5 ユリウスの屋敷にて
実家の門の前で両親や商家の従業員たちに見送られ、馬車に揺れること約半日。
王都を朝に出発して東へ向かい、夕日が眩しいと感じ始めた頃、のどかな田園地帯でつんつんとした針葉樹に囲まれるようにして佇む屋敷が見えてきた。
名門バルトシェク家の別邸ということだが、ライラの実家と大差ない程度の大きさで、派手さはない。
だが白い石を組んで造られた三階構造の屋敷は品があり、まだ建って二十年も経たないだろうが、こののどかな地域の景観を損ねない落ち着きを湛えている。庭園もこざっぱりとしており、花よりも草やハーブなどの方が多そうだ。
そんな中庭を通った先の玄関前には、黒いローブ姿の男性が待ちかまえていた。
「お待ちしておりました、ライラ様。私は魔道研究所の職員で、現在はユリウス様の世話係を務めております、ヴェルネリと申します」
耳の下でぱつんと切りそろえた黒髪と吊り上がった深緑の目を持つ彼は、ライラを見るとお辞儀をした。
黒ローブに最初驚いたが、魔道研究所の職員だと言われると納得がいく。そこで働く魔道士は、意匠が同じで色違いのローブを制服代わりとしているらしい。
「初めまして。ライラ・キルッカです。よろしくお願いします」
ライラがお辞儀をすると、ヴェルネリは目を細めてライラを見つめてきた。
なんだか、値踏みするような試すような、あまり心地いいとは言えない視線だ。
「……まあ、いいでしょう。ユリウス様は現在体調を崩されているため、自室で療養なさっております。ですので私が代わりにあなたのご案内をしますが、悪しからず」
「かしこまりました。……ユリウス様のお見舞いに伺えたらいいのですが」
「余計なことはしないでいいです」
せめて一言挨拶はしたいと思って申し出たのだが、思いの外バッサリ叩ききられてびっくりする。
ヴェルネリはライラを見下ろし、ふんっと鼻を鳴らした。
「……最初に申しておきますが、私はあなたとユリウス様の婚姻を決して歓迎はしません。あなたがいらっしゃると、ユリウス様のためになる。だからお仕えするだけですので」
「……」
ずばずばと容赦ない言葉を浴びせられ、なんだこの人は、とイラッとしたのも一瞬のこと。
(……彼はユリウス様の世話係ということだから、いきなり現れた私を警戒してもおかしくない)
きっとライラが同じ立場なら、彼同様警戒したはずだ。……ここまで露骨に嫌がることはしないだろうが。
ライラはすうっと息を吸うと、背の高いヴェルネリににっこり微笑みかけた。
「もちろんです。ユリウス様のお側に、あなたのように忠誠心の強いお方がいらっしゃるのは、とても素晴らしいことだと思います」
「……皮肉ですか?」
「そうかもしれませんね」
あえて強気に返すと、ヴェルネリは黙った。むっつりと顔をしかめているが、ライラの反撃に不快感を催したというより、何か思案しているような顔つきである。
態度と言葉と表情は強気なものの、内心どきどきしつつヴェルネリの反応を窺っていたライラだが、やがて彼はふうっと息をついて手を差し出した。
「……どうやらあなたは平民の女性らしく、強かで無謀のようですね」
「ありがとうございます?」
「褒めています。……荷物、貸してください。あなたの腕はユリウス様より太そうですが、女性に荷物を持たせるというのは礼儀に反しますので」
もうその言葉だけで十分礼儀に反している気がするが、ライラは心の中でイラッとしただけで笑顔でヴェルネリに荷物を預け、ついでに身につけていたコートと帽子も脱いで押しつけた。
予想以上の荷物を持たされたらしいヴェルネリは少し嫌そうな顔をしたが、ライラがじっと見ると黙って一礼し、屋敷に通してくれる。
(……もしかして他の使用人も、ヴェルネリみたいな人だったりして?)
