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愛と毒が殺す世界  作者: 仲島 たねや
第4章 深まる疑念
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深まる疑念⑤

 ——それは上から降ってきた。


 死の塊みたいにうごめく一つの闇だ。その闇は中空に流れ星を思わせる一筋の剣閃を残す。それは岩石でも落下してきたのではないかという恐ろしい力となって、クロックに向かって振り下ろされていた。ウェルトは咄嗟に体を前に出して、手の怪我などお構いなしにクロックを庇い、代わりにウェルトが降ってきた剣を受ける形となった。無意識の行動だったので、ここから先はなにも考えていない。剣筋があまりにも速くて避ける暇はなさそうに思える。ウェルトはとりあえず降って湧いて出てきた毒の子が持っている、明媚に煌めく片刃の剣を真っ向から受け止めることにした。


 剣を思いっきり振り上げる。


 唐竹に対する逆風。


 どちらが有利でどちらが不利なのかは一見するとわからないかもしれない。だが、毒の子とウェルトには大きな違いがあった。それは地に足がついているかいないか、という点だ。


 本来剣とは腕力だけで振るうものではない。あらゆる姿勢を制御することにより自身の体重を体中の至るところに駆け巡らせ、腕力で振るう力を一とするならばそれを三にも四にも瞬間的に増加させる。その基本となる動きが足を使った重心移動である。


 重心を移動させることはすなわち自らが放つ技の選択肢に繋がっていく。ここまでくればどちらが有利な状況にいるのかを理解できると思う。毒の子は奇襲に気づかれた時点で不利な状況に追い込まれ、借りてきた猫のような大人しさで攻撃されるのを待機しなければならない。


 しかし、ここでウェルトに誤算があった。


 昔はこの足場にも水が通っていたのだろう。足場に散らばっているのは水流により角の削られた坊主頭みたいに丸っこい石の群れであり、それらは力いっぱいに踏みしめればじゃりじゃりと音を立てて足の裏から逃げだそうとするので、これでは踏ん張りがきかず、肝心かなめの重心の移動も上手くいかない。さらには落下するしか能がないと思われた毒の子の行動も意外なものであった。かかる重力には逆らわず、むしろその力を存分に利用してやろうとでも思ったのか、毒の子は体を弓なりに逸らし、弾けたゴムのように体をくの字に曲げて、見事姿勢を空中で制御して自身の振るう刃に怒涛なる勢いを加算した。


 そんなことができるのか、とウェルトは半ば感心する。


 もう半分は諦めにも似た感情だった。


 この斬撃は止められない。


 それでも抵抗するためにウェルトは手を緩めない。


 刃を合わせたことにより毒の子が振るう剣の勢いは多少衰えたように思えるが、その勢いを止めるには至らず、ウェルトは来るべき旭日昇天の衝撃と空前絶後の痛みにできうる限り身構えた。


 しかし衝撃は横合いからやってきた。ウェルトと場所を入れ替わるようにしてアダンが突っ込んできたのだ。その結果、アダンの背中から血が噴き出る。だが決して致死量ではない。これはアダンの加護が関係している。アダンは周囲の空気を固めることができる。そうして目には見えない「鎧」を体の表面に纏うのだ。鎧の固さは尋常ではなく、剣の一振りなどいともたやすく防いでしまう——はずだった。致命傷にならなかったとはいえ、毒の子の斬撃はアダンに届いた。一体どれほどに強力な一撃だったのかはこの結果が物語っている。


 だが、これで毒の子に隙ができた。


 アダンはそれを見逃さず、振り向きざまに剣を動かした。それを防いだ毒の子が剣の進行方向にふっ飛ばされる。体を回して受け身を取る毒の子に追いすがるようにしてアダンが走り、「ウェルト!」という叫びを放ってウェルトがするべきことを思い起こさせる。毒の子が足元の石を拾い上げてアダンに向かって投げつけているが、アダンの足は決して緩むことなく目標へと向い、獲物の首にただひたすらに求めてそのまま地の果てまでも追い込もうとしている。ウェルトは空間の入り口と出口を作り出す。入り口は目前に、そして出口は毒の子の目前に。そうして水面のように揺らめく入り口を通して剣を突き入れるが、出口の出現をすぐさま察知した毒の子は、途端に身を翻してこの場から一目散に逃げだそうとする。


