18 ライラの悩み
夜になるとヘルカが戻ってきて、食事の後で入浴の時間になった。
(いやー……それにしても、魔法って便利だなぁ)
風呂に入るたびに、ライラはいつでもほかほかの湯が満たされた湯船に感心してしまう。
これはライラ用の浴槽で、いつもヘルカが最適な温度の湯を準備してくれている。水さえ入れれば、後は魔法を使えば一瞬で温められるのだ。
(……あれ? そういえば私、ヘルカやヴェルネリの魔法はよく見るけれど、ユリウス様が魔法を使うところはあまり見ないな)
大魔道士ということだから、ヴェルネリたちよりずっと高度な魔法を使えるのだろう。最近彼はヴェルネリを伴って外出することが多く、どうも近くの町で困り事があったら魔法で助けに行くそうなのだ。
だがライラがユリウスの魔法らしいものを見たのは、初めての夜に寝付く際に眠りの魔法を掛けてもらった時くらいだ。
(一度魔法を見てみたいけど……無理は言えないよね)
そう思いながら服を脱いだライラだが、ふと、鏡に映る自分の姿を見てみる。
中肉中背。身長は、ユリウスの前に立つと彼のあごの下にすっぽり入るくらい。
残念ながら胸はそれほど大きくなく、腰がものすごくくびれているわけではない。ただ母曰く、母方の女性に多いように尻は大きめらしい。
(うーん……もうちょっと、痩せるべきかな?)
そう思ってタオルの準備をしていたヘルカに相談したところ、彼女はさっと振り返って目尻を吊り上げた。
「……まさか、あの無礼者に何か言われたのですか?」
「ぶれ……い、いやいや、ヴェルネリは何も言っていないわよ。ただ、ユリウス様の隣に立つことを考えると、もうちょっと痩せた方がバランスが取れるかと思って」
「そのようなバランス、考える必要はありません」
いつもならもう少しやんわりとライラの言葉に応えるヘルカだが、今回は語気が強めだ。
ライラが目を丸くしていると、ヘルカははっとしたように息を呑んだ後、タオルを持った手でそっとライラの背を押してきた。
「ライラ様は今のままで十分魅力的です。さ、お湯に浸かってきてください」
「……」
「あら、それともわたくしがお背中を流しましょうか?」
「自分で入ります!」
(そ、そういえば最初の頃、ヘルカは私の体を洗うって言って聞かなかったっけ……)
ヘルカは「名家の夫人なら、こういうものです」と主張し、ライラは「恥ずかしいので結構です」と遠慮し、最後にはライラが勝って今に至るのだ。
だがライラが今回のように風呂に入るのをぐずっていると脅し文句として使ってくるので、慌てて浴室に行くしかない。
(魅力的……うーん……そうかな……)
腹の肉を摘みつつ、ライラはため息をついたのだった。
ライラが浴室で湯を流し始めた音を確認し、ヘルカはさっと身を翻して廊下に出た。
「ヴェルネリ、ちょうどいいところにいたわ」
「……何だ。今は、ライラ様の湯浴み中ではないのか」
「あなたに依頼よ。ユリウス様がライラ様のお体についてどのように思ってらっしゃるのか、聞いてきなさい」
「は?」
同じくこれから湯浴みをするユリウスのためにタオルを抱えていたヴェルネリは、同僚の言葉に瞠目する。
「……わ、私にそのような破廉恥なことを聞けと言うのか!?」
「あ、そう。それじゃあ恥ずかしがり屋なヴェルネリの代わりに、わたくしが伺ってくるけど、いい?」
「私が行く。おまえはライラ様のお側にいろ」
「ええ、よろしく」
チッという舌打ちを背中に、ヘルカは軽い足取りで浴室前に戻る。
「……これで少しは、ライラ様のご心配が解消されれば」
ヘルカの呟きは、ライラが湯を流す音にかき消された。
ヘルカを伴い、ユリウスの寝室に向かう。
たいていそこにはユリウスしかいないので、付き添いのヘルカにもここでおやすみを言って、ライラは一人で寝室に入る。
「お待たせしました、ユリウス様」
「うん、どうぞ」
明かりがほのかに灯るユリウスの寝室は、もはやライラにとっての寝室でもある。
ここに来て一ヶ月経つが、ライラが自分の部屋のベッドを使ったのは二回ほど。月のものが来てどうしても腹の調子が悪く、就寝中にユリウスに迷惑を掛けると思った時のみだ。
その日は寝る前にぎゅっと抱きあって魔力を吸収し、朝になったらすぐにまた抱きあうことで魔力過多にはならずに済んだ。
女性の体に疎いユリウスだがライラの体調を気遣ってくれて、「体が辛い時は無理しなくていいから」と言い、ヴェルネリもそれに従ってくれるのでありがたかった。
毎日ヴェルネリが整えているベッドは皺一つなく、そこにユリウスと並んで腰掛ける。寄り添うことで、ライラが使っているものとは違う石けんや洗髪料の匂いがするのだが、ライラはこの匂いが好きでいつもついくんくん匂ってしまうのだ。
(……そういえば最近、ユリウス様の髪の艶もよさそうだな)
夜会で出会った時は髪は整えているし清潔感はあったが、どうにもへたっているようだった。だが今は食事と睡眠を取ることで彼の麦穂色の髪に艶が出ていて、触り心地もよさそうだ。
日中とは違い髪を結ばず背中に垂らしているユリウスの横顔は、やはり肉付きがよくなっている。目元はまだくぼんでいるが、これくらいならかえって涼やかな切れ長の目をいい感じに露わにしてくれているようだ。
「……それじゃあ、そろそろ寝ようか」
「はい」
ユリウスに手を引かれ、ベッドに横になる。ここで掛け布団を引っ張るのはユリウスの仕事になっていた。
ユリウスが明かりを消すと、ライラは彼に背を向けた。いつもこの後で、ユリウスが同じ方向を向いて横になりライラの体に腕を回すのだ。
「……ライラ」
今晩も、ユリウスの左腕がライラの腰に回って抱き寄せられる。
だが。
(……な、なんだろう。お腹、触られている?)