そうだと人間関係作りに苦労しそうだ、と思いながら屋敷の中を見て回る。
だが、一階の使用人部屋、二階の遊戯室、そして三階のユリウスの私生活空間と順に見ていき、妙だと思った。
「……あの、ヴェルネリ。聞いてもいいですか」
「一応あなたは女主人になるので、質問などはどうぞご遠慮なく。敬語も要りません」
「……じゃあ聞くけれど。この屋敷には、あなた以外の使用人はいないの?」
一応厨房なども見せてもらったのだが、本来ならそこらで働いていそうなメイドや従僕などの姿がない。
ライラの実家でさえ、住み込みと日勤のメイドが一人ずつと、父の秘書も兼ねる執事がいた。他にも、数日に一度訪問して庭木の手入れをしてくれる庭師などもいたのだが、この屋敷にはライラたち以外の人間の気配がさっぱりないのだ。
ライラが問うと、前を歩いていたヴェルネリが立ち止まって振り返った。
「いません。掃除、洗濯、料理、ユリウス様の補助、全てこのヴェルネリが担当しております」
「えっ……大変じゃないの!?」
「大変と言えばそうですが、そこらのメイドごときに私の神聖な仕事をさせるつもりはありませんので。あと、先ほどは案内のため渋々お通ししましたが、厨房は私のこだわりの場所なのでライラ様といえど、立ち入りませぬように」
「わ、分かったわ。……でも、さすがに一人では魔道研究所とか本邸とかとのやり取りで困るんじゃないの?」
ライラが指摘すると、ヴェルネリは吊り上がった目をほんの少し開いた。ライラの問いに感心している――ような気がする。
「……おっしゃるとおりです。普段は魔道研究所で働いているのですが、ヘルカという女性が定期的に通って連絡係を担っております。ちなみに彼女は明日あたりやって来て、以後はあなた付きになる予定なので、その時に紹介します」
「ええ、分かったわ」
女性、ということでライラは少しほっとした。
まさかこの屋敷でユリウスとヴェルネリの三人暮らしが延々と続くのだろうかと思っていたが、女性魔道士も来てくれるのなら心強い。その人なら、悩みや困ったことがあった時に相談できるだろう。
結局屋敷の案内を終えて応接間で茶を飲む段階になっても、ユリウスは降りてこなかった。ライラが茶を飲んでいる間にヴェルネリが様子を見に行ったが、「夜まではお会いできそうにないです」とのことだった。
(そんなに辛いのかな。……大丈夫なんだろうか)
にわかに不安になったが、ライラの表情を見たヴェルネリはふんっと鼻を鳴らした。
「ユリウス様のことを気遣ってらっしゃるのですか」
「当たり前でしょう。……お体が弱いとは聞いていたけれど、これほどだとは思っていなくて。ご挨拶は、明日以降になるかしら」
「……先ほど申しましたよね? 夜まではお会いできそうにない、と」
そこでヴェルネリは一旦口を閉ざし、一言断ってからライラの前のソファに座ると姿勢を正した。
「……ライラ様。あなたはユリウス様の体調が優れないことを、心配してくださるのですよね?」
「当然だってば!」
「であれば、そのユリウス様のためにあなたにお願いしたいことがあると申しましたら……受けていただけるでしょうか?」
ヴェルネリの提案に、ライラは目を瞬かせてカップを置いた。
(私にお願いしたいこと? ……あっ、ひょっとして看病とか?)
ライラは医者ではないが、病人の世話をするくらいのことはできる。といっても汗を拭いたり着替えを手伝ったりといった程度だが、ヴェルネリも多忙なのかもしれない。
(もしかしたら、これで私にも役目ができるかも……?)
大魔道士に嫁ごうとライラの根は平民なので、働いて感謝されたいとか、人の役に立って社会の一員になっていると実感したいとかという気持ちがある。
「はい! 私にできることなら、何でも!」
「ほう……何でも、ですかな?」
「アッ……痛いのと怖いのは、ちょっと遠慮したいです」
「ふっ……ご安心を。痛くも怖くもないし、頭を使う必要もありません。寝ているだけの、簡単なお仕事です」
「……う、うん?」
それはなんという怪しい求人だろうか。
寝ているだけってどういうことだ、と思ったが突っ込まず、ライラはヴェルネリの次なる言葉を待った。
ヴェルネリはライラを見、口を開く。
「あなたには、ユリウス様の添い寝をしていただきます」