過去の残滓③
ナタリィの詳細な過去をアウルは知らない。
しかし、それが大した問題ではないと思っていたし、そもそも大事なことは「今」なのだと思った。今を知ればナタリィがどのような人物であるかを知れる。よく言えば無駄な飾り気がなく、悪く言ってしまえば女っ気のない服装。これは体の動きを阻害しないためで、実際ナタリィは活発的な女性だった。山であろうと草原であろうと流れる水の中であろうと、ナタリィは歩みを止めれば死んでしまうとでもいわんばかりに動き続け、休憩を挟むということをまるで知らないのか、疲れたアウルにお構いなしで先へ先へと進んでいき、アウルは追いかけるだけでもぜいぜいと肩を上下させる。ナタリィ曰く、体力づくり、だそうだ。確かに体力はかなりついたように思う。
そして彼女は体力だけではなく、一般的な常識もアウルにつけてくれた。
健康そのものにみえるナタリィの小麦色をした肌は別として、彼女とアウルには身体的特徴に一致する点が二つあった。あらゆる色が抜け落ちてしまったような真っ白な髪と、殺人鬼が鮮血を浴びたかのような真っ赤な瞳。このことについて、アウルはもしかして自分とナタリィは親戚か何かなのでは、という疑問を口にしたのだが、ナタリィが言うにはこういった特徴を持った者は世界中にたくさんいる、とのことだった。その者たちは世界的に「毒の子」と呼ばれ、「加護」という力を持った者たちから、これでもかというぐらいに忌み嫌われているそうだった。
毒の子たちが住まう街にも、アウルはナタリィに連れていってもらった。
確かに同じ色の髪と、同じ色の瞳を持った人たちがたくさんいた。
そして街を歩いていると、アウルは人を模った石像を見つけた。顔をすっぽりと隠せるぐらいのフードをつけた外套をその身に纏い、体つきからは、石像が女性を模っていることを窺わせた。
「その人は毒の魔女だよ」
「毒の魔女?」
「そう、私たちから加護を奪い取った元凶」
そもそも昔は、世界中の誰もが加護を持っていたのだという。しかし、毒の魔女と呼ばれる女性が、世界中に加護を奪い取る「毒」を蔓延させた。その毒は体中を巡り、加護だけでなく髪の色も奪いとり、さらには瞳を赤く染め上げた。そうして生まれたのが毒の子たちである。 ……少なくとも毒の子たちにはそう伝わっているようだ。
「初めはどうして私たちから加護を奪ったのかって皆怒っていたそうなの。だけどね、次第に加護というものの歪さに私たちは気づきはじめた」
アウルはうーんと首を傾げる。話に聞いただけではあるが、加護というものはとても便利なものではないのだろうか。無くて困ることはあっても、あって困るということはないように思える。
「ヒントを教えてあげよっか。そうだね、例えば人が多くなると生活に使う汚水がたくさん出てくるよね? それらは川に流されるんだけど、川って色んな所に繋がってるから、汚い水が周辺の町や村に流されていくの。そしてそれらの水が原因で、多くの人が病気とかに苦しんじゃう。そうなったら当然水をどうにかしてきれいにしようと思うでしょ? アウルだったらどうやって水をきれいにする? 少しの水じゃなくてたくさんの水をきれいにするんだよ?」
アウルはもう一度うーんと首を傾げた。
「水をきれいにするための何かを作るっていうのは駄目?」
「ううん。駄目じゃないよ。それが正解。だけどね、加護を持っている人たちは違うの。彼らはね、水をきれいにする力を持った人たちを、どうやっていっぱい集めようかなーって考えちゃうんだよ。そうしちゃうと、何も生み出すことができないし、人の生活水準はなにも変わらない。人類は今の状態から一つも前に進めやしない。うーん私の言っていることがわかるかな?」
わかる気がした。
加護はとても便利な力だ。しかし、それにばかり頼ってばかりいると、その恩恵が当たり前のものだと思い、加護という力に依存してしまう。加護に関しての使い方の幅は確かに広がるかもしれない。だけど、それ以外のことがおろそかになってしまう。きっと、ナタリィはそういったことを言いたいのだろう。
「さっき言った汚水をきれいにする技術なんだけど、加護持ちのどこかの街にも導入されたらしいよ。地下に水路を作って、汚水をそこに集める。そこできれいにした水を川に戻すっていう技術なんだけど、まあアウルにはまだ難しいかな。というよりも私もよく知らないんだけどさ。皮肉だよね。こうやって争いから互いの文明が発展していくなんて。私たちは平和を目指して戦っているはずなのに」
ナタリィは自嘲気味な笑みを浮かべた。しかし、それを払しょくし、ナタリィは「にかっ」という普段の笑いかたをアウルにみせた。
「そうこう話しているうちに着いたよ」
