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愛と毒が殺す世界  作者: 仲島 たねや
第4章 深まる疑念
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深まる疑念③

 地下水道にはいくつかのはしごが設置されている。そこに手と足をかけて上へと進み、重量のあるマンホール蓋をぱかっと開ける。空気が循環することのない地下とは違い、嫌な臭いやじめじめとした水気の含まれていない綺麗な空気が流れ込んでいて、リリアの髪が風を孕んでふわりとなびいた。リリアは思わず手を添えて、暴れる髪を押さえつけた。


 続いてラアナが上がってくる。


 先ほどのリリアと同様に、彼女の髪はいたずらな風に弄ばれる。まるで額面に切り取られた絵画のワンシーンのようだとリリアは思った。風向きに流される艶のある黒髪は、しなやかさの中にも確かな力強さが秘められており、細枝のように触れてしまえば折れてしまいそうなラアナの指には、幾本もの髪が絡みつく。その姿にはどことなく官能的なものさえ感じとれる。絵になる女性とはラアナのことを指す言葉なのだろう。


 リリアは手を差し出した。ラアナはその手に気づき、髪に触れていた手をおずおずと伸ばす。リリアはその手を掴み、上にあがる手助けをした。ラアナが体制を整えてからすくっと立ち上がり、お礼代わりに頭を下げる。「どういたしまして」とリリアは言った。


「なあ。なんだか騒がしくないか?」


 先に地上へと出ていたウェルトが、いぶかし気な顔つきでリリアに訊いてきた。


「確かにそうだね」


 まだ日付は変わってないとはいえ夜も随分と更けてきた。


 夜には不思議な魅力がある。非日常感とでもいうのだろうか。太陽の光や街の喧騒がないというだけで、見慣れた街並みをどこか神秘的なものへと変える。ただ歩くだけでもこれから何かが起こるのではないかとわくわくしてしまう。


 しかし、街には光が溢れていた。多くの手持ちランプの淡い光が、遠くからでもぼんやりと見える。つまりは人がこの先にいるということだ。さらに、光は一つや二つではないので人もそれだけ多くいるということになる。光のせいで夜に感じる非日常感などあったものではない。だけど夜更けに光が集まるのに意味はあるはずだ。おそらく、光の集まっている場所が騒ぎの発生源なのだろう。


 最後尾にいたクロックが地上へと出てくる。


「なにかあったみたいだね。それにあそこは……僕がルミナスたちに言った道順の場所に一致している。あの騒ぎのせいで二人は帰ってこれないのかもしれない。とりあえず様子をみてみようか」


 異存はなかった。


 家々に挟まれた路地を進む。騒ぎのせいか、家の窓からは光が漏れ出ている。長方形のタイルが良く見え、足元に対する不安はない。なるべくリリアを中心として五人は動いた。どれだけ外に人がいて路地が明るかろうとも、何が起こるのかはわからないので用心を怠らないようにする。


 人の群れに突き当たる。制服を着た複数の男性が、野次馬たちを家に帰そうと必死に誘導をしている。警備の人間だろう。年がまだ二桁台に満たないような小さな子供たちも、何事か、と必死に背伸びをして様子を窺っている。それを親であろう大人たちが、子供たちを抱きかかえて家へと連れ帰る。


 アダンが野次馬の中へと分け入る。それに四人は続く。騒ぎの中心に辿り着き、何があったのかを聞き出すために、アダンは制服を着ている男性の肩を掴んだ。ただ威

圧するだけではなくて、軍側の人間であることをそれとなく仄めかし、アダンが事情を上手いこと聞き出している。


 リリアの目はその間別のところへと向いていた。人目に触れてはいけないものでもあるのか、二枚の大きな布で何かが覆われている。膨らんだ布は一体なにを隠しているのだろうか。嫌な予感がする。


 事情を聞き終えたアダンが警備を振り切り、膨らみのある布を掴み上げてその中身を確認した。アダンの目が見開かれる。このような顔をするアダンをリリアは初めて見た。どれほどの衝撃があの布に隠されていたのだろう。リリアの側からはよく見えない。


 が、ちらりと見えた。見えたそれをじっと見つめてみる。そして見えたものが何であるかを理解した時、小さな悲鳴がリリアの口から漏れた。


 ——金髪だった。


 地面に張り付くような長い金髪が、多少の赤い液体を付着させて布の隙間からはみ出している。およそ髪だけで人を特定することはままならないが、今リリアが見ている金髪だけは例外だった。自分の髪が茶色だということもある。だけど、年頃の女性ならば誰だって憧れるはずだ。その手入れの行き届いた流麗なブロンドは、思わず二度見してしまうほどの魔性を秘めているのだから。


 クロックが地面を踏みしめるように、ゆっくりと、ゆっくりと布のほうへと近づいていく。その足は震えている。指の先もわなないているようだった。アダンは逡巡したような動作を見せてから、クロックの進行を妨げないように場所を譲った。


 クロックが布をめくった。


 相変わらずリリアの位置からは布の中身が見えない。しかし、おおよその見当はついていた。あそこにいるのはクロックにとっての最愛の人だ。


「あ……あ……」


 クロックは小さなうめき声を出してから、血の気が引いて白くなった大切な人の手を握る。その手からはもう二度と温もりを得ることができないとわかっているはずなのに、クロックは両の手で包み込んだその手をまるで祈りでも捧げているかのように自らの額に触れさせていた。肩が痙攣するように動いたかと思うと、やがてその震えはクロックの体全体に伝わっていく。


 声を押し殺してクロックは泣いていた。


 その様子をこれ以上リリアは見ていられなかった。


 リリアも悲しかった。泣いてしまいそうになる。しかし、クロックよりもルミナスとの関係の浅い自分が、声を出すまいと耐えているクロックの前で泣くことは、何だかクロックに対して失礼なことのように思えた。


