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愛と毒が殺す世界  作者: 仲島 たねや
第3章 閉塞の中で
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閉塞の中で④

 流れる下水がリリアの横で音を立てている。その匂いはお世辞にも良い香りとは言えない。というよりも最悪に近い。悪臭により鼻がひん曲がりそうだった。しかしそう思っていたのも最初のころだけで、案外人間というものはしめ縄ぐらいに図太く、どのような臭いでも長時間嗅ぎ続けると鼻が慣れきってしまうようだった。それぐらいの長い時間が経った。なのに、偵察に出たルミナスとスティードは未だに帰ってこない。


「遅いね、二人とも」


 リリアが話しかけると「ああ」とウェルトが軽く頷き、こちらに視線をよこしてくる。その際に目が合った。リリアは思わず目を逸らしてしまう。ウェルトに面して恥ずかしかったのだと思うし彼の服を盛大に濡らしてしまったことを申し訳なくも思っていたからだろう。なにせあれだけのおいおいと大泣きする姿を見られてしまった。ウェルトの体温を、呼吸を、心臓の鼓動を間近で感じた。今だってリリアのすぐ隣にウェルトはいるので、耳をすませば呼吸の音が聞こえるし、手を伸ばせば彼の温もりが感じられることだろう。そのようなことを実行に移せるわけがないということはリリア自身が一番わかっていた。だって、リリアはウェルトと目を合わせることすらできないのだから。


 リリアは急に目を逸らした不自然さをかき消すために話を続けた。


「えと、上でなにかあったのかな?」


「さあ。でも、スティードがいるしたいていのことは大丈夫だろ。あいつは強い。それに敵が現れたなら合図があるはずだ。だから、もしかすると道に迷ってるのかもな。そういうところはあいつあんまり信用ならないし」


 茶化すような物言い。いつもの調子で話すことでリリアの不安を少しでも和らげようとしてくれているのかもしれない。


「うん、そうかもね」


「だろ」


 ウェルトが歯を見せて微笑んだ。それにつられてリリアも微笑む。




 ウェルトがいてくれて本当によかったと心の底から思う。彼の優しさが心の救いだった。辛いことがあってもウェルトが傍にいてくれるのなら大丈夫だと思えたし、それ以上に彼のためになにかをしてあげたいと思えた。


 傷心している彼のために一体なにができるのだろう。リリアは考えた。そして思いついたのは、先ほど自分自身でできるわけがないと断じていたものだった。


 だけど、勇気さえあれば。


 リリアは知っている。いつまでも迷っていると勇気はどんどんとなりを潜めていく。思いついたその場で決断と決行をすることこそが勇気を表に出すコツなのだ。リリアはちらっと視線を左下に向けた。ウェルトは手のひらを地面にぺたっとつけて体の支えとしている。揺らぐ心を無理やり抑え込み、長めの息を吐いた。リリアはついに意を決し、自分の手をウェルトの手に重ねた。驚き混じりの顔がリリアへと向く。リリアはうつむかせていた顔を上げてウェルトの顔を正面から見すえた。


 目は逸らさない。


「ありがとう、ウェルト」


「んと、どういたしまして?」


 疑問形でウェルトが答える。


「次は私がウェルトを支えてあげる。辛いこととか困ってることがあったら言ってね。力にはなれないかもしれないけど、私ウェルトのために一生懸命がんばるから」


 ウェルトが「ああ」と答えてから、ふいっと目を逸らした。なぜかリリアは「勝った」と思ったが、これは別に勝負ではない。実に虚しい勝利だ。だけど、胸のつっかえが一つとれたような気がした。考え方も自然ポジティブになる。


 きっと、合図の石が砕けていないことはスティードとルミナスが敵と遭遇していないという吉報であり、帰りが遅くなっているのは多くの情報を集めているからなのだ。


「あのさ」


 ウェルトが困ったよう声を出した。


「なになに? さっそく困りごと?」


「手を……」


「手?」


 リリアは自分の手を見下ろした。自分の手が強くウェルトの手を握りしめている。手はそえるだけのつもりだったが、知らず知らずのうちに力がこもっていたらしい。意識すると途端に恥ずかしさが再熱してくる。リリアは蛙が跳ねるような勢いで手を離した。


「ご、ごめんね」


 リリアはまたうつむいた。


 気まずい空気が二人の間をそっと流れた。

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