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愛と毒が殺す世界  作者: 仲島 たねや
第5章 過去の残滓
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過去の残滓⑤

 あの日は雨の日だった。



 枝葉が雨を防ぐ自然の傘となるので、森の中は雨宿りにはうってつけの場所だった。


 止まないかなあと曇り空を見上げると、葉っぱの先からちっちゃな雫が落ちてきて、ぼけっとしていたアウルの頬を濡らした。アウルは濡れた頬を手の甲で拭ってから、あんまりにも暇だったので、隣で座っているナタリィに向かい、いくつかの質問をぶつけてみた。どうでもいい質問にはどうでもいい答えが返ってくる。なので、交わしたやりとりをアウルはすべて憶えているわけではない。だけど、最後にした質問

は割と真面目なものだったから、ナタリィの口から真面目な答えが返ってきて、軽口を交わすような普段とは違うやり取りに、アウルは強い印象を抱いた。


 もしかすると、この時すでにナタリィは自分の死期を悟っていたのかもしれない。


「なんのために剣を握るのか? うーんそうだね。まず一つ目に戦争がもうじき始まるからかな。生け贄の聖女のことは前に教えたよね? 毒の魔女が放つ毒を、どうにか抑え込むための封印があって、それの効力が切れそうになると、神様が無作為に一人の少女を選んで、その子に封印の加護を与える。その聖女を封印の島に連れていくのが加護を持った連中の役割で、それを全力で阻止するのが私たち毒の子の役目。お互いがお互いの役割を果たすと、それは自ずと戦争になるわけ」


「それに僕も参加しないといけないの?」


「そういうわけじゃないけど、戦争になったら危険なことがたくさん増えるから、自衛の手段を持っておいたらアウルも少しは安心できるでしょ?」


「確かにそうかも。これが一つ目の理由なんだ。じゃあ、二つ目はなんなの?」


「それはね、君の選択肢を広げるためだよ」


 アウルは首を傾げた。


「結局世の中は弱肉強食なの。強い者が世に憚って好きなことを好きなだけやらか

す。つまり、自分のやりたいことを実行するためには強くなって実行のための手段を増やすことが必要ってこと。それは剣だけに限らずに、知識をつけることだったり、一つの技術を身に着けるでもなんでもいいんだけどさ。……私には守りたい人がいたけど、私は弱かったから守り切れなかった。だから、もしもアウルにそういう人ができたなら、私が教えた剣でその人を守ってあげてね」


 守りたい人なら目の前にいる。だけど、アウルはなぜかそれを言葉に出せず、うんと一言発しただけだった。だって、あまりにも悲しい目をナタリィがしていたから、どこかここではない遠い景色を見ているようだったから、そのままアウルの手の届かない場所に行ってしまうような不安げな顔をナタリィがしていたから、アウルはまだまだ子供で、その言葉には彼女を慰める力はないのだと思った。


 アウルはひび割れた硝子に触ろうとするように、ナタリィに向かっておずおずと手を伸ばした。


 しかし、その手が届くことはなかった。


 急にナタリィが立ち上がったので、アウルは思わず手を引っ込めたからだ。


「しまった」


「え、どうしたの?」


「囲まれてる」


 そう言われてアウルは初めて気がついた。アウルたちを取り囲むように、複数人が身を潜めていた。気配に気づかなかったのは、降りしきる雨のせいもあっただろう。それでもここまでの接近を許してしまうとは、明らかに通常ではありえない力が働いている、そう思わずにはいられない。おそらくは「加護」の力だ。気配というものはようするに音に近いものである。つまり全くの無音で近づかれてしまえば、そうやすやすと人には気づかれない。


 音を隠す、そんな加護を周囲の誰かが持っている。しかも広範囲に効力が通用するらしい。


「こういったことに慣れている奴らみたいだね。加護持ちの軍かもしれないし、この辺りを根城にしている山賊かも。まあどちらにしろ、ただで見逃してくれることはないだろうね」


 ナタリィの予想は後者が正解だった。


 髪には色があり、赤色ではない目を持っている。彼らが加護を持っていることはもはや疑う余地もない。数は、よくわからない。目に見える範囲では十数人といったところではあるのだが、木の陰や茂みの後ろにも多くの人数が隠れているので、その全容を把握することはとても難しい。


 いやらしい笑みを浮かべた男たちが、アウルとナタリィとの距離をじりじりと詰めてくる。アウルにははっきりと感じ取ることができた。彼らから漂うのは悦楽の雰囲気だ。女と子供という弱者の筆頭みたいな二人を、なぶり、いたぶり、もてあそぶ。そうやって男たちは快楽を享受し、自らが犯す罪をスリルとして酒の肴とする。二人が毒の子であるということも彼らに目をつけられた大きな要因の一つであろう。今まで加護を持ったもの達と、アウルは接する機会をもたなかった。それはナタリィの意図的なものであったはずで、だからこそ、今この瞬間までアウルは知らなかった。同じ人間であるはずなのに、彼らが自分たちを見る目といったら、少し大きな害虫を見つけたといった風であり、きっとアウルたちをどうしようと罪悪感に苛まれることすらないのだろうと、肌をちりちりと刺す殺気と視線が馬鹿でもわかるように教えてく

