15 タルトの秘密①
ライラがユリウスの屋敷で暮らすようになって、半月ほど経った。
「ライラ、君のご両親から手紙だよ」
いつものように菓子を焼いて持って上がったライラに、手紙整理をしていたユリウスが声を掛けた。
これまでは方々から届く手紙の返信は、ヴェルネリに任せることが多かったそうだ。
だが最近のユリウスは調子がよいようで、手紙の返事を書くのはもちろん、自分の方から魔道研究所の知り合いやバルトシェク家の縁者に手紙を書くようになっている。
(あ、そういえば今朝、父さんからの手紙が届いたってヴェルネリが言ってたっけ)
ユリウス宛てになっていたので、ひとまず彼のところに持って行かれたのだろう。
何が書かれているか気になっていたので、トレイをヘルカに預けてユリウスのいるデスクへ向かう。
「父は……何と申しておりましたか?」
「君が元気でやっているかの確認と、キルッカ商会についてだよ。読んでみて」
ユリウスに促され、ライラは薄い便せんを受け取る。その時一瞬だけ、実家でメイドが使っていた洗濯石けんの香りがした気がした。
便せんには、娘がユリウスの邪魔になっていないかの確認と、先日イザベラがキルッカ商会がやり取りしている宝飾工房を、バルトシェク家のお抱えの一つにすると知らせた旨について書かれていた。
「イザベラ様が……」
「うん、そうみたい。キルッカ商会は、宝飾品や調度品などに精通しているんだろう? 国内の小規模な工房と市場の間を繋いだりするという点で活躍していると聞いて、伯母上も興味を持たれたそうなんだ」
ユリウスの言うとおり、キルッカ商会は主に日用雑貨の方面であちこちと提携を結んでいる。
キルッカ商会が直接商売をしたり何かを作ったりすることはなく、主に王都や地方都市で工房を開く職人たちと契約を結び、彼らの作った品物を市場に出す手助けをしている。
町娘でも買えるような値段の指輪から、貴族の屋敷で使われるような立派な木製のクローゼットまで、生産者と購入者の橋渡しをして、仲介料を取っているようなものだ。
この形で成り立っている商会は数多いが、キルッカ商会は「職人の誇りを尊び、購入者の希望に応える」を柱としており、派手な儲けはないが着実に実績を重ね、その甲斐もあっていつぞやのように名家のパーティーにも招かれるほどの実力と財力を築いたのだ。
「この前の夜会に、君のご両親もいらっしゃっていただろう? 元々伯母上はキルッカ商会のことは好意的に捉えられていたし、ライラが僕と婚約したのをきっかけに、本格的に提携しようという気になられたみたいだ」
「……そ、そうなのですね」
ユリウスは涼しい顔で言うが、ライラの方は胸がどきどきして、父の手紙を握り潰してしまいそうだ。
キルッカ家もいくつかの貴族と個人契約を結んでいるが、バルトシェク家に並ぶほどの商売相手は今のところない。せいぜい新興の子爵家で、魔道の名家バルトシェク家は破格の提携先だ。
イザベラがキルッカ商会を通して職人たちが真心込めて作った作品を購入するだけでなく、「キルッカ商会は、バルトシェク家にも認められた」というだけで凄まじい効果が生じる。キルッカ家のような上流市民階級が貴族と縁を持ちたがる理由には、このネームバリューの効果が大きい。
(な、なんだか今になって、ユリウス様と結婚することの重大性が見えてきた気がする……)
ライラはあくまでもユリウスの健康維持係として毎日を暮らしているつもりなので、実家の方ではそのようなやり取りがあったと言われても、遥か遠い場所での出来事のように感じられてしまう。
「……イザベラ様には、いくらお礼を申しても足りないくらいです」
「うーん……それはどうかな。伯母上だって、いくらライラを僕の婚約者にするための条件だとはいえ、キルッカ家が無能だったらここまで素早く手を回さないよ」
ユリウスはそう言うとライラの手から手紙を取り、手ぶらになったそれをそっと両手で包み込んだ。
半月前よりも、少しは肉が付いたように感じられる手だ。
