婚約を破棄されたので、明日から本気を出して美少女になる
「明日から本気を出す」という言葉がある。
本気を出して、何になるのか? 美少女になるのである。
大事なことなのでもう一度言おう。私は、明日から本気を出して美少女になる。
「で、服を買いに来たと?」
ここはモードの最先端をいく街の一角。美少女になるにはそれ用の服が必要になるということで、服飾店で働く幼馴染を訪ねたのだが、服屋に服以外何を買いにきたと言うのだろう?
紹介しよう。ごく当たり前のことを尋ねてきたコイツの名前はジスト。23歳、男、独身だ。気はいい奴なのだが、残念ながら少々理解力が足りない。私が何度も美少女になりたいのだと力説したのに「シェリルが美少女? 意味が分からない」としか言わないのだ。
けれども、デザイナーとしての腕は一流だ。服のことはジストに任せておけば間違いない。
ちなみに、私はシェリル。23歳、女、独身、職業は騎士。婚約者は先程いなくなった。いわゆる婚約破棄というやつだが、今は関係ない。
取調べ調書のような自己紹介で申し訳ないが、勘弁願いたい。私は美少女になるのに忙しいのだ。
釈然としない顔のジストに、辛抱強く説明を試みる。
「美少女はふわっふわでひらっひらのかわいい服を纏うものだろう? 美少女になると決めたはいいが、そんな服は一着も持っていないから買いに来たんだ」
「シェリルがふわふわでひらひらのかわいい服を買いに来たことは分かった。分かりたくないけどよく分かった。でもね、シェリル。悪いことは言わない。男装の麗人として王都中の女性から人気の騎士サマが、ふわふわでひらひらのかわいい服を着ても似合わないよ。シェリルは相当鍛えてるから、よくて、女装にしかならない」
「おい待て! 私は女だ! かわいい服を着たくらいで女装扱いされるのはおかしいだろう。私にだっておしゃれをする権利があるはずだ」
「別におしゃれをするなって言ってるんじゃない。似合わない服を着るのはやめておこうねって言ってるだけ」
「それをなんとかするのが、ジストの仕事だろう!」
「オレにだってできることとできないことがあるんだよ!」
ついにジストが爆発した。
「シェリルだって討伐に行った先でトロールがフリルだらけのドレスを着てたら戸惑うだろう? それと一緒。それより、こっちのコート! アイスブルーの生地がシェリルの氷のような瞳にピッタリだと思うんだ。背の高いシェリルならかっこよく着こなせるよ!」
ジストがマネキンを指差して商品をオススメしてくる。
たしかに、このコートは私に似合いそうだ。華やかだが華美すぎず、しかも動きやすそうに見える。昨日までの私なら、間違いなくあのコートを買って帰っただろう。
だが、それではダメなのだ。予言しよう。あのコートを羽織れば、女性からはおおいにモテるだろうが、男性からはモテない!
むしろ、今日は……
「私はお前が今、後ろ手に持っているその白いシフォンのワンピースを着てみたい」
「うっ……」
自慢ではないが、騎士という職業柄、何かを隠そうとする動きには敏感なのだ。ただし、追及するときは「隠している」と言わないのがポイントだ。「隠しているだろう」といえば、「隠してなんかいません」と否定される。しかし、「手に持ってる」といえば、否定しにくい。相手を問い詰めたいなら、評価を挟んではいけない。そして、言葉に詰まったその隙をついて奪い取るのだ。
鮮やかなステップでジストの背後に回りこむと、腕をかる〜くひねり上げ、ワンピースを貰い受ける。ジストの悲鳴は気にしない。
騎士団で磨いた捕縛術がこんなところで役に立つとは。やはり筋肉は裏切らない。
「ほぉ、今日見た中で、一番ふわふわでひらひらでカワイイじゃないか? やはりシフォンはいいな。しかもプリーツが美しい。これぞ美少女の服だ」
こんな服があるなら、さっさと出せばいいものを。
私は勝利を確信して微笑むと、涙目で腕を押さえるジストに一声かけて、白いシフォンのワンピースとともに試着室に入った。
しかし、問題はこのあとすぐに起こった。なんと、筋肉が私を裏切ったのである。
私が目をつけたワンピースは後ろにファスナーが付いていた。むろん、ファスナーを大きくあけて、頭から被った。被ったのだが、ワンピースのウエストのあたりで私の肩が引っかかってしまったのだ!
