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稲荷木燈花と初めて話したのは、半年前。
二年生の冬といえば、所属するゼミを決める時期であり、その選択が大体そのまま卒論の指導教官を決めるということになる。経済学部なんかだとゼミで就職の良し悪しがどうのこうのとあるらしく、熾烈な競争が繰り広げられると聞く。
文学部はそういうのは残念ながら無縁で、のほほんとしていた。就職の良し悪しを気にするなら文学部に来たのが間違っている。諦めてサークルリーダー経験を捏造すべきだ。バイトリーダーでもいい。途上国に学校を建てるのも悪くなかろう。学生時代に力を入れるのをやめろ。
ぬるい雰囲気のゼミ希望者向けガイダンスの後、僕は彼女と一緒の帰り道になった。というかそもそも、ガイダンスに僕たち二人しか二年生がいなかった。
「神谷内香織さん、ですよね」
「ああ、うん、えっと」
「稲荷木燈花です」
以前も姿は何度か見かけたことがあったけれど、名前は出てこなかった。稲荷木燈花は、どこかぼんやりとしていて、ふわふわと透明感があって、儚げな可愛さがある子だった。これまで話すきっかけはなかったし、彼女が誰かと話している場面の記憶もなかったから、話しかけられたのは少し意外だった。
「神谷内さん、珍しいお名前ですね?」
「君が言えたことでもない」
稲荷木さんは、ふふ、と笑った。
「そうですね」
稲荷木も神谷内も珍しい。どちらも地名姓だ。
「神谷内さん、どうしますか?」
「なにが?」
稲荷木燈花はきょとんとして首を傾げる。
「なにって、ゼミですよ。どこに入るか決めました?」
少々気が早い質問だ。新年度が始まったのが昨日からだから、まだ半分以上のゼミは説明会をやっていない。と、いっても実際には僕たちの専門では、選択肢は多くないが。
けれど、実はもう僕は決めていた。
「藤木ゼミ、入るよ」
「本当ですか」
稲荷木さんの顔が微かに明るくなった。それは並んで歩いているくらいの距離でなければわからないような、おしとやかな喜び方だった。
「私も入ります。よろしくお願いしますね」
そう言って稲荷木さんはぺこりと頭を下げた。
「よろしく」
なんで敬語なんだ、と僕は思った。まあ、僕が言えたことでもないけれど。
「嬉しいです、私、一人だけだったらどうしようかと思ってました。なんか先輩二人怪しい感じでしたし」
「あー」
「あれは多分……私思うんですが……あの距離感……Dくらいまでいってます」
「激しいな」
先輩は二人だけだったが、その二人は、なんか普通にいちゃついていた。あれは確かに、その、アレだ。最近の女子大生は進んでいるのだな、と僕は思った。
「で、そうと決まればですね、神谷内さん」
稲荷木さんは立ち止まって、にこりと微笑んで言った。
「お近づきになるために、いまから一杯、いかがでしょう?」
「Dまでは勘弁願いたいのだけれど」
Aならいいという意味ではない。
「U、しましょう」
最近の女子大生は進んでいるのだな、と僕は思った。