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愛と毒が殺す世界  作者: 仲島 たねや
第5章 過去の残滓
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過去の残滓⑥

 そして意識が戻ってきた。


 アウルは目を開く。すると、青い瞳と目が合った。アウルは目をぱちくりとさせて、自分の状況を把握する。後頭部は柔らかい感触に包まれており、目の前には少女の顔がある。どうにも自分は少女の膝を枕としているようだった。まあそれはいいとして、この少女は一体誰なのか。知っている顔というわけでもないし、そもそもアウルには毒の子以外の知り合いはいない。そうだ、目の前にいるのは毒の子ではないのだ。


 アウルは咄嗟に顔を上げた。


 そして少女との距離を空ける。


 未だ二人の目は合ったままで、僅かに静寂の間が流れる。その静寂を破ったのは、屈託のない少女の笑顔だった。


「気がついたんだね」


 話すと同時に、少女が顔をほんの少し傾けると、墨で塗ったような黒髪がさらりと揺れた。


 緊張していた先ほどの自分が馬鹿みたいと思えるほどに、アウルは口をぽかんと開けた間抜けな表情をみせた。


 加護を持ったものは問答無用で毒の子を襲うのではなかったのか。


 どうして目の前の少女は笑顔を毒の子に向けているのか。


 今までの常識が覆された気分だった。


 水気を孕んだ温い風がアウルの無防備な頬を殴りつけ、ここが水辺に近い場所であることをアウルに教えてくれる。視線をちらりと横に流せば、少女と同じ瞳の色をした、そこそこに大きな湖が目に入る。視線をさまよわせるアウルに、少女は首を傾げたままでいる。アウルは何を言えばいいのかわからずに、身体を石みたいに硬直させていたのだが、このままでは事態が進捗しないと思い、ありったけの勇気を込めてその一言を口にした。


「僕は毒の子だよ?」


 少女はなおも首を傾げていた。


 言われた言葉の意味がわかっていないのだろうか。


 そんなわけがない。記憶のないアウルと違ってこの世に生まれた子供たちは、覆ることのない事実として二つの人種について教えられる。毒の子であれば加護持ちを、加護持ちであれば毒の子を、それぞれがそれぞれを紛うことなき敵であると、誰もが知っている一般常識として叩き込まれる。


 そのはずなのに、あけぬけに少女はこんなことを口にした。


「だって傷ついていたし、きれいな目をしてたから」


 毒の子であろうと傷ついていれば、なんの差別もなく私は接するのだと、少女はそう言っている。


 少女が微笑む。


 ナタリィの笑った顔と少女の微笑みが重なって、自分へと久しぶりに向けられた優しさを受けて、どうしようもないぐらいに涙が溢れ出てきて、アウルは溜まりに溜まった悲しみを、流れ出る涙とともにめいいっぱいに解き放った。


 痛かった。


 辛かった。


 寂しかった。


 ほんの少しの優しさがとんでもなく嬉しかった。


 おろおろとした少女にお構いなしで、わんわんとアウルは泣きじゃくった。いつしか涙は枯れてしまい、感情も随分と落ち着いてきたのだけど、止まらないしゃくりがアウルを苦しめる。そんなアウルの背中を、少女が優しくさすってくれた。「大丈夫?」と問われれば、「もう大丈夫だよ」と答えたかったのだが、返事を返す余裕のないアウルは、垂れ下がる鼻水をすすることでしか、今の自分の気持ちを伝えることができない。


 そんなアウルに呆れることもなく、少女はアウルの傍にいてくれた。やがてしゃくりも収まってきて、お礼の言葉をアウルは呟いた。ちゃんとした発音は出来ていなかったはずだ。声量も消え入りそうなほど小さかったはずだ。それでも気持ちが伝わったのだと思う。


「どういたしまして」


 少女がまた微笑んだ。


 この日から二人の交流が始まった。


 アウルは湖の周辺を一時的な住処とした。そこに少女は度々やってきて、多くの遊びを教えてくれたり、村であった出来事を楽しそうに、時折ぷんぷんと怒りながら、様々な表情でアウルに語ってくれた。


