我慢できなかった大魔道士
2021年1月25日に、オーバーラップノベルスfより書籍化します
ありがとうございます!
人間には「欲求」というものがあるのだと、書物で語られていた。
食事をして腹を満たしたい、他人に認められたい、自分の夢を叶えたい、などの欲求を満たすことで、人はより上の次元へと己を高められるのだとか。
魔道の名門バルトシェク家の養子であるユリウスは少し前までは、生きることさえ精一杯の生活を送っていた。
そのため、彼が抱く欲求は「ぐっすり眠りたい」「おいしくご飯を味わいたい」「苦しい思いをしたくない」という、多くの人なら普通に満たせているものばかりだった。
だが彼は特異な体質を持つライラと出会い、彼女と一緒に寝ることによって人並みの生活を手に入れることができていた。睡眠欲や食欲などを満たせるようになった彼であるが……最近、疑問に思うことがある。
それは、彼の愛する婚約者・ライラのことだ。
穏やかな眠りに就いていたユリウスはふと、目を覚ました。まだ辺りは暗いので、起きる時間ではないことが分かる。
ユリウスの腕の中で、ライラが丸くなって寝ている。耳を澄ませると微かな寝息が聞こえて、小さな肩が上下しているのが見える。
ユリウスの胸に顔を埋めるようにしているので、このままでは寝顔を拝見することはできない。だが自分が身じろぎをしたことで起こしてしまったらかわいそうなので、ユリウスは彼女の背中に回していた腕を少しだけ緩め、肩先で流れるダークブラウンの髪をそっと撫でた。
ライラが、愛おしい。
これからもずっとずっと、一緒にいたい。
そうしているとライラがもぞもぞと体を動かして、こてん、と仰向けになった。ただ寝返りを打っただけのようで目は閉ざされていて、幸せな夢でも見ているのか唇は微笑みを描いていた。
――それを見て、ごく自然にユリウスの手がライラの顔に向かって伸び、彼ははっとした。
最近、こういうことが起こって困る。
ライラの寝顔を見ていると、不思議と胸が高鳴ってきてそわそわしてくるのだ。
ほんのり色づいた頬に触れたい。
柔らかそうな唇に指を押し当ててみたい。
小さな耳たぶを指で摘んでみたい。
これは一体どういう欲求なのだろうか、と生真面目なユリウスは思案にふける。
愛し愛されたい、という欲求に近い気もするが、なんだか違うように感じられる。
あえて名付けるとしたら、ライラに触れたい欲求だろうか。
「……ライラ」
彼女を起こさないよう、声帯を使わない掠れた微かな声でライラの名を呼ぶ。
いくら婚約者相手とはいえ、寝ていて無防備な女性に触れるのはよろしくない、とユリウスに教えたのはヘルカだ。
彼女に説教されたくはないし、ライラを困らせたくもないので、違反するつもりはない。
だが、可愛い婚約者に触れて、その温もりを感じたい。
――そうして葛藤した末に勝利したのは、欲求を叶えようとする己の本能だった。
触れるだけならきっと、ライラやヘルカも許してくれるだろう。
こくっと唾を呑み、ユリウスはライラの頬へ手を伸ばした。
胸が、どくどくと鳴っている。
こんなに緊張するのも、久しぶりだ。
そうして、自分の硬い指先がライラの頬にふにっと埋まった瞬間、欲求を満たしたユリウスの心はこれ以上ないくらいの幸福感に満たされた。
温かい、柔らかい、ライラの肌。
そっと撫でると、ライラはくすぐったそうに身をよじって、再び猫の子のように丸くなってユリウスの胸元に収まった。
可愛い。
とても可愛い。
「……ライラ、好きだよ」
まだ、起きている彼女に告げる勇気は出てこない、愛の言葉。
それを近い将来、きちんと彼女に伝えられるようにならなければ。
ユリウスはライラを優しく抱き寄せて、目を閉じた。
三度目惚れした愛しい人を、ずっとこの腕で守っていたい、と願いながら。




