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愛と毒が殺す世界  作者: 仲島 たねや
プロローグ
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プロローグ

初めて書いた長編小説になりますので、至らぬ点もあるとはございますがどうぞよろしくお願いいたします。

 

 ぱちぱちと音を鳴らして、踊るように身をくねらせる炎。大きな奇声を上げながら、逃げ惑う人々へと襲いかかる男たち。目の前で力なく横たわる近所のおじさん。


 家が燃え、村人が殺され、死体が目をむく。


 少女はその渦中に身を置き、なにをするでもなく、ただただ地面に膝をつけていた。


 このまま死んでしまうのかと少女は思った。だけど死ぬことは怖くなかった。なぜならもう希望がないから。少女がたとえこの状況で万に一つ生き残ったとしても、その先はどうなる。お父さんもお母さんも既に殺された。家に突然訪問してきた三人の男たち。彼らは自らの「加護」と凶器を使い、少女の家族に迫ってきた。少女は外に放り出され、両親の声を聞いた。「逃げて」、と。


 少女は声に従い、わけのわからぬままに村の外へと駆け出した。恐怖に駆られ、真っ暗な夜の中、思わず足がすくみそうになる。だけど頑張った。頑張ったのだけれど、これからのことを考えると、足は自然と村の方へと向いていた。不安だった。闇が恐ろしい。なによりも孤独が嫌だった。


 村へ戻った際に男に襲われた。


 お父さんとお母さんを襲った奴らとはまた別の男だ。男はまるで玩具を見つけた猛獣のような笑みをその顔に浮かべ、人差し指を空へと向かって真っすぐに立てて見せた。すると、人差し指の爪が草木も驚くような速度でにょきにょきと伸び始め、一秒にも満たない時間で爪は男の顔ほどの長さとなる。おそらくはこれが彼の「加護」なのだろう。そしてこれが少女を殺す凶器なのだ。


 男は指を倒し、それを横なぎに振るった。


 目の前で鮮血が舞う。


 少女は叫ぶ。


「おじさん!」


 おじさんが少女をかばってくれた。


 近所のおじさん。


 会えば家に招いてくれ、美味しいお菓子をいつも食べさせてくれた。満足げに家へと帰ると、甘い香りを漂わせる少女に気づいたお母さんが「またおじさんのところに行ってきたの? それじゃあお礼をしないとね」、そう言って晩御飯のおかずをおじさんにおすそ分けすることがいつもの流れになっていた。


 優しいおじさんが胸から血を噴き出して倒れていく。しかし、おじさんは倒れまいと踏ん張った。おじさんが爪を伸ばした男に組みかかる。男が不機嫌な声をだしながらもがいている。おじさんがそれを必死に抑え込む。声を出す余裕がないのか、おじさんが顔だけでこちらを向き、視線で逃げろと訴えてくる。


 少女はまたも駆け出した。


 今度は村の外ではなく、お父さんとお母さんがいるはずの自分の家を目指す。


 どうか無事でいて。


 天上の世界にいるとされる神に祈った。この祈りが届くのなら、もうお母さんにもお父さんにもわがままを言わない良い子になります。家事のお手伝いも仕事のお手伝いもします。だから、どうかお願いします。少女はひたすらに祈った。


 駆けている最中、燃え盛る炎の中に、殺されていく村の人たちを見た。少女とよく一緒になって遊んでいた栗毛の少女は、笑顔がとびっきり可愛らしかったことを覚えている。色んな話を聞かせてくれたおばあちゃんはしわくちゃなお顔がとてもチャーミングだった。お父さんと一緒に麦畑で働いていたおじちゃんは、少女を腕にぶら下げてぐるぐると回ってくれた。目が回って足がおぼつかなくなると、「この酔っ払いめ」とおじちゃんは豪快に笑っていた。


