災火
「なんなんですか、火鼠って。本当に僕に何かが憑いているんですか。どうすれば良いんですか。さっき言ってた公安ってなんですか」
混乱していた。
「僕、これからどうなるんですか」
神社は完全に燃えていた。消防車のサイレンが聞こえてきて、藤木はすぐに車を出した。山道を消防車三台とすれ違う。僕はさすがに震えが止まらなかった。
「公安はもう君を追ってない。俺と移動している限りは安全だから、大丈夫。いや、でも日宮神社まで燃やされたのは俺の不手際だ。失敗した。申し訳ない」
申し訳ないなんて言わないでくれ。なんとかしてくれ。
「神社は燃えて使えない。おそらくだが、火事で誰か殺してしまうと困るのは鼠も同じはずだ。そこまで馬鹿じゃない。だからきっと、さっきの火事も死人は出てないはずだし、神職は生きている。とはいえあの状況では神社には近づけない。公安にすぐ見つかっちまう」
「だから、公安って何なんですか」
「俺たち文化庁が手懐けられなかった、人間社会と共生できないと判断された妖怪を――あいつらは妖異と呼んでいるが――無害化する仕組みだ」
「無害化……」
「まあ要は消すわけだ。でもそうはさせないさ」
消すってどういうことですか、とは怖くて聞けなかった。
「どうするんですか」
運転する藤木は、はじめて会ったときと同じ、妖しくて悲しい目をしていた。
「プランBだな……」
僕は黙って震えた。
「火鼠について話そう」
藤木が言う。
「例えばだ。言っちゃ悪いけれどさ、神谷内くん。君の家はあんまり裕福とは言えない。お父さんのこともあったしね。けれど学校には、君と違って裕福な家の子供もいるだろう。そういう家の子供のことを想像してくれ。そういうやつらが、憑物筋だったら、どうだい。どう思う」
「……かわいそう?」
「はっは、そりゃ随分お人好しだな。それは君がいま、望まない憑き物に困っているからそう思うだけだろ。自分がかわいそうってか。見方を変えてみなよ」
「怖い?」
「まあ、それは合ってるな。憑き物をこっちにけしかけられたらと思うと怖い。その通りだ。そうじゃなかったら? 他には?」
「……」
「そいつはすごい金持ちだったりするわけだ。時流に乗ってる、調子に乗ってる奴らなわけだ。それが憑物筋だと露呈した。どう思う」
「……ずるい?」
「そういうことだ」
……わからない。
「憑物筋っていうのは機能だよ。ずるいという感情、嫉妬、怨嗟、そういうものが生み出した機能だ」
僕には意味がよくわからなかった。
「狐を使って裕福になったんじゃない。犬で呪って成り上がったんじゃない。逆だ。成り上がり者で、裕福で、ずるいから、憑き物を使ったに違いないんだ」
「……どういう、意味ですか」
「憑き物という存在は、物理的にそこに見えているわけじゃない。だが、いたほうが都合がいいんだ。だって、ずるいやつらが、恵まれている理由ができるし、ずるをしているということになるから叩けるじゃないか。そういうことなんだよ、憑物筋っていうのは」
ずるをしている、恵まれすぎた人間。それに、妖怪が憑いている。憑いていることになる。憑いているとして迫害される。
「たいてい村八分にされるんだよ。下手したら殺される。そこで整合性が取れるように、『管狐が憑いた家は栄えるが、やがて管狐が増えすぎて家が食いつぶされる』なんて設定が付け足されたりするわけだ。家が潰されるのは周りから圧力がかかったからってだけなんだけど、っていうか自分たちが圧力かけたからなんだけど、加害者はそれを認めないわけ。あくまで憑き物のせいにする」
「……憑き物なんていない、って言ってますか」
火鼠なんていない、って言っているのか。
「うん、だからそれで言うと、おそらく君のご先祖様も、火に関係して何か良い思いをしたんだろう。それで火鼠を使ったに違いないとなった」
「……鼠はいないって、言うんですか」
「残念ながら、何もいないわけじゃない。火のないところに煙は立たない。ただ、鼠は後付けっていうだけだよ。『鼠のしょんべん』の話、知ってるだろう。あそこから来てるんじゃないかな。つまり相当現代になってから、鼠になったわけだ。本当は、鼠憑きじゃなくて、怪火憑き」
怪火憑き。
「なかでも君は運が悪かった。いや、運が良かった。良すぎた。不審火のお陰で、全部得をした。してしまった。そのせいでかなり強くなっている。安全に鎮められるラインを超えている」
「学校が燃えて学校にいかなくて良くなった。俺のホテルが燃えて憂さ晴らしになった。犀川大橋の車だけは的が外れたが、これだって見方によっては、宮本本人を燃やしてしまわなかったのは得だったと言える。あ、いまかなり屁理屈だって思っただろう。そうだよ、憑き物は一度ついたら、屁理屈だって離れない。そして神社はまずかった。神社が燃えたから、火鼠は抑えつけられることも未然に防いで、力を温存できた。これは大きい。力がある場所を燃やしてしまった。君と火の結びつきももともと強すぎる。もう普通の鼠じゃない。これだけ火事が立て続いている以上、君には相当の力を持った火鼠が憑いているに違いない、という状況なわけだ」
「それで、君は、次は何が燃えると都合が良いんだろう?」