気のせいか、ユリウスの左手がネグリジェ越しにライラの腹を撫でているような気がするのだ。
その手つきは決して嫌らしい雰囲気ではないが、何かを確かめるような動きはものすごく気になる。
「……あのー? どうかなさいましたか?」
「……ライラは、柔らかくて、とっても抱き心地がいいね」
「ひっ!?」
しっとりとした声と共に湿った吐息が首筋に触れ、びくっとしてしまう。この体勢を考えれば、彼が喋ることでライラの首に息が掛かるのは仕方のないことだが。
「僕とは全然違う、小さくて柔らかい体。……とてもいい匂いがして、君を抱きしめていると幸せな気持ちになれるんだ」
「さ、さようですか……?」
「うん。僕は、今のままの君がいいよ」
全身に緊張をみなぎらせていたライラは、ユリウスの言葉にふっと肩の力を抜いた。
(……ああ。さてはヘルカが、手を回してくれたんだな)
風呂に入っている間、一瞬ヘルカがどこかに行った気配がしていた。何かものでも取りに行ったのかと思っていたが、その時にヴェルネリを捕まえたりしたのではないか。
ライラはしばし黙った後、腹のあたりに触れるユリウスの手にそっと自分の左手を重ねた。
「あ、あの……私、太ってないですか?」
「意地悪な質問だね。男が女性に対して、太っているなんて言えるわけないだろう?」
「それはそうですが……」
「さっきも言ったけど、僕は君のこの柔らかさが好きなんだ。それに、痩せているとか太っているとか、そんなことを考えたことはない。ただ――」
――女の人なんだな、って思うだけだよ。
わざとなのか偶然なのか、耳元で囁かれた言葉に今度こそ大きく体が跳ねた。その拍子にユリウスの左手が外れ、ライラの胸元を掠める。
(ひっ……! ひえぇぇぇぇぇ!?)
思わずさっと両腕で自分の体を抱えて丸くなると、背後でくすくすと楽しそうに笑う声が聞こえてきた。
「ライラ……可愛いね」
「んっ!?」
「暗いから見えないけど……ほら、耳がこんなに熱いから、きっと今頃、真っ赤になっているんだろうね」
(言いながら耳を触らないでー!)
実際にライラの左耳の縁に触れながら言うものだから、聴覚も触覚も刺激されて、正直ものすごく辛い。
「そういうことだから、これからは太っているか、なんて質問しないでね。どう言えばいいのだろうかと、僕も困ってしまうから、ね?」
「うっ……分かり、ました……」
「いい子」
最後につうっと耳の裏のラインを撫でてからようやく、ユリウスの指が離れてくれた。
あのまま触れ続けられると、恥ずかしさのあまりライラの耳が千切れていたかもしれない。
(ユ、ユリウス様って、こんなに積極的だったんだ……)
最初の頃はどちらかというと寡黙な印象があったので、そのギャップが凄まじい。
「も、もう寝ましょう! 明日も外出なさるのでしょう!?」
「ん、そうそう。魔力のコントロールに困っている子どもがいるらしくてね……その子の様子を見に行くんだ」
ユリウスは間延びした声で言うと、もう一度ライラの腰を抱き寄せた。今度はいたずらな手が腹をさすったりせず、ライラの温もりを享受するように腕に力を込められる。
(……ユリウス様)
背後で自分以外の人間の呼吸の音を聞きながら、ライラは目を閉じる。
そうすると寝付きのいいライラは、すぐに心地よいまどろみに落ちていくのだった。