「くっ……!」
入らない。どうやっても、入らない。
確かに騎士として鍛えているから、一般的な美少女たちに比べると、肩幅が若干広いかもしれない。あと、美少女のウエストとは、かくも細いのだろうか? 私の太ももといい勝負だ。
これは早くも本気を出さねばならない場面が来たようである。明日から本気出すなどと悠長なことは言ってられない。私は覚悟を決めると、えいやと服を引っ張った。
◇◆◇
ジストは試着室から出てきた私を見ると、何も言わず、私とワンピースだったものを店のバックヤードに連れて行ってくれた。
白いシフォンのワンピースは、私が無理矢理着ようと引っ張ったせいで布地が裂けてしまった。
あんなに可愛いかったのに、私が意地をはったせいで、もう誰も着ることができない。
私がここまで意地をはった原因は、まちがいなく先程通告された婚約破棄だろう。
と言っても、別に婚約者殿に恋焦がれていたわけではないから、悲しみにくれて動揺していたわけではない。むしろ、婚約を破棄された私がまず感じたのは安堵と開放感だった。
婚約者殿の家は、私やジストの実家と同じで代々続く騎士の家柄だ。婚約者殿は一人息子で家を継げるのは彼しかいないのだが、幼少の頃から身体が弱く、今でも医者から激しい運動は控えるようにと言われているくらいなので、騎士になることは叶わなかった。
ならば、女騎士を嫁にもらえば良いではないかということで、白羽の矢が立ったのが私である。私はもともと騎士になりたくて、3人の兄たちと同じ師について剣術を習っていたし、兄弟の中で一番筋がいいと褒められていたくらいだった。家格もちょうど釣り合うらしく、私が17歳、婚約者殿が19歳の時に婚約が決まった。同じく騎士になるはずだったジストが服屋になりたいと宣言して出奔してしまってから、ちょうど1年が経った頃だった。
立派な騎士になって、婚約者殿を守ってあげようと思った。
可愛げなんて誰も求めていなかったし、私も剣を振ることを第一に考えていた。
なぜ、婚約者殿が婚約を破棄すると言ったのか分からない。私たちの仲は決して悪くないはずだった。
そんなことをぽつぽつと語ると、ジストは聞いているのかいないのか、コートの裾をいじりながらも横にいてくれた。
こういう時、幼馴染というのは良い。遠慮する必要のない、けれどもべったりするわけでもない距離感が心地よくて、一通り吐き出すとスッキリした。
「婚約を破棄されたのは分かった。でもなんで美少女になろうと思ったわけ? 未練があるとか?」
話が途切れたところでジストが質問した。そして、何を思ったのか、手を伸ばして私の髪を一房すくいとって目を細めた。
視線のもって行き方からどうやらシフォンとの色合いを確認しているらしいが、自分の髪に注がれる物憂げな眼差しに頬が赤くなるのを感じ、そっぽを向いて答える。
「ないな。終わったことをくよくよ考えるのは性に合わない。それより婚約が無くなった以上、夫となる人を一から探さねばならん。年齢を考えるとあまり猶予がない。一刻も早く美少女になって、世の男どもを振り向かせる必要がある。それだけだ」
一気に喋って、どうかジストが顔が赤くなっているのに気がつきませんようにと願う。
「ふーん。ま、確かに、シェリルの頓珍漢な格好に思わず振り返って二度見するだろうな。俺なら、4回か5回は確認して、最後に目を覆う」
「なっ!? そうじゃない! そういう振り向かせ方は望んでいない!」
あんまりな言い方に抗議したけれども、ジストは私を揶揄うばかりだった。そして、ひとしきり笑って満足すると、何かを思いついたように、私を見つめた。
