけで、殺しても問題はない、そう思えてしまう自分はどこかおかしかったのかもしれない。彼女は間違いなく聖女なのだ。聖女とは常に平等で、今回はたまたま毒の子の側についている。ただそれだけの話なのかもしれない。
「もうすぐ着くよ。私のわがままに付き合ってくれてありがとう、二人とも」
「こうでもしないと事の真相をお前は話さないだろ。死を望む人間に暴力は脅しになりえない。だったら俺たちにはお前の言葉に従うしかないからな」
「それでも、他に選択肢はあったはずだよ」
ウェルトはなにも答えない。
街灯が少なくなっている。花を存分に楽しむために、無粋な遮蔽物のほとんどを撤去して、景観を損ねることのないそのままの景色をじっくりと楽しむことができるように、といった街の意向により、観光名所が近づくにつれて、光を放つ街灯はすっかりとなりを潜めてくる。花畑が近い。だけど光がないのであれば、どれほどに綺麗な花々であろうと、どれほどに立派な時計塔であろうと、それらの姿は真っ黒い影の中へと隠れてしまい、夕暮れに見た景色よりも格段に美しさは劣る。
そう思っていたからこそ、リリアは花畑に対して別段興味が湧いていなかった。
考えているのは今日のこと。
そうだ、車体が揺れていたのだ。
手綱を引かれている馬が黒に彩られた四角い車体を引っ張って、二人で座ればぎゅうぎゅうになってしまう車内の座席にリリアは腰を落ち着ける。実際なにも落ち着くことはなかった。お尻が痛くて仕方がなかった。リリアはこの時、呑気にもお尻の痛みと順調すぎるという理由からこれからの旅を心配していた。なんて贅沢な悩みだろう。馬車を降りれば街の偵察という体の観光が始まった。誰もかれもが気をぬいていて、これから起こる悲劇なんて想像すらしていない。例外はラアナだけだ。毒の子に対し、地下水道の存在を事前に知らせる。それだけのことでエルレグが死んだ。いや、それだけじゃない。「リーフネル」に到着するずっと以前から、リリアたちの情報は加護も含めて知らされていた。当然対策も練られる。そうして次々と仲間が死んでいく。さらには、守るべき聖女が裏切り者であることを知らされる。これほどに濃密な一日を過ごすことはこれから先きっとないだろう。
思いをはせているリリアの眼前、ふわりとした何かが酩酊しているみたいにふらふらと横切った。
「なに?」
親指と人差し指で作った小さな丸に収まるぐらいの大きさで、風の流れに乗っているかのような飛び方をするそれは、蜂のような姿をしているくせに一切の羽音を立てず、内側から発光しているので体の中が透けて見えている。
この虫の名前は何だったか。
確か、
「夜行蜂か」
ウェルトの言葉に、そうだそれだ、とリリアは人差し指を立てた。
夜行蜂とはその名の通り太陽の沈んだ真夜中に活動する蜂である。その特性からか、仲間に自分の位置を知らせるために、自ら発光するという独特な進化を遂げており、昔の人たちは夜のお供に一匹の夜行蜂を捕まえて、僅かな光源を頼りにしながら夜を過ごしていたのだという話をリリアは聞いたことがある。昔、夜行蜂は夜光蜂とも呼ばれていたそうだ。
その蜂が、なぜこのようなところにいるのか。その問いの答えは簡単だ。蜂は花に群がる。この生物が本当に蜂であるのかは定かでないが、夜行蜂も数ある種類の蜂たちの例に漏れることはない。であれば、目指している場所は自ずと知れるというものだ。
ふらふらと飛んでいる蜂を追いかけると、リリアの目には確かな速度で風景が飛び込んでくる。
無数の花が咲き誇る雄大な大地、それを照らしているのは人が死んだ際に現れる人魂のような、淡く光っているたくさんの夜行蜂。それらは見方によっては不吉なものにも見えるのだが、花と戯れるかのように飛び回るその姿は、悠久の狭間にて死者を天国へと導く善性の妖精にも見える。人は美しいものを見た時に、別世界に連れていかれたような夢心地と、得体のしれないものに命を奪われるような恐怖のどちらかを感じる。美しいものとはつまり非現実的なものなのだ。それを受け入れようとする者もいれば、逆にそれを拒絶しようとする者もいる。リリアは美しいものを受け入れたい。だからこそ、美しい情景に憧れて、それに近づこうとする。ラアナに対しても同じことだったのかもしれない。
世界を救うための唯一の加護を与えられ、無表情に淡々と任務をこなす。かっこいいと思った。気高く、崇高で、美麗な彼女の、所作に、表情に、言葉に触れてみたかった。だけどできなかった。リリアのすぐ傍にラアナはいたはずなのに、彼女の心はどこか遠くにいたから。
「綺麗」
前を歩いていたラアナの横顔が見える。リリアが今までに見たことのない、心の底から楽しいと思っている、そんな笑顔だった。
リリアは胸を締めつけられる。
