2章
重い瞼を開け視界に広がるのは見慣れた天井。俺はベッドに横になっていた。朝日が部屋に差し込み、今までのことがまるで夢であったかのように崩れていた。随分不思議な夢を見たものだ。ここ最近働きすぎで疲れていたのだろう。窓の外ではうるさいくらいにセミが鳴いている。
季節は夏、地球温暖化なのか異常気象なのか連日最高気温をたたき出している。着ているシャツも汗にまみれ気持ちが悪いので風呂に向かおうとベッドから立ち上がり部屋のドアノブに手をかけたが扉の先には何もなかった。何もないというの変だが空間そのものがなく、そこにはただ闇が広がっていた。
「まったくいつになったら起きるのにゃ」
目の前の闇の中から聞こえてくるその声は夢に出てきた聞き覚えのある声だった。俺は扉から離れるように後ろに下がったが床は音もなく崩れ去り、声にもならない叫びとともにそのまま闇の中に吸い込まれていった。
体を圧迫されるような感覚とともに額に柔らかいものがあたっている。それは艶があり適度な柔らかさでずっと触っていたくなるような感触。肉球にも似たような。思い切ってそれに手を伸ばした瞬間今度は額に衝撃が走った。
「やっとおきたのかにゃ~。それにしても神聖なわが肉球に触ろうとするとは無礼者。」
目を開ける猫の顔がそこにはあった。猫が我が物顔で体の上であくびをしているなか辺りを見回したらやはり夢の古風な喫茶店。いや、夢というかこちらが今の自分の住む世界で先ほどまでの自分の部屋がまるで遠い日の幻影であったかのように薄れていく。
「いつまでも俺の体の上でくつろぐんじゃねえよ。」
急に文句を言われたからかその猫は面食らったように驚き瞬きをしている。猫を抱え床におろし起き上がりとにかく状況を整理し始めた。
あの老紳士の話によるとここは神様を最後に導く場所でその役目は人間がするらしい。そしてその役目を今度は俺が引き継いでしまったということか。未だにはっきりしない頭を働かせながら考えていると、猫がこちらに寄ってきた。
「吾輩を無視するとはいい度胸だにゃ。」
この声はどこから聞こえてくるのだろうか、猫がしゃべるわけがない。しかしこの語尾まさかとは思うが。
「吾輩がしゃべったらおかしいかにゃ。」
やはり声の主は紛れもなく目の前の猫であった。いやこんな世界に来てしまったのだから何があってもおかしくはないが、さすがに驚きを隠せない。
「吾輩は猫神。ここで神送りの助っ人をしているのだ。」
そんなことを言う猫を尻目に俺はカウンターに行き乾いたのどを潤すためきれいに整えられた食器棚から一つコップを取り水を注いで飲んだ。
「話は最後まで聞かんかにゃ」
猫はぶつぶつと嫌味を言っている。どうやらここには飲み物や食べ物さらにはタバコなどの嗜好品も取り揃えてあり普通に生活できる程度のものはあった。一体これらがどこから来ているのかは見当もつかないが今はどうでもいい。足元の猫は神と言っているがその見た目はどう見てもただの猫にしか見えず三毛猫で寸胴のように太く言ってしまえばデブ猫。尻尾は極端に短かく、そのふくよかな体のラインは思わず撫でたくなるような愛らしさだった。声からするとおそらく雄だろう。そういえば三毛猫の雄は珍しいと聞いたことがある。俺は抱きかかえたい気持ちを抑えながら足にパンチを続けている猫に謝りこれからのことを聞いてみた。猫は怒りを押し切れないまま語り始めた。
猫によるとここに来る神様の願いは簡単なものから突拍子のないものまでさまざまで神様の数だけいろいろなものがあるという。最後の願いを叶えその後に消えてゆくのだそうだ。
そんな話を聞いていると入口の鈴がちりんとその場に響き、一人店に入ってきた。