 少女が住んでいる村は、ここからそう遠くない所にあるらしい。アウルを村の皆に紹介する、と少女は言ってくれたのだが、さすがに加護持ち全員を信用できたわけではないので、アウルは少女の提案を丁重に断った。少女は落ち込んだ顔をみせる。少女を悲しませてしまったと思ったアウルは、ナタリィと一緒になって考えた数々の変顔を、まるで百面相といわんばかりに次々と披露していった。


 少女が笑った。


 それだけで、アウルの心は救われるようだった。


 だけど幸せな日々は、どうしてか長続きしてくれない。


 真っ暗な空の下、いつもなら眠っている時間なのに、アウルはどうにも寝付けなかった。原因はわかっている。少女の加護だ。その加護の力というのが、二重の丸みたいな印を対象者に刻むと、どれほどの離れた距離にも関わらず少女の発した声が対象者に届く、というもので、加護を発動させるために必要な印は、少女が手のひらで対象者の肌に触れ、むむむと頭の中で印を思い浮かべると、対象者に印を出現させたり消したりすることできるというものだった。今日はその加護の力を使い、ヒントを出してもらいながらのかくれんぼをしていた。声は少女からしか届けることができないので、アウルは隠れた少女を探す役しかできなかった。夕方になれば、少女は村へと帰ってしまう。その際に、少女が印を消し忘れてしまった。だから、少女が眠るまでは、アウルはずっと少女の声を聞くことになる。家族団欒の途中らしい少女の声は、なんだかとっても楽しそうで、この上ないくらいに幸せそうで、アウルもその場の一員になったような気がして、アウルが知ることのできなかった家族の温かみを、少女に内緒でこっそりとわけてもらっていた。


 そこに、聞き覚えのある下品な笑い声が聞こえてきた。アウルに向かってくる足音は複数あり、それは数十人規模の行列であることがわかる。


 山賊たちだ。


 アウルは息を潜め、心臓の鼓動さえも抑えようとした。


 バレてはいけない。


 バレたら今度こそ殺されてしまう。


 灌木の茂みで体を覆い隠し、山賊たちが過ぎ去るのをただただ待った。すぐ横で誰かの足が地面を踏んづけた時、アウルの心臓は口からでてしまいそうなほどに跳ねていた。数秒が何時間にも感じられる、まるで地獄のような時が過ぎ去り、山賊たちはどこかへといなくなってしまった。


 止めていた息を再び動かしてほっと安堵したアウルではあったが、今しがた山賊たちが向かった先にすぐさま思い当たると、とても安堵などしている場合ではないと茂みからばっと立ち上がる。


 ——奴らの行く先には少女の村がある。


 おそらく山賊たちは少女の村へと襲い掛かって、村にある物資を根こそぎ奪い取るつもりだ。彼らと一年を共にしたアウルは知っている。彼らが少数の村を襲う際には、必ずといっていいほどの確率で、彼ら特有のとある遊戯が始められる。遊戯の始まりは燃え盛る炎から始まる。目につく家々をことごとく火にかけて、火事だとわかるやいなや慌てて家から出てくる村の住人たちを、面白おかしい遊具を見つけたように嬉々として山賊たちが追いたてて、自分たちの置かれた状況を把握してすらいない無防備な彼らを野蛮な山賊たちが冗談みたいに殺していく。そして山賊たちは自分がどれだけの村人を殺したのかを、まるで武勇伝を語るかのように自慢げに語って、自らが殺した村人たちの数を競いあわせるのだ。


 悪趣味にもほどがある。


 しかし一年もの間、アウルはそれを知らんぷりしていた。ごめんなさいと顔も知らない住人たちに心で詫びて、山賊たちが人を殺していく場面に目を瞑り、そして山賊たちの蛮行にも目を瞑る。我ながら卑怯な奴だと思う。彼らと同類だと言っても過言ではないのかもしれない。アウルは消えない罪を背負った。山賊たちをこのまま見過ごそうとも、一度や二度、三度や四度では、罪の重さがそう変わる物でもないだろう。