今までのラアナは自分の心を抑え込み、喜怒哀楽の表情を殺していた。息苦しく、辛かったことだろう。きっと本来は表情豊かな女の子だったのだ。親や近所の人を皆殺しにされてから、間を置かずにお前は聖女なのだと奉られる。か弱い少女の心が耐えられる負荷ではない。
過去にも一度だけ、リリアはラアナの笑顔を見たことがある。旅の道中でのことだった。その日は野宿だったため簡易的なテントを張り、燃えそうものを寄せ集めて焚き火をおこした。焚き火を眺めていると、満天の星空が見下ろす地上の世界で、ラアナの姿が見えないことに気づき、リリアは慌ててラアナを探した。ラアナはテントのすぐ近くにある草原で、膝を立てて座っていた。ほっとした。声をかけようと近づくと、ラアナが何かを喋っていることに気づく。悪いことだとは思いながらも、リリアは後ろから様子を窺った。一人っきりのはずなのに、ラアナは誰かに話しかけるように、自分が見ている星のことを事細かに解説していた。ふふっと微笑んだラアナの横顔が見える。胸が痛い。この時のリリアにはわからなかったが、今思えば、彼女の心がどこかここではない別のところにいたのだということを、胸を締めつけるような思いとともにリリアは実感していたのだろう。
ラアナが光に紛れる。
花畑へとてってとラアナが近づいていくと、夜行蜂の光が彼女を包み込み、そのまま消えてしまうのではないかという儚さと、彼女自身が光となって花々を照らし出すのではないかという幻想的な情景がそこにはあった。周囲を見守る時計塔から、真っ直ぐに伸びた影が月の光により生み出され、四面にそれぞれ配置されている丸の盤面では、短針がもう少しで空を指し、長針は今まさに左のほうを指すところであった。
「お前の目的はわかっている」
ウェルトが言った。
「ここで毒の子を待つつもりなんだろう。だけど、いくら待っても奴は来ない。どれだけ奴が強くたって父さんは倒せない。なんとか逃げ出そうとしたってクロックさんが追い詰める。だから、大人しく俺たちについてきてくれ。お前に苦悩の日々があったことはわかったけど、それでも俺たちにはやるべきことがある。お前の——ラアナのわがままだけで、たくさんの人がかけてくれた思いを無下にすることなんてできない」
時計塔を眺めるラアナは、ウェルトのほうを一瞥もせずに、ただ声だけを届ける。彼女がどのような顔をしているのか、リリアには窺い知ることができない。
「ウェルト君は優しいんだね。あなたにとって私は敵も同然。なのに、拘束もしないで見ているだけ」
「エルレグさんも、ルミナスさんも、スティードも、覚悟を持ってこの旅に同行していた。河原では激昂して悪かったよ。でも、怒りは正直まだ収まっていない。だけどこの気持ちをどうしたらいいのかがわからないんだ。だって、君はどうしてそんなに悲しそうな顔をしている。悪を為すのなら、それを貫き通せよ」
ラアナがこちらを振り返る。なんて辛そうな表情で、彼女は笑うのだろう。
「わからない。胸が痛くて、辛くて。きっと私は壊れちゃったの。この時の為に頑張って生きてきたけど、心のどこかで今回のことを少しだけ後悔してる。もうわけがわからないよ。私はどうしたらいいの……」
ついに泣き始めた。
彼女は自分の存在理由と戦って、ぼろぼろになって、傷だらけになって、それでも世界に抗い続けた。リリアの側からすればたまったものではなかったが、なによりラアナは自分の意思で行動をした。それなのに、その事をわけのわからないだのと、まったく、侮辱もいいところだ。
リリアは息を吸い込む。
「泣くのをやめなさいラアナ!」
目を丸くしてラアナがこちらを向いた。
「おい、リリア——」
ウェルトが放った抑止の言葉を、リリアはお構いなしに遮った。
「あなたが後悔しているのは、私たちとの旅をほんの少しでも楽しいと思ってくれたから。あなたは壊れてなんかいない。感情を持つことは決して駄目なことなんかじゃない。それに、この時のために生きてきたというのなら、そのことにちゃんと全力を尽くしなさい。じゃないと誰も報われない。あなたが敵になるのなら、私たちが本気で迎え撃ってやる。死にたいなんてこと否定して、島に行ったってずっと私の心の中で、あなたのことを生かし続けてやるんだから!」
沈黙の時が流れる。
二人は今、一体なにを考えているのだろう。もしかしたら呆れられているのかもしれない。だけど後悔なんてしない。これは宣戦布告だ。ラアナの敵としての、お姉さんとしての、そして、仲間としてのありったけの気持ちだ。
リリアはふんっ、と鼻息を荒く吐いた。
その後ろで、
「——じゃあ僕も君の敵だね」
リリアとウェルトは勢いよく振り返り、こちらに歩み寄ってくる男の姿をその視界に捉えた。
丈の合っていないカーディガン、見るからに痛ましい左肩の裂傷、家庭用に設えたであろう鋼の剣、新雪のように真っ白い髪から覗くさくらんぼみたいに真っ赤な瞳。
今日でこの姿を見るのは三度目になる。
だけど、これがきっと最後の邂逅となるだろう。




