02話 柏葉さんちへ
家。休息を得られる場所。いや、得なければいけない場所。辞書にもそう書くべきだ。
僕は部屋に入るや否や、一目散にベッドに駆け寄り、横たわった。風呂にはもう入った。風呂に入らずにベッドに触りたくない。ベッドは綺麗であるべきなのだ。
柏葉と関わりだしてから一週間で、僕は綺麗好きになっていた。うつったのだ。昔は、汚したくないものはベッドだけだったが、今では部屋に入る前には必ず風呂に入っている。
この部屋の特徴は、ふと横を見ると、サンドバッグが目に飛び込んでくることだ。
「いつ見ても滑稽だ」
べつに、そういうスポーツをやっているわけではない。
あれは、小学三年生のときだ。
当時、すでに今のように柏葉の世話を焼く生活を送っていたのだが、僕はストレスに苛ま(さいな)れていた。原因は柏葉にある。当時、柏葉はあまり口をきいてくれなかった。
それと、周りの視線だ。憐憫。それがこの上なく不愉快だった。
――好きでやっているのだ。放っておいてくれ。
何度そう思ったことか。
そして僕は、勉強は嫌いじゃない。むしろ好きだ。憐れみの眼差しを送ってくる奴らに限って、ヤマを張って勉強している。その射幸心と(しやこうしん)、出来なかった時の言い訳が、聞かないでおこうと思えば思うほど耳に付き、僕にさらなるストレスを与えた。無理やりこじつけたような理由だが、当時の僕は本当にそう思っていた。
「部屋でストレスを解消できる何かがほしい!」
母親にそう言ったのは、今でも覚えている。
「は?」
そう返事が返ってきたのも、記憶に新しい。母の返事は当然だと今は思う。
「お願い! ストレス解消のための手段を僕に!」
母親からしたら心配だったのだろう。でも、僕が口を割らないと思って、問い詰めるでもなく、
「わかったわ」
と頷いたのだろう。
一週間でサンドバッグがやってきた。
「これでいいでしょ?」
「……うん。ありがとう」
絶句した記憶があるが、まあ、いろいろ助かったのは事実だ。
柏葉がいては、運動など出来ないのだから。
この日を境に僕の部屋は、僕専用のスポーツジムになった。インストラクターはいないけど……。だから僕は、一般的な体型を維持できている。どちらかといえば引き締まっているほうだ。夜間はジョギングもしている。柏葉の付き人役は体力勝負だから……。
ジョギングをして、風呂に入って、ご飯を食べて寝る。今の、帰ってからの生活スタイルは大体こんな感じだ。
そして今、まさに寝ようとしているわけだが、最悪なことに宿題を思い出した。
「くそ……」
やるしかない。居残りにでもなったら、柏葉を待たせることになる。体を起こすと愛しの枕が遠ざかっていくが、気にしてはいられない。
「これだこれだ」
鞄から宿題を取り出し机に向かうと、カレンダーが目に入った。
「そういえば」
来週の土曜日。
誕生日だ。
どうでもいい。
「はやくやろう……」
寝られたのは、一時間後だった。
○
二日後のおはなし。
「今日はお休みの日。日頃お世話になっている持木君に、お礼をします」
持木とは僕の名前だ。本名は持木幸助。
小学校では、柏葉と持木で、かしわもちペア、などと呼ばれた。まんざらではなかった。そしてその時は、運が向いてきたとも思った。世話係はあの日以来、ずっと暗黙の了解で僕になったのだ。なぜなら、小学校は奇跡的に卒業までクラスが同じになったからだ。
僕の中でこの、奇跡的に、という言葉が、恣意的に、という言葉にすげ替えられたのは中学に入ってからのこと。
中学もクラスがずっと同じだった。先生の仕業だ。丸投げしやがった。うれしかったけど。
そして高校。一年生の時、ついにクラスが別々になった。不安が僕を支配した。でもすぐに解放される。
柏葉を処理しきれなかった先生が中学校に問い合わせ、方法を知ったのだろう。始業式から一週間で僕だけのクラス替えが実施された。周囲の目がいたい……。ここで注目すべき点は柏葉のクラス替えにならずに僕のクラス替えになった点である。……どうしてだ。
一年生の時は、結局席もずっと隣どうしだった。先生に頼まれたのだ。
さて、話を戻すが、そんな柏葉さんが何やら恐ろしいことを言っている。
お礼……?
「……具体的には何をする気だ?」
命にかかわるとまずいんですけど。
「お家に招待しましょう」
……消毒される。これはまずいよ。本当にまずいよ。
「どのようにすれば入室許可が得られるのでしょう?」
「……滅菌?」
絶叫。心の中でだけど……。
食品製造工場の工場見学を扱ったテレビ番組を思い出した。
「生き物の中には菌がいるものだぞ?」
「生き物?」
「待て待て待て!」
そこを疑うな。
とにかく話を戻そう。ろくな展開にならない。
「柏葉の家?」
「そう。私の家」
「滅菌?」
「うそよ」
え? 入っていいの? 罪悪感がわいてきたんだけど……。
「シャワー浴びてね」
溢れ出るやましい気持ちをぐっと押し殺す。
「……シャワーまでの道のりが長そうなんだけど」
「そうね……」
悩むな。……いや、むしろ悩んで安全で簡単なものを……。
「ゴミになってもらうわ」
……ん?
聞き違いだ。聞き違い。
「今、何と?」
「……ゴミになってもらうわ」
聞き違いじゃなかったあああ!
いやまて、ゴミとして扱われていなかったことを喜ぶべきか。
……あれ?
「葛藤でもしているのかしら」
「よくわかってんじゃねーか! ちょっと違うけどそうだよ!」
悲しい。自分の中の尺度が狂っている。
「ゴミになれば私の家に入れるけれど、ゴミにはなりたくない」
「ちがぁう!」
違わないけど違う!
「生ゴミか不燃ゴミか」
「可燃と不燃じゃなくて」
「資源ゴミか粗大ゴミか」
「なんでわざわざ処理に困りそうなものを挙げる!」
選べと言うなら資源ゴミだ。
「そうじゃないの?」
「そうじゃない! そうじゃないけど言いたくない!」
「あらそう。ならいいわ。とにかく、ゴミになってもらうから」
言うと柏葉はつかつかと歩き出した。そして何かを思い出したかのように、二、三歩歩いたところで振り返った。
「あ、そうだ」
「ん?」
「残念だけど、粗大ごみにはなれないわ」
そのあと、柏葉の家の前で二十分ほど待たされた。柏葉がシャワーを浴びたからだ。
もうほんとね、扱いがひどい。
連投です。
物語を切る位置、完全に間違えました。