「それより、そんなにシフォン着てみたいの? さっき、やっぱりシフォンは良いとか言ってたように思うんだけど」
「あぁ、着てみたい。覚えているか? 私たちが子供の頃、近所のシシリーお姉様が結婚式でシフォンのウェディングドレスをお召しになられたことがあっただろう。あれは妖精のようにお美しかった。今まで着る機会がなかったが、正直シフォンには憧れがある」
シシリーお姉さまは文句なしに美少女だった。なお、今では3児の母になっており、相変わらず美しいが、逞しさと頼りがいのある美女へと進化している。
「ふーん、奇遇だね。オレもあのドレスを見て服屋になるって決めたんだ」
「そうだったのか。幼心に、いつかあんな綺麗なドレスを着て、花嫁になりたいと思ったのを覚えている」
私が幼い頃の憧れを口にすると、ジストはフッと微笑んで、いつになく優しい声で言った。
「任せとけ。シェリルが結婚する時には、このオレが最高のドレスを作ってやる。国中で一番綺麗な花嫁にしてやるから、楽しみにしてろ」
「!」
その言葉に思わず目を見開く。ジストがデザイナーとして私たちの前に戻ってきてからこの3年間、彼はいつだって私に一番似合う服を作ってくれた。最高の服を作ってやるというのは、婚約破棄された私に対するジストなりの最大級の励ましなのだろう。
「ジスト……、ありがとう。問題はこんな私をもらってくれる奇特な花婿がいるかどうかだな」
感動してると知られたくなくて、わざと冗談めかして笑うと、ジストが目を逸らした。
「おい、ここはウソでもお前にピッタリの夫が必ず見つかると言って励ます場面だろう!」
「いやぁ〜、ほらオレって、思ってもないことは口に出せない性分なんだ。それから……」
「それから?」
「ウェディングドレスは、絶対、肩を出さないデザインでいこうな」
「………………言い残したいことは、それだけか?」
剣の柄に手をかけ静かに問うと、ジストは途端に慌てふためいた。
「冗談です! 本気だけど冗談です!! やめて、シェリル。そんなものお店で抜かないで。それより、この破れちゃったシフォンのワンピース、どうしよう?」
「む……」
ジストが露骨に話題転換を図った。だが、シフォンのワンピースを破いたのは完全に私が悪い。謝罪のため、しぶしぶ剣の柄から手を離す。
「その節は迷惑をかけた。もちろん弁償させてもらおう」
「毎度あり。で、だな。このシフォンのワンピースをリメイクしてやるから、さっきのアイスブルーのコートも買って、オレに預けてくれない?」
切り替えの早いジストが、商魂たくましくアイスブルーのコートをすすめてきた。
「それは構わないが、いったいどうするんだ?」
「それは出来てからのお楽しみってことで。来週のこの時間にまた来てよ。それまでに仕上げておくからさ」
ジストは右手をヒラヒラと振ると、私からシフォンのワンピースを奪い返し、作業机に向かってしまった。早くも目の前の服に集中していて、私のことなど眼中にないようだ。
少し寂しく思いながらも、おとなしく帰宅することにした。美少女への道は一日にしてならず。明日からも頑張らねばならない。
◇◆◇
婚約破棄された後も、私の生活は驚くほど変わらなかった。
父上には改めて謝ったが、難しい顔で「やむを得ん」と言うだけだったし、3人の兄たちは代わる代わるやってきては「結婚なんかせずともいい。ずっと家にいろ」と慰めてくれた。母と3つ隣の家にお嫁に行った姉は「こうなったらジスト君にお嫁に来てもらいましょう!」と言い出し、ちょっとうるさかった。
