26 城塞都市にて①
数日後、ライラは外出用のドレスを着ていた。
夜会に行くのではなく地方都市への出張なので、一般市民の女性が着るワンピースを少しおしゃれにした程度のものだ。少し歩くことになるので靴もヒールが低めのショートブーツにし、頭頂部にちょんと載せてヘアピンで留めるタイプの小さな帽子を被る。
(考えてみると、四人で出かけるのはこれが初めてだな……)
普段は魔道研究所の制服であるローブ姿のヴェルネリとヘルカも、いつもよりは動きやすそうなジャケットとスラックス、ワンピースに着替えていた。それでも魔道研究所の関係者という証明は必要らしく、研究所の紋の入ったマントを上から羽織っている。
ユリウスは冬の私服姿だが、先日届いた新しい灰色のジャケットはユリウスの体型にぴったりで、結わえた髪の房を肩に垂らす様はなんとも絵になる光景だ。
ユリウスとヴェルネリが留守番係の魔道士に言付けをしたところで、いざ出発、であるが。
「……馬車、馬がいませんね」
「要らないよ。空を飛んでいくから」
「えっ?」
屋敷の前で待機しているバルトシェク家家紋入りの馬車には、馬が繋がれていない。
御者もいないしどうしたのだろうと思っていたライラは、ユリウスの言葉に目を瞬かせる。
(空を……?)
「飛ぶのですか? 馬車が?」
「うん、そっちの方が速いし、ロマンチックだと思って」
笑いながら言ったユリウスはライラの手を取り、馬車の方へ導いた。荷物を持ったヘルカも後に続き、御者台にはヴェルネリが座る。
(魔法で飛ぶってこと? 馬車、重そうなのに……)
車体だけでも重量があるし、そこにさらに男女四人分の体重が加算される。
ライラは窓枠に手を掛けてそわそわと外を見ていたが、御者台の方でヴェルネリが出発を宣言するとユリウスとヘルカが片手を挙げ、ふわっと温かい風が車内に満ちた。
そして――
「わっ、浮いてる!?」
重そうな車体が揺れることなく浮上し、周囲の木々を越え、すぐに屋敷の屋根も越え、のどかな田園地帯が一望できるほどの高さまで浮き上がり、真っ直ぐ東に向かって飛び始めた。
そうするとユリウスとヘルカは腕を下ろし、「後は着陸まで、ヴェルネリに任せよう」ということになった。
「この調子だと、町に着くまで三十分くらいかな。……どう、ライラ?」
「……な、なんだかすごいです!」
ユリウスはけろっとして言うが、ライラは車窓から見える光景から目が離せなかった。
秋晴れの空がいつもより近く見え、青白い山脈が目線より下に広がっているかのよう。
馬車はかなりの速度で飛んでいるようで、眼下を秋の作物が植えられた畑や牧草地、牛の放牧場や肩を寄せあう集落などがどんどん過ぎ去っていく。間違いなく、普通の馬車よりも圧倒的に速い。
「魔法でこんなこともできたんですね……初めて知りました!」
「うん。王都に用事がある時は、飛んでいくと撃ち落とされる可能性があるからやめておくけど、地方に行く時は専らこうして飛んでいくよ」
確かに、王都の空をこんなものが飛んでいたら、魔法で撃墜されるだろう。魔道士であるユリウスたちならともかく、ライラなら一撃必殺間違いなしだ。
ヴェルネリの魔力が安定しているからか、車体はほとんど揺れずに飛んでいく。
「……ヴェルネリの魔力、すごいんですね」
「僕の方がすごいよ。僕なら頑張れば、うちの屋敷を浮かせられるし」
「……そんなところで張りあわないでください」
ヘルカに冷静に突っ込まれるが、ユリウスはライラがヴェルネリを褒めたのがちょっと気にくわなかったようだ。
窓枠に貼り付いたままのライラの腰に腕が回って右肩に彼のあごがとんっと載ったため、ライラはびくっと身を震わせた。
「な、何ですか!?」
「……今日のライラのこの辺、甘酸っぱい匂いがする。香水?」
この辺というのは、ユリウスがすんすん鼻を鳴らしているライラの首筋のことだろう。確かに今朝、ヘルカが買ってきてくれた新作の香水をそのあたりに付けていた。
「は、はい。柑橘類のいい匂いがするってことで……」
「そっか。……ライラの匂いと混じって、すごくおいしそう」
「た、食べないでくださいね!?」
「食べないよ。……食べないけど、町に着くまでこうしていたいな」
「……」
「……だめかな?」
請われ、ライラはちらっと横を見た。
ヘルカは持ってきていた小説を開いており、こちらには目もくれていない。気遣いのできる彼女に感謝である。
「……到着するまでなら」
「ありがとう、ライラ」
笑う声は少年のように爽やかなのに、ふうっと首筋に息を吹きかけられるものだからライラはまたしても体を跳ねさせてしまう。
……実は首の後ろはものすごく弱い場所なのだが、絶対にユリウスには知られないようにしよう、とライラは心に刻み込んだ。
ユリウスの読み通り、屋敷を出発して四半刻ほどで馬車は高度を落とし始め、ユリウスとヘルカの補助のもとゆっくり着陸した。
そこは城塞で周囲をぐるりと囲まれた地方都市で、レンディア王国では東のオルーヴァ王国と最も近い町ということもあり、急襲にも備えられるよう魔道軍も常駐しているそうだ。
ライラたちの訪問は先に知らされていたようで、町の前に着陸した時には既に、巨大な門の前に魔道士らしき人々が待ちかまえていた。
「さ、降りよう。大丈夫、胸を張って」
「はい……」
ユリウスに手を取られ、ライラは馬車から降りた。出迎えの者たちはさっと一礼したが、多くの者たちがユリウスの姿を見て一瞬瞠目したことにライラは気付いていた。
バルトシェク家のパーティー以外でユリウスが多くの人の前に現れたのは、これが初めてかもしれない。魔道軍の者も、記憶の中にあるのは痩せ衰えたユリウスの姿だろうから、今の彼を見て驚愕するのも当然のことだ。
「皆、出迎えありがとう。今日はよろしく頼む」
ユリウスが朗々とした声で挨拶すると、皆も礼で返事をする。
彼らの作る花道を通った先には町の責任者らしい中年の男性がおり、ユリウスが挨拶をすると嬉しそうに頬をほころばせた。
「ユリウス様、心より歓迎いたします! お体の調子はいかがで?」
「こちらにいる婚約者のおかげで、すこぶるいい。……紹介する。僕の婚約者の、ライラ・キルッカだ」
「ライラでございます。よろしくお願いします」
ライラがスカートの裾を摘んでお辞儀をすると、責任者は「キルッカ……ああ、商会の!」とピンときたようだ。
「ユリウス様の幸せそうなお顔を拝見できて、嬉しく思います。……さ、こちらへ」
「ああ、案内よろしく」
自分よりずっと年上の相手に対してもユリウスは堂々としており、それでいて相手を見下したりせず悠然と対応する横顔は、本当に惚れ惚れとしてしまう。




