3 一瞬で許可が下りてしまった
出会って一分足らずの男に求婚されたライラ・キルッカは、非常に困っていた。
「こ、困ります!」
「どうして?」
「だって、いきなり結婚なんて……」
「でも君は確か、会場で男に婚約予定を破棄されていた。ということは、今の君はフリーの身だ。ならば、僕が君に求婚する権利はあるんじゃないかな」
それまでの無口が嘘のような流暢さの三段論法で攻めてくるが、そういう話ではない。
「た、確かにそうですけど……」
「僕はこれでも、ちょっとした地位持ちだ。あのにやにや笑う男よりも、君に楽な生活をさせてあげられる」
「にやにやって……ヨアキムのことですか? いや、それはいいんですが……」
いくら結婚に焦っているライラでも、出会ってようやく二分経ったような男――しかも、見た目はかなり怖い――と結婚しろと言われてハイ分かりましたと即答できるほどではない。
(で、でも、まさか、「あなたがお化けみたいで怖いです」とは言えないし……よし!)
「えっと……お気持ちはとても嬉しいのですが、やはり結婚となると両家の当主の承諾が必要でしょう? あなたが私のどこがよくて求婚してくださるのかは分かりませんが、あなたの独断で決めるのではなく、まずあなたのご家族の方の了承がありませんと」
言いながら、我ながらうまい断り方だと自賛する。
おそらくこの青年は思いつきでライラに求婚したのだろうから、「お家の人の意見は?」と問えばきっと、我に返るはず。
すると青年は目を瞬かせてやっとライラを解放したものの、今度はそっと右手を取ってきた。
肉の厚みをほとんど感じない、骨張った大きな手に握られてびくっとする。だが、ヨアキムのような乱暴な握り方ではないので、少し戸惑ってしまった。
「……僕は君に、三度目惚れした」
「……はい?」
「それと、家族の承認だったか。では、ちょっとこっちに来てくれ」
そう言うと、青年はライラの右手を引っ張った。
彼の行く先が会場であることは、すぐに分かる。
(えっ、で、でも、この状態で?)
「あ、あの……」
「うん?」
「その、手……」
「手? ……ああ、なるほど」
立ち止まった青年は納得がいった様子でライラの右手を離し、左手を握る。
(違う、そうじゃない!)
だがライラが文句を挟む間もなく青年はさっさと歩き、とうとう会場に戻ってしまった。
それまでは薄暗い廊下やバルコニーにいたので、会場のシャンデリアの明かりが目に突き刺さってくる。
そして――ライラの耳に、自分たちを見る招待客たちがヒソヒソと言葉を交わすのが届いてきた。
――あれって、「亡霊魔道士」じゃないの?
――本当だわ。でも、手を引かれている女性って、さっきフられていなかった?
――どういうことだろう。
――どういうことかしら。
波のように押し寄せてくる声は、決してライラたちにとって好意的なものではない。ライラがフられたのはまあいいとして、この青年は「亡霊魔道士」などという名で呼ばれているようだ。
(確かに窶れていて亡霊っぽいけど……それ、本人にも聞こえるように言う?)
青年の方を見上げるが、彼は周りの声が聞こえていないのか気にしていないのか、無表情でずんずん歩いている。
きっと、彼の行く先に彼の両親がいるのだろう。そう思ってついていくライラだが、だんだん嫌な予感がしてきた。
青年は家族を探すというわりには、周りには目もくれず真っ直ぐ歩いていくのだ。
そちらにいるのは、この屋敷の――
「……伯母上」
青年が呼んだ。
その声に反応したのは、会場の一番奥にあるソファ席を一人で陣取り、大勢の貴族たちに囲まれている中年女性だった。彼女の周りにいるのはどれも、威厳のありそうな中年の男女ばかりである。
彼女が何者か、ライラは知っている。
なぜなら彼女は夜会の最初に、主催者として挨拶した人なのだから。
明るい夜空のようなコバルトブルーのドレスを纏う女性は顔を上げて青年とライラを見ると、長い睫毛を瞬かせて立ち上がった。
「あら……どうかしたの、ユリウス。……その女性は?」
「僕は先ほど、こちらの女性に求婚しました」
ユリウスと呼ばれた青年がずばっと述べた途端、女性を取り囲んでいた貴族たちがざわつき、驚愕の目でライラたちを見てきた。
「何っ!? ユリウス殿が!?」
「イザベラ殿、いかがなさるのですか?」
皆に問われ、イザベラと呼ばれた中年女性は小首を傾げた。
非常に可愛らしい仕草は中年とはいえ小柄で可憐な雰囲気のある彼女にはぴったりだが、彼女がそんな生易しい貴婦人でないことを、ライラは知っている。
イザベラ・バルトシェク。
