12(占)
少年を見送ってからも私は、しばらく病室で親友の寝顔を見つめていたけれど、面会時間も終わってしまい、手持ち無沙汰の私はふらふらと大学に戻り、そこからさらに図書館で限界まで粘った。テスト前でもない図書館だから、さすがに夜は人も減る。いつもは効きの悪い空調も、これだけ無人ならばさすがに気にならず、けれどどこか粘ついている空気にまとわりつかれながら私はぼんやりと本を読んでいた。蛇の本だった。蛇性の淫しかり、蛇には性的なイメージもつきまとう。それを、「蛇は穴に入りたがる性質があるから、そこに性的なイメージが見出されたのだろう」と言い切っている本だったので、ちょっと安直すぎないかと私は笑ってしまった。中学生か。図書館職員に追い出されたあとはゼミ室に籠城する。十一時になると警備員がやってくるので、電気を消してやり過ごす。戸口からは見えないようにソファに横たわっていると、懐中電灯のライトが室内を一周したあと、扉が閉められて、警備員は行ってしまう。私はその後も、しばらく暗闇の中でじっとしている。窓の外は曇天、月明かり。スマホで時間を見ると、液晶のバックライトが目に痛い。0時に集合ならば、まだ今少し、ここで時間を潰さねばなるまい。理系の研究室だったら寝袋常設が当たり前だというのに、十一時施錠というのは世知辛い話だと思う。
と。
廊下で音がする。
警備員が戻ってきたのかと思ったが、何かが違う。
その音は、ずるり、ずるり、と何か重いものを引きずるような。
重い身体を引きずるような。
私はソファの上で微動だにせず、目だけを開いて音を聞く。重いものを引きずる音は、間断なく聞こえる。ずるり、ずるりというよりも、ずりずりずりと言ったほうが適切かも知れない。誰かが何かを、運び入れたり、あるいは運び出したりしているのだろうか。土嚢か。木樽か。あるいは血糊のこびりついた死体か。この時間に? 学生の悪戯、泥棒、殺人鬼、と可能性を挙げてみるけれど、いや、どれもしっくりこない。気付いている。本当は。感づいている。本当に? 窓の外の月明かりは隠れてしまった。全神経を廊下から漂う寒気に向け、背中に向けて、息を止め、その間も音はだんだん近づき、今まさにこのゼミ室の前を通過している、という音量になった。
違う種類の音が聞こえる。
それはシュウシュウと。喋るように。
まるで――
場違いに軽快な電子音が手の中で鳴り、私は飛び上がる。見ればスマホに、はるかから了解の返事が来ていた。心臓が痛い。スマホを握りつぶさんやにして耳をすませば、廊下の音は消えている。漂っていた寒気は消え、ドアの外には何もいないであろうと知れる。私はじっとりと汗をかいているのを今更のように感じる。
窓の外は曇天、月明かり。
時計を見ると0時が近かった。そろそろここを出よう。
終電もじきになくなる時間である。はるかに何と言い訳するかが問題だったが、適当に親戚を殺した。急に田舎に帰らないといけなくなったと言った。すまん親戚。中途半端に友達がとか飲み会がとか言って外泊をでっち上げると、逆に面倒なことになりそうだったからだ。ただでさえ帰りが遅いと機嫌が悪い。家に帰らないとものすごい怒る。村陣営なら誰だって、占い師の所在が知れないのは不安なのかもしれないと私は思う。ましてや、はるかなら。前に一度、自分だって実家に帰ってないじゃないかと言い返してしまった事があるのだが、激怒されたうえに号泣された。そんなに八恵は私を追い出したいんだ、とか言われて、弱った。今回も何か追求があるかと思ったが、了解の返事が来たのでとりあえずなんとかなったようだった。
私はソファから改めて起き上がり、窓を開けた。月明かりはスマホの明かりと違って目に痛くない。
なんだってこんな、明らかに怪しい呼び出しに私は応じているのだろう。怪しいカルトサークルや思想系サークルの勧誘にホイホイついていって、その正体を見定めていたのと同じだろうか。違う気もする。
工学部一号館前。
それこそが、無量に聞かされた話の舞台であり、ゼミで披露した話の舞台であり、はるかによれば最近の学生の間でも盛り上がり始めた怪談の舞台である。そこであの二人は、私を呼び出して何をしようというのか。それが気になる。
無量に直接確かめたいとも思っていた。私に日記に書かせたのは、過去への干渉、歴史を変えようという試みだったのか。その真意を問いたかった。
私は窓から部屋を出て、バルコニーをつたって歩く。ここから低層棟の屋上に出て、非常階段で降りることになる。さっきの警備員が一階の出入り口は施錠しているし、機械警備を鳴らして善良な警備員各位の仕事を増やしたくはない。
しかし屋上には、先客がいた。
「……なんでここに来るんだよ」
少年は舌打ちして顔をしかめた。