6(占)
最寄り駅までついたところで、劫くんとは別れた。あと少しだから、自分で歩けると私は言った。ここからなら劫くんは始発電車で帰れる。少年は何か言うかと思ったけれど、素直に頷いて、気をつけて、と言った。私はもう一度、ありがとうと言って、歩き出す。彼は電車なんかに乗るんだろうか? 山手線に乗っていたら、それこそ見た目、塾通いの小学生だな。
湿っぽい朝の空気が、乾いた喉をザラザラ撫でる。私は帰らなければならない。私は帰ることができる。帰ったら部屋に、はるかがいる。はるかに会わなければならない。
劫くんに肩を借りながら、そのボーイソプラノの静かな語りを聞きながら、私は決めていた。
はるかにすべて話すのだ。
はるかと二人暮らせることの楽しさと、自分だけがはるかの秘密を知ってしまっていることの後ろめたさで、私は何も言えずにいた。黙ってやり過ごして、物事が自然に解決するのを祈っていた。そんな解決はないと知りながら。
私は自嘲する。燈花ちゃんに、話せ、直接言え、と言ったのを思い出す。そうだ、私もそうしなくてはならない。たとえそれが、すべてを壊すことになったとしても。はるかを、はるかと過ごしたこの半年を、消してしまうことになったとしても。それでもはるかは、宗右衛門と違って、死んではいない。はるかが生きて目覚められるなら、その可能性にかけるべきだ。
玄関の扉の前で深呼吸。もうはるかは起きているだろうか、まだ寝ているだろうか。微妙な時間だ。早起きの彼女だから、もう起き出していてもおかしくはない。できれば先に着替えてシャワーを浴びたいところだけれど、起きていたらこの格好のまま、話をするしかないだろう。きっとはるかはすごい顔をするだろうな、と思って私はふふと微笑んだ。
そっと、できるだけ音を立てないように、玄関のドアを開ける。身体を滑り込ませ、後ろ手にドアを閉める。トーストの焼けるにおいがする。居間の灯りはついている。はるかはやはり起きているのだろう。しかし姿は見えない。洗面所にいるのか。しかし何も物音はしない。
「ただいま……」
小さく言ってみる。
返事はない。
よそよそしくも私の声は吸い込まれ、キッチンの窓に差す陽光が白々しく朝を演出している。
靴を脱ぐ。靴下がべっとりと汚れているので部屋に上がるのを躊躇する。しかしどうにもしようがない、靴下も脱いで、裸足で部屋に上がる。
誰もいない。
洗面所を覗き、寝室を覗き、トイレを覗いて、しかし、誰もいない。
草苅はるかはここにはいない。
草苅はるかがここにはいない?
キッチンにトースターから飛び出したままの食パンがある。フィルターがセットされコーヒーの粉が入った状態で、乾いたままのドリッパーがマグカップの上に置かれている。電気ケトルの中には熱いお湯が入っている。どう考えても、ほんのすぐさっきまで、ここには草苅はるかがいたはずだ。
忽然と、草苅はるかは消えてしまった。
私は半狂乱で、もう一度靴を履いて飛び出そうとするが、足がもつれて倒れ、三和土に強かに頭を打ち付ける。激痛で世界が遠ざかり、私は自分が、それを失いつつあることを意識する。