 そして、布はもう一つある。


 リリアは思い出す。


 ルミナスと共に行動をしていたのは誰か。この一つの事実だけで、布の中身はうかがい知れる。その確認のためにするべきことは一つだけなのに、リリアには布をめくることができない。心の中ではもしかしたら、という儚い希望が湧いている。


 その希望を抱いたままでいたかった。現実を直視したくなかった。


 しかし、仮にもリリアは世界の命運を託されている。どれだけ辛くとも現実を見なければならない。布に向かって手を伸ばす。心臓が跳ね上がる。気が狂ってどうにかなってしまいそうだった。だけど、リリアよりもクロックのほうが怖かったはずなのだ。それなのにリリアが逃げるわけにはいかない。


 リリアは布を掴み上げた。そして中身を確認する。血を流した死体があった。リリアのいるところとは反対のほうに死体の顔は向いていた。しかし、その服装と後ろ姿を見れば、死体がスティードであることが嫌でもわかる。リリアの儚い希望はあっけなく打ち砕かれた。


「スティード……」


 後ろから声が聞こえた。聞いただけで意気消沈していることがわかる、そんな呟くような声だった。リリアは後ろを振り返る。そこにはウェルトが立っていた。ウェルトは唇を噛みしめて、感情を無理やりに押し込めているようだった。一番の親友が死んだのだ。なにも感じないわけがない。


 ウェルトは数秒すると、スティードの前で膝を折った。ウェルトはスティードの顔をこちらに向けさせる。閉じ切っていないまぶたからは光の失われた眼球がのぞき、スティードが死んでしまったことを再確認させられる。リリアは身がすくみそうになった。しかしウェルトはスティードといつも接しているような調子で、「今までありがとうな」と言い、スティードのまぶたをそっと撫でるようにおろした。


 ウェルトは強い。これまでも多くの仲間を失ってきたはずだ。そのたびにウェルトは心を痛ませ、その痛みを乗り越えてきた。今までの経験がウェルトの精神を鍛え上げたのだろう。いや、そうではない。きっとウェルトは今まで心を殺してきたのだ。それは、精神がこれ以上摩耗しないための防衛手段だった。


 リリアは知っている。毒の影響を受けた獣を殺したとき、ウェルトは確かに悲しそうな顔をしていた。争い事を起こすなど、ウェルトの本望ではない。リリアにはそう思えてならない。だからウェルトは強い、というよりも優しい、といったほうがしっくりとくる。そして今、ウェルトは心を殺しているはずだ。


 そんな彼を支えると、リリアは地下水道で決めていた。


 だから、リリアは地下でしたように、ウェルトの手を握ろうとした。


 しかし、できなかった。


「そうか、わかったよ!」


 と、クロックが声をあげたので、そちらに注目せざるをえなくなった。三々五々に散ろうとしていた民衆でさえも、動いていた足を止めてクロックのほうを振り向いた。そこに鬼気迫るアダンの視線が刺さる。すると民衆は慌てて踵を返した。威圧感だけで人を動かすなど、およそ常人の妙技ではない。さすがは歴戦の兵といったところか。


「なにがわかったんですか、クロックさん?」


「おかしいと思っていたんだよ。どうしてここまで相手に先回りばかりされるのかってさ」


 ウェルトの質問に答えたクロックが、首だけをまわしてこちらを向いた。その目には狂気が宿っているようにも見える。恋人が死に、急に大声を出す。周囲からすれば気でも触れたのかと思うだろう。リリアの中にもそのような気持ちがない、といえば噓になる。少なくとも正常な判断力は多少失われているはずだ。


「ここじゃ場所が悪い。移動しようか。いいですか、アダンさん?」


「待て。お前は今冷静じゃあない。そんな奴の提案は簡単に呑めないに決まっているだろう」


「僕は冷静ですよ。それに今から向かう場所は毒の子がいるところです」


「——なぜ毒の子の場所がわかる?」


「必ずいるとはいえません。ですが、スティード君の遺体を見れば戦闘の具合がわかるし、そこから毒の子が無傷でないこともわかります」


 スティードの遺体をアダンが見た。クロックの意見を否定しないところをみると、クロックの意見には一理あると思ったのだろう。


「毒の子は体を休めていることでしょう。それにあれだけの人がいたのなら、体を休められる場所も限られてくる。僕の加護で街の場所は細かく把握しています。ここから近くて身を隠せそうな場所は一つだけ」


「それはどこだ?」


「昼にも通りましたよね。子供たちが遊んでいた、あの川辺です。おそらく、橋の下にでも隠れているのでしょうね」


「それがお前の言いたかったことすべてではないだろう」


「ええ。とりあえず逃げられる前に早く移動しましょう。警備の人もこの話は内密でお願いします」


「あ、えと、りょ、了解であります。いや、毒の子がこの街にいるのですか? そうなるとこのままというわけには……」


「大丈夫です。毒の子は僕が始末をつけるので」


 警備兵はあいまいな返事をする。どうやら納得はいっていないようだ。しかし、静かな気迫を含ませた言葉に、警備兵は引くしか選択肢がない。


「二人のことをよろしくお願いします」


 ルミナスとスティードを警備兵に託し、「さあ、行こうか」と川に向かってクロックは歩き出す。四人は顔を見合わせて、無言で確認をしあう。本当にこのままクロックについていってもよいものか。クロックの判断は信用に値するものなのか。しかし四人に打開の策がない以上クロックの言葉を否定するわけにもいかない。


 四人はクロックの後姿を追いかける。

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