第3話 私の記憶
あれから1か月、私のポンコツ捜査は進展なし。
プロの警察の捜査はどうなっているんだろう?
おそらく、私は、運悪く強盗か通り魔に襲われたんだと思う。
私をキズものにしやがって!
おかげで病院通いじゃないか!
というわけで、今日は通院の日。
前に行った時、下条先生は不在だったから、2か月ぶりの再会だ。
病院に着くと、私は裏玄関に回ってみた。
もしかして、リネンサービスのおじさんが作業しているかもしれない。
……私の期待は儚く消えた。そこにおじさんの姿は無かった。
世の中、そう都合よくは行かない。
若干落胆した私は受付を済ませると、診察を待った。
今日は下条先生が診察してくれるようだ。
診察室の前の椅子に座って呼ばれるのを待っていると、例の頭痛が始まった。
えっ!ここで?
私は、落ち着きのない子供のように、辺りをキョロキョロと見回した。
どの人だろう。
診察を待っている人や看護師さん、その他諸々の人で、私の周りにはざっと15,6人の人がいる。
近くにいる人を中心にチェックしていると、頭にひびく鈍痛の感覚は短くなってきたのに、私に近づいてくる人はいない。
マジ?どの人なの?
焦りと頭痛で気持ち悪くなってきた。
「桐島さん。桐島弥生さん、診察室にお入りください。」
タイミング悪く、呼ばれてしまった。
ちょっと待ってよ!まだ誰か分かっていないのに。
「桐島さん、いいですよ。お入りください。」診察室のドアを開けて、看護師さんが顔をのぞかせた。
看護師さんに促されて、私は後ろ髪を引かれる思いで診察室に入った。
診察室のイスに掛けていても、頭痛はまだ治まらない。
どの人なの?私に記憶を提供してくれるのは?
このままその人が私から離れていったら、どうなっちゃうんだろう。
今まで考えたこともなかった。
何事も無かったように頭痛が治まっておしまい?
でも、頭痛は一向に止む気配が無さそうだ。
私が頭痛と闘っていると、奥の部屋から下条先生が現れた。
「桐島さん、お久しぶりですね。
前回は不在にしまして、申し訳ありませんでした。」下条先生は、イスに座ると、ディスプレイに表示されたカルテに目を通しながら口を開いた。
その表情は柔和で微笑みを絶やすことはない。
私は平静を装おうとしても、頭痛がMAXになったせいで、思わず顔をしかめてしまった。
「大丈夫ですか?」下条先生の問いかけに答えようとした瞬間、目の前が真っ白になって、記憶が同期した。
第4の光景。
私は目の前に下条先生がいることも忘れて、その光景に絶句した……
「桐島さん、大丈夫ですか?頭が痛みますか?」
先生が心配して何かを言っているみたいだけど、私の耳には入ってこない。
「すいません。トイレに行かせてください。」
私はよろめきながら立ち上がった。
「桐島さん、少し休みますか?」
「大丈夫です。すいません、ちょっとトイレに。」
私は、半ば強引に診察室を抜け出して、トイレの個室に駆け込んだ。
全身の力が抜けて、便座にへたりこんだ私の手のひらは汗ばんで、呼吸が速く短くなっている。
そして、今までに経験したことがない位に私の心臓の拍動が速く激しくなっていた。
冷静になろうとしても、なれるはずがない。
だってそうでしょ!
あんな衝撃的すぎる光景を目の当たりにしたら……
平静さを取り戻そうとして深呼吸をしても、第4の光景が頭の中にベッタリ張り付いていて、私の神経は高ぶったままだ。
身体も小刻みに震え出している。
第4の光景……それは今までの光景とは違って、私がハッキリと写っている。
と言うよりも、私の後姿のアップの光景。
それだけならまだしも、問題はその状況。
誰かが手にした、滑らかな金属製の棒状のもので私の頭が殴り付けられている。
痛っ!その光景に神経が触発されるように痛さを感じる。
ただ、私が異常な精神状態になっているのは痛さのせいじゃない。その痛さを遥かに凌駕する恐怖のせいだ。
見たくもないのに、自分の後頭部が殴打されている場面を強制的に見せられてしまった。
勘弁してよ……
時間が経つにつれて、私は多少落ち着いてきたので、トイレを出て診察室に戻った。
私を待っていた下条先生は心配そうに、「大丈夫ですか?少し時間を取りますか?」と聞いてきた。
「いえ、もう大丈夫です。すいませんでした。」
「では、診察をしますね。」
……下条先生は一通り診察を終えると、「もう完治しています。後遺症も無いようですね。」と微笑みながら説明してくれた。
「何か気になることはありますか?」下条先生は、滑らかなキータッチで診察内容を端末に入力しながら質問してきた。
下条先生の指先を漠然と眺めていた私は、無意識のうちに「後遺症……」と呟いていた。
「えっ?もう一度お願いします。」下条先生は手を止めて聞き返してきた。
「あの……変なこと聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょう?」
私は、ついさっき起きたことや今までの記憶のことを説明した。
「なるほど、大変興味深い症状ですね。よろしければ、原因を解明するために精密検査をしてみましょうか?」
「精密検査をすると原因が分かるんですか?」
「解明できる確証は無いので、お約束は出来ませんが。」
「そうですか。」
「ところで、桐島さんの頭部を殴打した犯人の顔も見えたんですか?」
「それは無いです。犯人が見た光景なので……」
ん?
犯人が見たって……今の私の近くに犯人がいたってことになる。
光景が衝撃的過ぎて、思考がそこから先に進んでいなかった。
この病院に犯人がいる?
