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私はまた、香織の寝顔を見つめていました。
エアコンの微かな駆動音と、時計のカチコチ言う音だけが部屋に響きます。母はまた出かけてしまったようです。
冷えピタがそろそろ冷えでもピタでもなくなっているように思います。冷えピタが冷えなくなったらただのピタ。冷えピタがピタでなくなったらただの冷えです。冷えだったりピタだったりしたらまだ戦えるでしょうが、しかし、冷えピタが冷えでもピタでもなくなってしまったとしたら、それはもう無です。無。取り替えましょう。私は冷蔵庫で冷やしておいた冷えピタを取り出します。香織の枕元に戻って、彼女の額に手を伸ばします。
香織と目が合いました。
「起きたんですか」
「起きた」
「そうですか」
かまわず額の冷えピタを取り、
「いいよ」
香織が私の手を払って、身体を起こしました。
「まだ寝て」
「大丈夫」
「ですが」
「もうだいたい治ったし、少なくとも熱はないよ」
香織が自分で冷えピタを剥がします。
間違えました。
香織が自分で無を剥がします。
「洗面所借りていい」
「そこに服がありますよ」
「ああ、ありがと」
香織には、私の寝間着を適当に着てもらっていました。元の服はボロボロになってしまったので。私の寝間着のまま帰るというわけにもいかず、あの服を着てもらうことになります。
洗面所から、冷たい表情が出てきました。
「この服、なに」
「よく似合っていますね」
完璧です。赤いネクタイにブラウンのジャケット、それと合わせたパンツルックは、いかにも彼女が着ていそうな服装です。
「私の変装のために買った服?」
「いえ、変な気まぐれを起こして似合わないだろうとはわかりつつもちょっと買ってみたらやっぱり私には似合わなかったのでしまっておいた変装用の服です」
「変装用じゃねえか」
「私、まだ下手なので、服まで作り変えるのはちょっと自信がなくて」
「そこまで準備をしてねえ……」
そうつぶやいて、香織は枕元に置いておいた携帯電話と家の鍵を拾います。
私の方を見てはくれません。
昨夜と同じ気配が、香織から感じられます。
彼女は怒っているのでしょう。
私は何も出来ません。
「帰るのですか」
「帰る」
「もう痛くないですか」
「痛くないよ。ありがとう、お母さんにもお礼言っといて」
香織が離れていきます。香織が玄関で、靴を履きます。ドアを開けます。
「香織」
「うん」
「……ごめんなさい」
「君は、ずるいね」
香織はそう言って、部屋を出て行きました。