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ドッペルゲンガー百合 ~12人狐あり・通暁知悉の村~  作者: 笹帽子
【幕間】赤いきつねと神々の黄昏
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赤いきつねと神々の黄昏

「お笑いで天丼ってあるじゃないですか」

「うん」

「同じギャグや同じ流れを二回繰り返して笑いを取るという。あれってどうして天丼っていうか知っていますか」

「え、知らない。どうして?」

「天丼には海老天が二本乗っているから、らしいのですよ」

「へぇ、そうなんだ」

「でもこれ、天丼である意味が薄いですよね。たとえばこのきつねうどんには、油揚げが二枚乗っていますから、『天丼』ではなく『きつねうどん』でもいいわけです」

「良くない。僕の油揚げをかすめ取るな。油揚げは一人一枚!」

 暮れも押し迫ったその日、僕は燈花と二人、自宅できつねうどんを食べていた。明日から僕は帰省するのだが、その前日に、二人で勉強でもするかと燈花を家に呼んだのだった。案の定勉強はしていなかった。ただのお泊まり会だった。

 相変わらず燈花はきつねうどんを美味しそうに食べた。食事を終えた鳶色の眠そうな瞳が、満足げな色を湛えている。

「ねえ、なんで油揚げって、狐が好きな食べ物って言うことになってるんだろう?」

「それは、狐は神に選ばれた神使であり、油揚げもまた神に選ばれた食物だからです」

 燈花に答えは期待してなかった。僕はスマホを取り出す。

「あ、いや普通に、稲荷神へのお供え物として油揚げがメジャーだったんですよ」

 最初からそれを教えてくれ。

「実際に狐は油揚げ食べるのかな?」

「食べてますが」

「いや動物の狐ね」

「動物ですが」

「いや……まあいいや」

「でも稲荷神へのお供えは、昔は『鼠の油揚げ』だった、という話もあります」

「鼠?」

「はい。稲荷神は稲穂を守ってくれる神様で、鼠は米を食い荒らす大敵だから、そういうイメージなんじゃないでしょうか。ただ、鼠の油揚げって作るのが手間ですし、人間は食べませんし、仏教と習合した時に殺生は良くないというのと相まって、かわりに豆腐の油揚げがお供えされるようになった、と読んだことがあります」

「へえ……実際に狐は鼠食べるのかな?」

「食べてますが」

「人を指差すのやめろ。そういう意味じゃない」

「じゅるり」

「口で言うな」

 食後の器を片付け、熱いお茶を淹れながら、僕はふと思いついたことを言ってみた。

「そう言えばさ、燈花的に、たぬきうどんっていうのはどうなの」

「はい?」

「燈花は油揚げが好きなんでしょう。でもいつも食べてるのはきつねうどんだよね。まあ名前的にそのほうが合ってるわけだけど、たぬきうどんだって食べるんじゃないかなと思って」

「うん?」

「え?」

「あれ?」

「なに?」

「それはあれですか、もしかして、たぬきうどんでも油揚げが入ってるじゃないか、ということを言ってますか」

「え、うん」

「ああ……」

「何、どうした」

「あのですね、そもそも香織、まず香織的に、たぬきうどんっていうのはどういう料理ですか」

「え、あれでしょ、油揚げが刻んであって、餡掛けみたいな……」

「はぁ」

「え」

「最終戦争です」

 最終戦争ではなかった。


 *


 それからじっくりと話し合い、二人の意見の相違を確認した。


 僕の認識はこうである。

 きつねうどん。これは東京の料理だと思うけど、甘辛く味がついた油揚げが、一枚そのまま、うどんに乗って出てくる。燈花が好きなやつ。

 いなりうどん。家でよく食べたのはこれ。刻んだ油揚げとネギが入ったうどん。油揚げに特に味はつけてなかったと思う。きつねうどんといなりうどんの差は方言みたいなものだろうと思う。

 たぬきうどん。刻んだ油揚げとネギが入って、餡掛けになっているうどん。


 しかし、燈花の認識はこうであった。

 きつねうどん。これは僕と同じ。そりゃそうだ。二人でよく食べたもん。

 いなりうどん。そんな料理は存在しない。強いて言えばそれもきつねうどんの一種であろう。うーん、やっぱりこれ方言なのか。

 たぬきうどん。天かすが乗ったうどん。


 は?


 最終戦争だった。


「あのさ、燈花。天かすって、天かすでしょ?」

「はい、天かすですね」

「カスじゃん」

「え」

「なんでそれを乗せてメニューとして成立するのさ」

「いや、しますよ。天かすだって具でしょう」

「いやいやいや、明らかにそれ、たぬきへの私怨でしょ。きつねとたぬきで扱いが違いすぎるじゃん。たぬきのこと自分らより化けるの下手だし神格もないって見下してるんでしょ」

「いえ、確かに私は油揚げと天かすだったら油揚げが好きですけど、別に私がたぬきの扱いを低くしてるんじゃないですよ。世間の常識ですよ。でもたぬきはきつねより格下です」

「やっぱり見下してるじゃないか。え、じゃあ東京のうどん屋さんで、たぬきうどんって頼んだら天かすが乗って出てくるってこと?」

「そうですよ」

「たいてい素うどんよりきつねうどんとたぬきうどんが何十円とか高いじゃん。天かすとかカスなのにそれが乗るだけで何十円か余計に取ってるわけ? 天かすってかき揚げとか作る時に自然発生するカスでしょ。原価ないじゃん。それを使って儲けようっていうのか。これだから東京人は」

「いやそういうものでしょうが。原価ないわけないでしょう。それ豆乳やおからは豆腐作るときの副産物で原価ないって言ってるようなもんですよ。……あ、じゃあ原価ないですね」

「うん、僕も豆乳はそんなに好きじゃないかな」

 そういう問題か?