母上、姉上。ジストは男ですので、来るとしたら嫁ではなく、婿です。あと、ジストと私はそもそもそのような仲ではございません。
けれども、うっかり口を挟んだが最後、母上と姉上から「シェリルはジスト君のことは嫌い?」「ジスト君がダメなら、他に好きな男性はいるの?」と質問攻めにあうはめになった。今日だって「好きな人がいないならジスト君でいいじゃない。ぜーったいにお買い得よ!」「シェリルはもう少し自分の気持ちに素直になった方がいいわ!」と言いはじめた挙句、ジストに跪いて結婚を申し込んでこいと送り出された。
私は騎士だし、騎士はプロポーズするとき跪くものだと聞いているが、コレは絶対におかしいと思う。だが、あの二人に口で勝てた試しがない。
母上も姉上も昔からジストを気に入っていたが、3年前、ジストが新進気鋭のデザイナーとして社交会に戻ってくると、それまで以上にジストを贔屓するようになった。何度かジストと結婚したらと薦めてきたことがあったくらいだ。その時にはすでに婚約者がいたので、質の悪い冗談だと思っていたが、あの二人は案外本気だったのかもしれない。
たしかに、ジストは悪いやつじゃない。理解力がちょっと足りないことを除けば、むしろ良いやつだ。
だが、婚約破棄してすぐに別の男と婚約するとか、不誠実ではないだろうか。それに、ジストにも選ぶ自由がある。
先週、別れ際に見たジストの横顔を思い出す。目の前の服にだけ集中するあの眼差し。ジストが服を作っている時と同じくらいの熱量を持って女性に接している姿は想像できない。けれども、それは私に見せないだけで、どこかの誰かには……。
私は首を振って、馬鹿な妄想を頭から追い出した。あいつがモテるはずがない。
◇◆◇
一週間後、私は再びジストの働く店を訪ねた。
騎士団での朝練帰りに寄ったので、黒っぽいマントの下は濃紺の制服だし、長い金髪はポニーテールにまとめただけで何の飾り気もない。つまり、美少女度はマイナスに振り切っている。
だが、針子の女の子が私の入店に気がつくと、パァーッと顔を輝かせて寄ってきた。美少女の見本のような、見るものを幸せにする笑顔である。このように笑えば、私も美少女に一歩近づけるのだろうか?
私の来店を聞きつけたジストが足早にやってきたので、ものは試しとパァーッと笑ってみたのだが、ジストはギョッとした顔で立ち止ってしまった。
「む。美少女の笑顔については、どうやら特訓の必要があるな」
「え? 美少女ごっこってまだ続いてんの?」
ジストが呆れたように私を見た。
「私は本気で美少女を目指している。断じてごっこ遊びではない」
「ハイハイ、分かった分かった。それより、とびっきりのが出来上がった。どうぞ奥の部屋へ、お嬢様?」
ジストは自信たっぷりに微笑むと、奥の試着室までエスコートしてくれた。私はエスコートされるより、する方が多いので、なかなか新鮮な気持ちでジストの手をとる。
しかし、残念ながら、試着室へはすぐについた。あっけなく離れていった手を見送って、とりあえずマントを脱ぐ。
「じゃ、オレは出てるから。さっきのお針子が服を持って来てくれるから、着替えたら教えて。微調整する」
言いたいことだけ言うとジストは出ていき、私は一人大きな姿見の前に残された。アンティーク調の装飾が縁取る鏡を覗き込むと、ひどく冷たい印象の騎士が映っていた。詰襟の制服は禁欲的で、中性的な顔立ちが際立つ。こんな私でも、あのふんわりしたシフォンを身に纏うことが許されるのだろうか?
