6(占)
ヘルメットこそ外したものの、黒のライダースーツだけでかなり目立つ。それがまた身体の曲線を妙に強調する扇情的な感じで、場違いとしか言いようがない。ヘルメットから出てきた顔も西洋人めいて堀が深く目力がある。それは化粧のせいかもしれないけれど、いずれにせよ悪目立ちだ。中途半端な夕方の時間で人もまばらになったキャンパス内の喫茶店だが、周囲からの視線は痛かった。
女は無量と名乗った。なにそれ変な名前。
「こいつは私の助手で、劫っていう」
最初に現れたときは女の影に文字通り隠れて見えなかったけれど、女は助手と称する男の子を連れていた。この子もヘルメットをしていたが、それを取ってしまえば、有名私立小学校に通う少年に見える小奇麗な少年だった。Nバッグとか背負ったら似合うんじゃないか? しかしさっきから一度も口を開かないし、無表情で、目も合わせてくれない。
「無量さんと、劫さん……数字が多そうなお名前ですね」
言った瞬間に少年の方が舌打ちして顔をしかめた。何このガキ。
「まあそれはよく言われるね」
女はアイスコーヒーを二つオーダーしてこちらを見た。私もそれで、と言った。店員は私たち三人を一秒ずつ眺めて、謎は未だ解けないと言った顔をして戻っていった。私にも解けてないよ。
「名前の話をすると鬼が笑うというけれど、君の名前こそ暗示的じゃないか」
名前の話をしても鬼は笑わないよ。
「三卜八恵。命卜占三家の末裔にして名前がまた八恵だなんて縁起がいい。縁起がよすぎてバランスが壊れそう。いやある意味もう壊れてるか」
女は早口で言った。分厚い唇がよく動き、白い歯が覗いた。
「私の名前。知ってるんですね」
私は意識的に、ゆっくりと言った。
「知っている。君が三卜八恵という名前だということを知っている。その名前はあまり気に入っていないから友人にはみとはちと名乗っていることも知っているし、東央大学文学部人文社会学科に在籍していて指導教官が藤木圭吾であることも知っている。しかし藤木圭吾が教授だというのはどう考えても笑えるくらい嘘だし、そのアカデミックな経歴は後付で作られた欺瞞であることを私は知っているし、君も知っている。君がそれを知っていることを私は知っている」
私は押し黙った。店員がアイスコーヒーを六つ運んできた。
「多いよ!」
言った瞬間に少年の方が舌打ちして顔をしかめた。何このガキ。
「いや、私もそれで、って言ったじゃないかお前」
「いや二つ頼んだらあなた達二人の分だと思うでしょ」
「まあそれはよく言われるね」
よく言われるなよ。店員は私たち三人を一秒ずつ眺めて、謎は未だ解けないと言った顔をして戻っていった。お前も謎だよ。私と女はガムシロップとミルクを入れて、少年は何も入れずにアイスコーヒーを一口飲んだ。無表情だった。背伸びしてブラックなんか飲んじゃったけどまずいみたいなそういうのはないのか。可愛げが無いな。思った瞬間に少年が舌打ちして顔をしかめた。声に出してないよ。思考は許してよ。
何の話だっけ。
ああ、藤木先生の話だった。
「……いやぁ、だって、あの人の過去の論文とか、色々詰めが甘いじゃないですか? いまどきその気がなくったってとりあえず無断転載しておくサイトが、世の中にはいっぱいありますから、後から所属とか書き換えるの、すぐバレますよ」
「はは、なるほどね」
「それで、何のサークルの勧誘なんでしょう」
明らかに私個人を特定してきている時点で、サークルの勧誘とは思えなかったが。しかしそもそも付き合ってやっているのは、聞いたことのないパターンの勧誘文句だったからなのだ。
「公安警察に不当に逮捕勾留されている藤木圭吾さんを支援する会」
新左翼か?
「私たちは藤木圭吾に借りがある。それを返そうっていうわけだ」
「はあ」
「だから簡単に言えば、簡単に言うと鬼が笑うけれど、君に手伝ってほしいわけだ。君は藤木圭吾の教え子だし、先生を助けたいだろう?」
簡単に言っても鬼は笑わないよ。
「わかっているだろうけれど、君は藤木の教え子の中じゃ唯一まともな人間なんだからね、君に助けてもらわないことには、私たちも動きにくいのさ」
「全然わかりません。そもそも藤木先生が逮捕されたって、本当なんですか」
「疑っている?」
「あの人なら逮捕くらいされそうだとは思いますが、さすがに唐突ですよ。大麻ならわかりますが」
「藤木圭吾は大麻をやってるのか?」
「いやただの印象ですが」
「学生に大麻の印象を持たれるというのも相当だな」
「私の印象、当たるんですよ。占い得意なので」
「はん」
女は鼻で笑った。少年の方は表情を変えなかった。
「あと研究室の机の中に大麻が入ってました」
「物証じゃねえか」
「神道の講義で使うんだと思いますが」
「……そういうのちゃんとルビを振らないと通じないぞ」
大麻。
「藤木圭吾は昨日日本に帰国したが、成田空港で入国直後に逮捕されている。容疑は大麻とかではない。無登録の人造妖異による傷害だけどこれは別件逮捕というか微罪逮捕というか、まあともかく不当なものだ」
実際のところ藤木センセーから時々大麻くさいにおいがしていたのは事実なので、薬物での逮捕でなかったのは良かったと言うべきだろう。しかし、その傷害というのがどれくらい傷害なのかわからないが、微罪逮捕だと主張するあたり本当に思想系っぽいなぁ。仮にそれが本当だとして、私に何をしろっていうんだ。
「簡単な話だし、それにただで助けてくれなんて言わない。見返りに、君が何よりも好きなやつをあげよう」
「なんですか」
「妖怪についての話だ」
「……妖怪?」
「だってそうだろう? 君は妖怪とか研究している学生なんじゃないの?」
偏見に違いなかったが、あながち間違ってもいないのが難しいところだ。
「だからこの話を、家に帰ったら――」
飲み終えたアイスコーヒーの氷がカタリと音を立てる。
「日記に書いてほしいんだ」
私は黙る。
「ほんと君は、落ち着いているね。動揺が全く見えない。動揺してしかるべきシーンなのに」
「どういうことです」
私は落ち着いた声音で言う。少しそれが過ぎて、声が低くなってしまったかなと思う。
「別に。カマをかけただけさ。ただ日記が一番いいね。ブログとかツイッターとかなってくると、足がつきやすい。非公開が一番さ」
私は確かに日記を書いているけれど、書いているけれど。そこに書くということは。
「君に書いてほしい話は、この大学にまつわる蛇の話なんだ」
女は語る。