 みんな死んでいく。


 村だけでなく記憶にも炎が回る。やがて記憶は灰となり、ぼろぼろと崩れ落ちていく。何も考えずに笑っていたあの頃にはもう戻れない。


 少女が怒りの視線を向ける。どうやら村を襲っている男たちは十人やそこらではすまない数のようだ。三十人、いや四十人いたっておかしくはない。しかし幸運だったのは、少女が家へと辿り着くまでに、男たちが少女に目をつけなかったことだ。だけどそれが本当に幸運だったのか、少女にはもうわからない。


 多くの目をかいくぐった少女が自宅の扉を開ける。


 今まで何気なく開けてきた扉。この扉を開けるときに安堵や不安といった感情を持ったのはこれが初めてのことだ。安堵は無事に家までたどり着けたこと。不安は扉の先に何が待ち構えているのかわからなくて怖いから。普段からそんな気持ちを抱きながら扉を開けていたら、きっと少女の身は十三年ともたなかっただろう。今まで自分がどれほどに安穏とした生活を送ってきたのか。今までの自分がどれほど死と無

縁の生活を送っていたのか。


 扉の先に答えはあった。


 幸せとは一瞬で壊れるものだと初めて知った。失敗したのなら次に活かせばいい、とお父さんが言っていたことを思い出す。


 この失敗は一体どうしたらいい?


 そもそも何を失敗したのだろうか?


 少女は変わり果てた両親の姿からすぐに目を離した。


 そして三度駆け出した。


 だけど、今度はどこへと走ればいいのかわからない。


 気づけば、かつてはおじさんだった一つの死体の前にいた。少女は佇む。どれくらいそのままでいたのだろう。膝小僧には砂がつき、茶色く汚れてしまっている。お母さんが生きていれば怒るのだろうか。お父さんが生きていれば笑ってくれたのだろうか。頭の中では両親の声が響き、目を閉じれば二人の笑顔だって見えてくる。段々と悲しみが大波のように心へと押し寄せてくる。こみ上げてくるものを少女はもう

抑えることができない。


 少女は手で顔を覆い隠す。溢れんばかりの涙が流れ始めた。人目もはばからずに大声を出した。そんなことをすれば男たちが寄ってくるに決まっている。しかし少女にはもう関係ない。むしろ好都合だと思った。


 村の皆と同じ場所に行ける。


 そう思うと涙も多少引っ込んできた。頬だって緩んでしまう。


 そしてやはり、男たちが少女に気がついた。


 近づいてくる男たちは五人。それぞれに禿頭、長髪、短パン、顔に傷、爪が長いといった特徴を持っている。だが野暮ったい笑顔は五人それぞれに共通している。自分がどのように殺されるのか。おじさんと同じようにあの長い爪で殺されてしまうのだろうか。少女は他人事のように自分の死にざまを想像した。


 しかし、その想像が実現することはなかった。


 まず禿頭の首が飛んだ。


 四人の表情から笑みが消え去る。ある者は呆け、ある者は身を引き、ある者は腰の得物に手をかけ、ある者は爪を構えた。禿頭の首が落ちるころ、呆けていた短パンの胸に刃が突き刺さる。揺らぐ炎の光を受けて、刃は金属特有の鈍い輝きを放っている。その刃が乱暴に引き抜かれ、後ろから一人の少年の姿が現れた。


 三人になった男たちが呆けたように少年の姿を見つめて数秒、奇声にも近い怒号を上げ、三人は同時に一人の少年へと襲いかかった。長髪の男は腰まで届くようなその髪をさらに伸ばし、少年の首を締めつけようとしている。顔に傷を負っている男は刃が反っている珍しい剣を上段から振り下ろしつつ、口からは蜘蛛のように糸を吐き、少年の足を地面へと縫いとめようとする。そして最後の一人は爪をにょきにょきと伸ばしながら大仰な動作で手を後ろへと引き、少年の額を突き刺すために腕を素早い動作で前に出す。