魔道の名門バルトシェク家の女家長で、レンディア王国魔道研究所の理事。レンディア王国内でも五本の指に入る大魔道士である。
こんなに小柄で品のある淑女だが、若い頃は馬に乗って戦場を駆け、百人もの敵兵を一瞬で地に伏せさせたという。今でもその腕前は健在で、彼女が指を振れば見上げるような大男でも空の彼方まで吹き飛ばせるとか、一瞬で豪邸を燃やし尽くして灰にできるとか言われている。
そんな物騒な伝説ばかりのイザベラだが基本的に気さくで社交的な性格で、今回のように若者たちのための夜会を開いたり、平民の子どもに魔道を教える学校を作らせたりと、国内での人気も高い。国王も、彼女を非常に頼りにしているという。
(そ、そういえばイザベラ様には子女の他に、甥がいらっしゃるらしいけど……)
彼女の弟は最近亡くなったが、彼が十数年前に養子に迎えた甥がおり、伯母として可愛がっているという噂は聞いていた。
しかも、今のやり取りを聞く限り、この女大魔道士が可愛がっている甥というのが、ライラの手を握るユリウスという男なのだ。
彼は「ちょっとした地位持ち」と言っていたが、ちょっとなんてものではない。
バルトシェク家の養子になるくらいだから彼も優秀な魔道士だろうし、イザベラに可愛がられているというだけで凄まじい物件となる。
(ま、まさかそんな人だったなんて……ひっ!?)
冷や汗ダラダラで硬直していたライラは、じっとイザベラに見つめられて身を震わせた。思わずユリウスの手を握ってしまうが彼は嫌そうな顔はせず、むしろライラを慰めるようにそっと握り返してくれた。
「……あなた、名前は?」
「キ、キルッカ商会の娘、ライラ・キルッカでございます! 今宵は、お招きいただき、ありがとうございます!」
「キルッカ……もしかしてさっき、隅っこで騒いでいたアレかしら」
イザベラの呟きに、ライラはいよいよその場で血を吐くかと思った。
確かにライラもあの小騒ぎの関係者だが、むしろ被害者ではないかと思っている。だが、バルトシェク家の夜会で余計なことをしたのは確かだし、イザベラがそんなライラを罰したとしても誰も文句は言えないだろう。
(父さん、母さん……ごめんなさい。私、今夜死ぬかも)
魂を飛ばすライラと、無言でライラを見つめるユリウス。そしてざわざわしっぱなしの貴族たちを順に見たイザベラは、すとんとソファに腰を下ろしてワインを一口含んだ。
「……そう。さては……ライラ・キルッカ、こちらへ」
「は、はい……」
「大丈夫。いきなり殺したりなんかしないから、そんな顔をしなさんな」
心の声がばれていた。本当に殺されるかもしれない。
酩酊状態かのようにふらふらするライラを、ユリウスが支えながら伯母のところに連れて行った。ユリウスに促されてライラが手を差し出すと、イザベラのひんやりした手が触れ、少しびくっとしてしまう。
「……。……ふーん、そう。なるほど……そういうことなのね、ユリウス」
「そういうことです」
「だからあなたは、この人に求婚したのね?」
「はい、三度目惚れしたので」
「なるほど」
二人の間だけで、会話を完結させないでほしい。
やがてライラの手を離したイザベラは、もう一口ワインを飲み、口を開いた。
「いいでしょう。結婚なさい」
嘘だろう、とライラの心が叫ぶ。
「ありがとうございます、伯母上」
「とはいえ、彼女にとってあまりに急のことで、驚かせてしまっているわ。……ライラ・キルッカさん」
「はいっ!?」
「甥があなたに求婚したことに関して、わたくしとしては何も異論はありません。ただ、どうもあなたの意見を聞けていないようですし……今すぐに返事をしろ、とは言いません。後ほど手紙をしたためますので、ご家族と共にゆっくり検討してくれれば十分です」
イザベラのおっとりした口調に、ライラは目を回しそうになった。
イザベラほどの者なら、「甥がこう言っているのだから、結婚しろ。断れば命はない」と脅しても誰も文句は言えない。
それなのに彼女はいち商家の娘でしかないライラに、時間を与えてくれた。
(……こうなったら、絶対に「嫌です」とは言えない……)
色々な意味で相手に不安はあるが、結婚を急ぎたい気持ちは確かだ。非魔道士の平民ごときが魔道の名家に嫁入りだなんて正気とは思えないが、おそらくイザベラにも何らかの思わくがあるのだろう。
(それなら、私がするべき返答は……)
「……かしこまりました。イザベラ様のお気遣いに、心より感謝します」
「どういたしまして。よい返事を待っていますからね」
イザベラは笑顔で言うが、その笑顔もどこか怖いと感じてしまうライラだった。