1 夜会での小騒動
きらびやかなシャンデリアの明かりがホールを照らし、着飾った人々が談笑する声が漣のように広がる。
テーブルには歓談の間につまめるような軽食や飲み物が並べられているが、磨かれたグラスに注がれたワインなどは、飲食物ではなく宝飾品の一つであるかのように輝いている。
魔道文化の花開く、レンディア王国。その王都に複数の邸宅を構えるバルトシェク家は魔道の名門で、女主人が開催したこの夜会に招待された者たちは相応の身分を持つ者たちばかりである。
ただし、バルトシェク家女当主が今回主に招待したのは、二十代前後の若者たちだ。貴族もいれば、裕福な市民もいる。魔道士もいれば、非魔道士もいる。
普段はどうしても、身分や才能によって住む世界を制限されてしまう若者たちをここで引き合わせ、幸福な巡り会いが起きれば、という女当主の粋な計らいによって集められた男女は、期待と緊張で胸を膨らませているようだ。
会場は専ら和やかな雰囲気に包まれているが――ホールの片隅では、ちょっとした諍いが勃発していた。
「……どういうことなの、ヨアキム、カロリーナ」
呆然と呟く女は、自分の目と同じ紫色の大人びたドレスを纏っている。貴族の娘と比べると装飾が少なくシンプルなので上流市民階級だろうと予想が付くが、その仕立ては上質だ。
そして彼女自身も背筋を真っ直ぐ伸ばしており、肩の下で切りそろえたダークブロンドの艶やかさも見事だ。淑女にしては体格はいい方だが、市民階級の娘らしい健康的な体付きだと言えよう。
そんな彼女は顔を強張らせ、自分と向き合う男女を軽くねめつけていた。それもそうだ。
男の方は、彼女の婚約予定者。そして彼の腕にしがみついて緑色の目を潤ませる金髪の美少女は、学院時代の友人なのだから。
「悪い、ライラ。カロリーナに子どもができたんだ。……ほ、ほら、うちの兄夫妻にはなかなか子が生まれないだろう? だから父上も大喜びで、カロリーナと結婚しろと……」
「ごめんなさい、ライラ。私、どうしてもヨアキムと結婚したいの」
男の方は弁解するように言うが、言葉のわりに表情はまんざらでもなさそうだ。そして女は可憐な声で必死に訴え、空いている方の左手で自分の腹部をさすっている。
そういえば、今日は彼女にしては珍しく、ふわっとしたドレスを着ていると思っていた。
二人に対するライラはぴくっと唇の端を引きつらせた後、握っていた扇をさっと開いて口元を隠す。
そうでもしないと、怒りと屈辱で歪む口元を見られてしまうからだ。
「……ということは、このことはカントラ男爵もご了承なのね」
「あ、ああ。それに、ほら、俺たちって一応『婚約予定』なだけだろう? 別に婚約誓約書を書いたわけじゃないし、そもそも俺たちって家同士の都合で話を付けたわけじゃん?」
「ヨアキムは、お金のためにライラと結婚しなければならなかったのでしょう? それはあんまりだわ。ヨアキムも、私と出会って初めて恋を知ったと言ってくれたし……」
二人の言葉は、ライラの耳をするすると通過していく。
確かに、その通りだ。
ライラの実家キルッカ家は裕福な商家で、対するヨアキムの実家カントラ男爵家は一応爵位持ちだが金に困っている。
キルッカ家は、貴族との縁を持ちたい。カントラ家は、金がほしい。
だから、ライラとヨアキムの婚約が持ち出されていたのだ。
愛情ではなく利害関係が一致したから結婚するというのは、決して珍しいことではないし、詰られることでもない。
だが――金目当てより、愛情があるから結婚する、という方が世間の受けがいいというのも、事実だった。
それに身分差で言うと、端くれとはいえ貴族であるヨアキムの実家の方に軍配が上がる。
男爵が「婚約予定を破棄する」と言えば、キルッカ家はそれを受け入れるしかない。婚約予定も所詮口約束なので、訴えても勝てる見込みは少ないのだ。
ライラは、ぎゅっと拳を握った。
カロリーナのお腹には、ヨアキムの子がいる。孫を欲する男爵からすれば、カロリーナは何としても手放したくない人物だろう。
ライラや両親では、男爵に刃向かうことはできない。
それならば――
「……そう。そういうことなら……分かったわ」
「ライラ……!」
「ありがとう、ライラ!」
二人はぱっと笑顔になるが、ライラの口元は忌々しげに歪むばかりだ。
別に、おまえたちのために承諾したのではない。それどころか、二人の結婚を祝福するつもりもないと、その瞳は雄弁に語っているのだが、ふわふわ幸せに浸る二人には伝わらなかったようだ。
「ああ、そうだ。この場に君の父君がいらっしゃるだろう? 俺の方からきちんとお断りをしておくよ」
「それがいいわ、ヨアキム。あっ、ライラ。結婚式もする予定だから、来てね!」
誰が行くか、と扇で隠れた唇が無言で吐き出し、しかしライラはにっこりと微笑んで扇を閉ざした。
「それはまた、後日考えるわ。……では、ごきげんよう」
「ああ、またな!」
「ライラも結婚する時には、私たちを呼んでね! 絶対よ!」
ライラはその声には反応せず、早足で会場を後にした。
途中、すれ違った人々に軽く会釈をし、お目汚ししたことを謝りながら歩くライラの背中には、一部始終を見ていた者たちがヒソヒソ噂する声が掛かっていた。