「それよりたぬきうどんが餡掛けっていうほうが意味不明ですよ。餡掛けは餡掛けうどんでいいでしょう」

「そんなこと言ったらきつねうどんのことは味付き油揚げうどんって呼べ」

「いや呼べと言われても……」


 *


 冷凍庫から取り出された雪見だいふくをもって休戦協定が結ばれた。平和は必要だ。


「こんなところに僕たちの断絶が存在するとは思わなかった」

「そうですね。香織普段あんまり、方言とか出ないですし、地元ネタみたいなのないですもんね」

「まあ、意識的に消してるところが……」

「そうなのですか」

「高校の頃とかさ、方言だと知らずに使って通じなくて恥ずかしかったりとか、あったから。大学入ってから、気をつけてるかも」

「そんな言葉があるのですか」

「うーん、そうだな、校下とか」

「学校の校歌ですか?」

「歌の校歌じゃなくて、学校の校に下って書いて、校下。こっちでは学区っていうんだよね」

「ああ、へえ、そういう意味なんですか」

「あとは、これはもう僕たちの世代はあんまり使わない、ちょっと年寄りくさい言葉なんだけど、僕が昔うっかり半分冗談で言ったら全然通じなくて大笑いされたのが……」

「なんですか?」

「きんかんなまなま」

「……きんかんなまなま?」

「きんかんなまなま」

「え、あの柑橘の金柑ですか」

「いや、雪が積もった道で、踏み固められてツルツルの氷になってる滑りやすい所、あるでしょ。あれのこと」

「あれに名前が……」

「もうクラスで皆に流行っちゃって恥ずかしかった」

「きんかんなまなまですね。私も流行らせます」

「やめろ」

「でもそういう単語だけなんですか。語尾とか、アクセントとかは」

「あるよ。でも間違って出ては来ないかな。『がいね』とか『がん』とか『げん』とか?」

「なるほど……方言って面白いですね」

「そうかなぁ」

「方言女子とかあるじゃないですか。方言はかわいいですよ」

「うーん」

 わからなくもないけれど。

「香織もちょっと金沢弁で喋ってみてくださいよ」

「え。やだよ」

「聞きたいです」

「無理」

「聞きたいです」

 燈花が目をキラキラさせてこちらににじり寄る。腕とか掴まれてしまって、その体温が伝わる。ふわふわした髪が揺れる。

「いや、相手が標準語だと、なんか自然に出てこないから」

「え……じゃあ、校下」

「はい?」

「きんかんなまなま」

「とりあえず単語言うのやめろ」

「グレンラガン」

「それは金沢弁ではない」

 ちょっと音がそれっぽいけど。そうか?

「じゃあ……金沢人に化ければ金沢弁使ってくれますか」

「え、誰に」

「まあ誰か、香織の知り合いに。そうですね、私が会ったことある人だと、津幡愛さんとか」

「それは気持ち悪いからやめて」

「じゃあ前田利家」

「えらいし古いしそもそも出身尾張だし」

「そこは、前田利家に会ったことあるのかよと突っ込んでください」

「難しいな」

「ただ金沢人に化けてしまったら、金沢弁に萌える思考回路なくなるから意味ないんですよね……」

「ちょっとその領域のことはわからない」

「じゃあこうしませんか?」

「うん?」

「普段は標準語で話してください。で、二人きりのときだけ金沢弁になる」

「それは一体何を譲歩したんだ」

「ツンデレならぬ……」

「ならぬ何だよ」

「この普段はツンツンだけど二人きりのときはデレるっていう、原義の方のツンデレ、結局実在したんですかね?」

「いやツンデレならぬ何だったんだよ。語呂が最悪だったからって話を逸らして逃げるな」

「じゃあもう少し範囲を限定して、ベッドの上だけ金沢弁というのはどうで痛い」

「だら、これで満足か」

「わ、わかりました。譲歩します。私が上のときだけ痛い」

「痛くするぞ」

「もう痛いです痛い」

「痛くしてるからだぞ」

「はじめの話に戻りますけど」

「うん」

「たぬきうどんも食べるのか、という質問でしたね」

「あれはもう、遠い昔のことのよう」

「香織の方のたぬきうどんが食べてみたいです」

「おう?」

「その刻んだ油揚げとネギが入って、餡掛けになっているやつを食べてみたいです」

「うーん、どこに行けば食べられるかな」

「香織のが食べてみたいです。作ってください」

「ああ、うん、分かった。僕のでよければ今度作ってあげる」

「香織が食べ痛い」

「人を指差すな」

「痛いです痛い」

「痛くしてるからだぞ」

「じゅるり」

「口で言うな」

「これくらいできつねうどんになってきましたか?」

「油揚げは一人一枚!」


幕間『赤いきつねと神々の黄昏』 完


■参考

https://style.nikkei.com/article/DGXNASJB21049_S3A220C1AA2P00

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