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ドッペルゲンガー百合 ~12人狐あり・通暁知悉の村~  作者: 笹帽子
【4】草苅はるかは何も知らない
92/108

3(占)

 初カキコ……ども……。

 俺みたいな文系で基礎物理学実験とってる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは。

「三卜さん、結果出た?」

 コピペで現実逃避していた私に、実験ペアの草苅はるかが切羽詰まって言った。

「一応出た、けど……」

「いくつ?」

「マイナスになった。重力加速度が」

 It’a true wolrd.狂ってる? それ、誉め言葉ね。


 基礎物理学実験といえば理系の大学一年生が大いに苦しむイニシエーションであり、そんなに大変なら私もやったろ、と思って履修した。初回の実験からいきなり、現在進行系で苦しんでいる。そもそも物理、受験で使ってない。それでなんで取ろうと思ったんだ。どうも、こういう明らかに苦しそうなシチュエーションに自ら飛び込んでしまう悪癖がある。この間もゴスペルに興味ありませんか女に付いて行って散々な目にあったというのに……。

 本日の実験テーマは催眠術だった。重力加速度という深遠なる物理学の真理定数を導出するため、魔術師のコスプレ(ヘルメットとシューズプロテクター)を身につけ、ひたすら巨大な振り子を揺らす実験である。効果は覿面、振り子が二往復する前に私は意識を失いかけた。振り子が十回揺れるのにかかる時間をストップウォッチで測らなければならないが、十回も意識が持たない。今何回目だったかすぐにわからなくなる。今、何回目? タイムショックか? 測り始めたのは振り子が右にいくときだっけ、左にいくときだっけ? その測定を、振り子をひっくり返したり重りの位置を変えたりして何度も何度も繰り返す。延々と。永遠に。帰りたい。死んだ目で測定結果をまとめて分析したら、重力加速度がマイナスになってしまった。なるわけないだろう。データ以前に式変形で失敗してるぞ。

「三卜さん、どうしよう」

 はるかが関数電卓を差し出した。

「ん、どしたの」

 見れば、重力加速度の計算結果は1・62メートル毎秒毎秒となっていた。

「月面かよ」

「何度計算してもこうなるんだけど……」

「ちょっとジャンプしてみ」

 草苅はるかは困り顔のまま、その場で飛び跳ねた。チャリンチャリン言わなかった。胸が結構揺れた。

「うん、意外とありそう」

「……何が?」

「重力。普通に地球並みにありそうだよ、この部屋。だからそんな小さい値になるわけない。計算結果が間違ってるんだよ」

「でも式も間違ってないと思うし……」

 草苅はるかは私と同じ、文系のくせにこの科目を取っている奇特な学生その二である。この二人だけが、そんな意味不明な履修をし、天罰とばかりにペアにされていた。

 基礎実験はペア科目である。学籍番号順の連番で決まるペアが、すべてを決めると言っても過言ではない。作業からデータ処理からノート作成から口頭試問まで、すべての作業をペアで実施し、基本的にはそのままペアで評価される。相方が出来なかったり、途中で失踪したりすると悲惨である。だからある意味、微積すら怪しい私達二人がペアになっているのは、本業でやっている理系学生に迷惑をかけない正しい措置に違いあるまい。

「データ、取り直したほうがいいのかなぁ」

 もう他の学生は帰り始めている人もいる。少なくとももう誰も振り子を動かしてはおらず、せいぜい実験ノートの最後の仕上げ中、といったところだ。今から振り子をまたゆらゆらさせていたら、夜になっても帰れない。

「よし」

 私は決然と言った。

「脳内で揺らそう」


 信じられないことに、指導教官はデータの捏造を一瞬で見抜いたらしく、綺麗すぎるとか誤差の出方が都合良すぎるとか文句をつけてこちらの様子をうかがっていたが、私が知らぬ存ぜぬで通したところ、最後には実験ノートに判子を押してくれた。

「すごいな、そんなん分かるものなのかな?」

「何百っていう生徒の実験ノートを見てるんでしょう? 捏造を見抜くテクニックがあるのかもしれないわ」

 適当に、ランダムっぽく見えるように作った数が、末尾の数字が逆に偶然ではありえないほどにバラけているとか、偶然ではありえないほどに同じ数字が連続しないとか、そういう癖というものがあるとは聞く。その癖を読んで帳簿の捏造を見抜く凄腕が、税務署とかにはいるらしい。実験ノートの不正も似たようなメカニズムで見抜けるのだろうか。

 来週の予習をしたいと草苅はるかが言うので、付き合って大学内のカフェに来た。微妙に高いので、一人だったら入らないところだ。実際客層も学生よりむしろ近所の子連れ主婦が多い。私はカフェ・ウインナを、草苅はるかはアイスコーヒーを頼んだ。

