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携帯電話が震えています。
非通知設定。
私は普段非通知の着信を受けたことなんてありません。
「もしもし」
「燈花。僕だよ。頼みがある」
それは、香織の声でした。
「もう夕方になるのに悪いけれど、少し来てくれるかな」
そう言って香織が指定したのは、香織の家の近くの、私も知っている場所でした。
*
逢魔が時、というにも少し遅い、薄暗がり。
「夜遅くにごめん」
ベンチに腰掛けていた神谷内香織は私を見て立ち上がり、言いました。
「頼みって何ですか、こんな時間に」
日は長くなりつつあります。それでももう少しで完全に沈むでしょう。
「現場検証がしたくてね」
「現場検証」
「宿題といってもいい」
「宿題」
「今回の一件に関して、残りの宿題だよ。ここで僕が撃たれたわけだけれど。この辺りかな?」
そういって香織は、ちょうどあの日、私に飛びかかったあたりに立ちました。
「角度がどうだったかを教えてくれる?」
「角度ですか……」
「どちらから撃たれたか」
私は、私が倒れていた位置に移動します。
「ちょうど私がここにいて、こう見上げる形で、その時に香織の肩を弾が通りました。でも撃たれた角度まではわかりません。血はこう、こちらへ噴き出したのを覚えてますが」
香織は真剣な顔をしてそれを聞き、周囲を見渡しています。
「どこから撃たれたかを考えているのですか」
「そうだね」
私も振り返って見渡します。
この公園は坂のなかばにあり、上の段と下の段二つにわかれ、我々がいるのは上の段です。私の背後にはある程度開けた景色が広がっており、公園の向こう側にある民家のどれもが、狩人が猟銃を構えていた場所として考えうるといえるでしょう。
むしろあの瞬間私が振り返って後ろをみる余裕があれば、たちどころに狩人の居場所が知れたのではないかと思います。いや、それもかなわなかったでしょうか。あたりは暗かったですから。
頼みというのはなんなのでしょう。ここで狩人の正体について検討するということなのでしょうか。
もちろん私も狩人の話が気にならないわけではありません。しかし、先程母にお願いをしました。母がいれば、それに藤木先生も帰ってくるとなれば、この問題はいずれ解決できるだろうと私は期待しています。だからここで、私達が勝手に動くべきではないのではないか、というのが私の直感でした。
あたりは大分暗くなってきました。しかし、それでも街は所詮街であり、その明かりは結構なものです。街頭の明かり。民家の明かり。公園の明かり。私は夜目も普通の人間よりも効くようですし、これなら狩人がどこからか狙っていれば見分けられます。
そのはずでした。
私は最初、立ちくらみか何かかと思いました。
音もなく、光が消えていきます。
「なに、これ……」
香織のつぶやきが、光とともに消えていくようです。
街が一角一角、スイッチを切るように、光を消していきます。
「停電……?」
そんな停電があるでしょうか。まるで送電経路を一つ一つ落としていくように、街が切り取られ、明かりを失っていきます。
最後に残った公園の白い電灯が消え、あたりは闇に落ちます。
「香織?」
香織の姿ももちろん見えなくなります。
「香織? どこですか?」
月明かりはありますが、さすがにまだ目が慣れません。
と。
香織の姿が浮かび上がりました。
赤い光の点によって。
一つ、また一つ、赤い光の点は次々に灯り、香織の胸で揺れます。
「なん、これ」
胸騒ぎと、私が叫ぶのと、ほとんど同時でした。
頭を割る爆音が鳴り響く。
一瞬の不快な沈黙の後、街の明かりが一斉に灯ると、一瞬前まで神谷内香織であった肉の塊が、地面に転がっているのを私は発見する。
第二部 『稲荷木燈花は貴方が知りたい』 完
■参考文献
狼の民俗学―人獣交渉史の研究 菱川晶子(著) 2009 東京大学出版会
石川県の民話 日本児童文学者協会(編) 2005 偕成社
室生犀星詩集 室生犀星(著)、福永武彦(編) 1968 新潮社