 それでも今回だけは違った。


 ナタリィが言っていた。剣術は誰かを守るものなのだと。


 ならば今がその時なのだ。


 ——僕は彼女を救いたい。


 そう思うと、アウルは震える足を前へと踏み出すことができた。


 山賊たちが歩いた場所を辿って彼らに追いつこうとするのだが、今更ながらにアウルは自分がなにも武器を持っていないことを思い出す。しかし、無いのなら奪い取ればいい。慎重な足取りでアウルは足跡を辿る。すると、二人の男が目についた。見張りの者たちであろう。彼らのやり口をアウルは知っている。戦力のほとんどは村の急襲に使い、そこから余った一人か二人を見張りに使う。


 まずはこの見張りを狙う。


 彼らの一人は腰に剣を帯び、もう一人は背に斧担いでいる。アウルが狙うべきは当然、ナタリィとともに研鑽を重ねてきた剣だ。見張りの二人は急襲に参加できないことを愚痴り、背中は憐れなぐらいに隙だらけ、そんな彼らを倒すことなどアウルにとっては武器を使わなくとも余裕綽々で実行できたであろう。


 なのに動悸が収まらない。


 いざ実行となると、ここまで体が動かなくなるものなのか。


 それでも、やらなければならない。


 刃物のように感覚を研ぎ澄まし、削り出した氷のように意識を尖らせることで、身の内にけぶっている恐れを感覚的に取り除く。立ちふさがる者がいれば一片の容赦もなく葬り去ってやる。怯える感情を内へ内へと送り込み、算段をたてて獲物を屠る、計算高い獣の眼光を見張りに向ける。


 一度まぶたを閉じてから、ゆっくりと開けていく。


 動いた。


 剣を持った見張りに対しその襟元を掴むことで、アウルは自らの縦回転の動きに彼を巻き込んだ。腹這いになって地面に叩きつけられる見張りから、彼が腰に帯びていた、刃に反りのない直刃の剣をまんまとアウルは奪い取る。斧を担いだ見張りの一人が、己の加護を発動させる間も、怒りの声をアウルに向かって上げる間も与えずに、今や呼吸もままならない男から奪い取った剣を使い、単純作業をこなすような機械的な剣筋で一人目の見張りの命を奪う。そして残ったもう一人は、アウルの姿を見ることもなく、背面から喉を突き刺してやった。


 見るな、考えるな、後悔をするな。


 アウルは少女がいるはずの村へと駆けだした。


 そして小高い丘の上へとアウルは辿り着き、そこから見下ろす景色に唖然とした。見下ろす景色はまさに阿鼻叫喚といった具合で、藁葺きの家屋が轟々とした炎で燃やされ、村人たちが起こす断末魔の叫びが辺りにこだましている。


 遅かった。


 そう思ったのも束の間だった。アウルの耳に少女の声が聞こえてくる。なにやら「おじさん」と叫んでいるようで、なにがなにやらアウルにはわからないのだが、とりあえず少女が無事でいることはわかった。


 この村のどこかに少女はいる。


 片手に剣を握り、朱色と灰色をした煙たい村の中を、それこそ必死になって駆け回る。途中、無駄な戦闘を避けるために、山賊たちの動向にも目を配る。それでもすべての山賊たちの目を欺くことはできず、アウルは彼らと何度か戦闘を行うが、彼らの加護を知っているというアドバンテージを存分に活かして、ほぼ無傷の状態で山賊たちを倒していく。


 そして、大きな泣き声が聞こえた。


 きっと少女の声だ。しかし、これほどに豪快な泣き声を出されては、アウルだけでなく山賊たちにも、私はここにいますと場所を教えているようなものだ。アウルは急ぎに急ぎ、少女に凶刃が迫る一歩手前、本当にぎりぎりのタイミングで、アウルは少女の元へと駆けつけることができた。