れる。


 要するに、彼らにとって二人は都合の良いおもちゃなのだ。


 毛むくじゃらの男が口を開いた。


 大人しくすれば悪いようにはしない、といった感じのことを言おうとしたのだろうが、それを言い切る前に、ナタリィが毛むくじゃらの喉に剣を突き立てた。山賊たちには動揺がさざ波のように伝播し、その間にナタリィが次々と山賊たちを殺していく。悪鬼羅刹とは今のナタリィを表すには相応しい言葉であったようにアウルは思う。なにかを叫ぶ男に聞く耳を一切持たずに、またなにかしらの加護を発現させよう

とした男が行動を起こすその前に、憐れむことさえもなく、ナタリィは彼らの命を無慈悲に奪い尽くしていく。


 しかし、後方に待機していた男たちには、己の加護を使うための余裕が有り余っていた。加護というものはまさしく十人十色で、それぞれに違う能力を持っている。数十人規模ともなれば、その能力すべてに対応していくことは事前に調べてでも置かない限り、どれだけの強者であろうとも対応は絶対的に不可能だ。


 口から蜘蛛みたいな糸を出すものもいれば、髪の毛を自由自在に伸縮させるものもいるし、爪を幹に食い込ませて木を登っていくものもいた。理屈なんてお構いなしにそんなことをやってのけるものだから、アウルには加護という現象が理不尽なもののようにみえてくる。さすがのナタリィも襲い来る理不尽たちには敵わないらしく、体のあちこちに痛々しい傷を作るのだが、それでも孤軍奮闘して一人、また一人と剣を振るって人を屠っていく。


 その中で、アウルは動けずにいた。ナタリィが自分のために戦ってくれていることは重々承知しているし、加勢すればナタリィの負担は軽くなっただろうが、目の前で行われる惨状はとてつもなく恐ろしく、腰が抜けてしまってアウルはその場から立つこともできなかった。


 そして、ついにその時がやって来る。


 ナタリィが粘着性のある糸を踏み、その動きが一瞬止まると、様々な加護や凶器がナタリィの体を貫き、裂いて、体の原型を留めないぐらいの滅多打ちが数分にかけて行われた。怒りに満ちた罵声が飛び交い、やがてそれらの矛先がアウルへと向かう。


 そこからの記憶はどうにも曖昧だ。


 きっとたくさんの暴力を振るわれたからだろう。しかし、アウルは殺されることはなかった。アウルは山賊たちから奴隷のように扱われ、拷問のような毎日を過ごした。加護を持ったものに対して加護を持たない毒の子が、どれだけ無力な存在であるのかを思い知らされた。ナタリィの敵を討とうという気もさらさら起こらなかったし、山賊たちに従順になることでしか自らの命を保つことはできないのだと思ってい

た。それほどに死が恐ろしく、命を奪われることも奪うことも嫌だった。ナタリィの死は、アウルにとってのトラウマとなっており、当時は動物の肉を食べることも、なんだか死を連想させるようで嫌だった。


 苦悶の日々の中、幸せなことを思い浮かべる時は、いつだってナタリィのことだった。しかし、それが現実にいる時であろうと夢の世界にいる時であろうと、近くにいたはずのナタリィは忽然と姿を消してしまうので、アウルはナタリィの姿を辺りを走り回って探すのだが、一向にナタリィが現れる気配はなく、心がずきずきと痛んで涙が出てくる、そんな時に人影を見つけてアウルは慌てて人影の元に行ってみると、見るも無残なナタリィの死体がそこにはある、そういった思考や悪夢がアウルをさらに苦しめた。


 もう限界だった。


 転々と住処を変える山賊たちは、今宵の寝床を洞穴に決めていた。どこからか奪い取った肉に食らいつき、がぶがぶと樽いっぱいの酒を煽る。夜も更けるとうるさいぐらいの寝息を立てて、怖いものなんて何もないように深い眠りに陥る。その時を見計らい、アウルは山賊たちから逃げ出した。暦上は彼らと一年を共にしたことになるのだが、アウルの体感では十年にも二十年にも感じられた。


 やっと解放される。


 しかし山賊たちに見つかれば、アウルはたちまちの内に殺されてしまうだろう。だからアウルはがむしゃらに走った。常に山賊が追いかけてきているような、そんな気がして何度も何度も後ろを振り返りながら、何度も何度も足元をふらつかせてはこけ、その度に何度でもアウルは起き上がった。このまま走り続けないと不安で仕方がなかった。アウルが足を止めてしまえば、濛々たる夜の闇に、きっと全身が押しつぶ

されてしまう。


 息が切れる。強迫観念にも似た気持ちを抱え、アウルはひたすらに走っていたのだが、ついに意識が朦朧とし始めて、気持ち一つではどうにもならない限界が訪れる。


 ここがどこなのかはわからない。


 山賊たちとは距離を離せたのだろうか。


 冷えた土の地面にアウルは倒れ伏せる。


 意識が徐々にアウルの手元を離れていく。


 意識の最後で思ったことは、


 ——そういえば、僕はナタリィの身長を抜かしたのかな?


 比べる相手がいなくなり、ナタリィは見事に不戦勝を果たした。


 敵わないなあとも思ったし、こういうところがナタリィのずるいところだなあともアウルは思った。


 意識は、アウルの制御下を離れる。

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