7
一人になった部屋で、これから私は電話をかけます。布団の上に座って、懐からスマートフォンを取り出します。液晶の表面を指でなぞり、そのロックを解除します。
これから、私は二本、電話をかけます。
「もしもし」
だるそうな声でした。
「稲荷木です。みとはちさん、いまお話できますか」
「ああ、燈花ちゃん。もちろんできるけれど、どうしたの、電話なんて。珍しいね」
「みとはちさんにどうしてもお願いしたいことがありまして」
「燈花ちゃんが『お願い』だなんて、それこそ珍しい。面白そう」
「はい。聞いていただけますか?」
「話を聞くよ。お願いを聞くかどうかは、中身を聞いてからだね。私はなんでもいうことを聞くなんて言うほど、無責任なキャラじゃにゃから」
みとはちさんはかっこいいセリフを噛みました。
「はい。実は、藤木先生と連絡が取りたいのです」
電話の向こうに、一瞬の間。
おそらくは噛んだことを自分で拾うか迷っているのだと思います。
「……あの人と。連絡が取りたい。急ぎで?」
拾いませんでした。
「そうです。大学のメールは、どうもほとんどチェックしていないようですし、送ってもいつ返事が来るかわかりません。それに、込み入った話なので、できれば電話で話したいのです。あと、みとはちさん今かっこいいセリフなのに噛みましたね」
「鬼だな」
電話の向こうでみとはちさんが崩れ落ちる気配がしました。
鬼じゃないですよ。
狐です。
「まあ、いいや……噛みましたよ……ともかく、まずはお礼を言おう、燈花ちゃん」
「お礼」
「私がセンセーの連絡先を知っていると思ったわけじゃないよね」
「はい」
「つまり燈花ちゃんは、私ならセンセーの連絡先を突き止めることができると期待しているわけだ」
「そうです」
「ありがたい話だね」
電話の向こうで、カタカタと音がします。
猛烈な速度で。
「私がかけることができる電話番号があればベストです。そうでなくても、立ち寄った施設、例えばホテルだとか、海外の大学だとか、そう言った情報が少しでもあれば、助かります。力を貸していただけないでしょうか」
「おーけー。いまやってる」
電話の向こうでなる音はキーボードでしょう。銃でも撃つみたいな連続した音。一瞬の間。また連射する音。
「この間、香港にいたことはわかっている」
「はい。みとはちさんはあれを即座に特定したので、今回も何か分かるのではと思ってお願いしているのです。あれはどうしてわかったのですか」
「写真に映り込んだバスに、見切れ気味だったけどKMBって書かれてて」
「KMB……」
「何の略か分かる?」
「……釜めんたいバター」
「なにそれ」
「釜めんたいバターです」
「釜めんたいバター」
「香織の二つ名です」
「香織っちにそんなボリューミーな二つ名が」
「常連だそうです」
「あ、そう……」
「すみません」
「ああ、うん、九龍モーターバスでKMB」
「なるほど」
「写真に写った町並みからは結構手がかりが少なかったよ。中国語っぽいのが写っていたけれど、まあチャイナタウンとか世界中にあるし。結局絞り込みは固有名詞が強いんだよね」
「すごいです。私はてっきり占いかと思いました」
「占いは、使わなくてもいい時には、使わないに限るんだよ。まそれにしても、香港にいたというのとは結構前の話だからねぇ。今どこにいるかは改めて検討する必要がある」
「はい」
「……けれど、どうして?」
「先生と、お話したいことがあるのです」
それは答えにはなっていません。
みとはちさんの質問に、私は正面から答えていません。
「ふうん……」
キーボードの音がすっとやみました。
「香織っちのことかぁ」
この人は、本当に占い師なのだろうか、と私は思います。
「……はい」
「いいよ、詳しい話は聞かずにおくよ。何やら込み入った事情があるわけでしょう。その代わり、いつか私が燈花ちゃんの持っている情報を必要にした時は、その時は協力してね」
「……ありがとうございます」
やっぱり、みとはちさんは優しい人です。
「読みあげるよ」
「え」
え?
「もうわかったのですか」
「さすがに携帯の番号は無理かなぁ。だから泊まってるっぽいホテルの番号」
みとはちさんが読み上げた番号は。
国番号40。ルーマニアでした。
「幸運を祈るよ、燈花ちゃん」