4 ライラの判断
その後、ライラは顔面蒼白で駆けつけた両親に引きずられ、帰宅した。
馬車で帰る道中の記憶はほとんどなく、気が付いたら自宅のリビングにて、白い封筒を囲んで家族会議を開いていた。
この手紙はつい先ほど、家に届いたものだ。お手伝いとして住み込みで働いてくれているメイドが受け取っていたようで、バルトシェク家の家紋の入った封蝋が捺されている。
(ああ、そういえばユリウス様の胸のバッジにも、同じ家紋が入ってたっけ……)
ライラはいまだにぼんやりしていたので、父が封を切って中の手紙を読んでくれた。
「キルッカ商会とバルトシェク家の個人的な提携と、非常時の支援の保証。結婚にあたっての資金や準備費用なども、全てあちら持ち、って……こんなにおいしい話、おかしくない?」
真っ当な指摘をするのは、母であるヘリナ・キルッカ。その顔立ちは母娘でそっくりで、ライラは若い頃の母にそっくりらしい。
父アントン・キルッカもややいかつめの顔をさらに険しくし、便せんの文字を太い指で辿る。
「大切な息女をもらい受けるため、とあるが……すまないが、ライラ。俺たちには、名門バルトシェク家の家長様がこれほどまでの好待遇を約束してくださる理由が、とんと分からない」
「うん、私も分かってないから大丈夫」
絶世の美女だとかならともかく、ライラは飛び抜けて美しいわけではない。
「女は美しさだけじゃない、賢さも武器になる」ということで両親から勉強の大切さを教わってきたのでそれなりに知識はあるつもりだが、出会って一分程度で求婚してきたユリウスがライラの内面を知るはずがない。
「ユリウス様は『三度目惚れ』みたいなことをおっしゃってたけど、惚れられるようなことをした覚えはないんだよね。公衆の面前でヨアキムに捨てられて、その後バルコニーでぼうっとしているのを見られたくらいで」
「……ヨアキムのことは、本当にすまない。俺たちの力不足だ」
「えっ、何言ってるの。どう考えたって悪いのはヨアキムやカロリーナと……私じゃない」
父親が大きな肩をすくめて言ったので、ライラは慌てて父の肩を叩く。
確かにあの縁組みは双方の父親同士で決められたものだが、その内容自体にはライラも納得していた。
ただ――思った以上にヨアキムとの仲が進まず、知人に横からかっさらわれただけだ。
「ヨアキムのお父様は男爵だし、カロリーナの実家と敵対するのもいいことじゃない。だからあの場では、私たちが折れるしかなかった。……私こそ、もっとヨアキムにぐいぐい迫っていればよかったかもしれないし、もう終わったことじゃない」
「そうよ。あんな威圧的に婚約予定破棄してきた男のことなんて一旦忘れて、ユリウス様のことを考えましょう」
母も言葉を添えるが、顔をしかめている。
ライラがバルコニーで黄昏れている間にヨアキムとカロリーナが両親のところに話をしに行ったそうだが、その時の態度がどんなものだったのか、詳しく聞かずとも予想が付くのが虚しい。
三人は改めて、バルトシェク家からの手紙を読む。
「……ユリウス・バルトシェクなぁ……」
「私正直、どんな人なのか知らないんだけど」
「俺も懇意にしているわけじゃないし、今夜初めておまえが夜会に誘われたから同伴しただけだが……ユリウス・バルトシェクはバルトシェク家の血筋ではないのは、おまえも知っているな?」
「うん。イザベラ様の弟君の養子なんでしょう?」
「そう。十五年前のミアシス地方国境戦で魔道軍に保護された、戦災孤児らしい。測定した結果、類い希な魔力を持っているということでバルトシェク家の養子になったそうだが、それだけ有名な方なのにこれまであまり表舞台に出たことがないんだ」
父の言葉を聞き、ライラは今夜出会ったユリウスの顔を思い出す。
(あ、ひょっとして……)
「ユリウス様って不健康そうな顔をしてらっしゃってたから、もしかして体が弱いとか?」
「そう言われている。ご幼少の頃から屋敷に籠もりがちで、小さめの邸宅を与えられてそこで暮らしている。その頃から病弱だったが、一年ほど前に養父が亡くなってからはますます体調が思わしくなくなったようで、不眠にも悩まされているとか」
だからこそ、あのげっそりした顔つきと異様に細い体、青白い肌なのだろう。
(……失礼だけれど、あまり長くないような……)
ライラと同じようなことを両親も思っていたようで、その面持ちは沈痛だ。
