22 あなただけの魔道士②
「……君は、とても素敵な人だ」
「そ、そうですか?」
「うん、僕にはもったいないくらい……でも、もったいないからといって、他の人に譲ったりはしない。君は、僕の婚約者で、将来僕の花嫁になる人だ」
僕の花嫁、という言葉にライラの体が跳ね、どうしようもなく恥ずかしくなってくる。
ユリウスはそんなライラを愛おしげに見つめると、「ねえ」と耳元で囁いた。
「君が側にいてくれたら、僕は魔力過多に悩まずに済む。でもそれだけの理由だったら、僕は君に求婚したりはしなかっただろう」
「……えっと、それは?」
「覚えている? 僕は君に三度目惚れしたんだ、って言ったこと」
そういえば、初対面の時にそんなことを言っていた気がする。
だが当時のライラはそんな言葉の一つについて冷静に考えられる状態ではなかったし、「三度目惚れ」という謎単語についても、今言われるまでずっと忘れていた。
「い、一応覚えています。あの、三度目ってことは……?」
「……一度目は、伯母上主催の夜会で婚約予定者にあんまりな扱いをされても、凛として前を向いていた君を見た時。ああ、この女性はとても強くて、でも弱い人なんだな、って思ったんだ」
主催者の甥でありながら「亡霊魔道士」と影で呼ばれるユリウスは、あの場で一部始終を見ていた。
そして婚約予定を破棄された側でありながら周りの者への礼節を欠かず、会釈をしながら会場を出て行くライラを見て、言い様もなく興味を惹かれたそうだ。
「その後、僕は調子が悪くなって席を外し、バルコニーで君を見かけた。すぐに、さっき会場で見た女性だと分かったけど……夜空を見上げる凛とした君の横顔はとても美しくて、見惚れてしまった。傷心中の女性を覗き見するのはよくないから、本当はすぐに回れ右をしようと思ったんだけど、足が動かなかった」
ぼろぼろと泣いていたら、ユリウスも慌ててきびすを返しただろう。
だがライラは泣かず、じっと己の感情を整理させて気持ちを切り替えていた。
「流星の下で微笑む君を見て、二度目惚れした。その後君とぶつかって抱き留めた時、僕の魔力が吸い取られるのを感じて……この人がほしい、と本能的に思った」
「私が、ほしい……」
「その時が、三度目惚れ。……でも一度目と二度目がなかったら、僕はさすがに君に求婚はしなかっただろう。代わりに、うちで働かないかとか、そういう誘いをしたかもしれない。でも、僕の問題を解決する力があり、一度ならず二度も僕の心を奪った女性となると――何としてでも側に置きたい。僕を支えてほしい。妻として迎えたい――そう思ったら、求婚していた」
なるほどそういう意味での三度目惚れか、と納得する一方で、いやそんなのアリなのか、と驚く心がライラの中でせめぎあう。
あの謎の「三度目惚れ」の意味は分かった。
それに、当時の彼の精神状態などを鑑みれば、手放したくないし好ましいと思っている存在だから求婚する、という気持ちも分からなくない、多分。
つまり、ユリウスがライラに求婚したのは便利だからという理由だけではなかった。
ライラだからほしい、と思ってくれていたのだ。
ライラがゆっくりまばたきしていると、ふと思い出したようにユリウスが話題を変える。
「そういえばさっき伯母上に、婚前交渉はだめだということを念押しされたんだ」
(あっ、やっぱりそうなのねー!)
ユリウスの返答内容でなんとなく予想はしていたが、まさにその通りだった。
ライラが強張った笑みを浮かべると、ユリウスはくすくす笑って身を離し、両手でライラの肩に触れた。
「でも……伯母上の命令に背かない程度のことなら、してもいいよね?」
「ぐっ、具体的には!?」
「……君が好き、ということを口にしても、いいかな?」
ユリウスの真剣な問いかけに、ライラは固まる。
一秒、二秒、答える言葉に窮し――
(……えっ? 今、もう言ったよね?)
