5(占)
親友のお見舞いのあと、休日の大学に立ち寄った私だったが、それは決してそろそろ卒論に取り組もうとか、休日の人が減った図書館で勉強しようだとか、そういう殊勝な理由ではなく、単に家に帰りたくないというだけだった。結局ゼミ室でだらだらと時間を過ごし、病院のにおいとベッドに眠る彼女の顔から適切な時間と距離を取って、飲み終わらなかったペットボトルには「みとはち」と油性ペンで書いて冷蔵庫に突っ込んで、ようやくこちらの世界に戻った私は階段を降りた。
雨が降っていた。そろそろ梅雨だ。ゴールデンウィークの残響もさすがに虚しく、五月病という言い訳もそろそろ苦しくなってくる五月下旬。夕暮れ時。内田ゴシックの薄暗い廻廊を抜けると、雨降り土埃のにおいがした。
あめあめふれふれ母さんが
蛇の目でお迎え嬉しいな
蛇の目ってなんだろう。なんであの傘を蛇の目傘って言うんだ。蛇の目。随分怖いじゃないか。あの傘を上から見たら蛇の目に見えるから、ということかな。それは分かるけど、あめあめふれふれの童謡に出てくると、雰囲気が随分違うな。
スマホで調べてみれば、たしかに蛇の目傘の由来は、白い輪のデザインが蛇の眼に見えるから、ということだった。
蛇ねえ。
蛇は白蛇とか、神様にもなるけれど、同時に祟りやすい動物でもある。海外で言えば、ウロボロスのイメージで神秘性もあるけれど、アダムとイブを唆したのも蛇だった。そう考えると、蛇の目でお迎えに来てくれたお母さんは、本当にお母さんだろうか?
本当にお母さんだよ。
脳内で一人で会話するのやめろ。
私は透明で黒のドットが入ってともすればタピオカみたいな模様の傘を差した。ところで、女性の傘の色柄が下着の好みと一致するという俗説がある。蛇の目でお迎えのお母さんの下着も蛇の目なのかなと思ったりした。多分蛇の目ではないなと思った。私も透明で黒のドットが入ってともすればタピオカみたいな模様の下着を履いてはいないのだし。
下着の色柄が子供っぽいかどうかは後に明かすとして、いや明かさないが、私の容姿はどうやら子供っぽい。背も低いし童顔だし、おかげで新入生と間違えられて、よくサークルの勧誘にあう。とはいえ五月も下旬となれば、しかもあいにくの雨模様の夕方となれば、まだ勧誘しているのは怪しい団体だけだろう。
「ゴスペルに興味ありませんか?」
ない。これはカルト宗教団体の勧誘である。コンサートとやらに行ってもいわゆるゴスペルっぽい曲はやらない。オー・ハッピー・デイとかアメイジング・グレイスとかそういうのはない。なんかよくわからないが聞いたこともない神を賛美する歌を聞かされる。その後は勉強会とか謎の催しに次々と参加させられ、連絡を断とうとしてもしつこく勧誘し、大学内や駅で待ち伏せまでされ、人生観を語り合う合宿に連れて行かれ、教義を叩き込まれることになる。
「聖書の一節を読ませて欲しいのですが」
読まないでくれ。これはゴスペルと同じである。
「ボランティア活動に参加しませんか?」
しません。これもゴスペル。
「現代の経済問題と社会問題を研究しているサークルです」
一方的に社会問題を滔々と語り続けてくるのがこの勧誘の特徴である。そういった方向性の学問を志して入ってくる学生の中には話を真面目に聞いてしまったり、あるいは思わず反論して議論を白熱させてしまう若者もいるだろう。しかしそうなったが最後である。理由はよくわからないのだが彼らの勧誘のポイントは、ビラは見せるだけで渡さないというところである。左手は添えるだけ。中身は新左翼のどれかである。
「●●大学と合同でパーティーイベント」
セックス。
「テニスサークルです」
これはテニスをするサークルであり、特に不審なサークルではない。
「テニスとかをやるサークルです」
これはセックスである。
「料理教室」
ゴスペル。
「全国二万人のインカレサークル」
共産党。
「大学から不当な退学処分を受けた●●さんを支援しています」
新左翼。
「キムワイプ卓球部」
これはキムワイプ卓球をする団体であり、特に怪しいものではない。
「アンケート」
ゴスペル。
「履修登録の相談会」
ゴスペル。
「戦争法案はおかしいと思いませんか」
新左翼。
「学生自治会です。過激な思想をもったサークルの悪質な勧誘に注意してください!」
共産党。
「プロワイプ卓球会です。過激な思想を持ったサークルの悪質な勧誘に注意してください!」
ゴスペル。
なぜ詳しいかというと、これらの勧誘は本当に私が新入生だったときに一通り受け、一通り内容を確認しているからだ。そういうのは一応、本当の中身が何なのか、覗いてみないことには気が済まくて、面倒なのは分かっていても、ついていってしまう。本当にヤバいと思ったら、その時に逃げればいい。逆に一度面倒を起こしておけば、もう勧誘されないという効果もある。私はすでに一通りの危ないサークルのブラックリストに載っているだろう。まあ、すでに手の内を知っている勧誘にもう一度かかりにいくほど、私も暇じゃないけれど。
「君の指導教官の藤木圭吾が逮捕されたことについて話したいんだが」
聞いたことのないパターンの勧誘だな。
「……はい?」
「ちょっと時間をくれるかな」
そう言って私の前に立ちはだかったのは、構内乗り入れ禁止のバイクにまたがって、フルフェイスヘルメットを被ったままの女だった。
怪しすぎる。私は眼鏡をくいと上げた。
え、先生が逮捕されたって?
「……大麻ですか?」
大麻ではなかった。