やばっ!!
そう思うと、背中にゾクゾクと悪寒が走り、身体中から変な汗が吹き出してきた。
私は目の前に下条先生がいることも忘れて、4枚目の光景に集中した。
んんっ!
ええっ?
そんな馬鹿なことってある?
そんな……
「あの、診察が終わったのでしたら、今日はもう帰らせて下さい。」私は下を向いたまま下条先生に伝えた。
「本当に大丈夫ですか?」下条先生は心配そうに聞いてきた。
「はい、少し疲れているだけです。すいません。」
私は逃げるように病院を出ると、駅前のカフェに飛び込んだ。
本能的に人混みの中に身を置きたかったんだと思う。
店内は混み合っていたけど、奥のテーブル席が空いていた。
私は席についてカフェラテを注文すると、ゆっくりと深呼吸して目を閉じた。
4枚目の痛々しい私に集中。
私がいる場所の横に小さな空き地があって、ゴミが不法投棄されているようだった。その中にある、ヒビの入ったスタンドミラーに犯人の姿がかろうじて写り込んでいる。
薄暗い街灯に照らされたその顔付き、マスクで口元が隠れているけど似ている。
……ってか、間違いない。
下条先生……
先生の記憶に同期したんだ。
でも、先生がどうして?
3枚目の光景の路地を確認しに行った時、空き地のようなところはあった気がするけど、不法投棄されたゴミはもう無かったと思う。
あそこで私は襲われた。
頭の整理が付かないでいると、ウェイターさんがカフェラテを運んできた。
白いカップを手にして、甘くて香ばしい薫りをかぎながら、ひとくち口にすると、一瞬、目の前が真っ白になった。
思わず、カップをテーブルに落としそうになる。
えっ、何?
考える間もなく、記憶を塞いでいた蓋が外されたように、あの日の記憶がまざまざと蘇ってきた。
そうだ、そうだった!!
あの日の私は、仕事帰りにマッチングアプリで知り合った人と会う約束をしていた。
言い訳するわけじゃないけど、別に彼氏に飢えていた訳じゃない。
本当に興味本位。アプリにも興味があった。
落ち合うパブに向かう道すがら、今どの辺を歩いているとか、今日はどんなコーデだとか、これから会う人とチャットしながら歩いていた。
まさに3枚目の光景の私。
どっちかと言うと方向音痴の私は、ナビ任せに歩いていたので、今どの辺を歩いているのか、正直なところよく分かっていなかった。夜だったし。
薄暗い夜道を無防備に歩いていた、ながらスマホの私は、運悪く下条先生に襲われた。
下条先生に襲われた?
本当?
間違いない?
立派な外科の先生だよね。私を治療してくれた優しい先生……のはず。
でも、あの顔かたちは間違いない……と思う。
実は、アプリの相手って、下条先生だったりして……怖っ!
自分勝手に想像を膨らませて、一層怖くなってきた。
翌日。
私は城西署に電話をかけた。
刑事課の如月さんは在庁しているとのことだったので、すぐにアポを取って城西署に行った。
「桐島さん、わざわざお越しいただいたんですが、お伝えできる情報はあまりないんです。
類似の事件が起きているので、連続強盗犯の想定で捜査を進めているところです。」如月さんは少し恐縮しているようだ。
「はい、分かりました。
今日来たのは、なんて言うんですか、情報提供って言うんですか、その、言っておきたいことがありまして。」
「そうですか。どのようなことですか?」
「……あの、私もあの時、強盗に襲われたんだと思います。
最近、あの日の記憶が戻って来ました。」
「本当ですか!良かったですね。
あっ、あの日の記憶が戻ったことが桐島さんにとって良いとは限りませんよね。すいません。」
「いえ、大丈夫です。
私も早く事件が解決して欲しいので。」
……
私は、記憶が戻るきっかけになった、あの不思議な現象のことは如月さんに言わなかった。
言っても信じてもらえないだろうし、自分でも上手く説明できない。
……
「桐島さんが歩いているところを背後から殴打されたと?」
「はい。」
「被害に会われた他の人も同じような証言をしています。
それで、何か犯人を特定できるようなものはありましたか?」
「そのことなんですけど……」私は下条先生の名前を口にすることを一瞬ためらった。
「下条先生のこと、覚えていますか?私が入院していた病院の担当の先生。」
「ええ、覚えていますよ。」
「こんなこと推測で言っていいのか分からないんですけど……あの、はっきりと見た訳ではないんですけど、犯人が先生に似ていたような気がして。姿や顔の形が……」
「先生にですか?」如月さんの表情からは、私の話を信じていないことがありありと見て取れた。
「そうですよね。
そんなこと有り得ないですよね。
私を治療してくれた先生ですし。
なんか恩を仇で返すようなことを言ってしまって。」
「そうであっても、犯人は下条先生だと思うということですか?」
「……はい、なんかすいません。」
「いえいえ。参考にします。
ところで、桐島さんが襲われた場所は思い出しましたか?」
「はい、襲われた場所も思い出しました。大正通りから奥に入った路地裏だと思います。」
「それは重要な手掛かりですね。犯行現場を特定できる。」如月さんはうなずきながら言った。
……
「それでは、提供いただいた情報を基に捜査を続けます。」私が説明した内容をメモしていた如月さんは、私の方に向き直って、力強く言った。
「はい、よろしくお願いします。」
私は、とにかく伝えておきたいことを如月さんに伝えたので、満足だった。
警察の皆さん、あとはよろしくお願いします。