だが真剣な様子のユリウスに突っ込むのは野暮に感じられ、「……いいです」と許可を下す。
するとユリウスはほっとしたように破顔し、ライラの肩に触れていた手をするすると下ろしてライラの手を握り、指と指を絡めてきた。
「僕はきっと、君に四度目惚れした。……僕よりか弱いはずなのに強くて、眩しくて、僕を癒してくれる君のことが……好きだ。大好きだ」
ユリウスの言葉がライラを包み込み、じんと体中を痺れさせる。
大きな手がすっぽりとライラの手を覆い、長い指がライラの短い指を絡め取る。
「僕の魔法を好いてくれて、本当に嬉しい。でも……僕のことも好きになってくれたら、もっと嬉しいと、欲張りな気持ちになってしまうんだ」
「えっ……あ、あの……」
「うん」
ユリウスは穏やかな顔で、ライラの言葉を待つ。
ライラは確かに、ユリウスが見せてくれる優しい魔法が好きだ。
だがそれは――大好きな魔道士が見せてくれる魔法だから、いっとう好きになれるのだ。
他でもない、ユリウスが見せてくれるから。
彼が与えてくれるから、好きになれる。
「……魔法だけじゃなくて、私……もうとっくに、あなたのことが、すっ、す……好き、ですっ……」
「ライラ……!」
ここ二ヶ月で一番の、ユリウスの明るい声が聞こえる。
だがその顔を見ていられなくて、ライラはぷしゅうと煙を上げているかのような顔を伏せ、わなわな震えていた。
(い、言っちゃった! いや、本当に思っていることだから、別にいいんだけど!)
「本当に……僕のこと、好きでいてくれるの?」
「そ、そうです! 私だって……ちょっとぼうっとしているのにやる時にはやるし、紳士的だし、なんだかんだ言って真面目だし、私のお菓子をおいしそうに食べてくれるあなたが……好きなんです!」
最後にはヤケになってしまい、ライラはぶるぶる震えるとユリウスの手の中から引っこ抜こうとしたが、掴まれた手はびくともしない。
「あれっ!?」
「ライラやヴェルネリのおかげで、最近は筋力も付いたみたいなんだ。だからこうして……君を僕だけの存在にできる」
「ひえっ」
ぐいっと腕を引っ張られ、気が付いた時にはユリウスの腕の中。
頬にぴったりとくっつけられた彼の胸元は、まだ肉が薄めではあるがもう骨と皮ではなくなっており、頼もしささえ感じられる。
好きだ、と言ってくれた人に、抱きしめられている。
そんな彼のことを好きだ、と思っているライラは、胸元から香る彼の匂いにくらくらしてしまいそうで、シャツにしがみつくことしかできない。
「っ……いきなりこんなに積極的になるなんて……ずるいです……!」
「うん、ごめん。僕、ずるいし面倒くさい男だから」
それを自分で言うのはいかがなものなのだろうか。
ライラがむっと頬を膨らませて見上げると、ヘーゼルの目が嬉しそうに弧を描き、ライラの耳朶に触れるように唇が寄せられる。
「ライラ……キスしたい」
「ひょっ……!?」
「いい?」
そんな、捨てられた子犬のような目で見ないでほしい。
絆されて、「いい」としか言えなくなってしまうから。
だが、ライラがびしっと体に緊張を走らせたのも一瞬のことだった。
掴んだままだったユリウスのシャツをぐっと握り、羞恥と緊張で爆発しそうな頭を必死に動かす。
「……こ、こちらこそ、お願いします……!」
いいかだめかで返事をするのではなく、ライラの方からもキスをねだる。
一瞬虚を衝かれたようにユリウスの目が見開かれ、やがてやられたと言わんばかりにくすっと笑った彼は、とろりとした声でライラの名を呼んだ。
「大好きだよ。……僕の、僕だけの幸福の魔道士。僕の、未来のお嫁さん」
「……私も、大好きです。私の、未来の旦那様」
囁いた声は直後、薄い唇によって封じ込められた。
ほんの一瞬、鳥の羽根が触れたかのような微かな感触を残し、熱が離れていく。
互いの顔を見合わせた二人はどちらからともなくくすくすと笑い始め、抱きあったままベッドに転がった。
その夜二人が見たのはどちらも、とても幸せで優しい夢だった。