「……どうしてライラを見初めたのかは不明だが、甥が求婚した女性を逃したくないと思われるイザベラ様の気持ち、分からなくもないな」
「そうね……病弱で心細い思いをされているからこそ、結婚して少しでも幸せな時間を過ごしたいと思われているのかもしれないわ」
「長くは生きられないかもしれないユリウスの、最期の我が儘」のようなことは、両親も考えていたようだ。
(……でも。なんでだろう)
ライラに求婚した時の、ユリウスの瞳。
彼は、わずかな余命を妻と共に過ごしたくてライラに求婚したわけではないと、漠然と感じていた。
なぜなのかは分からないが、もっと別の――何らかの意図がある気がしていた。
「……父さん、母さん。私、この話を受けようと思う」
「ライラ……」
「ユリウス様のお体のことがあったとしても、これってすごくおいしい話じゃない」
あからさまに明るい声で言ったので気遣うような眼差しを向けられたが、ライラは怯まず笑顔のまま手紙をひらひらさせる。
「イザベラ様も約束してくださるのだから、大丈夫。それにほら、『バルトシェク家とキルッカ家の末永い縁を』ってあるから、もし何かがあったとしても縁を切られることはないよ」
「……それはそうだが」
「それに……ここで断ったら、後が怖いし」
バルトシェク家が報復するとは、あまり思っていない。
むしろ、「名門からの求婚を断った」「あの娘はとんでもない」と噂される方が怖い。
商会は両親や従業員たちの実力だけではなく、信頼と人々のよい噂もあってこそ保っている。悪評は、足下を掬う。その原因には、なりたくない。
キルッカ夫妻に男子が生まれなかったので、商会の跡取りはライラの従弟と決まっている。だが彼はまだ十四歳で、学院に通っている年齢だ。
ライラが可愛い従弟のためにできるのは、彼が父の跡を継ぐ際、力添えしてくれるような相手と結婚することくらいだ。
「私は、大丈夫。それに、ユリウス様とはちょっと話をしたくらいだけど……悪い人じゃないと思うんだ」
「……」
「だから、行かせて。私、頑張るから!」
商会のため、家族のため、というのもある。
だが、このままだとライラは「捨てられ女」のレッテルを貼られることになる。そうするとどんなに努力しても気持ちは後ろ向きになるし、心を病むかもしれない。
ユリウスとの結婚は未知数で、何が起こるか分からない。
だが、ここで一歩踏み出してみないと、何も変わらないままではないか。
負けた女としてグジグジしていたくない。
ライラの言葉に両親はしばし考え込んでいたが、やがて首を縦に振ってくれたのだった。
ライラとユリウスの婚約はあっという間に決まり、書類も提出された。
(こ、これが本物の婚約証明書……)
自宅に届いた証明書には、ライラとユリウス、そしてそれぞれの後見人の名前がサインされ、印も捺されている。ヨアキムとはあくまでも「婚約予定」だったので、こういう書類には至っていなかったのだ。
こうしてライラはユリウスの婚約者になったのだが、結婚はかなり後になるそうだ。
バルトシェク家は貴族ではないがレンディア王国でも由緒正しい名家なので、結婚までは早くて一年なので来年の夏頃、場合によっては数年掛かることもあるそうだ。
ライラの両親は婚約後三ヶ月ほどで結婚したそうなので、偉い人は大変なのだとしみじみ思った。
……だが、それまでの間ライラは自宅にいればいいわけではなくなった。
どうやらユリウスの方が、婚約期間中ではあるがライラとの同居を熱心に望んでいるという。
(まあ確かに、もしあまり長くないとしたら、一緒にいられる時間を少しでも長くしたいと思うものだよね……多分)
手紙にはイザベラのサインと共に、「同居中は基本的にユリウスの指示に従ってもらうが、無理強いはさせない。子どもができるようなこともしない」と念押しされていた。
実際にはもっと露骨な書き方をされていたのでライラは真っ赤になってしまったが、両親は逆にバルトシェク家の誠実さを感じたらしく感心していた。どこかの男爵家次男と準男爵の娘とは大違いである。
持参金などは必要ないとあったように、婚約期間中にユリウスの屋敷で暮らす間の生活費も食費も必要物資も全て、バルトシェク家が負担してくれるそうだ。
もうここまでくると両親も受け入れるようになったようで、「もらえるものは感謝しながらもらっておこう」という結論に達した。
こうして、ライラはあの運命の夜会から半月後には、実家を離れてバルトシェク家別邸に向かうことになったのだった。