11
「あれ、七尾先生?」
「どうしたの、宇野気さん」
三組の女子生徒。宇野気かほ。明るくてクラスの中心人物。成績も悪くはない。
「さっき、職員室にいませんでした?」
錦ヶ丘中学校の職員室は校舎本棟一階の中央部分。ここは別棟の二階に上がる階段だ。
「そりゃあ、いるわよ。先生だもの」
「そーだけど。そうじゃなくて」
宇野気は階段で足踏みした。社会科教師の私を調理室で見かけた、というのならまだしも、職員室で見かけた、というのはごく当たり前の話だ。
「先生、速くない? だって私、職員室からここまで走ってきたのに、先生のほうが先にいるんだもん」
「学校の中で走らないの」
「あ、はい」
えへへ、と頭をかく。宇野気は陸上部だ。小さくしなやかな身体でグラウンドを駆ける姿はハツラツとして素敵だけれど、廊下で走るのは感心しない。
「先生は普通に歩いてきただけよ?」
「えー? 先生も実は走ったんじゃない?」
「走ってません」
子どもは時々変なことを言う。思春期に入り、大人たちとの距離のとり方、間合いの測り方に悩む時期なのだと思う。宇野気は人懐こく距離を詰めるけれど、こういうどこへも行かない雑談だって、その一つの子供らしい策なのかもしれないと私は思う。
「本当に、廊下や階段で走ったら駄目だよ。誰かを怪我させたら大変だし、あなた自分も今怪我したら困るでしょう。大会、近いんでしょ。頑張ってね」
「はーい」
口ではそう言いながら、けれど僅かに表情を明るくさせて、宇野気は階段を駆け足で上っていった。
……すぐに気づいて早歩きに変えた。
「あ、そうだ宇野気さん」
階段を登り切った宇野気が回転する。
「なあに、先生」
「あなたは、この学校の狼の話、聞いたことある?」
「へ?」