会話の最中、二人はずっと歩いていた。連れていきたい店がある、とナタリィがアウルを連れまわし、賑やかな雑踏を抜け、バッテンの形を作っている剣と斧がぼろっちい看板に掲げられている店に着いた。どうやらここは武器屋のようだ。中に入ると、樽の中で乱雑に立てられた様々な武器、これらと違って壁に飾られている見るからに高そうな武器が売り出されていた。種類は剣、槍、斧、槌、等々である。ナタリィは一体ここでなにを買うつもりなのだろう。もちろん武器屋に来たのだから武器を買うに決まっているが、しかし、剣ならばナタリィはいつも腰に差している。もしかするとこれからの旅の道中、得物が一本だけではさすがのナタリィも不安になったのかもしれない。だけども、今まで女の身一つだけで旅をしてきた彼女である。今さら得物のことで不安を感じたりするだろうか。
アウルは訊いてみた。
「ねえナタリィ、ここでいったいなにを買うの?」
「あら、言ってなかった? あなたの剣を買うの。そこら辺から好きなやつを選んできて。私がプレゼントしてあげる」
アウルは戸惑った。
いきなり剣を選べと言われても、正直困ってしまう。その場でアウルは目を泳がせ、どうしようかどうしようかと狼狽していたのだが、そんなアウルに痺れを切らして、ナタリィが「ほらはやく」と背中を押してアウルを急かした。店主であろう強面の坊主頭が「おらぼうず、男ならさっさと決めな。即断即決が男の華だぞ」とアウルをさらに急かしてくる。アウルはがちゃがちゃと音を鳴らしながら樽の中の武器を漁る。漁った武器の中から剣を見つけ出したのだが、剣の良し悪しなどアウルにはこれっぽっちもわからない。だからアウルは一度目を瞑り、運を天に任せるように適当な柄を握って、思ったよりも重かった剣をすらりと取り出した。
「それでいいの?」
ナタリィの言葉にアウルは「うん」と頷いた。
持ち運ぶにしては少々危なっかしく思える抜き身の剣に、強面の店主がサービスだと言って革造りの鞘をプレゼントしてくれた。一応お礼は言ったのだが、アウルは別段剣が欲しかったわけでもなかったので、なんだかなあ、という気持ちが少なからずあった。ナタリィはどうしてアウルに剣を与えたのだろう。
答えはほどなくしてわかった。
二人は武器屋を出て、毒の子たちの街を出て、再び二人の旅が始まって、そしてなぜか苛烈な剣術の修行が始まった。ナタリィが言うには、「元々あなたには剣を教えるつもりだった」とのことで、なぜそういうことを先に言っておかないのだろうかと、ナタリィに対してアウルはちょっぴりだけ不満を感じていた。
しかし、それ以上にアウルはナタリィのことが好きだったし、この振り回される感じもそう悪いものではないと感じていた。
我がままな姉がいれば、きっとこんな感じに違いない。
「で、どうして僕に剣術を?」
見た目だけで判断するならばアウルの年の頃は十といったところで、ナタリィに買ってもらった剣はどうしても不釣り合いな具合になってしまう。それを四六時中持たされて、体の一部として扱えといわれたアウルは、食事の時でも剣を握りっぱなしの状態だ。食器を運ぶにしても剣を使えというのはさすがにやりすぎではないか、と思った時もあったが、いざコツをつかんで慣れてしまえばなんということもない。
現在、アウルは絶賛食器運び中だった。
「あのね、この剣術の流派は代々受け継いでいくものらしくてね、だけど私がそれを極める前に師範代が死んじゃってさ。あーあこの流派も終わりなんだなあって思って、やけになって旅に出たの。そこから何年かして、アウル、君を見つけた。一目であなたには才能があるって気づいた。そしてこの流派を完璧なものにしてくれるのは君なんだって思ったの」
「才能?」
「そう。君の反応速度と私の目を潰そうとした躊躇のなさ。あれには惚れ惚れしたよ」
「うっ、ごめんなさい」
「ん、なんで謝るの? 別に責めてないよ。まあでも、むしろ謝るのは私のほうかもね。身勝手に私の夢を君に押しつけちゃってるんだもん。……アウルは、本当にこのまま私といてもいいの? もっと他にやりたいこととかはないのかな? もしあるのなら、私の我がままに付き合ってくれなくてもいいんだよ」
アウルは、この時初めてナタリィの弱い部分をみた。自由奔放で周囲を巻き込む豪快な人物、少なくともアウルにとってのナタリィとはこういった人物であった。だけど本当は心に繊細な部分を持っていて、底抜けの優しさでアウルのことを気にかけてくれている。
でも今さらだと思う。
すでにアウルにとって、ナタリィはいなくてはならない存在で、自分を拾ってくれた恩人で、血の繋がった家族ではないけれど唯一自分と繋がりを持ってくれた大事な人なのだ。
「僕はナタリィとずっと一緒にいるよ。ナタリィが僕に夢を叶えてほしいのなら、二人で一緒にその夢を叶えよう。僕、頑張るから」
ナタリィは、笑っているのか泣いているのかよくわからない顔をして、アウルをぎゅっと抱きしめた。刃に乗せていた食器が地面に落ちて、足下の砂利に窪みを作った。すぐ傍には川が流れていて、見上げた空には雲が流れている。アウルはとても優しい気持ちになった。ナタリィの体に顔が埋まり、ちょっとだけ息苦しいけれど、もう少しだけこのまま時が流れ続ければいいのに、そうアウルは思わずにはいられなかった。
アウルは、きっとこれからもナタリィとこうした日々を過ごしていくのだろうと、未だ来ない先の人生をなんら疑うことなく信じていた。