ぼんやりと鏡の中の自分を見ていると、先ほどのお針子さんが大きな箱を抱えて慌ただしく入ってきた。
「お待たせしましたー! 私、リーナと申します。白百合の騎士様の着付けを担当させていただき光栄に存じます。さっそくですが、とりあえず全部脱いでください!」
「ぜ、全部脱ぐのか?」
「もちろんですよ。ジスト先輩ってば張り切りすぎて、全部自分で縫っちゃったんですから。きちんと着て、ちゃんと完成してもらいましょう! 愛されてますね」
「は?」
最後に付け加えられた一言に思わず間抜けな声が出た。母上と姉上以外にも、そんなことを言う人がいるとは思わなかった。
「あれ? もしかして付き合ってること周りには秘密にしてました? ジスト先輩が騎士様のためにデザインした服ってどれもとっても素敵なので、羨ましいなぁってお針子仲間と言ってただけですから大丈夫ですよ」
「いや、私は先週まで別の人と婚約していたから……」
「おぅふ……、なんとまさか。これは失礼しました。ジスト先輩……惚れた女が別の男のために着る服を一生懸命デザインしていたなんて、案外重い男だったんですね。しかも付き合ってないのにサイズぴったりってどんだけ。あっと、髪型ちょっと弄っても宜しいですか?」
小声でボソボソ言われたのでところどころ聞き取れなかったが、リーナの中でジストの評価がどんどん下がっていっているような気がする。しかも、ジストのために「ただの幼馴染である」と説明してみたら、私まで残念な子を見るような目で見られた挙句「人の気持ちを勝手に伝えるのはマナー違反ですからね。そういうことにしておきましょう」と締め括られてしまった。解せぬ。
「さて、出来上がりですよ。お鏡をどうぞ!」
リーナがにこにこと笑って鏡を指し示す。
ドキドキしながら鏡を見ると、先ほどの冷たそうな騎士はどこにもおらず、ちょっと緊張した女性が──これなら女性と呼んでもさしつかえないだろう──がこちらを見ていた。
先に着せられたシルクのボウタイシャツと白いズボンはシンプルで、いつも着ているものとそう変わらなかった。だが、その上から羽織ったアイスブルーのコートは、大胆に改造され、まるでドレスのようだった。
バックスタイル──背中側の一部だけがシフォンのプリーツに切り替えられていて、私の動きにあわせてふんわりと揺れるのだ。裾にはたっぷりと布が使われていて、歩いてみるととても綺麗に裾が広がる。
仕上げにリーナが白い百合の花飾りを挿してくれて、全体的にとても清楚な雰囲気に仕上がった。
「雰囲気がぐっと柔らかくなりましたね! 普段の騎士然とした格好も素敵ですけど、偶にはこういうのもいいですよね~」
「これは……すごいな。美少女と言っても差し支えないのではないだろうか……?」
ぽつりと言うと、リーナは「何を言ってるんだ」と言う感じで首を傾げたが、ちょっと悪戯っぽく笑って、内緒話でもするように教えてくれた。
「ジスト先輩って、若手デザイナーの中では有望株だしカッコいいから、結構モテるんですよ?」
「……意外だな。だが、先ほども言ったとおり私には関係ないことだ」
「じゃあ騎士様は、ジスト先輩が他の女の子と付き合ってもいいんですか?」
「…………」
「聞き方を変えましょうか。私がジスト先輩と付き合ってもいいですか?」
リーナが私をまっすぐに見て尋ねる。
別に構わない。私の許可など必要ない。そう答えるべきだということは分かっているのに、どうしても言葉が出てこなかった。
そんな私を見て、リーナはふっと笑った。
「ちゃんと捕まえとかないと、後悔しますよ」
やれやれと肩をすくめるリーナに、私は何も言い返せなかった。
◇◆◇
試着室の外ではジストが腕組みをして待っていた。先ほどの会話の後にどんな顔をしてジストに会えばいいのか分からなかったが、リーナはジストを招き入れると無慈悲にもさっさとどこかに行ってしまい、私はジストと二人きりでとり残された。
ジストは試着室に入ってくるといつも通り顎に手をあてて検分を始めた。時折「腕を上げて」とか「その場で回ってみて」という他は何も言ってくれない。
居心地の悪い沈黙に耐えきれず、つい余計なことを口走ってしまった。
「さっき、リーナがジストはモテると言っていた」
「まぁね」
ジストは服から視線を外すことなく即答した。何を当たり前のことを聞くのかとでもいうかのような返事だった。
私の頭の中にジストの「まぁね」という答えがリフレインする。動揺した私は更に余計な質問をしてしまった。
「ジストは付き合ってる人とかいないのか?」
質問してから気が付く。これ、肯定されたらどうすればいいんだ?
