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面倒なことになったなぁと私は思いました。
そもそも、錦ケ丘中学校の社会科教師、『七尾かがり』の姿のままで食事に来ているのが大悪手です。本来ならばこういうときは、こういうアクシデントが起きてしまったときには、津幡さんと当たり障りのない会話をしつつ、できるだけ早く食事を終わらせて立ち去るのが常道でしょう。
しかし。
しかしです。
彼女が錦ヶ丘中学の卒業生であるとわかった以上は、私にはしなくてはならない質問がありました。そういう具体的で、実を伴うような、記憶に残ってしまうような話をここでするのは、余り褒められた行いではありません。だって、本物の七尾先生にかかる迷惑が一気に増えてしまうのです。
姿を変えた状態で、むやみに人と関わるな、人の記憶に残るようなことをするな、と父には言われました。父は変身するなとは言いませんでしたが、それで人に迷惑をかけるなといつも言っていました。
母はそんなこと気にするな、とりあえず場を荒せ、混乱させとけ、無茶苦茶にしろ、ぶち壊すのじゃ、と言っていましたが。
どっちに従うのが人間として良識的な行動なのかは言うまでもありません……。
……けれど。
それでも。
私は自分の好奇心を止められませんでした。
「ところで津幡さん、錦ヶ丘の卒業生ってことは、知っている? 昔、屋上で不審火があったの」
やってしまった。
「あー。あったあった。私が二年生だったころですねー。屋上で何かが燃えたってやつで。結局原因も何もわからずで迷宮入りしました」
「本当に何も分からなかったの?」
「原因不明です。まあ在校生や卒業生の悪戯じゃないかって、そりゃみんな思いましたけど。でも証拠もなくって」
「誰か疑われた人とかは?」
「んー? 具体的に誰が、ってことはなかったと思いますよ。少なくとも私は知りません」
「そりゃあ鼠の仕業かもな」
店主のおじさんが口を挟む。
「あはは。かもですねえ。まさにそんな感じで、学校側もあんまり追求しませんでしたよ」
あ、鼠の話って、本当にみんな知っているんだ、と私は思いました。
鼠の話というのは、この地域の現代民話とでも、あるいは都市伝説とでも言うべきお話なのですが、昨日、図書館で偶然私はその資料を読んでいたのでした。
あれ。
でも、津幡さんが火事を見たのが二年生のときということは。
「津幡さん、もしかして、神谷内香織って子、知っている?」
「あー。知ってますよ?」
私はちょっと素に戻りそうになりました。
先生もお知り合いなんですか、と聞かれ、私は適当にごまかしました。あまりにも適当すぎてどうやってごまかしたのかもよく覚えていないくらいですが、津幡さんはあまり気にしなかったようです。ああ、七尾先生に申し訳ない、という気持ちは、残念ながらどこか遠くへ行ってしまいました。最低だなぁと私は思いました。
聞けば、やはり同学年だったそうです。ということは私とも同い年なのですね、この方は。
「いやほら、あの子名前が珍しかったし」
「地名だって聞いたけど」
「ん? あー、名字じゃなくって。名前です」
「……『香織』が? 珍しい?」
「漢字が、ですね。普通カオリだったら、香りに織るって書くじゃないですか。でも織るの漢字が、糸へんじゃなくて、火へんなんですよ」
そう言って彼女はスマホに文字を入力し、私に見せてくれました。
香熾。
「あんまり良い漢字なのかどうかは、正直わかんなかったですけど。大人になって見ると、私はこの字は熾天使を連想しちゃいますねぇ。単体だと、火が盛んに燃える感じでしょう? 女の子の名前っぽくはないかなって」
私は自分の携帯を取り出して、電話帳を確認しました。
神谷内香織。
「まーでも、今の子供たちと比べたら普通の領域か」
私は首をひねります。
火が盛んに、燃える感じ?
「現代っ子はすごいですもんねー。私びっくりしちゃいましたよー。三組の御神火ちゃんとか二組の永久瑠くんとか」
私はずっと考え事をしながら、すみれ御膳をいただきました。とても美味しかったということはかろうじて覚えているのですが、考えに沈んでしまった私には何がどう美味しかったのか、しっかりと記憶しておくことが出来ませんでした。海鮮まんじゅうの今まで食べたことのない柔らかさ、じゅわりと染み出す出汁の旨味、この値段で出てくるとは思えない美味しいお刺身、揚げたて熱々ふわっふわのさつま揚げ、〆は海鮮キムチとわさびで無限にいけるお茶漬け(この食べ方は津幡さんが教えてくれました。地元の人の言うことは素直に聞くものです)、そういったものがともかく無限に有限に異次元に美味しかったような記憶だけが残っていますが、それ以上のことはよくわかりません。
「あと一組の理想女ちゃんとかすごいですよねー。名前でハードル上がっちゃうってよくありますけど、もう上がりすぎな。銀行っぽいし」