29 嫉妬と我が儘
庭の広葉樹がすっかり葉を落とし、吹き付ける風がいよいよ寒くなってきた頃。
ユリウスは再びパーティーに参加することを、ライラに伝えた。
「今度の会場は……リスト将軍の邸宅?」
「そう。将軍は魔道軍の大将で、リスト家は貴族ではないけれどバルトシェク家と並ぶ魔道の大家として知られている。僕の養父は若い頃、将軍の右腕として活躍していたそうなんだ」
招待状に目を通したライラは、しげしげとユリウスを見つめる。
「ユリウス様のお養父様は、魔道軍に所属していらっしゃったのですね」
「そうだよ。養父はミアシス地方国境戦にも従軍して、その時に僕を拾ってくれたんだ」
「あ、なるほど」
「リスト将軍は養父が軍を退いてからも懇意にしてくださっていたし、僕も魔法の訓練をしてもらったことがある。そんな将軍の六十歳の誕生日会ということだから、是非参加したいんだ」
ライラは頷いた。
リスト将軍の邸宅は王都にあるそうだから、前回のバルトシェク家のパーティーと同じく、泊まりがけになる。となると、ライラの存在は必要不可欠なのだ。
「分かりました。私も参らせていただきます」
「うん。バルトシェク家の時もそうだったけど、僕の可愛い婚約者を皆に自慢したいからね。リスト将軍は僕たちの婚約の際にもお祝いの手紙をくださったから、是非ライラのことを紹介したいんだ」
「そ、そういうことでしたら」
さらりと告げられた言葉の中には少し恥ずかしい台詞も混じっており、ライラはもじもじと指先をすり合わせた。
(ほ、本当にユリウス様の不意打ちは、心臓に悪い! ご本人に自覚がないのが一番厄介だし……)
「あ、そうだ。この夜会は、どれくらいの規模になるのですか?」
「魔道軍の関係者を中心に、かなりの人数の貴族が集められるはずだよ。そうだね……五百人はいるかも」
「五百人!?」
思わず声がひっくり返ってしまった。
これまでライラが参加したことのある夜会は最大でも百人規模程度で、それでも人が多いと感じていたくらいなのに。
(まず五百人を収容できるホールがあるってのがすごいし……お城じゃなくて屋敷なんだよね? 将軍ってすごい……)
「……軍事関係者なら、やはり男性のお客様が多いのでしょうか」
「リスト将軍の部下となるとやはり男性が多いけれど、その家族や普通の貴族も招かれるから、最終的には男女比は同じくらいになると思うよ。あと、魔道軍の優秀な若手と結婚したがる女性もいるだろうし、そういった人にとっては出会いの場所になるだろうね」
「……そう、ですか」
ユリウスの言葉に、つきん、とライラの胸が少しだけ痛んだ。
若手と結婚したがる女性。
つまり、妙齢の貴族の娘たちだ。
(そういう人たちは、ユリウス様を見てどう思われるかな……)
この前の地方都市でまざまざと思い知ったことだが、ユリウスは目立つ。
そして、女性にモテるのだ。
地方都市の女性たちはさすがに大魔道士においそれと近寄ろうとしなかったが、貴族の女性はそうでもないはず。たとえライラが側にいたとしても、ユリウスを見れば恋に落ちるのではないか。
そしてユリウスは紳士だから、どんな人に対しても丁寧に応じるはず。
きれいな女性が彼に声を掛け、社交辞令とはいえ女性に笑顔を向けたりしたら――
(……だ、だめだ。こんなことを考えるなんて、婚約者失格だ!)
婚約者が人気者なのは、ライラとしても喜ぶべきことだ。
あなたの婚約者はとても素敵だ、と言われればライラも嬉しいに決まっている。
……それなのに。
「……ライラ?」
ライラが沈黙しているからか、ユリウスが声を掛けてきた。
慌ててライラは顔を上げ、今の自分にできる精一杯の笑顔でユリウスに応じる。
「はい。何でしょうか?」
「……ライラ、こっちに来て、座って」
こっち、とは、デスク前の立派な一人用椅子に座るユリウスのところだ。
いつもティータイムを楽しむ二人掛けソファならともかく、小さめの椅子にライラが座れる余地はない。
(……何だろう?)
不思議に思いつつデスクを回ってユリウスの隣に立つと、彼はライラの腕を引っ張って抱き寄せ、そのまま片腕でひょいっとライラを抱えて自分の膝の上に引き上げてしまった。
魔法なんて使っていないはずなのに、一瞬の早業。
ぽかんとしている間にライラは、ユリウスの膝の上で彼と向き合うように座らされていたのだった。
(……ひっ……!? ひえぇぇぇ!?)
「やっ! ちょっ、下ろしてください!」
「だめ。……ああ、こうするとライラの顔を見上げられるね。真っ赤になった顔、すごく可愛い」
「やだ、見ないでください! わ、私、重いから、下ろしてください!」
「別に、重いとは思わないけれど? ほら、ちゃんと座って」
そのままぐいぐいと肩を押さえられ、思いの外強い力に抗うことができず、内股に力を入れて踏ん張っていたライラもついにすとんとユリウスの膝の上に着地してしまった。
(は、恥ずかしっ……!)