 少年は一言。


「じゃま」


 少年は「毒のヴェノム」の特徴である白百合のような髪を炎の熱風にそよがせ、炎よりも赤いその瞳で複雑な線を描く。自らに迫る長い髪を右手に持った剣で切り刻んで対処し、吐かれた糸は足を動かして踊るような動作で危なげなく避ける。振り下ろされる剣には半身を逸らして触れるか触れないかの絶妙な距離を空け、それと同時に自身の額へと伸びてきた爪を掴んで止める。


「離せこのガキ!」


 全ての攻撃をいなした少年が攻勢に転じる。


 爪を手繰り寄せるようにして爪男の正面に立ち、恐ろしい速度で上下に剣が振るわれると、死体がまた一つ出来上がる。そして少年が剣を見て、「かえないと」と呟いた。少女には一体なんのことかわからない。


 油断していると思ったのか、顔に傷を負っている男が少年の後方からこれ幸いと糸を吐く。少年は糸を一瞥もせずに避け、そのまま男の懐に潜り込むと、男の手にあった剣を奪い取った。そして元々持っていた直刃の剣と二刀を構える形となった。傷の男は呻いている。見ると、薬指が本来曲がるべき方向とは逆に曲がっている。少年は奪った方の剣を下段に構える。男の顔の傷は額の真ん中辺りから右の頬まで伸びている。少年はその傷をなぞるようにして刃を滑らせた。激しい血しぶきがあがる。


 少年が素早い動作で右後方を振り向いた。


 振り向いた先にいたのは一人の男。男は悠長にも切られた髪を伸ばしている。少年が呆れたように目を眇め、一歩、二歩とゆっくり男との距離をつめていく。


 男の戦意はほとんど残されていなかったように思う。半狂乱といった様子で伸ばした髪を振り乱し、近づいてくる少年の足を何とか止めようと、また遠ざけようと必死になっている。そこに殺意など一切感じられない。しまいには、生に縋りつきたいがための頭で咄嗟に浮かんだであろう許しを請う言葉たちの群れが男の口から次々と溢れ出していた。


 どの口が言うのだ。


 この男がどれだけの村の人間を殺したのか。楽しそうな表情を浮かべ、自慢の髪を使い、抵抗する村人の首を喜々として絞めていたに違いない。それなのに、いざ自分が殺される側に回れば「生かしてほしい」と地に頭をこすりつけながら懇願する。死んで然るべきだと少女は思った。


 その思いが通じたわけではないだろうが、少年は容赦なく刃を振り上げ、男の息の根を止めようとする。しかし、そこで少年の動きが止まる。男もそれをおかしく思ったのか、恐る恐るといった様子で顔を上げ、少年の顔を窺った。


 少年がおもむろに口を開いた。


「このままなにもしないなら、逃がしてあげます」


 この言葉に男は驚いた表情を作った。まさか本当に生かされるとは思ってもみなかったのだろう。


 男は立ち上がり、その場をさっさと去ろうした。


 この時、少年は甘かったと言わざるを得ない。懇願などに惑わされず、男の息の根を止めておくべきだったのだ。


 少年が何かに引っ張られたように体制を揺るがせた。少年の足元に伸びているものがあった。それは髪の毛。わずか数本の髪の毛は目視が難しい。おそらく、男は地面に頭をつけている最中に髪を伸ばし、それを気づかれないように少年の左足に絡ませた。そして逃げたとみせかけ、その実、少年との距離を空けたのだ。


 男は殺気を胸の奥へと隠していた。


 少年が焦りの表情を見せている。少年は、体制が崩れ切る前に右手で持っていた直刃の剣で髪を切断しようと試みる。しかし、少年の焦りが剣の切れ味を鈍らせる。いや、焦りだけではない。刃には人の血と油がまみれ、それが剣の切れ味を相当に鈍らせている。ここで少女は「かえないと」という少年の言葉の意味を理解した。剣を他のものに替えなけば、このまま刃の切れ味は鈍り続けるばかりとなる。だから少年は傷の男が持っていた刃の反った剣を奪いとったのだろう。