時間を巻き戻したいが、そんなことできるはずもなく、ジストが眉を顰めて口を開くのを、まるで死刑宣告を待つかのように眺めることしかできなかった。
「シェリル、黙って」
「……すまない。立ち入ったことを聞いた」
ついさっきまで「答えは知りたくない」と思っていたのに、今度は一転して「彼女がいるなら一思いにいると言ってくれ」と叫びたい衝動に襲われる。内心葛藤していると、険しい表情のままジストが私の前に跪いた。そして、騎士さながらの優雅な動きで私のコートの裾を手に取って、少しだけ持ち上げたのだ。
まるで、御伽噺の1ページのような光景だ。プロポーズ場面ともいう。
え? まさか……?
驚きのあまり反射的に一歩引きそうになるのを気合いで堪えた私を誰か褒めて欲しい。次に何が起こるのか固唾を呑んで見守っていると、ジストが私を見上げて言った。
「すまない。ズボンの丈が3mmほど長かった」
「……ほとんど一緒だろ?」
「全然違うから」
私の妄想が暴発しただけで、ジストの方は平常運転だった。よく考えれば、付き合ってもいないのに結婚を申し込むなんて、ありえないことはすぐわかることだ。私はこんなにポンコツだったのだろうか。
けれども、お陰でちょっと落ち着いた。
「今日は制服のまま来たからヒールのない靴を履いてるんだ。ヒールのある靴なら問題ないだろう」
「なんだ、用意した靴を履いてなかったのか。いったいリーナは何をしてたんだ? そこ掛けて」
ジストは鏡の横の椅子に私を座らせると、再び跪いて銀色のハイヒールを履かせてくれた。今までここまでされたことは流石になくて、ちょっと目が泳ぐ。だが、もちろん、靴は私の足にピッタリで、ジストはすぐに離れていってしまった。
再び鏡の前に立った私を見て、ジストは満足そうに頷いた。「俺ってやっぱ天才」と自画自賛しているジストを見て、私もほっとする。そして、心が決まった。
後悔したり、くよくよしたりするのは嫌だから。
「なぁ、ジスト」
「ん? どうした?」
ジストが怪訝そうに尋ねてくる。私は深呼吸してから、思い切って聞いてみた。
「ジストの目から見て、私はちゃんと『美少女』に見える?」
「何をいうかと思えばそんなことか。大丈夫。オレの目には、いつもとびっきりの美少女に見えるよ」
ジストは力強く答えてくれた。
「本当か? 本当にそう思ってる?」
ジストを困らせたいわけではないのに、目尻に熱いものが込み上げてくるのが止められない。
ジストは私の目に涙が溢れそうになっているのに気がつくと、今までで一番慌てふためき、ハンカチを差し出した。
「ばっ…! シェリルお前、泣くほどのことじゃないだろ!?」
「……別に泣いてなどいない」
そう言ってから、親指で涙を払って証拠を隠滅する。
「そ、そうだな。よし、ほらっ、近くに植物園とか図書館とかあるからその格好で行ってこいよ。今のシェリルならナンパされること間違いなしだ。ただし、変な男に引っ掛かるなよ」
ジストの笑顔が歪んで見える。
「イヤだ」
「嫌って、そんな……。じゃあ、そこのカフェで甘いものでも食べてくるっていうのはどうだ? 制服と剣はオレがちゃんと預かっといてやるから、な?」
「イヤだ。ジストと一緒じゃなきゃ行かない」
「…………」
「ジストがいい」
やっぱりジストは理解力が足りない。だから、これが最後と思って決死の覚悟で伝えたのにジストはなにも言ってくれなかった。いつもは余計なことばかり言うくせに。
高揚した気持ちが急速に冷めていくのを感じ、下をむく。