いつもならライラを見下ろすユリウスが今は彼女を少し見上げる形になっており、腰に回された手にがっちり捕らえられているのでこれ以上身動きできない。
思わず顔を手で覆ってしまうライラだが、耳元にしっとりした声が吹き込まれた。
「……さっき君は、何を考えていた?」
「……えっ?」
「君はさっき、辛そうな顔をしていた。……僕の言葉で何か、気に入らないところがあった? やっぱり大規模な夜会には行きたくない?」
心配そうに問われ、ライラはほろりと手を下ろす。
先ほど感じた胸の奥の揺らぎを、ユリウスに感じ取られてしまっていた。彼がライラを逃がすまいとしているのは、ライラが落ち込んだ理由を知りたかったから。
(……だめだな、私。隠し事が下手で、逆にユリウス様を心配させるなんて)
「……夜会には、行きます。ちゃんとあなたの婚約者としてのおつとめを、果たします。……ただ」
「ただ?」
「……勝手に思いこんで、勝手に嫉妬してしまったんです」
先日の地方都市で、さまざまな年代の女性がユリウスに魅入られていたこと。
貴族の女性なら、もっと積極的にユリウスに迫ってくるかもしれないこと。
もしユリウスが彼女らに紳士的に対応したら、嫉妬してしまいそうなこと。
ぽつぽつと語るライラを、ユリウスは穏やかな目で見ていた。そうしてライラが言葉を切り、気まずくて視線を逸らしていると彼は「分かった」と決意したように頷く。
「それじゃあ、リスト将軍の屋敷で僕は、女性とは絶対に喋らない」
「えっ、それはまずいでしょう!?」
「でも、僕が女性客と挨拶をしたらライラは辛い思いをするんだろう? それなら別に、声を掛けなくていいし」
「だ、だめです! あの……すみません。さっきの、忘れてください。……私の、ただの我が儘なので」
ライラが嫉妬するからといってユリウスが女性客を突っぱねたりしたら、悪評が立つかもしれない。
今になって正直に言ったことが悔やまれてライラが黙っていると、ユリウスの指がライラのダークブロンドをそっとかき撫でた。
「僕は、嬉しいよ。ライラが、嫉妬してくれたんだから。僕は君にこんなに愛してもらえているんだな、って実感できて……嬉しく思ってしまった。僕の方こそ、ごめんね」
「そっ! そんな、こと……」
「ライラ、辛いと思うこととか、嫌だと思うこととかは、言ってほしい。もちろん、君のお願いを全て叶えられるわけじゃないけれど……それでも、僕は君の言葉が聞きたいんだ」
髪を撫でていた指先が滑り、頬に触れる。
地方都市で数多の女性を虜にした眼差しは今、ライラだけに向けられている。
「君が言うなら、女性客とも普通に話をするよ。……でも、僕は絶対に君以外の女性に触れないし、靡いたりもしない。君が辛いと思うことがないよう、努力する」
「ユリウス様……。……ごめんなさい」
「ほら、謝ったらだめだよ。……ね、ライラ。顔を上げて」
とろりと優しい声に促され、ライラは顔を上げた。
首の後ろに添えられた手に引き寄せられて身を屈めると、「目を閉じて」と囁かれる。
期待でどきどき鳴る胸の鼓動にかき消されそうなほど微かな音を立てて、唇が重なりあった。
離れる時、ほんの少し唇の皮が名残惜しそうに引っ張られた感触がして、無性に恥ずかしくなってくる。
「……顔、赤いね」
「だっ……誰かがキスするからですっ!」
「ふうん? ……その誰かは、もっと君の恥じらう姿を見たいと思っている……って言ったら、怒る?」
「今言いましたよね!? べ、別に怒りませんけど……」
「ふふ、ありがとう」
余裕たっぷりに笑われると悔しくなってきて、ぷいっとそっぽを向く。我ながら可愛らしくない動作だと分かっているがますますユリウスの笑みは深くなり、頬に軽くキスされた。
ユリウスにキスされるのが、大好きだ。
唇にする時は、つんと触れるように。
頬にする時は、押し当てるように。
うなじや首筋にする時には、軽く音を立てて。
彼の愛情を感じられるこの時間が大好きで、だからこそ愛しい婚約者を独り占めしたい、というおこがましい願いを抱いてしまう。
「……私、夜会できちんと振る舞います。みっともなく嫉妬したりしないし、あなたの邪魔もしません」
「……」
「でも……二人だけの時は、私だけのユリウス様で、いてくれませんか?」
ライラにとって精一杯の、おねだり。
真っ赤になってふるふる震えながらねだられたユリウスは、一瞬目を丸くした。息を呑み、なぜか喉の奥から苦しそうに「んんっ」と唸る声が聞こえる。
「……それ、反則。僕だって、君を独り占めしたい。きれいに着飾った君も一生懸命背筋を伸ばす君もお菓子を食べる君も、誰にも見せたくない」
「……ヴェルネリやヘルカもだめ、ですか?」
「ヴェルネリやヘルカもだめ、だ」
「えー……」
「それくらい、僕も君のことが大好きなんだよ。……いつも僕の側にいてくれて、ありがとう。夜会も、よろしくね」
優しい声で言われ、ライラはもうっと軽くユリウスの背中を叩いてから、彼の額にこつんと自分のそれをぶつけた。
「私こそ。よろしくお願いします、ユリウス様」
「……ふふ。可愛い婚約者のためなら、ね?」
抱きしめられ、ちゅっと頬にキスをもらう。
(……それは、私も同じ)
彼のためだから、ライラも頑張ろうと思えるのだ。