 ならば奪ったほうの剣で髪の毛を切ればいい。少女はそう思った。


 だが、そちらの剣にはすでに男の髪の毛が巻き付けられていた。男は剣への対処も考えていた。髪に巻き取られた剣が少年の手を離れ、くるくると回りながら少女のすぐ横に落ちてきた。少年には髪の毛に対抗する手段が無くなる。


 髪は少年の喉へと伸びていく。先ほどの情けない姿などまるで嘘のように、男は威勢よく叫んでいた。


「死ね」と。


 何度も何度も。


 少年は苦悶の表情を浮かべ、首への締め付けを少しでも緩めようともがいていた。


 少女は見ていられないと目を逸らす。これ以上人が死ぬところを見たくない。しかし視線の先には、人を殺すための武器があった。少女は手を震わせながら、三日月みたいな刃をした剣の柄を握った。これを使えば少年を助けることができる。男は少年の苦しむ姿を見るために、少女の姿には一切目もくれていない。


 なにもかもが嫌になる。


 剣なんて今まで見たこともなかった。それなのに、今はそれを握り、人に斬りつけようとしている。包丁も満足に使えない自分に使いこなせるのだろうか。少年がどのように剣を使っていたのかを思い出す。頭の中で少年の姿と自分の姿を重ね合わせ、殺意を乗せて刃を振るう。


 男が悲鳴を上げた。男の背中からは血が流れ、地面に赤い水たまりを作っていく。少女は本当に自分がこれをやったのか半信半疑で、なんだか夢うつつといった気分に襲われた。が、手に残った感触がこれを現実なのだと教えてくれる。


 嫌な感触だった。


 もう二度と味わいたくない。刃から伝わってくる人の感触は本当に気持ちが悪い。少年もこの感触を嫌ったから男を見逃そうとしたのだろうか。でも見逃した男に殺されていてはあの世で笑い話にもならない。そもそも本当にあの世とは存在するのだろうか。存在するのならば、この男はあの世で罰を受けてくれるのだろうか。


 男の声が聞こえる。


 男はまだ死んでいなかった。


 少年が剣を振るうとあっけなく人が死ぬ。しかし少女が剣を振るってもそう簡単に人は死なない。人を切るための力と技術が足りていなかったのか、それとも人を殺す覚悟が十全にできていなかったのか。きっと両方なのだろう。それが今、目の前の男を生かしている。


 男は少女のほうを向き、殺意とともに己が牙をむいた。


 少女にはもう抵抗する気力はなく、その場に力なくへたり込む。死にたいという気持ちは変わらない。だけど村を焼き払い、村の人たちを情け容赦なく殺してきたであろう男に殺されることは何だか癪だった。


 男と少女の間。


 そこに少年が入り込み、少女の手にあった剣を奪い取って男を切り伏せる。一瞬の出来事だったが、今度こそ確実に男が死んだのだとわかった。そしてまたも少女は生き延びてしまった。


 少年が息も切れ切れに少女のほうを振り返る。


 その顔は少女を安心させようとしているのか、笑っている。しかしその表情はぎこちなく、苦笑に近いものだった。


「助けるつもりが助けられちゃったね。ありがとう。でももうじき他の奴らも僕たちに気づく。その前に一緒に逃げよう」


 少年が少女に手を差し出す。


 少女はその手を払った。少年が目を見開く。少年はどうして自分の手が払われたのかわかっていない。きっとこれからもわかることはないのだろう。少女はもはや逃げる気などなく、殺されたいと願っている。このような気持ちを少年に味わってほしくないというのが少女の本音だったのかもしれない。


 少女は、どうせ殺されるのならこの少年がいいと思った。


 だから言った。


「——私を殺して」


 さらに驚いた表情を少年が見せる。


 ぽっかりと空いた穴のような夜空の下では、自らが星の代わりを務めようといわんばかりの轟々と燃える橙色の炎が、暗闇に包まれた村全体に嫌というほどの陽炎を作り出し、周囲で醜くのたうち回る雑音たちが実にあっさりと少女の声を飲みこんでいく。

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