「でも結構意外だった」

「何が?」

「三卜さん、あんなズルするんだなって」

「褒めても何も出ないよ?」

「褒めてない」

 まあ、研究不正防止というのは本学でも重点的な取り組み課題となっているところであって、その足元で学生がデータちょろまかしてたんじゃ困ったものだよねとは思う。

「まぁ、あんまり私、真面目とは言えないし……ごめんねぇ、付き合わせちゃって」

「あ、いや、別に責めてるわけじゃないわ。私だって共犯なんだから。ただちょっと、珍しいなって」

「珍しい、ねぇ……」

 周囲を観察していた限り、私のように最終的に全データを捏造したのは大技すぎたにせよ、消したほうが都合のいい異常値を消したり、最後の方は回数減らして平均値がズレないようにデータを埋めたり、くらいのことをやっている学生は普通にいるように見えたが。まあ、それをわざわざ彼女に言うこともないけれど。

 草苅はるかはちょっと真面目過ぎるように私には見えた。まあ東京の超名門私立女子校出身だというし……。地方公立出身の私とは、学校的なものへの真剣さに懸隔があるように思えた。

「珍しいと言えば。草苅さんはなんで物理実験なんて取ろうと思ったの?」

「ううん、物理学って、基本的には実証科学でしょう? 単純に実験ができるっていうのも面白そうだけれど、分析や考察の仕方とか、勉強になることが多そうだなと思って……だから実験ノートの取り方の話とか、面白かった。全部一冊に書く、とか、消さない、とか」

 草苅はるかは澄んだ目で宣った。私に流されたとは言え思いっきり捏造してきたばかりだというのに、すごいこと言うやつだなと思った。

 実験に先立って講義されたノートの使い方では、実験記録は一冊にすべて残す(別にメモ用紙とかを使わない)とか、訂正するときは二重線などで消す(消しゴムや修正液を使わない)とか指導された。そういえば、指導教員が私のデータの捏造をすぐ見抜いたのは、データが綺麗すぎたからではなく、ノートが綺麗すぎたからだなと今更ながら思った。余計なものを棄てたせいで、寄り道や悩みがノートに残っていなかったのだ。ただ、別に捏造しなくたって私は、基本的に書き損じるということはないから、今後も面倒かもなと思ったりする。

「三卜さんは?」

「私? 私はただ、物理実験ってつらいって聞いたから」

「どういうこと?」

「いや、どれくらい大変なのかなと思って」

 草苅はるかは目をぱちくりさせた。

「三卜さんって、ちょっと変わってるっていうか……私、いままであんまり会ったことないタイプの人かも」

 真顔でそんなことを言った。やっぱりなんかこう、世間ずれしてないというか。

「……草苅さんってさぁ、いわゆるその、お嬢様系?」

「え、なにそれ」

「だって忠弥坂なんでしょ?」

「いやいや、全然そんな事ないよ。私、別に普通だし。親は学校の先生だから、別にお金持ちとかでもないし……。っていうか忠弥坂って別に、勉強できるってだけで、全然お嬢様学校じゃないからね」

 むしろ、自立した女性たれ、みたいな指導をされるの、と草苅はるかは言った。

「マクドナルドのハンバーガー食べたことある?」

「あるよ!」

「ロッテリアは?」

「ロッテリアは……ないかも……」

「お嬢様だ」

「なんでロッテリアで決まるのよ!」

「今度一緒に行こう。絶品チーズバーガー食べて驚くやつ、やって」

「そんなに美味しいの?」

「まあ! こんなに美味しいものがありましたのね! まさに絶品ですわ! みたいな」

「そんなテンプレお嬢様が来たらロッテリアのバイト店員も嬉しいでしょうね」

「そのまま店員をスカウトして草苅家の料理人に」

「バイトを連れて帰っても絶品チーズバーガーは作れないのでは……」

「これではダメね。お父様、ロッテリア社を買いましょう。その方が早く済みますわ」

「スケールが大きすぎる」

「ロッテリア再建の裏にはそんな物語があったんだね」

「ない」

「まぁ、これから実験パートナーとして仲良くしよう。よろしくね。今度本当にロッテリア行く? 実は私も毎日前通ってる割にはロッテリアって行ったことないんだけど」

「お嬢様か!」

 意外とツッコミがしっかりしているのでお嬢様ではないようだった。

 それから私達は出身地の話をし、住んでいる場所の話をし(草苅はるかはもちろん実家住まいだった)、他に取っている授業の話をし(草苅はるかは今学期27コマ履修していると言うので私は度肝を抜かれた。平日5日間、5コマ入れても25コマにしかならないのに、何が起きているんだ? 分身でもするのか?)、他愛もない会話でコーヒーも水もなくなった頃、少しだけ言い訳のように予習をした。

 途中、何度も私は「三卜さん」じゃなくて「みとはち」と呼んでくれと言ったけど、草苅はるかは昔飼っていた犬がハチという名前だったからなんだか笑ってしまうと言ってなかなか「みとはち」を使ってくれなかった。名字が嫌なら八恵って呼んでもいい、と聞くので、そんな事言われたことがなかった私は若干恥ずかしいと思いつつオーケーしたが、結局その後も気付いたら「三卜さん」と呼ばれていた。なにそれ。

 私たちは、また来週、と言って別れた。


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