「この結果が生まれたのは、君のご両親や従業員たちがこれまで真面目に仕事に取り組んできたからだよ。伯母上は、キルッカ商会や職人たちの才能を表に引っ張り出しただけ。それに、これからどうなるかはそれこそ、商会の腕前次第だからね」
最後の一言は脅しのようにも取られるが、それを言うユリウスは微笑んでいる。
「腕前次第だから、落ちぶれるかもしれない」ではなく、「腕前次第だけれど、キルッカ商会なら大丈夫」と言ってくれているのだ。
(……ユリウス様の言葉は、私に力をくれる)
ユリウスの大きな手に体まで包まれたような気持ちになり、ライラはくすぐったくて少し身をよじらせてしまった。
「……そうですよね。でも、皆なら大丈夫だと思います」
「うん、君がそうしてきりっと前を向いていれば、ご両親も安心して仕事に従事できるだろう。僕も、未来の義父母にいい報告ができるし」
「っ……そ、そうですね」
未来の義父母、と言われ、そういえば自分たちはいずれ結婚するのだったと今さらのように自覚する。
今はあくまでも婚約者なのでユリウスとのスキンシップも、こうして手を繋いだり夜に一緒に寝たりするくらいだ。
だが結婚すれば――
ぽっ、とライラの頬が赤く染まり、ユリウスは不思議そうに首を傾げた。
「……顔が赤いね。何か変なものでも食べた?」
「い、いえ! なんでも……あ、そうだ! お菓子、お菓子を焼いたので、食べましょう!」
「ああ、そうだね。今日のお菓子は何かな?」
ユリウスもすぐに菓子へ関心を向けてくれたので、ほっとする。どうも彼は甘い物好きの肉好きらしく、ライラと寝るようになって不眠を克服した彼はもりもり食べるようになり、ヴェルネリを喜ばせていた。
……ただ、油断すると必要以上の糖分を摂ろうとケーキを大きめに切り分けるので、彼の健康管理係としてライラも用心していた。
「今日は、タルトを作りました。生地は昨日の晩から寝かせていたのですよ」
「タルトか……いいね。何味かな」
「ふふふっ……じゃーん!」
ユリウスにソファを勧め、ずっと出番を待っていたトレイの上の覆いを外す。
ガラスの皿に載っているタルトは、合計四つ。それぞれのサイズはインク瓶くらいで、タルト生地の中央に注がれたジャムの色が四色で違った。
「いろんな味を少しずつ楽しめたら、ということで、四つの味を準備しました!」
四種類のジャムを作るのは大変だったが、それさえ作ったらあとは普通にタルトを焼けばいい。
一つは、イチゴジャム。煮詰める際、わざと果肉を潰しきらなかったのでイチゴの果肉がころころと残っている。その横にあるベリージャムも同じで、ぶつぶつの食感を楽しむことができる。
もう一つはカスタード入りで、最後の一つは夕焼け色のジャムが入っている。
どれも甘い匂いがしており、ユリウスは目を輝かせて四つのタルトを順に見つめている。
「とてもおいしそうだ……それに、見た目もきれいだね」
「料理は見た目も大事ですからね。……どれも小さめなので、ユリウス様が全て召し上がっていただいて大丈夫です。ね、ヴェルネリ?」
振り返って問うと、茶の仕度をしていたヴェルネリがむっつり頷いた。
屋敷で暮らす四人の三食を司る者として、彼はライラの菓子でユリウスが糖分過多にならないようにも気を遣っている。このタルトも、ヴェルネリのチェック済みだ。
……そして実はこのタルトには、ヴェルネリやヘルカと一緒に計画した、ある「工夫」もされているのだが――
「お茶をどうぞ、ユリウス様」
「ありがとう。……さあ、ライラも一緒に食べよう」
「ありがとうございます。ではご相伴に与ります」
一応全てユリウス用に作ったのだが、彼は一人で食べるより誰かと一緒に味わう方が好きらしく、こうしてライラを隣に誘うことが多い。
ドレスのスカートを払って腰を下ろしたライラとユリウスの間の距離は、拳一つ分ほど。
遠すぎず近すぎず、一緒に茶を飲むには最適の距離は、ライラにとっても心地よかった。