 五人のうち四人を殺し、うち一人が謝罪を始めたところで、凪のようだったアウルの心が揺れ動く。目の前にいるのはどうしようもなく人間で、死にたくないと思う心は誰もが感じることなのだと、死を恐れるかつての自分と生を懇願する目の前の男を重ねた。そして、アウルは彼を見逃そうとしたのだが、どこまでも外道な男はアウルの虚を突き、立場が一転したとみるや狂ったように呪詛を吐きだした。アウルは弱い自分を呪う。一つの目的があるのなら、一直線にそこを目指さなければならないのだ。それなのにアウルは迷ってしまった。悔しさに歯噛みし、せめて少女だけでも逃がそうと、少女のほうを向いて声をかけようとするのだが、その少女は握ったこともないであろう剣をおぼつかない手つきで握り、髪を振り乱している男の背中に向かって一直線に振り下ろした。


 アウルを縛っていた髪の拘束が解かれると、アウルはすぐさま少女の手から剣を奪取し、残りの一人を斬り伏せる。


 少女に助けられた。


 そのことにお礼を言い、だけどこのままここにいれば、他の山賊たちにもアウルたちの場所が割れてしまうことを、地べたにへたり込んで泣きそうな顔をしている少女に伝え、彼女を立ち上がらせるためにアウルは手を差し伸べた。


 住む場所と身寄りを失った少女のため、アウルはなにがあっても彼女のことを守り切ることを決意する。かつてのナタリィと共に過ごした日々のように、住む場所が無くとも支えてくれる人がいるのなら大丈夫、大変なことは多いだろうけど、ちょっとした困難なんて自分の剣で切り開いてやる。


 しかし、アウルの手は払われる。


 アウルには、どうして自分の手が払われたのかがわからない。


 少女の泣きそうな顔が一転、少女はなぜか優しく微笑んで、呆けるアウルにこう言った。


「——私を殺して」


 耳を疑った。


 彼女の言葉の真意を図りかねる。いや、真意なんてものは一切無くて、きっと意味なんて言葉通りのものなのだ。


 目の前の少女が望んでいることは、アウルが少女を守ることではなく、アウルが少女の生涯に終止符を打つことである。自らの命を少女はなぜ諦めるのか、いや、なぜ諦めることができるのか。死とはどうしようもなく恐ろしいもので、どのような生物であろうとも、根源的な恐怖である「死」には立ち向かうことなどできやしない。そう思っていたのに、目の前の少女はその恐怖をいとも容易く受け入れてしまった。


 それは何だかいけないことのようにアウルは思う。だからこそ、なにか少女に「生」を渇望させる、そんな言葉をアウルは探した。


 生きていれば良いことがあるだとか、死んだら君を生んでくれた両親が悲しむだとか、それぐらいの月並みな言葉しか浮かばない。これでは彼女の心は救えない。刃を今にも受け入れてしまいそうな少女の微笑みは、最早覆すことのできない運命のようにも思える。彼女にとって生きることは、死ぬことよりも辛いことなのかもしれない。


 本当の意味で少女を救うためには、少女を殺す以外の道はないのかもしれない。


 戦慄く右手で切れ味の悪くなった剣の柄を握り、頭の高さにまでおもむろに剣をもってきて、二人を包囲している真っ赤な炎と相反している、吸い込まれそうなぐらいに青い瞳をアウルは見つめた。


 そこで、一本の矢が飛んできた。


 矢が剣を弾くと、それに続いて何人かがこちらに迫ってくる。動きづらそうな鉄鎧を着こみ、明らかに統制のされた動きをする彼らは、どう見たって粗野で野蛮な山賊たちではない。


「聖女を確保しろ!」


 アウルと少女の姿を傍から見れば、毒の子が加護持ちを襲っている、そう見えても仕方がない状況ではあった。


 しかし、聖女とは一体なんのことだろう。


 状況の整理がつかずに、その場で立ち尽くしているアウルに向かって、「逃げて」と少女の声が飛んできた。へたり込んでいる少女をこのまま放置するのも忍びないが、アウルがここにいれば迫ってくる男たちに殺されてしまうだけだ。


 アウルは逃げ出した。


 情けない声を出しながら、みっともなく息を切らしながら、みじめったらしく後ろを振り返りながら。


 もうアウルにはなにもできない。


 少女を守ることも、彼女の意思を遂げさせることも、なに一つできやしない。


 ——あの時はそんな風に思っていた。


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