「ぼけっとするなクロック! 奴を追うぞ!」


 呆然としながら立っているクロックが今さら毒の子に気づいたかのように「あ」と情けのない声を出す。


「ウェルトは裏切り者ではない。もしそうであるならお前を庇ったりはしない。証拠などこれで十分だろう! 動け! 決して敵を見誤るな!」


 クロックが歯を食いしばりながら、小さく「ごめん」と呟いたのが聞こえた。


 ウェルトは一瞬だけ視線をクロックに向けて「いいんですよ」とアイコンタクトを送りながら、逃亡の妨害を行うために毒の子が逃げる進行方向にいくつかの空間を繋げる。どこからともなく現れる刃に逐一の対応が迫られる毒の子は、それはもう必死な様相で悪い足場を駆けていく。毒の子が石につまづいた。すぐに体制を立て直してまた走る。アダンが毒の子のすぐ傍まで迫る。その後ろにはクロックもいる。


 アダンの命を奪うような一撃を毒の子は持たない。アダンが毒の子の動きを封じてしまいさえすれば、もうこちらの勝利は揺るぎないものとなる。


 空間を繋げる。


 剣を入れる。


 剣の切っ先が毒の子の太腿に触れる。これで機動力を完全に奪うことができる。だが、そこから先に剣を動かすことがウェルトにはできなかった。


「がはっ」


 衝撃を感じた。


 背中が痛い。


 血がどくどくと流れ出ているのが感覚でわかる。


 なにやら悲鳴が聞こえた。恐らくはリリアの声だ。今、後ろでは一体なにが起きているのだろう。なにが起こったのかを確認するためにウェルトは痛みをこらえながら後ろを振り向く。


 さらりと流れる黒髪の隙間から、明らかな敵意を持った瞳が覗いている。下のほうに目を動かせば、まるで雪みたいに真っ白な五本の細い指が剣の柄を力いっぱいに握りしめているのがわかる。自分は今、剣で刺されている。剣を刺した犯人は一目瞭然なはずなのに、信じられない、とウェルトの脳は未だに理解を拒んでいる。


 彼女はウェルトたちが守るべき対象ではなかったのか。


 彼女は世界を救う聖女ではなかったのか。


 剣を向けるべきは毒の子ではないのか。


 多くの疑問が頭の中で疾走する。疑問に対しての答えは全くといっていいほど浮かばなかったけれど、目の前で起こっている出来事はまぎれもない事実なのだということだけはわかったので、ウェルトは自らの命を守るために生贄の聖女を蹴り飛ばした。無意識にも近い行動だった。なので、自分が一体だれに向かって危害を加えたのかを数秒も経たないうちに理解すると、出血していたせいということもあるだろうが

ウェルトの顔は見る見るうちに青ざめていった。


 もう何が正しいのかがわからない。


 周囲もなにが起こっているのかわからない、という様子だった。


 アダンもクロックも足を止めている。しかし毒の子だけは逃げる足を止めずにアダンたちからどんどんと距離を離していく。


「くっ。リリア! 聖女を止めろ! 俺は毒の子を始末したらすぐに戻る」


「僕も行きます。奴はルミナスの敵だ」


「……一瞬でカタをつけるぞ」


「はい」


 毒の子の背中と二人の背中が遠のき、灯りを失っていた街の中へと消えていく。


 それから蹴られた箇所を押さえつけた空色の瞳が立ち上がり、軍学校で教わる剣の構えをウェルトとリリアに向ける。


「どうして」


 震えるような声が聞こえた。


「あなたが裏切り者だったの?」


 冷ややかな視線の主は答えない。


「聖女のあなたがどうして? ねえ一体いつから? 答えてよ……ラアナ」


 なおも問いかける言葉に、ラアナは観念したかのような動作を見せる。


「最初から」


「それは、旅の最初からってこと?」


「違う。聖女になったあの日から、ずっと私はあなたたちの敵」


 ラアナはさらに言葉を紡ぐ。


「——私はね、なんでも思い通りになると思っている傲慢な神様に、ざまあみろって言ってやるの」


 ウェルトの疑問は次々と増えていく。

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