「……嫌ならいい。無理を言った」
けれども、これが最後になるだろうから、きちんと謝っておいた方がいいかもしれない。そう思い、勇気を振り絞ってもう一度顔をあげた瞬間、いつのまにか距離を詰めていたジストにグッと手を引かれ抱き寄せられた。
「なっ……?」
あっという間の出来事に理解が追いつかない。けれども、息を吸い込むとジストの匂いがした。それでようやく、ジストに抱きしめられていることを実感する。
「嫌なわけないだろう。今日は早めに上がるから一緒に行こう。どこがいい?」
「……全部」
我ながら欲張った回答だと思う。あと、1日で全部回るのは絶対に無理だ。分かってる。
腕の中にいるせいで表情は分からないが、間違いなくジストは苦笑しているだろう。
けれども、ジストはそれには触れず、私の耳元にくちびるを寄せてそっと囁いた。今日この日のジストの言葉だけで、私はこの先の人生において、たとえどんな辛いことがあっても乗り越えていけるだろう。
私は、ゆっくりとジストの背中に手を回し、目を閉じたのだった。
おしまい
文字数と作者の力量の関係でうまく反映されなかった設定という名の登場人物紹介
シェリル
騎士。冷たいタイプの美形だが、実態はただの脳筋。白百合の騎士なんていうベタな二つ名がある。美醜に関する感覚は鈍く実用性を重視しがちなため、服飾店の客としては、やや難しい腕の見せ所タイプ。昔からジストのことが好きだったが、子供の頃は騎士なることしか考えていなかったので、それに気がつかなかった。17歳で婚約の話が出たときに、ジストのことが頭に浮かぶも、当時ジストとは連絡が取れなかったので、話を受けることにした。ジストが戻ってきてからは、無意識に自分の気持ちに蓋をしていた。恋をすると脳筋からポンコツに進化するタイプ。
姉と3人の兄がいる。
ジスト
デザイナー。もともと騎士の家柄に生まれ、シェリルと一緒に剣術も習っていた。今でもそこそこ強いが、シェリル相手だと瞬殺される。「23歳で美少女ってキツくないか?」と思ってはいても口には出さない。デザイナーになるため出奔した際、きちんとシェリルに気持ちを伝えていなかった(待っていて欲しいとかなんとか言ったのだがシェリルに通じていなかった)ため、久しぶりにシェリルにあった時、シェリルが他の男と婚約していることを知って死ぬほど落ち込んだ。シェリルが美少女になりたがったのは、12歳のときにこいつが好みの女性のタイプは?という質問に美少女と回答したのが原因。ロマンチックなプランをたてるたびに、脳筋が初手で粉砕してくるのが現在の悩み。
兄と弟がいる。
シェリルの元婚約者
病弱すぎて出番がなかったが、シェリルのことを大事に思っていた。いよいよ結婚かというときに医師に頼んで検査してもらい、病気の後遺症で自分が父親にはなれないことを知る。シェリルがジストへの気持ちを心の奥底に閉じ込めていることに気づいていたので身を引くことにした。
リーナ
美少女のお針子。ジストが好き。でも、ジストとシェリルのカップルはもっと好き。インスピレーションのため、作中わざとらしい工作をしまくる。この子がいないと話が進まない。恋人は募集中。
作者
この作品を書いた人。初めて恋愛話を書いたせいで、シェリルとジストにHPをごりごり削られた。作者のHPを回復するためには、この下にある☆のマークを押すしかない。リーナちゃんよりわざとらしい工作をする。
ご感想、ブクマ、ご評価、有難うございます。とても嬉しいです。